解呪の呪文
たっぷりと時間をかけて、気の置けない会話と豪華で美味な食事が終わり、食卓を去る時間がやって来る。
もう既に、時計は深夜を指している。
後数分で、歓声と歓喜に満ちた新しい年がやって来るのだ。
極寒の都市にも、粉雪と共に歓喜の瞬間がやってくる。電飾と花火と紙吹雪、それらを覆い隠すように、降り注ぐ冷たい雪。
華やかな歓喜の歌声に、世界中から集まった人々に、その瞬間が平等に訪れる。
そうそれは、どんな宗教の人々にも等しく訪れるのだ。
珍しい事に、ヨーロッパでも一、二位をあらそう程の貴族の家だが、ヴィコルト家は、実は宗教とは一線を引いていた。
人々の手前、非難も苦言も表明したりしない代わりに、洗礼も受けない。
歴史に裏打ちされた、キリスト教の教えから発生した礼儀作法などはそのまま受け継がれてきたのだが、教会での礼拝や集会への参加、それに多額な寄付などは、ここ数世紀程は一切公式にはしていなかった。
今ではむしろ無神論者と呼べるレベルで、宗教的な活動からは席を外していた。
ただし元より由所正しい貴族の家系なため、伝統に裏づけされた行事や些事は、どうやってもキリスト教に由来したものになる。
だから当然だが、クリスマスやイブ、それに復活祭などの祝辞はそれなりに祝いはする。
ただし、完璧に身内のみに限定された、完全に形だけのものだった。
はっきり言って、それらの宗教的行事は、ただの年中行事扱いだったのだ。
そのおかげか、私は自分の誕生日をただの添え物のように感じたことは一度もなく育った。
どらかと言えば、クリスマスの方が添え物扱いだった。
同じように、新年の幕開けもただの慣行行事と同じ扱いだった。
それでも、クリスマスよりはもしかして本格的に祝っているのかもしれない。それぐらいのノリで、今夜も家族だけのパーティーは執り行われた。
我が家は対外的にはキリスト教を是としているが、宗教の自由が正式に人々に認められてからというものの、一人の信者もこの家からは出てはいなかった。
だからといって、特段他の宗教に関心がある訳でもない。
だが、キリスト教とも、事実距離を置いている。
それなのに、地元の教会の神父とはごく普通に親交があった。
大衆から見て紳士としての格付けが高い人々は、否応なく平等に知人となるものなのだ。そこには、そのうちに信仰心に目覚める日がやって来るかもしれないという、皮算用的な甘い期待感が含まれている。
それを理解しつつも、敬虔なキリスト教信者の方が圧倒的に多いイギリスで、地位も財産も人並み以上に恵まれている我が家のような家は、宗教に対しても政治に対しても、総じてリベラルでいなくてはならない。それが、立ち回りを円滑に熟す最大のコツ、なのだそうだ。
そうして多くの人々と、出来うる限り軋轢のない関係を継続するためにも、信仰そのものは横に置いておくとして、文化的なベースを形作る宗教を我が家は許容していた。
言ってしまえば、文化圏を構成する礎としてのキリスト教に、我が家は全力で賛同しているのだ。
こうゆう考え方は、ヨーロッパではあまり一般的ではない。
大体の場合生まれてすぐ、両親の信仰する宗教に入信するのが普通だからだ。
”まずそれでは、選択の余地がない”
と、先祖の誰かが呟いてくれたのかもしれない。
そのささやかな呟きが、有難くもこうして今現在にまで引き継がれているのだ。
そう言えば、確か日本人は大方の人々が仏教徒なのに、クリスマスを大々的に祝うのではなかっただろうか。イベントなら、どんな宗教のものでも貪欲に受け入れられる日本人と、何故だか、我が家の方針はごく僅かだか似ている感じがする。
「・・変なの」
まったくほんの少しも関係などなさそうな国の人々と、考え方というのか宗教に対する受け止め方が、我が家の気質は似ている気がする。
それだけでも十分変な話なのに、それ以上に、私の中にその血が確実に流れているという事実が、更なる不思議を私の中に呼んでいた。
