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寒い朝

優秀過ぎる家庭教師に責付かれて息を抜く間のない私は、最近早朝に、一人でセントラルパークに散歩にやって来るようになっていた。




あれからもう2週間ほどが流れていた。

彼は彼自身が言っていたように、N,Yの知り合いを通じて得たセレブのみ対象のパーティーの招待状を片手に、自分の仕事でもあるヴィコルト家の外交も兼ね、複数のパーティーへ出席を重ねていた。

私にはどこのブランドか分からないけど、見るからに高級そうなスーツを羽織って、彼が微笑む。

その横顔はいつものものよりずっと、整って見える。

「流石に、こちらは僕任せみたいだからね」

長い足を組んで、魅惑的に微笑んでいる。

こうゆう表情のユーリーは、醸し出す雰囲気がなんだか怪しい。

もともと祖父に似て、彼自身も大変な美貌の君なのだ。

祖父という免疫がなかったら、こんな表情で微笑む彼を直視なんてできやしない。

これが、百戦錬磨の女垂らしの手管だろうか。

この笑顔にどきどきしない女子がいたら、その子はどこか病んでいるか、感覚がおかしいんじゃないかと思われる。それぐらいの威力を持った微笑みで、私の目前でいとこが怪しく微笑んでいる。

私はなんだか悔しくて、なるべく彼を見ないようにそっぽを向く。

どうでもいいのだが、何故か私の部屋で、衣装合わせを済ませたいとこが執事に差し出された紅茶を飲んでいる。

「自分ですればいいのにね、あの人に会いたがっている財界人は腐るほどいるのに」

その方が、我が家に返って来るリターンは計り知れないのに。と、彼が小さく愚痴る。

でも同時に、それが無理だと彼は十分分かっているのだろう。

彼は小さく肩を竦めて、溜息を落とした。

こうゆうところはやはり、彼はヴィコルト家の当主なのだなとふと思う。

ほぼ無意識でも彼は、ヴィコルト家の為になる一番の方法を探してしまうのだから。

「ところで、メアリーの情報はどうなったの?」

きっと何かしらの情報を得て、私に聞かせるためにこの部屋にわざわざやってきたのだろう。

彼もおじいさまと同類なのだ。

無駄は好きじゃないはずだ。

「探してはいるんだけど、メアリーって君と同い年ぐらいの女の子だよね?僕が出るパーティーの出席者は君たちより大分年上ばかりだから、彼女達の妹世代だと思うんだけど・・・」

何故か、彼の言葉はいつものような切れがなかった。

何かを戸惑うように、思案に暮れている。

「僕が、彼女たちに妹がいるかいって聞いたら、必ず、嫌な顔されるんだよね。・・何故だろう」

と、品のいい右手を顎の下に添えて、本気で彼が考え込む。

私より知的な意味では頭がいいとこだが、どうやら彼は、他人の感情の機微には疎いらしい。

どうやら、その理由に彼は本気で気付いていない。

そんなの、一目瞭然だというのに。

「気になる相手に、自分以外の女の話されて、面白いオンナなんていないわよ」

「え、気になる相手?」

彼が、キョトンと繰り返す。

「今は誰とも付き合う積もりはないと、宣言して歩いてる僕なのに?」

真面目な顔で私に質問を返してくる彼に、私は一歩引いてしまう。

このいとこは、私に解説をせまっているのだ。

確かに私も女だから、しかも彼としては一番遠慮しなくていい相手であるし、いろんな意味で彼に借りがある私は、彼が聞きたい質問をぶつける相手として最高の相手なのだろう。

「そうよ!だって女の子は幾つになっても、自分だけの王子様を夢見ていたいんだもの!!」

その相手がこのいとこなら最高だろう。

眉目秀麗、家柄はヨーロッパ随一の伯爵家。そして、頭まで抜群にいいのだ。

彼を王子様扱いできない女は、女という性別を捨てているか、別の種族になりたがっているかのどちらかだと思う。

・・・冷静に考えれば。

もちろん、私はお断りだ!

