復讐の町(1/6)
ユキは熱にうなされていた。目を閉じると何度もあの光景が蘇ってくる。森の中、自分の放った火球で焼けただれた巨大な狼の死体。
後味の悪い戦いだった。
狼と人間との戦い。そのきっかけを作ったのは人間側にあった。にも関わらず、ユキは狼側を絶滅させる道を選んだ。選んでしまった。それ以来、心が暗く淀んだような気持ちになって、ユキは体調を悪くしていた。
大きな町まで行こうと決めていたのに、元いた町からさほど離れていない小さな町で休んでいるのはそういう事情からだった。
「少し起きて口を開けろ」
誰かの声がする。きっと兄のアキだ。彼はいつもそうだった。ユキが熱を出すと、危険を犯してでも解熱効果のある薬草を取りに行く。
昔からずっとそうだ。アキはユキを助けてくれた。
だから、彼が道を外れたならば自分が正してあげるのが自分の役割だとユキは思い続けてきた。だから、喧嘩の仲裁も何度もした。旅に出ることを察すれば、それを阻むために共に故郷を出た。
ユキは緩慢な動作で体を起こして、小さな口をゆっくりと開ける。
苦い粒の集まりの感触が口の中に広がった。
「よし、そのまま飲み込むんだ」
言われるがままに、唾液で粒を塊にして喉の奥に流し込む。
そして、再び横になった。
「ありがとう、お兄ちゃん」
朦朧とする意識の中で、薬の提供者に視線を向けると、驚いたことにアキではなかった。
そこには、不安げな表情のリュウキが座っていた。
「リュウキさん……」
自分は今、どんな服装をして、どんな髪をしているのだろう。それすらもはっきりせず、恥じらいという感情も泉に投げられた岩のように浮き上がっては来ない。
「アキかと思った」
苦笑すると、リュウキは苦い顔になった。
「あいつもわからん奴でな。金はあるのだから冒険者ギルドに依頼したほうが早いと言うのに自分で探したほうが早いと言い張る」
溜息を吐いて、リュウキは細い剣を鞘ごと腰から抜いて、杖のように先端を床に立てた。
「結局、勝ったのは僕だ」
「二人にかかると、なんでも勝ち負けになっちゃうんだね」
ユキは思わず苦笑する。鉛のように重かった心が、僅かに軽くなった気がした。
「昔からなのか? あいつの頑固癖は」
「昔からだねえ。ずっとずっと、変わらない。いつもあいつは、ああなんだ」
「そうか。さぞ、苦労したことだろう」
「今もしている最中だよ」
ユキは苦笑する。
「……どうやれば、あんなに硬い意思を持てるのだろう。どうやれば、ああも曲がれずにいられるのだろう。僕にはそれが、不思議でならない。生来特別な力を持っているからか? いや、それならば僕も同じはずだ」
自問自答して、リュウキは首をひねる。
「あいつと僕、何処で差がつく」
ユキは、しばし考え込んだ。どんな答えならば、彼の望みに叶うだろう。
それを可能とするのは、アキを一番身近で見てきた自分しかいないのではないかと、そう思った。
「子供時代に、眩いものを見すぎたんじゃないかなって、私はそう思うよ」
「眩いもの……?」
「五剣聖。国中から持て囃される存在。そんな存在が両親だった。そんな両親が、アキは大好きだった。自分もそうなるんだと、ずっとずっとそう思い続けてきたんだと思う。その蓄積された思いが、硬い意思となった」
ユキは、そこで再度苦笑する。
「まあ、親がどうであれ普通に生きようって考えた私とは大違いだよね。案外そこが、人の生き方の別れ目なのかもしれないね……」
「有名人が親だったのは僕も一緒だ」
「それはそうか」
ユキは納得してしまった。彼の父親は五剣聖のセツナ。国の中でも有名人で、三本の指に入る領地を抱える大領主だ。
同じく五剣聖のリッカとは、領の違いからライバル関係にある。
「ただ、僕は親が嫌いだった。案外そんな単純なことかもしれないな。人格の差なんて」
それ以外にもあるだろう。彼は貴族だ。物や技術を与えられるのが当然の生活をしてきた。平民の子供の出自であるアキとはそこが決定的に違っている。
けれども、流石にそれを指摘すれば相手も不快がるだろう。
ユキは、どう答えたものか考え込んだ。
「何やら言いたげだな」
こんな時に鋭いところまで兄に似ている、とユキは苦笑する。
「ううん。アキとは仲良くしてほしいなって」
「それは難しいな。奴を超えたという決定的な証拠を持って帰るのが僕の抱える試練だ」