私は、見たことも会ったこともない父親が、日本人だと母が教えてくれたのはつい最近だ。
祖父たちには秘密だが、その人の名前も母は教えてくれた。
母が人生で出会ったすべての人の中で、一番に大切で、愛おしい相手。
もう二度と会うことのない、大切な人。
夢でも見るかのように、まるで少女のようにそう話してくれた母は、本当にもう二度と、その人に会う積もりがないのだろうか。
私の胸が、何故だかチクリと痛んだ。その鈍い痛みに、良く分からない感傷を覚える。ドレスの上から自分の胸に右手を置いて小さな溜息をつく。形にならない自分の感情を宥めるために。
私の頬に、誰かがキスをくれる。
その優しいキスに、意識を呼び覚まされる。
「何が、変なの?」
まるで宝物でも見詰めるように、優しい瞳で母が問う。
何故だか、母の問いに答えたくなくて、私は静かに首を横に振った。
私と母にとって、最初で最後の年越しの瞬間が迫っていた。
サロンに鎮座した相当に古めかしい巨大な針時計が、厳かに鐘を打ち付け始める。
ボーン、ボーンと、確かに12回響いた。
鳴り終わったところで、
「A happy new year!」
と囁いて、母にキスを返した。
純白のタキシードを着た祖父とその娘である母が、ワルツよりは大分大人しい、チークダンスを踊っている。さっきユーリーが言っていた、今世紀最高峰のピアニストが作って寄贈してきたピアノソナタに合わせて、祖父が母をダンスに誘ったのだ。
そのあまりにも美しい光景に息を呑む。
例えるなら、童話に出てくる王子様と王女様のようだ。
二人が親子だと知らない誰かがもしもここにいたなら、ほぼ確実に恋人同士と誤解しただろう。
それ程二人はお似合いで、非の打ち所がない完璧さで寄り添っていた。
「珍しいこともあるもんだね」
のんびりと、いとこが感想めいた独り言をつぶやいていた。
「何が?」
本来なら、独り言に首を突っ込むのは大変に非礼だ。
聞かなかったことにして、やり過ごすことが最善のマナーだと、ちゃんと知っている。
でも昨日の一件から、私の中でのユーリーへの友情というのか親近感が勝手に膨張を始めており、まるで元々近しい間柄だったと勘違いまでしており、ごく普通に彼の独り言に私は口を挟んでいた。
そんな私の変化を彼がどう思っているのかわからないけれど、彼は嫌な顔一つせづ、私の突っ込みに微笑んだ。
「あれだよ、あれ」
彼は、祖父と踊る母の横顔に視線を据えたままそうつぶやいた。
アレとは、つまりダンスをしている二人の事だろうか。
「あの人、最近本当に人嫌い症候群が酷くて、誰かとダンスなんて考えただけで不機嫌になるほどだったのに」
やっぱり自分の娘は例外なんだね。
何故だか、安堵を滲ませてユーリーが呟く。
「ユーリーは、おじいさまの事詳しいのね」
私はまるで知らなかった祖父の事を、このいとこはきちんと知っている。
しかも、どうやら神秘のベールに包まれたおじいさまの日常にも、このいとこは詳しいらしい。やはり、彼は祖父の唯一の後継者なのだろう。
「まぁね、・・これでも人を見る目ぐらいあるさ」
そうでなくては、跡取りなど務まるはずがないと、彼が笑う。
これから先も、血縁が尽きない限り、未来へ遺伝子をリレーしなくてはならないのだ。
勝手にそのリレーから降りることは許されない。
今まで何代もの当主たちが築き上げてきた歴史という重責が、それを許してはくれないのだ。
財が無くなるか、才能が尽きるか、血縁者が絶滅でもしない限り、自然消滅など遥かな夢だ。
「それに僕はあの人ほど、他人の闇ばかりに敏感じゃないしね?」
ユーリーにしては珍しく、意地悪な意味を乗せてほくそ笑む。
「僕があの人に勝っているのは、そこぐらいだから」
今度は本気で自慢げに言う。
「ユーリーって、基本的にとっても根本が強いのね」