彼は確かにそうゆう存在だけど、私に限って言えばそれは当てはまらない。

だって、私は彼の裏の顔に誰より詳しいのだ。

どうしようもないぐらい女垂らしで、優しい振りが上手な優柔不断男なのだ。おまけに、来るもの拒まず去る者は追わずで、誰のことも本気で好きになんかならない。

ずっと初恋を引きずっていて、今は、初恋の君の側で幸せを噛み締めているような、純粋と言えば聞こえがいいけど、ある意味ストーカー気質の塊。

それが、彼なのだから。

「酷い言われようだな・・、それじゃあ、僕はただの変態じゃないか」

くっくっ、と喉の奥で笑いをかみ殺していとこが呟く。

手に持ったカップまで小刻みに揺れている。

でも不思議なことに、彼は大して腹も立てずに流してしまった。

「まぁ、新しいお友達たちからなるべく不況を買わないように気を付けながら、もう少し聞いてみるよ」

彼は紅茶を最後に煽って、一人掛けのソファーから優雅に立ち上がる。カップを執事に手渡して、

「もう少し、時間をおくれ」

と囁くような距離で、私の耳に声を落とした。

そして、優雅な所作でソファーの周りをくるっと回り、意味不明に赤くなった私に悠然と微笑むと、軽く手を振り執事を連れ出て行った。







「もう、何なのよ」

本当に、良く分からない。

早朝のほぼ誰もいないセントラルパークのベンチに腰掛けて、私が呟く。

真っ白の白熊のコートに埋もれるようにして、くるっと丸まる。

もしも誰かが見ていたら、雪だるまのように見えるんだろうなぁ・・なんて考えながら溜息を付く。

しんしんと、粉雪が降り注いでいる。

このままここにいたら、凍死してしまうだろう。

毎年何人もの浮浪者が命を落としているのを、私も知っている。

吐き出す息は、真っ白だ。

凍えそうなほど冷たい静寂な空気を吸い込む。

頭の中でぐるぐる回る感情が、冷たい空気に冷やされる気がする。

粉雪が舞うのをぼんやり見詰めながら、最近の悩みの種を回想していた。


もともと彼は、ちっともわかりやすいタイプじゃなかった。

だから、翻弄されているのも仕方ないとは思う。

それに彼は、ただ私を揶揄って遊んでいるに過ぎない。

だって、彼の視線は、今もお母さまばかりを捉えている。愛おしそうに、支えるように、母の気配を敏感に読み取って、母の為にさりげなく母の隣に居ようとしていた。

医者の話だと、母の病状はほんの僅かだが確実に進んでいた。

そのため、自分の力だけで動くことは困難になっていた。

だが、まだ、母は自分の足で歩ける。

ほんの少し、誰かに体重を支えてもらえれば。

母のピンヒールは、ケガが心配で私が全て隠してしまったけれど。

ほとんどヒールのない、真珠をふんだんに使った飾りが美しいミュールを、私が母にプレゼントしていた。季節が真逆なので探すのに苦労したが、ユーリーが教えてくれた工房に特注したのだ。

母は、その靴を大変気に入ってくれた。

体力維持のために、毎日、その靴を履いて屋敷の中を散歩してくれているのだ。

その傍らに、ローリーとユーリーがいるらしい。

看護師であるローリーが付き添ってくれているのは、当然のことだと思う。

それに、彼女としては目の前に母の姿があることが彼女自身の幸福なのだから、異存がないどころか自ら進んでそうしているのだと思う。

そして何より、彼女は医師が言う通り看護師としても本当に優秀だった。

母のほんの少しの体調の変化も見落とさず、医師と母の間に立ち、必ず母を支えてくれた。適切な食事や薬、それに水分の管理まで、すべて彼女がやってくれていた。

彼女の献身的な介護のお陰で、今も、母は優しく美しい微笑で笑ってくれている。

私が毎日母に会いに母の部屋を訪ねても、いつも穏やかに招き入れてくれる。

仮に母が眠ってたとしても、彼女は私に状況を丁寧に教えてくれるので、不安感は湧かない。

それどころか、彼女がいれば母を安心して任せることが出来た。

だから、私は母の為に猛勉強を続けていられるのだ。

だからそこに不満はない。

だけど、その傍らにユーリーまでもいるのがなんだかよく分からない。

彼のことだから、初恋の君である母の介護を純粋に手伝いたいだけかも知れないのだが、なんだか少し様子がおかしい気がする。

具体的にどこがと問われたら答えられないので、証拠のようなものは何もない。

それに、元々彼は完璧なフェミニストだ。本人が公言しているように、全ての女性に等しく優しく対応するのが彼のモットーなのだ。

そのため、勘違いする女性が大量に発生するのだが、財に富んだ彼には、その女性たちを皆均等に愛することが可能なのだ。

真正の女垂らしと、私に批判される所以はそこにある。

しかも悪い事に、ほぼ全員が、自分こそが一番だと信じて疑わないので、この時期になると彼を得るための熾烈なレースは更に炎上する。

それが、ここ数年延々と繰り返されてきたのだ。

そんな非凡な日常を自然と生きてきた彼が、急に何を悟ったのか、すべての女性たちと自ら進んで手を切っていた。

今年もそろそろ大量のジュエリーを用意して、世界中に配り歩く時期なのに、今年はそんな気配が欠片もないのだ。

もちろん、この時期になると無駄なお金を使いまくる彼が馬鹿なのではと毎年心から案じていたので、彼女達には悪いが、身辺整理をようやくする気になったという事は、本来喜ばしいことだと思う。

けれど、やっぱりなんだかおかしい気がする。

面白そうに私を揶揄うくせに、ローリーともその距離を詰めようとしている、何故だかそんな気がするのだ。

「ほんとに、分かんない奴」

呟きを吐き出して、立ち上がる。

どれぐらいの時間、じっとしていたのだろう。

ぶるっと、背中が震えた。

「馬鹿みたい・・」

凍えそうなほどベンチに座っていた私は、一体何がしたかったんだろうか。

結局何もわからないまま、大きな溜息だけが唇から零れた。

(帰ろう)