「試練……?」
リュウキは、考え込むような表情になって、窓の外に視線を向けた。まるで遠くにそびえ立つ山を見ようとするかのように。
「……人それぞれ、事情はあるものだ」
話す気はないようだ。貴族の試練に興味が無いわけではない。しかしユキは、その話題についてこれ以上掘り下げることを諦めた。
「そうだね。私にも、リュウキさんにも、アキにも、それぞれの思いがあるんだ……」
そして、自分と兄の思いは相反している。これはどうしたものだろう、とユキは思う。
それは、故郷を出てからずっと答えの出ない自問自答だった。
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サラの悪夢、という事件がある。
サラの村が一晩で住民ごと焼け跡になった、という凄惨な事件だ。
その原因は長らく不明とされており、生き残った一人の元住民も事件に関しては口を閉ざしている。
「そのサラの悪夢がどうかしたの?」
熱が下がったユキは、ベッドの上で上半身を起こしてアキに説明を受けている最中だ。
「それ関係の依頼が冒険者ギルドに舞い込んだ」
アキは不敵に微笑む。
ユキは黒色の不安で心を塗りつぶされるのを感じた。
「まさか……」
「そのまさかもまさか、依頼を受けてきた」
「サラの悪夢だよ?」
ユキは思わず、自分の体が跳ね上がるのではないかと思うほどの大声を出していた。思わず、その反動で咳をする。
アキは苦い顔で、耳に指で栓をしていた。
「村一つが焼け跡になるような超常現象だよ? 危険すぎるじゃない」
「ん? 何? 声のトーンが急に落ちたから聞こえなかった」
アキはそう言って、耳から指を離す。
「危険すぎるって言ってるの。呪術にしても魔術にしても規模が大きすぎるよ。リスクが高すぎる」
アキの唇の片端がつり上がった。
「忘れたか。その危険を乗り越えてきたのが俺達の両親だぜ」
彼ときたら、いつもこうだ。子供の頃に見た眩い憧れだけを見て生きている。
ユキは、思わず溜息を吐いて、視線を目元に落とした。
どう説得して辞めさせたものだろう。そう考えているのだった。
「そんなに報酬が良かったの?」
「いや? 報酬は雀の涙。田舎町の住民がやっとかっとで出した金って感じだ」
「なら、なんで……」
「ここらで、名を上げておく必要がある」
アキは、断固とした口調で言った。
「調律者殺しである意味名は売れた。しかしそれは負の名声だ。これからは正の名声も高めていかなければならない」
「なるほど、つまり前のは下準備。今回みたいな事件が本番だ、と」
「物分りがいいな」
ユキは頭を抱えた。アキは馬鹿のように素直だが、計算は立つ。着実に理想へ近づく道を進もうとしている。
「あのね、アキ。私思うの。成功者の下には失敗した人の死体が無数に積み重なってるんだって。たまたま生き残れた一部の人だけが成功者になれるんだって」
「けれども、挑戦しなければ成功者になることはできないんだぜ」
アキは、辟易としたような口調で言う。
「俺は親に、成功者になる資質を貰った。そうでありながら、挑戦しない人生なんてごめんだね。踏み出さなければ、何も始まらない。踏み出さなければ、そこで足踏みを続けるだけで時間が過ぎていく。そんなのは、もう嫌なんだ」
「あのね、一箇所に留まって生計を立てることだけでも立派なことだと私は思うの。アキにも、そうなってほしいの」
「けど、お前はついてくることを選んだ」
それは結果論だと、ユキは思うのだ。
「別に、いつでもお前と生き別れになっても俺はかまわないぜ。夢に生きると決めたんだ。その時は他の仲間を作る」
「そんな言い方って、ないと思う」
退路が、いつの間にか塞がれている。
ユキの不安は徐々に膨らんでいく。兄は着実に夢に近づく道を歩み始めている。それはとても危険な道だ。一歩踏み外せば、奈落の底に落ちていく道だ。
それを止めたいのに、彼の歩みを阻むことができない。現状のユキは、彼の腰に引きずられて進んでいるようなものだ。
「俺は、やると決めた。だから、やる。お前はどうする?」
ユキは、考え込んだ。答えは、決まっている。
「私は、反対だよ」
「じゃあ、ゆっくり療養して体が治ったら故郷に戻るんだな。俺は考えを曲げる気はない」
