横顔
いったい、どれだけ入っているのだろうか。
つぎつぎと使用人達に、どうゆう根拠で選んだのかは分からないが、おじいさまの手ずから、お腹の包みの中にある大小様々な大きさの箱や袋を選び出して、楽しげに、鼻歌を歌いながらプレゼントを渡していく。
どうやら、おじいさまが帰宅なさった時には必ず行われている慣行行事らしく、居合わせた使用人達は皆、いつもの事として、特別に緊張した様子もなく、嬉しげに口々にお礼を言って受け取ってゆく。
最後の一人に渡し終わったとき、それまでの陽気でフレンドリーなおじいさまが一変した。
すっと立ち上がり、執事に視線をながす。
それを合図に、おじいさまの背後に控えていた執事の手がサンタ服にかかる。はっとするほどの無駄のない自然な動きで、おじいさまの背からサンタ服を脱がせた。
「残りの者達には、お前から渡しておけ」
お腹のネッグワォーマーもようやくお役ご免なのか、するっとサンタのズボンごと下に脱ぎ捨てた。
その中にはまだ、ロンドンで留守を預かる数人の使用人達の分のプレゼントが入っているのだろう。
祖父は視線で執事に命じた。
執事は脱ぎ捨てられたネックワォーマーとサンタ服を拾い上げると、恭しく頭を下げる。
脱ぎ捨てられたサンタ服の下には、きっちりとした漆黒の燕尾服をきた、10年前まで伯爵と呼ばれていた紳士がいた。
身に纏っている空気感まで違っている。
つい今し方までの陽気で悪戯好きの、礼儀作法すら特に気にも留めてなかった、清々しいほどフレンドリーな印象の人好きのする優しい姿は消えさり、漆黒の燕尾服に似合いの、気位の高い、どことなく近寄りがたい冷たさすら感じさせる、ストイックな風情を漂わせた、伯爵と呼称されるにふさわしい風格を纏っていた。
本当に同一人物なのかと、疑いすら感じさせる変貌ぶりに、唖然とした。
だがどうやら祖父の変身に驚いたのは私だけではなかったらしい。
祖父から受ける気さくな印象に合わせて、最新のクリスマスソングを軽快に演奏していた楽団が、あまりに印象が激変した祖父に驚いて、弓を止めてしまった。次の選曲にも困惑している。いまの祖父の印象に合わせて、荘厳なクラッシックの四重奏にするべきか、それとも今までに習って、軽快なクリスマスソングを続けていいのか判断に困る。主の背後にぴったりと寄り添った執事に、助けを求めて視線を集めた。
その時、祖父が得も言われぬ魅力的な微笑みを浮かべると、楽団に振り返り、
「私の妻のために、ダンスが踊れる曲を」
とリクエストした。
祖父は椅子に座った祖母の前にたち、優雅に左手を差し述べた。
祖母はがらりと変貌した祖父にも、まったく動じずにいつもの静かな微笑みのまま、差し出されてたその手をとって、椅子から立ち上がった。
寄り添うように、肩が触れるほど近く、二人が向き合う。
絵に描いたように美しい夫婦が、生演奏に合わせてゆっくりとゆれる。
おばあさまの微笑みが一段と深くその横顔に刻まれている。
私はじっと二人を見詰めていた。
私の記憶にあるおばあさまは、いつもどこか遠くを見詰めていたことに、このとき気づいた。
おばあさまの視線の先には、いつもそばにはいない、祖父の姿が映っていたのだろうか。
今目の前にいる愛おしいその人を、万感の眼差しで見詰めている。
そのしあわせそうな微笑みが、ふと母の横顔と重なった。いつも静かに何時間も、寝室の絵を見詰めているその横顔に。
その時私は気づいた。
母が見詰めていたあの絵に隠された秘密に。
祖母の、祖父に寄せる、尽きることのない泉のような愛情と同じものが、あの絵には隠されていたのだと。
『あの場所に、もう一度行ってみたいから』
そう言って、懐かしそうに微笑んだ母に、何故だか胸が痛んだのも、今なら分かる気がする。
私にはとうてい想像すら難しい、未だに存在すら知らない父との、出会い。