そう決心して、ようやくベンチを離れた。



誰もいない公園を、私が一人でゆっくり歩ていく。

寒さの余り感じた震えが徐々に収まってゆく。じんわりと、冷えた体が温まっていく。

雪を踏む音だけが、静まり返った公園に響いている。真っ白だが、通い慣れた公園は不思議と不気味さを感じさせない。

しんしんと、粉雪が降っている。

全ての音を掻き消して、まるで童話の中の田舎町の森のなかのように。

その空虚感が、何故だか心地よかった。

もう少しで、我が家があるビルが見えるところで、私は立ち止まった。

(えっ、・・何、あれ)

自分の目が信じられず、瞼をこすって視界を凝らす。

私より1mぐらい先に、仰向けに誰かが倒れている。

(えっ、・・死んで、るの??)

雪に半分埋もれるように寝ころんだその人物は、真っ黒の、どう見ても高級そうなエナメル素材のライダースーツを着ていた。

しかも、かなり整った顔立ちをしており、若い。

私よりは年齢は上の様だけど、まだ十分少年と呼べそうな、ほっそりとした体躯をしていた。

雪に消えかけた髪は黒く艶やかで、栄養状態に片よりは見受けられない。

だから、ホームレスではないはずだ。

その筈だけど、まるで人形のように固まったまま、仰向けで雪の中に埋もれ身動き一つしない。

私は驚きの余りどうするべきか分からず、呆けたまま彼を見詰めた。

取り敢えず、まじまじと観察してみる。

血の気の引いた白い顔は死体の様だけど、何処もケガなどしてはいないようだ。

何故なら、彼の顔にはどこにも擦過傷のような傷は見当たらない。

それに、ナイフみたいなものも傍には落ちていない。

だから、血まみれ・・な訳でもない。

それによく見ると、胸が僅かだがきちんと上下していた。

「よかった、死んでないのね」

思わず漏れた私の独り言に、閉じられていた瞳がゆっくり開き、ぼんやり私の姿を撮らえた。

「ほっとけよ、あんたに関係ない」

思いがけず震えのない綺麗な声で、変死体にしか見えなかった彼が、私を拒絶するように言い放つ。

その無遠慮でいけ好かない物言いに、私の眉が上がる。

ついいつもの調子で言い返してしまった。

「そりゃあ、・・そうだけど、変死体にしか見えない貴方が悪いんでしょ」

私の遠慮のない返事に、変死体一歩手前で生存が確認された彼が、一瞬だけ不思議そうに視線を私に合わせる。

「それに・・、もし死体なら、私が警察に通報しなければいけないもの!」

私の左手に握られたスマホに、変死体呼ばわりされた彼が視線を向ける。

何故だか薄く笑って、ゆっくり上体だけ起き上がる。

気怠そうに感情のない声で、

「別に・・どこも悪くないから、さっさと行けよ」

警察も、救急車も必要ない。

彼は、何故だか酷く鬱陶しそうに私にそう言った。

「死体はそもそも動いたり、文句は言わないだろう?」

と、皮肉めいて微笑む。

ドキッとするほど印象的な黒い瞳が、焦点を結ぶことなく私の上から離れる。

「あんた寒いんだろ。早く帰れよ、風邪ひくぜ?」

最後は何故か可笑しそうに笑いながら、私にそう忠告する。

貴方に言われる筋合いじゃない、となんだか物凄く腹が立つ。

私よりも確実に凍えていそうなのに。

苛立ちを覚えたまま、彼に今度は私が忠告した。

「貴方も、帰りなさいよ。こんなとこに寝てたら本当に死んじゃうわよ」

私のセリフに、彼が薄く笑う。

なんだか寒そうな笑顔だと思った。

辺り一面、雪化粧の中なのだから当たり前だが、そうゆう意味で寒い訳ではない。だって彼は呆れるほど薄着なのに、少しも震えてはいなかった。

声すら、綺麗なままだ。

雪が解けて濡れた黒髪も、艶々していて、なんだか怪しい雰囲気を醸し出している。真っ白い整った顔も、生きているという覇気が全くなくて蝋人形のようだ。東洋系の様だけど、西洋人にはない美しさがそこはかとなく漂っていた。

「別に、俺が死んでも誰も悲しまないから死んでもいいんだが」

彼は、投げ出していた両足をゆっくりと組むと、気怠そうにのろのろと起き上がった。

私より、だいぶ身長が高い。

「ここで俺が死んだら、あんたの夢見が悪そうだ」

ふざけるように、小さく笑う。

そのまま愉快そうにくるっと踵を返して、彼が小さく手を振った。

「もう、帰れよ」

じゃあな。

とでも言うように、彼が雪の中に消えていく。



私は、それ以上彼との距離を詰められず、黙ったまま彼の背を見送った。




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