復讐の町(3/6)
ユキは拠点の椅子に座り込んでいた。
結界は五ヶ所に設置した。村の四隅と中央。そのうち、中央が破壊されれば全ての結界は機能を失う。
兄とリュウキが拠点を出てから既に三十分は経っている。
この決戦はどんな結末を迎えるのだろう。それを考えると、ユキは真綿で首を絞められているような気分になる。
異変が起こったのは、その時のことだった。
「結界が一個、消えた……」
まだ四つの結界が機能している。敗北ではない。だが、結界が消されたということは、敵がいるということだ。
ユキは生唾を飲み込んだ。心音が鐘のように鳴り響き、足元が緊張でおぼつかない。
ついに、自らも戦う日が来たのだ。そして、それに敗北すれば兄達の命も危うい。戦うしか、道は残されていない。
ユキは、いつまでもこの椅子に座っていたいと思った。座っていれば、永遠に時間が止まらないかとすら思った。けれども、それはただの現実逃避だ。
ユキは胸に手を置いて、一つ深呼吸して、勢い良く立ち上がった。
そして、村の中央の結界へと向かった。
現場に辿り着くと、そこには座り込んで地面を撫でている黒衣の少女がいた。長く綺麗な黒髪をしており、それは腰の位置まである。
魔術式の解読を行っている。そう見えた。
頭が真っ白になった。兄がいない初めての戦い。命のかかった戦い。逃げ出したいような気持ちと仲間を失いたくないという恐怖感が心を板挟みにする。
(てんぱってる場合じゃない……)
ボール型の炎の魔術を唱えて周囲に浮かべ始める。それは、見えない弾に撃ち落とされて爆散した。
風の魔術。鉄には弱いが、殺傷能力の高い系統の魔術だ。
少女は立ち上がって、振り向いた。
綺麗な顔をしている。こんな状況だと言うのに、ユキは他人事のように感心してしまった。まるで、緊張しているユキを、やけに冷静なユキが俯瞰的に眺めているような状態だ。
少女は顎に手を当てて、黒い瞳を興味深げにユキに向けた。
「ギルドの雇われもの。それもアカデミー産の人間兵器と言ったところかしら」
「だったら、どうするの?」
ユキは再び炎の弾を展開させ始める。
それは、次から次へと風の弾に撃ち落とされて爆発した。
速い。魔術の高速詠唱だ。
隙を見せれば、風の刃がユキを真っ二つにするだろう。
「そうね……」
少女は、不敵に微笑んだ。
なんて綺麗な顔立ちだろう、とユキは魅入られたように思う。
空には月が輝いている。その下で、美しい少女と二人。爆発の光がその顔を何度も赤く照らす。幻想的な夜だった。
「魔力比べ、といかないかしら」
少女の提案に、ユキは戸惑った。
「魔力比べ?」
「ええ。貴女の得意な炎系魔術で相手をしてあげる。結界の制限があるからお互い全力は出せないけれど、ボール型の炎をいくつ周囲に浮かべられるか。互いの実力を見極め、無駄な戦闘をなくす。命を無駄にしない良い提案だと思うんだけど」
「……いいでしょう」
魔力の総量ならユキにも自信はある。アカデミーでも十年に一人の魔力をユキは有している。この手の魔術比べでは、故郷の町長だった五剣聖のリッカにしか劣ったことはない。
二人の周囲に、人魂のように炎の弾が浮かび上がり始める。暗かった村の一角が徐々に明るく照らされていく。
三個。六個、九個。この辺りから、ユキも魔力のコントロールが無意識的なものから意識的なものへと変わっていく。
相手は、平然とした顔をしている。
十個。十四個。十七個。
これが、結界の制限を受けた中でのユキの限界だ。
そして、ユキは絶望した。
相手が侍らせる炎の弾はさらに数を増やしていく。二十個。二十七個。
やめてくれ、とユキは思う。
これ以上は、ユキの技量で補える範囲を超えてくる。
