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懇談

執事はいつもの魅力的な微笑みで懇談中といったけど、本当は、ユーリーがほぼ一方的におじいさまに虐められている、の間違いなのではないのだろうか。昨夜の様子だと、おじいさまはかなりユーリーを気に入ってはいる様子だけど、彼のことをまだまだだと評価しているらしく、分かりやすく意地悪していた。

私のすぐ後ろに、控えるように立た彼が、驚いたような声音で執事に問う。

「漆黒の審判者・・と呼ばれた方まで、ご滞在中なのですか?」

漆黒の審判者?いったい誰のことだろう。なんだか、随分大げさな徒名だけど。

彼の表情を確認しようと思って振り返る。彼は我が家の執事の顔を、驚きを隠しきれない表情で見詰めていた。

「はい。昨夜、突然お戻りになられました」

恭しく、執事が返答する。

その様子で、”漆黒の審判者”が誰なのかが、分かった。

おじいさまの事だ。

「そう、ですか・・」

 だったら、メールも電話も一方通行なのも納得だ。

 あの方の相手をしているのなら、そんな余裕があるはずがない。

 たとえ、跡継ぎたる若い主が相手だとしても、気を抜いたら、どんな目に遭わされるかわかったものじゃない。あの方に比べたら、幾分か気の優しい我が主は、あの方の物差しからすれば、”緩い”に違いない。今頃、ばっさばっさ切り捨てられているに違いない。

・・・気の毒に。

くすっと、小さな笑いが込み上げてくる。

気付かれないように必死で飲み込んだが、成功したかは計り知れない。漆黒の審判者の執事は、かのお方共々油断の出来ない相手なのだ。

「昨夜のご機嫌は、いかがでしたか?」

 もし、すこぶる機嫌が悪いようなら、この場を一時退散するのが得策だろう。

 ”漆黒の審判者”と、社交界のみならず自社の関係者の中でも、通称として呼ばれていた前御当主は、その神々しい美貌に大変似合いの気難しさと、他人に畏怖の念さえ感じさせる恐ろしいほどの頭脳の両方を持ち会わせた、世界中探してもあまり類を見ない希有な存在だった。

仮にヨーロッパ貴族の出身でなかったとしても、自身の持つ頭脳だけで間違いなく巨万の富を得られるほどの、特別な才能を生まれながらに持っていた。

それゆえに、いつでも、あのお方は退屈に喘いでおられた。

あまりにも暇で退屈な日々を、憂鬱に過ごしていたためか、他人の悪意には異常なほど敏感だった。

ほんの僅かな下心ですら、けっして見逃しはしない。

格好の狩りの相手として、認識されてしまうのだ。もしそうなったら、逃げ切ることはほぼ不可能だった。

 この十年、世界中の我がヴィコルト家傘下の企業の重役達は、その事実を身を以て体感してきた。

 いつもの、見るからに威厳に満ちた伯爵様の姿のままでの降臨であっても、十分すぎる波及効果が社内に湧き起こるというのに、身分を隠して、その生まれ持った気位の高さすら嘘で覆い隠して、目的達成の為なら手段を選ばず息を殺して確実に近づき、獲物を仕留める。

まるで、狩りを楽しむハンターのように、じわじわと獲物を追い詰めるのだ。

 誰にでも、他人に知られたくない秘密の一つや二つはあるものだ。

 それが、極めて個人的な嗜好が関係した真っ黒なものか、犯罪ぎりぎりの小賢しい欲に彩られたモノなのかによって、取るべき態度が多少違ってくるだけで。

 だというのに、かのお方はご自分の退屈を紛らわす娯楽のために、腹に一物を隠した素行の悪い元部下達を、愉快そうに洗い出しては、獲物たる存在か裁定する。

そして、それは愉快そうに微笑むのだ。

その笑みは、地獄への招待状であった。

獲物達に逃げ出す隙など与えない。

必死に隠してきた秘密を根こそぎ暴き出し、社会的地位に留まれないほどの痛手を、与えてやる。

一番てっとり早くて確実なのが、マスコミだった。

スキャンダルのために、マスコミの餌食になった我が社の関係者が何人いたか、もうすでに記憶すらしていないので正確にはわからないが、黒い噂のあった者達が、何人もあの方の餌食にされたことは、間違いない事実だった。

対策に苦慮していた若い主は、密かに、暗躍を続ける”漆黒の審判者”に感謝すらしていたほどに。

「昨夜は、それほどご機嫌は悪くなかったわよ」

何故か、感情の読めない完璧な笑みのままなかなか答えない執事に変わって、私が見たおじいさまの様子から導き出した答えを言ってみる。私の”それほど機嫌は悪くなかった”発言に、ユーリーの秘書は軽く微笑んで、

「そうですか、それは・・良かった」

と、首を縦に動かした。

だが、おじいさまのご機嫌が悪くないことに安堵したのか、事実を確認できた事がよかったのか、はっきりしない。そのまま曖昧に微笑んでいる。

先程まで私と交流していた大人達とは違い、この人は大分読みにくい大人だ。

他人に自分の考えを読まれるようでは、きっと仕事に差し障るのだろう。さすがは、一大企業体の最重役に仕える秘書、というところだろうか。読まれて困るような感情は、そもそも挟まないのだ。きっとどんな場面でも。

