表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
18/68

父と娘

おじいさまの年齢を間違えていたので、訂正させていただきました。

「ジェニファー・アンティエーヌ、私のフランソワーズはどこにいるのだ」

頭上から唐突に投げかけられた問いかけに、一瞬誰のことを訊かれたのかわからなかった。

視線で声の主を捜す。見上げた先に、ほんの少し不機嫌そうな顔をした、母によく似た面差しの美丈夫な祖父が、威厳に満ちて立っていた。

 この顔で、50代後半を過ぎているなんて何かの間違いじゃないかと、例外なく他人に思わせる奇跡のような美貌の主だ。とても、同じ人間とは思えないレベルの美形。そもそも、母が妖精と世界中から大絶賛されて久しいのだから、その父親が規格外に美しくても道理かもしれないのだが。

 つい、そんな下らないことを、一瞬で考えさせられる美貌に見入ってしまった。

そのせいで質問の名前が、母の本名だったと気づくのに遅れた。

母はアメリカでは別の名前を名乗っていたので、しかも、私にとっても通称のほうが、今ではしっくりきていたので、おじいさまには申し訳なくも、すぐには気付かなかった。

「お母様のことよね?お母様は、サムが手配した楽団の方々が引き上げた頃には、いらっしゃると思うわ」

だぶん、という続きは声にはしなかった。言葉にしておいてもしも違っていたら、悲しすぎて泣き出してしまう。会場に母の姿がなかったので、勝手にそう解釈していたのだ。

 確かに母は、私の誕生日をとても楽しみにしていた。

 なのに、ここにその姿はない。

 理由として考えられるのは、サムシードが祖母のために手配した楽団という部外者の存在だけだ。

彼らはゴッシック記者ではないが、彼らの中の誰かの口が、軽い可能性は拭えない。

 妖精と謳われている女優に、隠し子がいた事実など、母の名誉を考えたら永遠に秘密にしていた方がいいのだ。彼らにその事実を話した訳ではないのだが、推察は誰にでもできる。それにどのようにでも、好きに邪推することもできるのだ。そもそも人は、自分が信じた方向にのみ、真実すら曲解して解釈できる生き物なのだから。 

 この家に、13歳になる女の子がいる。妖精と呼ばれている女優の、親族であることは確実である。何故なら、その容貌が女優のそれによく似ているから。あまりにも似ているので、かえって血縁関係を否定する方が不自然である、というレベルの話だった。

 だから、きっと彼らが退場すれば、私はこの部屋で母に再会できるのだ。

「そんなに気にする必要が、あるのか・・?」

顎の下に手を添えて、祖父は不思議そうに考え込む仕草をした。ただの、BGMごときに?と本気で呟やいている。

 子供の私にはまだどうやら本当の意味で、上流階級に君臨する大人の方々の考え方が、十分に理解できていたわけではなかったらしい。

 そもそも執事の眼鏡に叶ってやってきた彼らは、ここで見聞きした事全てを黙秘することのできる人物で、その上重い守秘義務を課せらていたのだ。絶対に約束を違えることはない。何故なら、誰だって自分の人生がなにより大切だから。ほんの僅かな金銭と好奇心で、みすみす光り輝く未来を手渡すバカはいないだろう、ということらしい。

 だとしたら、この部屋に母がいない事実が、急に私を不安にさせた。

「そういえば、最近お母様あまり調子がよくないようで・・・」

言葉にするのも怖すぎて、押し黙って俯いてしまう。強ばった私を、労るように祖父の手が伸びてきて、また、小さい子供にするように頭をクシュクシュと撫でてくれた。

ただそれだけなのに、ほんの少し安心する。温かなその手に癒されて顔をあげた。

「お母様の部屋に案内するわ、おじいさま」

優しく微笑んで待っていてくれた祖父に、ぎこちなく微笑み返しながら提案した。





母の部屋を尋ねた。いつもなら、開け放たれたままのそのドアが、今日は重く閉められていた。

祖父を連れてドアの前に立つ。いつもより少し重く、ノックした。

「・・はい」

幾分かの沈黙の後、母の返事が聞こえた。私はそれを確認してから、閉ざされたドアノブに手を掛ける。こんなにこのドアは重かっただろうか、私の気がかりをそっくりそのまま写し出したような重厚なドアを、やっとの思いで開けた。

 いつものように、母は巨大なベットにいた。

 ベットの上で、私のドレスと同じ色のふわふわとした、あまり動くには適さないドレスをなんの違和感もなく着こなして、母は女王のような風格で座っていた。

「あら、・・お父様」

 私の後ろに祖父の顔を見つけて、母が驚いたような表情で、ものすごく嬉しそうに頬笑んだ。

今までに何度も見ている優しい笑顔とはひと味違う、少女のようなあどけなさが漂う頬笑みだった。母は、父である祖父が、子供のころから大好きだったのだろう。一瞬にして20年ほどの年月を遡ったかのような、笑み。