しかし、現実は無情にユキの願いを打ち砕いた。
三十個。三十五個。
総勢三十五の炎の兵隊がユキを見下ろしていた。
技量は推し量れないが、魔力量だけなら五剣聖クラス。それが、今自分の前に立ちはだかった敵。
ユキの父は、五十を相手に三十で凌いだ経験を持つ。しかし、ユキに同じことができるだろうか。ユキの父は生存能力の塊のような人間だ。ユキは、そうではない。ただ少しばかり魔術の知識がある町娘だ。
「結果は出たわね。わかりやすいと思うんだけど。さあ、どうする?」
少女は、妖艶に微笑む。そして、人指し指でユキを指した。
「抗って死ぬか。逃げて生を繋ぐか。選びなさいな」
ユキはその場を動けない。頭は真っ白だ。その中に僅かに存在するやけに冷静な自分が、逃げろと囁く。
永遠にも思えるような時間が流れた。
少女は、ユキに背を向け、座り込んだ。
結界の解除に取り掛かっているのだろう。
致命的な、隙だった。
十七の炎の弾を、一つに集中させる。それは闇夜を照らす巨大な炎の槍となった。ランス型の炎の魔術だ。
それを一気に、少女の背に放つ。放たれた矢のように巨大な炎が夜の闇を切り裂いていく。
次の瞬間、相手側の炎の弾が全て集まって炎の槍となった。
「わからずやさんみたいね」
少女が立ち上がると同時に、炎の槍が発射される。それはユキの炎の槍とぶつかって、巨大な業火となった。
少女は振り返って、眉間にしわをよせる。そして、掌を前にかざした。
「教えてあげるわ。実力の差を」
炎と炎が二人の中間地点でぶつかり合う。
それは、徐々に徐々にユキの側へ向かって進んでいく。
死の恐怖が、ユキの全身を包んだ。逆らわなければ良かったのだと、心底そう思った。
炎は着実にユキの側へと進んでいく。
ユキは捕食者ではなかった。ただそれだけの話だ。
ユキは両手をかざして、必死に炎に抗う。しかし、無駄な話だ。敵のほうが魔力が強い。純粋な魔力の押し合いでは完全に相手に軍配が上がる。
炎が、ユキの眼前まで迫っていた。
(あ、私、死ぬんだ。こんなところで、呆気なく。何も守れずに、まだ恋さえ知らずに、死ぬんだ)
恐怖で満たされた心の中で、やけに冷静な自分が、脱力してもいた。
そして、思ったのだ。
アキについてきたのが、そもそもの間違いだったのだと。
その時のことだった。炎が爆ぜて、ユキの前から消滅した。
暗闇が再び周囲を包む。
少女は眉間にしわをよせて、ユキを見つめていた。
「魔力量じゃあ、貴女は私に敵わない。それは、わかったでしょう? 素直に、諦めなさい」
そう言って、再び少女はユキの背を向けて座り込んで地面に触れる。
ユキは、動けなかった。
兄達はどうなるのだろう。そんな焦燥感が今にも背を押そうとする。しかし、目の前の少女の絶対的な魔力を考えると、恐ろしくて行動に移れない。
どれほどの時間が経ったのだろう。
体感的には永遠にも思えた葛藤。しかしそれは、ごく僅かな時間の出来事だったのかもしれない。
「ふふ」
少女は微笑んで、立ち上がった。
そして、ユキの横を通り過ぎていく。
結界は破壊された。サラの悪魔が、力を取り戻す。その強大な魔力は、離れていても感じられるほどだ。
兄達は死んだのだ。ユキは、そう思った。
「今日は、見逃してあげる。私の目的は、こんな町にはないから」
少女は、淡々とした口調で言う。
「けど、次邪魔をした時は、容赦なく殺すわ」
ユキは、その一言で弾かれたように駆け出した。
怖かった。あの少女が、あの魔力の塊のような少女が恐ろしかった。サラの悪魔が、恐ろしかった。
そして、ユキは、拠点に帰って一人震えていた。
帰ってこないだろう兄達を必死に待ち続けた。
自分の旅は終った。そう、心から思った。