ユキは考え込んだ。これは卑怯だと思う。本当に、退路がない。
「……説明だけは、聞きについて行くよ。着替えするから、部屋から出てって」
「わかった」
アキは表情も変えずに、出ていった。
彼は本当に頑固者だ。ユキは、思わず溜息を吐く。
しかし、いつまでもそうしていたら本当に置いていかれるので、着替えて髪を整えて、部屋を出た。
リュウキも今回の件には同行するらしい。借りた家の前に出ると、二人が並んで話し込んでいた。
「お前は体魔術は使えるようだが、魔術の知識はあるのか?」
「親父に多少仕込まれてはいるよ。ユキのほうがその道は得意だけどな……っと、来たか」
「うん、おまたせ」
「行くぞ」
アキが言って、前を歩き出す。
「お前が仕切るな」
リュウキが不服げに言って後を歩く。
「お前が仕切りたいって言うのか? 流石は貴族様、仕切り屋だ」
「そうだな、立場上も僕が指揮を取るべきだ」
「血を笠に着るのかよ。嫌だね、そうはなりたくないもんだ」
「判断力も僕のほうが優れている」
「前回は俺の判断のほうが正しかった。お前も認めたことだ」
「お前は揺るがなすぎるのだ。僕のほうがその点柔軟だ」
(仲、いいなあ……。悪いのかな)
ユキは半ば呆れて苦笑しながら、いつの間にか並んでいる二人の後を歩く。
平和な旅であれば良いのに、とユキは思う。そうならば、こんな時間がずっと続けば良いのにと思っただろう。
(そうじゃないのが、残念だなあ……)
思わず、小さく溜息を吐く。
(名声を得るために、アキもリュウキさんもリスクのある道へ行く)
ふと、立ち止まる。
わかっていたんだ、と納得がいった。アキの心境が、変わりようがないことに。
(私はいつまで、この二人の後をついて行けるんだろう……?)
不安が水滴のように、心に滲んだ。
その時、騒がしい声が耳に届いてきた。
抗うような声と、盛大な破壊音。近づくと、家を取り壊している人々がいる。それも、国の兵士のようだ。住民らしき親子が、それにすがりついて止めようとしているが、相手にされていない。周囲には、気の毒そうにそれを眺めている人々がいる。
「どうしたんだ?」
アキが、観衆の一人に笑顔を作って話しかける。
中年男が、苦い顔で返事をした。
「この家の奴は、イズミナグリ様を家の柱に彫って隠してたのさ。それがバレた」
「イズミナグリ様?」
ユキは、思わず疑問符を浮かべた。
「この国の宗教上の神様だ」
リュウキが淡々と補足する。
「それだけで家を壊すなんて……」
ユキは思わず、眉根をよせる。こうしている間にも、家はどんどん破壊されていっている。
「あんたら、旅の人か。これが、この国の現実さ。一般人はアラルへ旅立つことすら許されない」
そう言って、中年男は肩をすくめて、その場を後にした。
「アラル?」
「天国の意だな」
リュウキがまた、淡々と説明する。
「行こう」
アキがそう言って、前へと歩き出した。
ユキは、慌ててその後を追う。
「なんとか、家を壊すのは取りやめて貰えないかな……」
「この国に住むことを決めたのも奴ら。この国で自分の信仰を持つことを決めたのも奴らだ。命まで取るってんなら流石に止めるが、家を壊されてすむなら御の字だろうよ。幸い、まだ気温は溫暖だ」
「ユキさん、彼らには彼らの事情がある。国外の人間の僕らが介入するべきではない問題だ」
リュウキも今回は、アキの味方のようだ。
そうなると、ユキも従うしかない。遠ざかっていく盛大な破壊音とすすり泣きを背に、彼らの後を歩いた。
依頼者の家は、町外れのレンガ造りの小さな家だった。
ノックをすると、しばし経ってから、小太りの中年女性が気さくに微笑んで顔を出した。
「あら、見ないお客さんね? なんの用?」
「冒険者ギルドから来ました」
そう言って、アキは胸のペンダントを示す。
中年女性の表情が、曇った。
「あら、お爺ちゃんの依頼を真に受けてきたのね。まったく、お金の無駄遣いだわ」
「依頼内容は本人に訊けと言われています。お会いできますか?」
「いいけど、拍子抜けするわよ。お爺ちゃんったら、女の子の顔を見ただけで恐慌状態になっちゃったんだから」
「女の子の顔を見ただけで……?」
リュウキが、興味深げに訊く。
「そうよ。あの日以来ずっと悪夢にうなされてるの」
中年女性が、声のトーンを落とした。