「では、取り次いで頂いても?」

宜しいですか、の言葉をあえて聞くまでもなく、執事は静かに頷いて、私達をそのままその場に残して、踵を返した。




その場に取り残された私は、彼を置いてその場から離れようとした。私には特に彼と親交を深める必要がないから。彼も同様だと思ったのに、意外にも彼は私を引き留めた。

「マリー様に、よく似ていらしゃいますね。貴方の髪は、おばあ様譲りなのですね。それに少女時代のフランソワーズとも、よく似ておいでですよ」

と、懐かしそうに呟いた。

「え・・・お母様とも、知り合いなの?」

その、優しく細められた瞳に、好奇心が湧く。彼の口ぶりだと、子供の頃からの母の知り合いなのだ。私には知り得ない子供の頃の母。それに、マリー様って誰のことだろう。おばあ様てことは、おじい様の最初の奥様で、私と血の繋がったおばあ様のことだろうか。どうして、この人はおばあ様のことを知っているのだろう。不思議な気分で、彼のグレーの瞳を覗き込む。

「はい、子供の頃から、伯爵家に出入りしていましたので」

天窓から光りが注いでいる廊下の端で、今出会ったばかりの人から、母の話を聞くなんて。

つい数ヶ月前なら、考えも出来ないことだった。

本当に、つくづく人生は不思議でいっぱいだ。

「ねぇよかったら、執事が戻ってくるまで、私にお母様のこと、聞かせて?」

少女の瞳が、好奇心に輝いている。

降り注ぐ、光りより純粋に。

あのころの、フランソワーズによく似ている。

真っ直ぐで、ひたむきで、輝いていた。

昨夜13歳になったばかりで、この子は隠されてきた出自を聞かされただろうに、動揺の後が見られない。生き生きとして、朝日より輝きに満ちている。どうやら、きっちり自分自身の過去を受け止められたようだ。こんなにかわいらしい外見なのに、その真の強さは母親譲りということか。

いや、あの方の血を分けた孫娘だから、だろう。

「ええ、よろこんで」

私は、知らず微笑んでいた。







その人は、おじいさまが選んだ母の許婚だった。

母より10歳年上で、ジャンリュック=ド=ルクセールという名前から推察できるように、彼の先祖も貴族の出身だった。とはいえさほど、地位は爵位を授かった当時から高くはなかったらしい。

何故なら爵位的には、下から2番目の男爵だったからだ。

そもそも、代々伯爵家であるヴィコルト家とは、過去一度も公式な場所ですれ違った記録さえ残っていない下級貴族で、それになにより今となっては、貴族とは名ばかりに没落した家であり、『ド』の称号を捨ててしまいたいと本気で考えるほどの貧相な家なのだと、彼が苦く笑う。

「どうして、お母様の元婚約者が、ユーリーに仕えているの」

それでは、かなり居心地が悪いのではないのだろうか。

それはつまり、私の母が自分の人生を選んだ日に、彼の人生も激変したということだ。

本来ならヴィコルト家に婿養子として入り、自分より大分幼い妻を娶って、ユーリーと共にヴィコルト家の舵取りをしていたはずの立場なのに。

それこそ、ユーリーと肩を並べて、お互い名前で呼び合っていたかもしれない。

輝かしい未来が、本人の中でも、他人の目から見ても、十分に確約されていただろうに。

私が彼の未来を閉ざしたわけではないけれど、なんだか申し訳ない気がする。

しかも、その閉ざされたはずの未来に、今度は”使用人”という立場で参画しているなんて。余計に、胸が痛んだりしないのだろうか。

「もしかして、おじいさまのせい?」

ヴィコルトの人間には成れなかったが、ユーリーに仕える栄誉をやろう。とでも、言ったのだろうか。

あのおじいさまなら、言ったとしても驚かないけど。というか、もの凄く、言いそうだけど。

確かめない方が気持ち的には安全そうなのに、つい訊いてしまう。

人間とは、怖いものほど覗いてしまいたくなる、厄介な生き物なのである。

彼は、口元にくすと小さく笑いを作って、

「闇夜の伯爵様には、大変感謝しております」

と、また聞き慣れない徒名と共に丁寧な口調でそう言った。

その言葉に、嘘は感じられなかった。

彼は、自分の家が未だに未練たらしく『ド』の称号を名乗っていることに、子供の頃から随分と悩まされていたのだと説明を挟んでから、

「今やっと、『ド=ルクセール男爵』と名乗っても恥を掻かなくて済むようになったのですよ。すべては貴方のおじいさまである、闇夜の伯爵様のお陰なのです」

と、しみじみと噛みしめるようにして呟く。

「ですから、どうか私のことなど、お気になさいますな」

彼は、わざわざ私の瞳を覗き込んで優しく微笑んでくれた。

その優しい深い眼差しに、胸の支えが下りていく。

私ごときが、彼の人生を簡単に伝え聞いただけで、”立場が急に逆転して辛いのでは”などと、上から目線で気にする方がおこがましかった。

彼は、おじいさまに命令されたからという理由だけで、ヴィコルト家に使用人として残ったのではなかった。自分にある、たった一つ有効に使えそうな頭脳という名の才能を生かす場所として、そして同時に、没落して久しい実家を立て直す為に、その両方を一度にやり遂げる手段としてユーリーに、ひいてはおじいさまに仕える道を自分で選択したのだ。