自身が祖父よりもずっと劣った存在だと笑て言っていた時にも感じたが、彼は自分という人間をきっと物凄く良く理解している。
普通なら、卑屈になりそうな精神的にはかなりダメージが大きい、否定しきれない事実に裏づけされた事態にも、冷静に観察と考察を交えているところで証明済みだ。
「そんな事ないよ?」
母の横顔を見詰めていた視線を私に移して、彼は謙遜して見せる。
「僕に、昔、物凄く適切なアドバイスをくれた人がいただけだよ」
彼は、昔を懐かしむ様子で微笑む。
その人の事を聞いたら、ユーリーは困るだろうか。何故だか良く分からないが、彼の話を聞きたいと思った。黙ったまま見詰め返す私に、彼はとても優しい眼差しで微笑む。
「ねぇ、僕と踊ってくれるかい?」
思いがけないダンスの申し込みに、一瞬何のことか分からない。
彼は私に前に優雅に立つと、丁寧に膝を折って右手を胸に当て首を垂れる。
キョトンと見詰め返した後、正式にダンスの申し込みをされたことに気付いた私が、何故だか頬を染めて彼の差し出された左手を取った。
母と祖父のチークダンスが終わったところで、ユーリーが私の手を引いて、部屋の中央に誘う。
「ワルツでいいよね?」
私に確認まで取ってくれる。
やはり彼は、名うての女垂らしだ。甘い微笑みで、女心を揺さぶる。私は彼の優し気な微笑をなるべく見ないようにして、ただ頷く。
くすと、彼が小さく笑った気がしたが、何が可笑しかったのだろうか。
分からないけど、彼のリードに合わせて、促されるまま基本姿勢をとる。
息を整えたところで、ヨハンシュトラウスのワルツが心地よく鳴り出した。
彼の息に合わせて、そのリードのとおりに踊り出す。
ワルツは足の動きが慣れないと少し難しいのだが、基本的に男性のリードに逆らわなければ、クルクル回るだけなのでそんなに難しいわけじゃない。
「さすが、元バレリーナだね。息一つ乱さない」
君をヨーロッパ社交界の舞踏会に連れて行ったら、皆が君にダンスを申し込むよ。
彼は、冗談なのか本気なのか分からない声で、器用に回りながら私に囁く。
心臓が、五月蠅いぐらいどきどきと高鳴っている。
「さっきの話だけど、本当に僕は、強くなんかないんだよ」
あんまり他の人に聞かれたくなかったから。ワルツの最中だけど、ごめんね?
彼はワルツのステップを正確に踏みながら、何でもない顔で私に話しかける。
「ある人に、”あんなバケモノじみた王子様と、同列に自分を置く必要がどこにある?”って、言って貰ったんだよ」
酷い言い草だよね、あの人に対して使われる例えでもないし。
くすくすと思い出し笑いをしながら、彼は続ける。
「それでなんだかね、目から鱗が落ちるっていう感覚で気付かされたんだ」
初めから、祖父は一言も、僕をけなしたり辱めるような言葉を言った試しはなかった。
いつも、こちらが戸惑うぐらいの美貌で静かに微笑んでいた。
明らかに、僕の成績は祖父が記録したものよりも劣っているのに、それを指摘された記憶もなかった。
成績表を握りしめて俯き立つ僕に、意味の分からない笑みを浮かべたまま、僕の髪をくしゃくしゃと撫でてくれた。
その手は、とても暖かかった。
いつもどこか気怠そうにしていた祖父が、その時は本当に優しく微笑んでくれていた。
その笑みが僕の中で蘇った時気付いた。
僕を批判しているのは、祖父じゃない。
僕を残念がっているのも。
僕の周りにいる、大勢の他所の大人達だったのに。
そして・・、一番は、僕自身だった。
いつの間にか、聞かなくてもいい声に踊らされて勝手に自分を追い込んでいた。容姿も頭脳も僕など到底及ばないのに、どうにかして同じ位置に立てる術がないかと画策していた。それこそ、必死で。そうでもしないと、本当に自分が価値のないものになってしまうと信じ込んでいた。
祖父自身は一度だって、そんな風に僕を否定などしなかったのに。
