冒険者デビューは華々しくありたい(1/3)
不定期更新予定。
「ついに来たぜ」
空には天高く太陽が昇っている。町の昼下がりだ。あるレンガ造りの建物の前で、アキは足を止めていた。
アキは十八歳になる。この世界ではもう成人だ。何処にでも行く自由がある。血筋が絡む職業でなければ何にでもなれる自由になる。
だから、なろうと思ったのだ。父がやっていたという冒険者に。逃げ出したのだ。束縛の厳しい母の下を。
「帰ろうよう、アキ……」
背後から声がした。うんざりとしてアキは振り返る。幼い頃から見知った顔がそこにいた。
「五月蝿いなあユキ。感慨に耽ってるんだよ、俺は、今。やっと俺の人生が始まる日が来たんだ。今までの修練は全て今日のためにあった」
「オギノの町に戻ろうよ。戻れば安定した生活ができるんだよ? ここ一週間の私達を振り返ってみようよ。ろくに食事もできてないじゃない」
確かに、故郷に戻れば三食が保証されている。けれども、自由に心震わせるアキにとっては、少しの困難も旅のスパイスに思える。
妹のユキは、どうやらそうではなさそうだ。
ユキは幼い頃からアキの後を付いてきた。それが旅にまでついてくるのだから驚きだ。
「お母さんが心配してるよ……」
「知るか。俺には俺の人生を選ぶ権利がある。それを他人に委ねるつもりはない」
「堅実に行こうよ……」
「堅実だろう。俺の腕があれば、この国独特のシステム、冒険者ギルドでも安定した収入を得られるはずだ!」
「実戦経験もない癖に……」
「これから積むの」
「スタートがエンディングにならなければいいけどね」
呆れたように、ユキは言う。
縁起でもないことを言う奴だ。アキは会話を打ち切って、目の前の建物、冒険者ギルドの扉を開けた。
広い室内の奥に、カウンターがあった。壁には様々な張り紙が貼られ、それに見入っている男たちの姿がある。
冒険者ギルドというのは、簡単に言えば冒険者達に対する仕事の斡旋所だ。腕がある冒険者ならば、食いっぱぐれることはない。そうして、アキの両親も冒険者として活躍して名を挙げたのだ。
アキはカウンターに直進した。しぶしぶといった感じのユキの足音もついてくる。本当にやるのか、と言いたげな雰囲気が感じ取られた。
しかし、気弱な妹のことを今更気にするアキでもなかった。
「冒険者ギルドに登録したいのですが」
「いらっしゃいませ」
受付嬢が微笑んで答える。
「国内の人でしょうか?」
「ソの国から来ました。腕には自信があります」
「なるほど」
受付嬢の表情に、僅かな影が射した。
「それでは、しばらくは試用期間を取らせてもらうことになります。報酬は与えられますが、当面はこの町を出ることは許されません」
それは、ちょっとしたリスクだった。合う仕事を探して他の町へ行くこともできない。だが、なんだってやってやろうという気概がアキにはある。
「かまいません。身分証明書はあります」
「はい、では確認して、登録証を発行しますね。椅子にてお待ち下さい」
「はい!」
アキはユキの分の身分証も取り出して、受付嬢に渡した。彼女の表情が変わる。
「オギノの町出身……ですか。オギノの町といえば魔術が盛んな町と聞きます。貴方も?」
「ええ、まあ」
「それは心強いですね」
受付嬢が、微笑んだ。
かつて統一王によって一つになった大陸で禁忌とされた魔術。それがオギノの町のアカデミーで限られた生徒に教えられ始めてから十年前後の歳月が経つ。未だに、魔術は珍しいものとされている。
二人してソファーに座って待つことにした。
「本当にやっちゃったよこの人……」
ユキが呆れたように言う。
「俺はやると言ったらやる男だ」
アキは適当に答える。
「お母さんの言いつけ、いつも反故にする癖に」
それを言われると、アキは弱い。何度も母には溜息を吐かせたものだった。
「おいおい、そこの若いの」
中年男性が声をかけてきたので、アキもユキもそちらに視線を向ける。
「駆け落ちの食い扶持探しか? やめとけよ。お前らが思ってるようななまっちょろい仕事じゃないぜ。何かが間違って五剣聖みたいになれるとでも思っているんじゃないだろうな」
「か、駆け落ちじゃありません!」
ユキが、赤面してひっくり返った声で言う。
「試してみるかい? 俺、あんたより強いぜ」
アキはそう言って不敵に微笑んで、腰に下げた剣の柄に手をかけた。
「おいおい、冗談じゃないぜ。怪我をするのはお前だぞ」
「どうかな。外見で人を判断して泣くのはどっちになるだろう。試してみなければわからないぜ」
「アキ、やめなよ!」