だから、今堂々と、自分が男爵家の子孫であることを口に出来るまでになっているのだと、彼の微笑みが教えてくれる。

「ねぇ、お母様のこと、もう気にしてないの」

彼はお母様の元許婚で、現在はユーリーの優秀な秘書であり、きっと今もおじいさまのお気に入りだ。

この屋敷の存在も知っていたぐらいで、何故だか理由はわからないけれど、私のことまで知っていた。

玄関先で出会ったあのとき、彼は私が誰だか知っている様子で、名前こそ口にはしなかったが直接私に話し掛けてきた。

それはつまり確実に、彼自身が伯爵家の身内扱いを受けているということだ。

私の質問が、からかいや好奇心からではないと感じてくれたのか彼は真摯な視線のままで、

「私にとって彼女は妹のような存在だったので、今も、気にはしてますよ?」

と首を傾げる。

「でも、あくまで”妹”です」

はっきりと断言する。その横顔は、清々しい晴れやかな空のようだった。






妹のように接してきた元許婚との思い出話を聞かせてもらう。

彼の記憶の中の母は、私とよく似ていた。

読書が好きで、緑の館の図書室にある出窓に腰掛けて、いつも何時間でも夢中になって本を読んでいた。

想像力が豊かで、読んだ本の主人公になりきり、当時から一人で演技をして遊んでいたらしい。当時はまだ、一緒の屋敷に住んでいた伯父様達にとてもかわいがられていた。

伯父の友人でもあった彼は、学校が休暇になると我が家に帰省するのではなく、許婚である母と時間を共有するために、緑の館にやってきていた。

それは当時はまだ存命だった、おばあさまの意志だった。

将来を共にする予定の二人に、お互いをよく知り、お互いに尊重し合う間柄になれるように、出来うる限り時間を使って交流を持たせようとしたのだ。

とくに、10歳も年下の子供を妻として娶ることになるジャンリュックには、その子供を将来の妻として見る事が可能かどうかを、注意深く考察するように伝えられていた。

もしも、どうしても愛することが不可能なら、必ず、遠慮無く申し出て欲しいとも言い渡されていた。

そのことによって、彼の未来に不利益な状態が起こることは絶対にないと、伯爵婦人はベットの中で確約してくれた。そしてその約束は今も守られている。

「当時から本当に可愛くて、頭のいい子でしたよ。貴方のようにね」

まだ13歳なのに、ハイスクールの2年生なんでしょうと、微笑まれる。

私の回りには、普通に頭のいい人しかいないので、自分がその定義に当てはまるのか自信がない。私の微妙な表情に、彼は見ないふりで何も言わないでくれた。

「彼女も、私のことを兄のように慕ってくれて・・」

思い出す彼女はいつも、小さかった頃の真っ直ぐで純粋な笑顔のままだ。

顔中に、親戚の兄に向けるような親しみが溢れていた。

私は将来を想定して彼女のことを見詰めていたのだけれど、彼女のその瞳には、私に対する恋心は一度も存在しなかった。ただ純粋に、大好きな実の兄の友人でもある私へ、信頼と友情を寄せてくれていた。

「彼女にとっても、兄でしか、なり得なかったですね」

思い出に胸は熱くなっても、苦くはない。彼女が恋をしたと知った時に感じた気持ちは、後悔ではなかった。ただ、その絶望的な未来には心が痛んだ。彼女にとっては兄のままでも、彼女を守る道を、考えた程に。

だが自分に厳しい彼女は、敢えて茨の道を進んだ。そして、誰もが羨む未来と、彼女だけが知る愛の両方を手に入れたのだ。

「だから、貴方が気にする必要などないのですよ」

優しく微笑みながら、そっと頭を撫でてくれる。

おじいさまのように、良い子良い子と小さい子供にするように、うっとりするほど優しく。

なんだか、よく分からない感情がどこからか湧いてくる。

もし私に、父と呼べる存在が本当にいるのなら、父も同じように私の頭を撫でてくれるだろうか。

そんな事を考えてたら、廊下の向こうから賑やかにユーリーと執事が姿を現した。

「やぁ、ジャン、よく来てくれたな。ほんと、助かったよ」

朝だというのに、疲労困憊の体で現れた若い主が、苦笑いしながら歩み寄る。

名残おしそうに微笑んだのもつかの間、ジャンリュックは秘書の顔に戻って、疲れ切った主を出迎えた。



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