それどころか、僕の心を見透かしてかいつも絶妙なタイミングで、僕を慰めるように頭を撫ぜてくれた。
『お前はいい子だ、そのままでいればいい』
祖父は何度も僕にそう言ってくれていた。言葉でも、眼差しでも。
『何故、そんなに思いつめるほど苦しいのに、自分を同列に置くんだよ。そんな必要性は、ないだろう?』
僕を祖父と比べない大人に初めて出会って、呪詛を解く解呪の呪文を貰った気がした。
僕に掛けられた永遠に解けないと思っていた呪詛が、その人の言葉であっけなく溶けて消えた。それこそ、朝日を浴びて灰になる吸血鬼のように。
風に舞う、灰のように粉々に吹き消えた。
『お前は、お前のままでいればいいんだよ』
いつの間にか溢れ出した涙を、その人は拭ってくれた。
そして奇しくも、祖父と同じ言葉をくれた。けして、彼は知らないはずなのに。
「気付けただけなんだよ、僕が強いわけじゃない」
ユーリーが、先程と同じ言葉を呟く。
「それからかな、肩の力が抜けて楽になったんだ。今じゃもう、あの人と比べられることにも、それ程苦痛は感じないし」
僕は僕なりの跡取りでいればいいって悟ったんだよ。と、彼が晴れ晴れと笑う。
その笑顔に、やっぱりユーリーは芯が強いんだと思う。
だって彼は、知的に恵まれなかった父親の代わりに、あまりにも早くその重責を負うことになった。
まだほんの子供なのに、最初から世間はユーリーに祖父と同じものを求めた。
その血を引く子供は、例え彼が実子ではなくても必ず優秀でなくてはならなかった。
失敗も、不出来も許されない。
完璧なまでの、誰もが感嘆の溜息をつくような、そんな存在でないと世間が許さない。
祖父の上をいくことを無言のまま期待され、同時にそれがかなう訳がないと馬鹿にされる。
あれほどに完璧な存在など、この世に他に存在するわけがないと、意地悪で悪意に彩られた観察眼にユーリーは晒されて生きてきた。余りにも、祖父が神懸かり的な存在の為、彼の存在は祖父を神格化するために存在しているようになってしまっていた。
僕の努力や才能を、祖父を知る人々はけして認めてはくれない。
『それぐらいは、当然だろう』
あの人の血を引いているのだから。と、なってしまう。
祖父に対する信仰心からくる羨望や嫉妬心が、幼い子供に刃になって降り注いでいるということに誰も気付かない。
正当な評価を下してくれる大人に出会えないまま、僕は随分と長い間苦しんだ。
見えないプレッシャーと戦って、必死に勉学に励み、努力を惜しまない。
けれど、何をやっても正当に評価はされない。
それぐらい出来て当たり前だと、頭ごなしにいなされる。
僕は祖父じゃないのに、祖父ならば当然出来る事が出来ただけだとみなされるのだ。
その事実に耐え、それでも伯爵家の跡取りとして恥じないように、持てるすべてで証明を続けるしかなかった。
祖父を知る人々に、必死で訴えてきたのだ。
「僕を見て!」
「ここに居ないあの人ではなく、この僕を!」
声にならない叫び声に、その人は気付いてくれた。
初めて、正当に見詰め返してくれた。
そして、僕に呪いのように囁き続ける悪意のたわごとを、吹き消す解呪の呪文をくれた。
「バケモノじみた王子様と、お前を、自分で比べてどうする?あれは・・人の心を惑わす、本当に質の悪い、悪魔みたいに美しい人外のモノなんだ。あんなものになる必要性が、何処にある」
その人は、祖父の事をとてもよく知っている様子だったのに、今までにない斬新な切り口で祖父を形容して見せてくれた。
神に愛された神々しいあの人を、バケモノで悪魔のように禍々しい美しさに煙る冷酷な人間だと。
そのあんまりな形容に、唖然とした。
そんな風に、祖父を表した大人に僕は会った試しがなかった。
「あんたは十分、あんたと同じ年齢の子供達の中なら世間を一蹴している」
「だからいい加減、あんなものに囚われるのはやめておけ」