きっと、母にとっては最初で最後の恋であり、今も忘れることすら叶わない、別れ。
たぶん、その全てが、あの絵に塗り込められているのだ。だから、母はいつまでも飽きることなくあの絵を見詰め続けているのだろう。
その眼差しに、言葉にできない二人だけが知る秘密と、ただ一人の人に寄せる、今も変わらない万感の思いをこめて。
『大切な話があるの』
母の言葉が胸に閊えたままだった。聞くのが怖いとすら感じていた。でも、もしかしたら、母は私に母の人生にただ一度訪れた、恋の話をしてくれるつもりだったのかもしれない。
幸せそうに微笑む祖母を見詰めながら、母の横顔に思いをはせていた。
おじいさまの号令で、私の誕生日会は、無礼講の様相に姿を変えていた。
4時間以上も演奏を披露してくれた楽団も、ようやく一仕事を終え、幾分か気安くなった使用人達と、呑めや歌えの様相を呈していた。
おじいさまは、元伯爵様の威厳を纏ったまま、部屋の隅でおばあさまと積もる話に興じていらした。
その二人から僅かに距離をとるように、執事が控えている。そっと、息を殺すようにして、俯いている。
あんな、執事を今まで一度も見たことがなかった私は、つい余計な詮索をしてしまった。
「ねぇ、アメリア、サムっておじいさまが苦手なの?」
肱をひかれて振り返ったアメリアは、私の質問に何故か答えてくれなかった。
「え、何かまずいこと訊いた?」
とりつくろうと、言葉を探す。だがあいにく、思いつかない。
私が知っているサムシードは、いつも厭味なぐらい落ち着き払っていて、完璧な仕事を当然のようにこなしていた。祖母の周辺に、どんな僅かな不都合すら許さない完璧さで、影のように尽き従っているのだ。
あんな風に、緊張で固まった表情など、ついぞ見た覚えがなかった。
「お嬢様、サムシードさんには内緒ですよ?」
アメリアが意味深に微笑み、右手の人差し指を唇にそっとあてる。
「サムシードさんは、伯爵さまを意識しすぎて、緊張していらしゃるんです。あの方が、一番の方だから」
確かにサムは、ド=ウィコルト家に執事として仕えているのだから、本来の主は祖母ではなく祖父の方であろう。
使用人達から聞いた話では、おじいさまという人は大変愉快な方で、10年も放浪の旅に出て、風の吹くまま気の向くまま、世界中の自分の会社に奇襲攻撃と形容されるような、面白半分、ほんの少しの正義感で不正事項や厄介ごとを、根こそぎ暴き立ては強引に解決を図りまくる、実にありがた迷惑な遊びに夢中な困った方、というのが、傘下の企業の共通認識にまでなった方なのだった。
そんな、おもしろすぎるおじいさまなら、むしろ、私の知るサムなら、どうとでも御せる相手なのではないだろうか。どうにも、納得がいかない。
たとえ執事のサムにとっては、一番に仕える相手だとしても。それだけで、あのサムがあんなに動揺するのだろうか。
いつも勝手に敵認定していた、完璧な大人のはずのサムが、突然帰ってきただけの正当な主に、あれだけうろたえるとは、どうしても信じられない。
あれではまるで、片思いの相手に唐突に再会してしまって、気持ちの整理が付けられず、動揺を隠しきれないうぶな青年のようではないか。
そう思い至って、固まった。
まさかね・・・
慌てて、思いついた可能性をなかったことにして、首を左右に素早くふる。
私と同じ年頃の少女達が読んでる、恋愛小説にありがちな設定だ。だが、たいていの場合、相手は年頃の平凡な女のこだけど。
そんなはずがない。
あの厳格で、人間味のかけらも感じさせない、CGかロボットのような完璧な執事に、苦手かもしれない人物がいただけでも驚愕なのだから。
ようやく、おじいさまの存在に慣れてきたのか、いつもの余裕綽々な微笑みをたたえ、二人に仕える執事の横顔に、なんとなくほっとして私は視線を華やいだ室内へ移した。