「ちょっと認知症が始まったんじゃないかって私は疑ってるのよ」
「なるほど」
アキの声には落胆が滲んでいた。
「お爺ちゃんなら居間にいるから、勝手に中に入っていいわよ。私は洗濯物があるから」
そう言って、中年女性は去って行く。
「空振りかな」
リュウキが、淡々とした口調で言う。
「当たってみるまではわからないだろう」
アキは頑固だ。夢に関することでは揺るがない。そんなこと、わかってしまっている。
二人は頷きあって、家の中へと入っていった。
ユキは、その後に続く。
玄関から入ってすぐに居間があり、そこには大きな木製のテーブルがあり、傍に老人が座っていた。
話を聞いていたのだろう。老人は二人の青年に縋りつかんばかりにその場に膝をついた。
「助けてくれえ! わしは殺されるんじゃ!」
アキとリュウキは顔を見合わせた。その表情はこう物語っている。雲行きが怪しくなってきたな、と。
ユキは安堵した気持ちだった。認知症の老人の被害妄想だったならば、二人が危険に晒されずに済むと。
アキが老人の肩を担いで立ち上がらせ、椅子に座らせる。
「まあまあご老体。話を聞くよ。まずはそれからだ」
「そうじゃな、そうじゃ……」
「サラの悪夢について語っていただけると聞いています。僕達はそれを聞いてから依頼を受けるか決めます」
老人は二人の顔を交互に眺めて、何度も頷いた。
「あれは、風の強い春も終わりのことじゃった。昔のことなのに昨日のことのように思い出せる」
そう言って、老人は俯いて語り始めた。
ユキは彼の表情を見て背筋が寒くなるのを感じた。
目の前のものを見ていない、といった感じだ。彼の心は、過去に行ってしまっているのだろう。
「村では邪神崇拝者を火刑に処している最中だった」
「火刑……」
思わず、ユキは眉根をよせた。なんて残虐なことをしたのだろう。
「昔はこの国の宗教関係の戒律はもっと厳格だったということだ。他の国と歩調を合わせるために随分柔和になったがな」
リュウキが、淡々とそう補足する。
「その火刑の中で、少女が一人、生き返った。まるで本当に邪神が取り付いたかのようじゃった。村は炎の壁で囲まれた。そして、一人、また一人と、殺されて……」
そこで老人は、言葉を切って涙を流し始めた。
ユキは思わず、歩み寄ってその背をさする。
「その火刑が、今になってどうして尾を引いてるんだ?」
アキが、真剣な表情で訊ねていた。最初にあった呆れの色は、そこにはない。
「奴が目の前に現れたんじゃよ。微笑んでおった……」
そう言って、老人は身震いする。そして大きく震えている自分の両手を見つめて呟くように言った。
「やっと見つけた、と、そう言ったんじゃ」
「なるほど。それで冒険者ギルドに依頼したのですね」
「そうじゃ。わしを守って欲しい! 奴は一ヶ月の猶予を与えると言ってきた。期限は間もなく切れる。わしはいい。しかし、孫が巻き込まれるのだけは……」
老人がそう言った時のことだった。幼い少女が、部屋の中に駆け込んできた。
「お爺ちゃん、綺麗なお花見つけたよー」
天真爛漫な笑みを浮かべて、少女は老人に駆け寄っていく。
老人はそれに抱きついて、声を上げて泣き始めた。
アキは、老人の肩に手を置いた。
「安心してくれ、ご老体。我々が必ず守る」
ユキは安心していた。今回の件は、年老いた老人の世迷言だ。ならば、安心さえさせてあげればそれで納得してもらえるだろう。
家の外に出て、ユキは口を開いた。
「あの、今回の件だけど……」
「拠点に戻ってから話し合おう」
アキは手短にそう言うと、黙り込んでしまった。
「そうだな」
リュウキも、納得したように頷く。
そして、村長に金を渡して借りている拠点にたどり着いて、三人は作戦会議へと移った。
「サラの悪夢という時点で身構えてはいたが、雲行きが怪しいな」
そう話を切り出したのは、アキだ。
「そうだな。最初からわかっていたことだ。だから僕は聞いたのだ。魔術の心得はあるのかと」
「多少はあるな。外部からの魔力の流入を抑制するような結界は貼れる。ユキの専門だがな」
ユキは、本当に雲行きが怪しくなってきたな、と思った。二人は、ユキの想像もつかない地点で会話を交わしている。
「どういうこと? 今回は、お爺さんの世迷い言だって結論が出たじゃない」