「ご機嫌はいかがかな、私のレディ?」

母の笑顔に、至極満足して、祖父が芝居ががった挨拶をする。

そんな台詞のような挨拶に、母がまた一層嬉しげに笑みを深くした。どうやら、この挨拶は二人にとっては儀式のようなもので、これがなければ始まらない類の、大切なやりとりらしかった。

 母はその細い両腕を祖父に差し伸べた。

 祖父は満面の笑みのまま、大股にベットへ近寄よるとそのままその場に腰掛け、いきなり母の肩を抱き寄せ、頬にちゅと音をたててキスをした。愛おしそうに、何度も何度も口づける。

 母は子供のように嬉しげに、降り止まないキスに首を傾げ、父であるその人の肩に腕を回して、ぎゅっと抱きしめ返した。

ひとしきりのキスと抱擁の後、祖父が私に振り返る。

「ジェニファー・アンティエーヌ、お前もここにおいで」

母の幸せそうな頬笑みをすこし離れたところで眺めていた私に、祖父が手招いてくれる。呼ばれるままに二人のすぐ側のベットの上に、上がり込んだ。

「ごめんなさいね、せっかくのあなたの誕生日パーティーなのに・・・」

母の瞳が濡れている。熱でもあるのだろうか。それとも、体調が戻らない自分を責めているのかもしれない。私は母を安心させたくて、努めて笑顔で母を抱きしめる。いつも母が私にやってくれるように、私も母を力づけたい。だから思いを込めて大好きな母の頬に、私からもキスをした。

目を細めて受けてくれた母が、愛おしそうに私の瞳を覗き込んで、

「今日で13歳ね、お誕生日おめでとう」

優しい、本当に心から慈愛に満ちた優しい声で、私の誕生日を祝ってくれた。

生まれてきて初めての、母から直接贈られた言葉に、嬉しくてただ嬉しくて胸が苦しくなる。私を抱きしめる母の細い両腕も、いつもよりずっと力強い気がする。それすら嬉しくて、母の頬に自分の頬をすり寄せて抱きしめた。

先ほどとは反対に、私と母の抱擁が一段落つくまで、今度はおじいさまが無言のまま待っていてくれた。

「お父様、お忙しいのにわざわざいらしてくださったの」

「当たり前だろう、お前に会いに来たんだよ。・・・それに私は、基本的には暇人なのだよ?娘に会いに来ること自体、なんらおかしなことじゃない」

何故だか、おじいさまは大まじめに答えている。今まで見てきたおじいさまなら、悪ふざけの一つぐらい簡単にまぎれさせそうなのに。その言葉には、からかいもなければ牽制もない。娘に寄せる、父親の純粋な愛情に満ちていた。

「それにようやく、お前のために注文していた例のモノが仕上がったんだよ」

随分と待たせたねと、母の頬を撫でながら祖父が頬笑む。いつのまにそこにいたのか、執事が祖父の視線の先にいた。その手には、なにやら、白い長方形の紙らしい包みに入った柔らかいモノがあった。

「こちらでございます」

執事がその場に膝間ずいて恭しく母に差し出た。

母は瞳を輝かせてその包みを受け取ると、大切そうに頬を寄せた。私は幸福そうに微笑む母を黙って見詰める。こんなに幸福そうに微笑む母を見たのは、この家に来て初めてかもしれない。

「開けてご覧」

祖父の声に従って、その不思議な形に整えられた白い包みを母が開ける。

中に入っていたのは一枚の着物だった。だがそれはまるで、闇夜に咲き誇る櫻が主人公の、一枚のタペストーリーのようだった。

「綺麗ね、お母様」

あまりに見事な櫻の着物に、それ以上の言葉が思いつかない。私の感想に頷いて、母が着物をベットに広げて見せてくれた。

 その木は濃紺の闇夜の中に、たった一本で凛と立っていた。まるで絵画のように美しい光景。三日月に照らされた櫻が、意地悪な風にほんのわずかに身をゆすったのか、その儚い淡い花びらを手放して、深閑とした闇夜に冷然と、優雅に立ちつくしている。

 どこか、母を連想させる、芸術的に美しい着物。

「お父様、本当に素敵なプレゼントをありがとうございました」

「まるで、お前のように美しいだろう」

 私と同じ感想を祖父が呟く。愛おしそうに細めた目に、何故だか涙が浮かんでいるような気がした。だが、涙は零れなかった。ぎゅと抱き寄せた母の髪に祖父はキスの雨を降らす。母は祖父のキスに静かに微笑んだ。贈られた大切な着物をそっと抱きしめながら。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