と、その人は続けた。
「皆気づいちゃいないが、アレは、本当は恐ろしい生き物なんだ。人の心を操り、思いのまま動かす、悪魔のような・・。ただその高貴で美しく優し気な佇まいに焦がれるだけなら害はないが、アレに心を差し出すのはやめるんだ。取り返しがつかなくなる」
吐き捨てるように、でも同時に真摯に彼は言い切った。
「冷酷な悪魔は、平気で人の心を踏みにじるものだから。ただそれを、気付かせないだけの中毒性を全身からほとばしっているんだよ」
彼は、どんな理由からそんな結論に至ったのかは教えてはくれなかったが、自身の持つ持論に確たる自信があった様子で、僕に忠告した。
「目標にするのはいいさ、でも、けして依存はするな。アレは、普通の人間レベルで狙える相手じゃない」
僕の実の祖父なのに、誰もが心酔するほど神々しい人に対して、彼は本気でそうゆう評価を下している様子だった。
お陰か、僕の中で祖父に対する大きすぎる劣等感が急激に薄れていった。
物事は通り一遍ではなく、日の当たる場所をほんの僅かに変えれば、違った見え方があるとわかったからだ。
ほとんどの人々に神のように愛させてる祖父にも、その存在を真っ向から否定する誰かがいたのだ!
生意気でいけ好かない奴ぐらいの軽口の評価ではなく、悪魔そのもののように厄介で禍々しい存在だと彼は断言する。
驚きの解釈だが、僕には響いた。
祖父に対して劣等感だらけだった僕には、その祖父を悪だと論じてくれるその人はまさに天が遣わした使徒だった。このままでいいと、僕のまま正々堂々と歩けば合格だと、啓示を受けた気がした程に。
「だから、自分の力で乗り越えられた訳じゃないんだよ」
彼は、ほんの少し複雑そうな笑みを浮かべた。
「こんな話、二人きりじゃなくちゃとても話せないだろう?」
くすくすと、楽し気に笑う。
今はもう本当に、祖父の存在に引け目を感じてはいないのだろう。
彼はこんなにも清々しく凛として立つことが出来るのだから。
思春期特有の揺れに混乱していたユーリーを、その人の言葉がどれ程救ってくれたかなんて、私には本当の意味ではわからないのだろうけど、想像することはできる。
その人の言葉はユーリーにとって、きっと今も根幹を担っている。
彼が逃げずに立つための、支えに。
私が私について知りたいと渇望していたように、彼にとっても、その人の言葉は欲しくて欲しくてたまらなかった回答だったはずだ。
ただ余りにも意外過ぎる回答に、それを是として生きている自分を、彼はもしかしたらほんの少し卑怯だと感じているのかもしれない。
だから、私以外の誰にも聞き取れないように、ワルツを踊りながら話してくれたのだろう。
祖父を貶めるような言葉を支えに生きている自分を、恩知らずだと感じているのだ。
祖父ははなから一度も、彼を否定したり拒否したりしてはいなかったのに。
弱い自分が、祖父の存在を許容できなかっただけなのに。
そう感じているから、けして祖父の耳に届かないように、そして不自然でないように、祖父から距離を取って私に胸の内を告白してくれたのだ。
私はつい最近まで、彼がこんなに思慮深い人だとは知らなかった。
いつもたくさんの美女を侍らして、パーティー三昧で、仕事らしい仕事をしているところを目撃したことがなかったから、彼がこんなに自分という存在に悩み胸を焦がしていると知らなかった。
私の目からも、思いがけず彼への誤解という鱗が落ちる。
そこに居たのは私と同じように、自分という存在に悩み苦悩した、けれども自我を輝かせることに成功した若者だった。
彼の横顔に視線が張り付く。
私の中で、また、何と呼ぶか分からない感情が溢れてくる。
どきどきと、心臓がなっている。
私の視線に、彼が優しく微笑む。
やがてワルツが終わると彼は私に優雅にお辞儀を一つ残し、そのままローリーの前に進み出て、彼女に次のワルツの相手になってほしいと申し込んだ。