「たまにいる。周囲からの魔力を吸収して化物へと変わる人間が。同族からの魔力を吸収して調律者が生まれるように。話を聞いていて、俺はそのケースを連想した」
アキは淡々と言う。
「今回の加害者は邪教崇拝者だ。狂信者だったんだろう。その家族の魔力が一人に注がれて異変が起こったとしたらどうだろう。辻褄は合う」
「そうかなあ。一家族分の魔力で村一つ滅ぼせるほどの怪物は作れるのかなあ」
「どうだろうな」
リュウキが、腕を組む。
「不死を得た一族の出自、不死のハクアはどんな傷でも一瞬で回復させるレベルの神術を使う。それは、国一個分の呪いを得たからだ。身体能力で桁外れと言われる緑翼のマリは、滅ぼされた魔術の里一つ分の祝福を得ている。良質な魔力の溜まり場ならば村一個でも怪物は出来上がる。彼女達は村一つぐらいならば簡単に滅ぼせるだけの力を持っているだろう。しかし、一家族分の魔力でそれを賄えるのか」
「無理だと思うなあ」
「その一家が魔力的に圧倒的な才能を持っていたとすればどうだろう。老人の話にも辻褄が合うし、不死の呪いを得て加害者が生存している原因も辻褄が合う。だとしたら、俺達が相手取るのは五剣聖レベルの化物だ。人の願いによって邪教の神と成り果てた人間であって人間ではない存在だ」
ユキは話を聞いていて背筋が寒くなってきた。
村一個の祝福を得て怪物的な力を得た母。その能力を、ユキは目の前で何度も見てきた。何度も耳にしてきた。その拳は壁をも壊し、その剣は軽々と人を一刀両断にするのだ。
「……面白くなってきたな」
アキは、そう言って微笑んだ。
「全っ然面白くないよ! 命の危機だよ!」
「ハイリスクだがハイリターンだ。名声を上げるにはこれ以上ない機会だ。自分達が五剣聖クラスの人材だと売り込める。一気にシルバーハンターの称号も得られるかもしれない」
「まあ、異論はないな」
リュウキも同意する。
まったく、この二人は変なところで思考回路が似通っている。
「あのね、ハイリスクってことは失敗すれば命を落とすってことだよ? わかってるのかな? 死んだらもうお終いなんだよ?」
「夢を諦めて惰性で生きるぐらいなら死んだほうがマシだよ」
アキは淡々と言う。
「俺は、死ぬ時も前のめりに死ぬ」
駄目だこれは、とユキは思う。意思が硬いのは知っていた。しかし、ここまで固執しているとは。ユキにはついていけない世界だ。
「勝算はあるのか? 邪神クラスが相手だ。緑翼のマリ並の相手が出てきては流石に敵わんぞ」
「お前も、目算はついているんだろ」
アキは、面白くなさ気に言う。
「魔力の流入を抑制する結界を張ってもらう。外部からの魔力供給によって怪物となっている存在は、その中では能力が落ちる」
「まあ、それは僕達も同じだがな。お前の体魔術、僕の予知眼、どちらも外部からの魔力供給によって成立しているものだ」
「しかし、俺達には生身の肉体がある。根本から他者からの祝いや呪いによって成り立っている存在のほうがダメージは大きい。問題は、相手が一定以上のそれを受けている場合は結界が壊れることだ」
「そうなったら逃げの一手だな」
「俺は逃げないけどな」
アキの一言に、リュウキは絶句したようだった。
しばしの沈黙が、部屋に流れる。
「勇気と蛮勇は違う」
「俺は親から力をもらった。それは、こんな時に使うべきもののはずだ」
アキの瞳は、真っ直ぐ前だけを見ている。その瞳に、揺るぎはない。
ユキは、急に胸が締め付けられるような気分になった。この兄が、とても遠いところに行ってしまいそうな気がしたのだ。
「私は、嫌だよ」
呟くような声が、部屋に響き渡る。
「アキがいなくなるなんて、嫌だ」
「お前が守るんだ」
アキがそう言って、淡々とユキの頭をはたいた。
「お前が魔術の流入を抑える結界を張る。そして、それを守る。俺とリュウキは爺さん一家の保護だ」
守るしかないのだろうか。後をついていくには、戦うしかないのだろうか。しかし、それはとても不安な道だ。
「嫌だよ、私は」
ユキは、粘った。
アキは、何も感情を浮かべていないような冷たい目でユキを見ている。
この時に、ユキは悟ってしまった。何を言っても、彼には届かないのだと。
家族三人で過ごした安らぎの日々は帰ってこないのだと。
その後、一時間ほど粘ったが、結局は押し切られてしまったユキだった。