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日常

 母とその親友との共同生活を始めたあの日から、早くも3ヶ月が経とうとしていた。

 私は今N,Yの中でも、一番に成績のいい優秀な生徒が集まるハイスクールの1年生に編入していた。ロンドンにいたころにはすでにジュニアハイスクールを卒業していたので、当然といえば当然なのだが、回りの生徒のほとんどが、自分よりも4歳は年上ばかりになっていた。それでも特に居心地の悪さは感じない。優秀な生徒が多いためか、スキップを多少経験したことのある者もごく普通にいたためだろう。息苦しさを伴うような好奇な視線も、出自を根掘り葉掘り聞き出そうとするような陰湿な厭味にも、合わずにすんでいた。

 母には、普通に高校へ進学するよりも、ロンドンで掴みかけていた夢を追うようにと勧められたが、バレリーナへの情熱は今はもう無いに等しくて、結果として今は普通に勉学に励むことにしたのだ。

 だが、この選択は間違いでなかったと確信している。

 今現在、私は高校生活を十分に謳歌しているのだ。

 

 そんな私の今一番の関心事は、初めから指定された1年という期間の意味だった。

 そう、母は、最初から私と1年だけ暮らさないかと指定してきたのだった。

 まだその真意を確かめてはいなかった。

 ただ、いまの幸せな時間を壊してしまいそうな、嫌な予感を伴う危険な疑問をぶつける勇気が、私にはなかった。

 今が幸せだと実感するたび、失うことが怖くて、どうしても口にできない。

 ただただ疑問だけが、心に降り積もる。まるで、消えない冷たい雪のように。

 それでも時間はどんどん過ぎてしまうのだ。

 その証拠に、もう3ヶ月もここにいる。

 

 「じゃあね、ジェニー」

 今別れの挨拶をしたのはここに来てから友達になったクラスメートで親友の、名前をメアリー=ジョーンズといった。大きな丸い昔風の眼鏡をした、今時めずらしいお下げ髪の、ただ一人私と同い年の少女。編入試験をたまたま同じ日に、同じ場所で同時に受けたのがきっかけで知り合った。彼女も家庭の事情でN,Yへ越してきたばかりで、友達も知り合いもいなかったためにすぐうち解けた。

 今では、一日の大半を一緒に過ごす大切な友達になっていた。

 「また明日」

 マンハッタンのセントラルパーク外苑道路の北側で、いつものように別れる。お互いこの辺りに住んでいることは知っていたが、あえて両家とも行き来はしないでいた。この周辺に居住しているだけで、お互いがかなりハイレベルな生活環境にあるということは分かっていたが、どちらとも家族の話をしたがらないので、あえて聞かないことに決めたのだ。そうゆうところも気があって、二人にはすでに10年来の友のような関係が出来上がっていた。

 雑踏に友人の背中がかき消されるのを見送って、私も家に急ぐ。

 一瞬の隙をついて、車線を横断する。

 この界隈で一番古くて、あまり大きくはないけど風格のある、赤煉瓦が粋なビル。今では私も大好きなその場所へ駆けていく。

 そこには、私を待っててくれる母がいるのだ。

ロンドンにいた頃も十分すぎるほど幸せだったけれど、今はそのころよりもっと幸せだと感じている自分がいる。母という存在が、こんなにも大切な存在だったのかと不思議にすら思うのに。ずっと母のいない子供として育ってきたというのに、いまでは何の違和感もなく母に向き合うことができているのだ。

 人生とは不思議なものだ。まだ、12歳の子供の自分ですら、それを日々実感している。

 エントランスを駆けるように通過して、大好きな古いエレベーターに乗り込む。

 ただ家に帰るだけなのに、どきどきする。

今日も母は笑って出迎えてくれるだろうか。期待が心臓を急き立てる。このひとときが、もの凄く幸せで、胸が苦しくなるほどだった。




 「ただいま」

 鍵を開けて中にはいると玄関でコートをぬぎ、コート掛けにもどす。おかえりなさいと遠くから声が返ってきた。ローリーの声だった。どうやら彼女は母の部屋にいるらしい。

 私は声のした、母の部屋へいった。最近母は体調が優れないのか、ベットで寝ていることが増えていた。

 私は母の部屋の開かれたままのドアに、申し訳程度のノックをしてから、中を覗く。

 「ただいま、お母様」

 「おかえりなさい、アンティエーヌ」

 ベットに横たわったまま、母がにこやかに返事を返してくれた。

母は私のことをフランス名で呼んでいた。あまり呼ばれたことのない名前、じつは私が生まれたその時に母が名付けてくれたのだと、ここにきてから母自身の言葉で聞かされた。天使という意味があるという。

 「学校はどう?」

 「もちろん楽しいわ、いい友達もできたし。もうすぐ進級試験受けるの」

 母のベットに腰掛けて、進級試験の話を持ち出した。

 「え、もう?」

 母は少しだけ驚いて、私の頭に手をあてがい、小さい子供にするようにそっと撫でてくれた。

 私は、メアリーと一緒に来週受ける進級試験の話を説明することにした。

二人とも、まだ半年以上も残っている1年次の課題を、全て終わらせてしまっていて、時間を持て余していた。このまま遊んでいても構わなかったのだが、ヒマな時間を何もせずに過ごした経験がなかった私は、ある意味この状況にあきあきとしていた。それに、いつまでN,Yにいられるかもまだわからない私にとって、時間を無駄にするなんて、ありえないことだった。

 だが、せっかく見つけた同い年の親友と、スキップしたために疎遠になるのは耐えがたかった。

 そこで勇気を出してスキップの件を相談したところ、メアリーも同じように感じていたと知り、今日二人で学校へ申請の書類を提出してきたのだ。急な申請だったが、もとより優秀な人材育成に熱心な高校である。案外簡単に進級のための試験を許可してくれた。それが来週に正式に決まったと、帰り際担任に告げられていたのだった。

 「そう、優秀なのね」

 母は目を細めて微笑んでくれた。褒められていると実感して、なんだか照れくさい。

 「もうすぐ、13歳になるわね。そのころには、もう2年生ね?」

 「えぇ、そのとおりよ、お母様」

 「今年は、初めてあなたのお誕生日を一緒にお祝いできるわね」

 母が嬉しそうにいう。来月にせまった私の誕生日。当たり前だが、その日のことを母は忘れてなどいなかったのだ。そういえば、いつも私あてに、名前のない誕生日プレゼントが贈られてきていたのだが、あれはもしかすると母から送られていたのだろうか。

 「ねぇ、もしかして、いつも私にプレゼント送ってくれてたの?」

 確信はなかったが、そうだったらいいと願いを込めて訊いてみる。

 「ええ、名前はふせて送っていたわ」

 母が、欲しかったとうりの答えをくれた。

会えなかったけど、愛してくれていた。何かとつけ送られていたプレゼントの送り主は、母だったのだ。嬉しくてうれしくて、母に抱きつき頬ずりする。

 母は黙ったまま私の肩を抱いて、髪や背を愛おしそうに何度もなんどもさすってくれた。

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