ユキが立ち上がって、二人の間に入る。そして、中年男性に深々と頭を下げた。
「うちのアキがすいません。どうか、気にしないでやってください」
「……ま、嫁さんがそう言うなら勘弁してやるか」
「嫁さんじゃありません!」
毒気が抜かれたように、中年男性は去って行った。
ユキは力が抜けたように、アキの横に座り込む。
「余計なことを」
思っていたことが、そのまま口に出た。
「アキはいつでも喧嘩っぱやいんだよぉ。傍にいる私が苦労するんだからね」
「からかってくる連中が悪いんだ。自分の力を見せつけて何が悪い」
アキの両親は、高名な剣士だ。なら、その息子であるお前はどうなのだ。そうやってからかってくる人間は多かった。その大半を、アキは返り討ちにしてやったが。
「アキさん、ユキさん、お待たせしました」
受付嬢に呼ばれて、アキは受付に戻る。ユキは、疲れたようにソファーに座ったままだった。
「本登録はまだですが、仮登録として冒険者証を発行しますね。これが貴方の冒険者の証です」
そう言って取り出されたのは、番号が刻み込まれたペンダントだった。弾む心を隠しもせずに、それをアキは首にかける。
「仕事はありますか」
「そうですね。最近の大きな仕事は、ソの国の遺跡発掘ですが、仮登録の貴方はこの町を出ることはできません」
「なるほど……」
ソの国の遺跡発掘。五剣聖が名を上げた舞台だ。その地の物語は、既に幕を閉じている。
五剣聖とは、隣国にも名が響くソの国の剣士達だ。天眼のジン、緑翼のマリ、予知眼のセツナ、獄炎のリッカ、不死のハクアの五人。その五人が、世界を救ったおかげで今がある。アキにとっては、大きな背中だ。
「高収入の仕事は何かありませんか」
「手伝い程度の仕事がほとんどですねえ。急な収入が入用で?」
「はい」
何せ、アキは宿代すらないのだ。
受付嬢は、少し考え込むような表情になった。
「仮登録で、実力のわからない方に勧めるには少し迷うところかですが……」
「かまいません、なんでもやります。なんでもやれます」
「覚悟は、おありで?」
受付嬢の双眸が、アキを見つめる。その瞳は、何度も死者を見送ってきた者の目だ。アキは、小さく唾を飲んだ。
「あります」
その言葉は、自然と口から出てきた。
冒険者として生計を立てるのだ。今更、躊躇いや恐怖はない。
「そうですか」
受付嬢はしばし考え込んでいたが、そのうち、一つ頷いた。
「近々、近隣の山賊討伐があります。倒した敵一人につき一リギン。首領を倒したものには五十リギンが支払われます。活躍が目覚ましければ、従士として取り立てられる可能性もあるでしょう」
五十リギン。一ヶ月遊んで暮らせるだけの額だ。アキは、一も二もなく頷いた。
「それでは、山賊討伐戦に参加するということでよろしいでしょうか?」
「よろしいですとも!」
「はい、では明日決行日時をお知らせします。それまで、腕を磨いてお待ち下さい」
アキの元気な返事を聞いてだろうか。受付嬢は苦笑顔でそう言った。
「はい!」
アキはスキップでもしたい気持ちでユキの下に戻る。
ユキは、頬杖をついて深々と溜息を吐いていた。
「本当にやるんだね」
「やらいでか」
アキの心は、やる気に満ち溢れている。
「……破天荒な兄を持つと妹が大変」
それは事実なのだろう。今まで彼女に、何度喧嘩相手との仲裁をしてもらったかわからない。アキは、少しだけ申し訳なさが胸に湧いてくるのを感じた。
「帰ってもいいんだぞ?」
ユキは、しばらく呆れたような表情でアキを見ていた。
そして、再び溜息を吐くと、アキの手からペンダントを取って自分の首にかけた。
「私がいなければ、アキの怪我を治す人がいないじゃない。仕方ないよね、ホント」
アキは表情が緩むのを感じた。
この妹は、いつでもアキの最良のパートナーだ。
その夜、町の路地裏でアキ達は横になった。井戸から組んだ水で、ユキが服を洗っている。
「お風呂、入りたいねえ」
「そうだなあ」
暖かい湯船が恋しくないかと言われたならば、否定できなかった。
「ふかふかのお布団」
「そうだな」
硬い床に寝転がっている今と、柔らかな布団に包まれていた過去は大違いだ。
「お母さんの美味しい食事」
「お前、帰れよ」
アキは疲れてきて、投げやりに言った。
里心が、僅かに疼いたのだ。
「帰らないよー」
ユキは淡々とした口調で言った。
なんだかんだ言って、彼女はアキについて来ている。何を考えているのやら。機を見て故郷にアキを連れ帰るつもりだろうか。そんなことを考えながら、アキの意識は闇の中に包まれていった。