予期せぬ訪問者
とうとうと流れ続ける四重奏の音楽に載せて、誰もが楽しそうに談笑している。
緑の館そっくりに整えられた室内は、使用人達もまじえて、私が生まれたこの日を祝う人々の笑顔で埋め付くされていた。私にとって彼らも家族同様の大事な人々なので、一緒に私の誕生日を祝ってくれるこの時間は、最高に幸せな時間だ。
皆が、順番に祝いの言葉を贈ってくれた。
抱き寄せて、キスして、微笑んでくれる。
叱られる覚悟で跪いたあの時すら、祖母はまるで何もなかったような微笑みのまま、祝いの言葉とキスを送ってくれた。祖母の微笑みが、約束を果たせなかった後ろめたさを少しずつ拭いさってくれる。
いつもこの微笑みに励まされる。
何時間でも眺めていたくなるような、優しくて大好きな祖母の微笑み。
母からの衝撃的ですらあったメールに動揺していたあの時も、結局、この祖母の微笑みに勇気をもらった。
祖母の『言葉どうりに、受けとってもいいんじゃないかしら』という言葉を信じて、N,Yにやってきて、
母に出会った。
あの時も祖母の微笑みを勇気にかえて、震える自分を励ました。
逃げ出さずに、立ち向かったから、今私はここにいる。今あるこの幸せは、この祖母が私に送ってくれたものなのだ。
祖母が私の頬に優しく触れる。その温かな感触にうっとりと目を細めた。
「諸君、メリークリスマス!!」
唐突に投げ込まれたクリスマスの挨拶にぎょっとして振り返る。
開かれたままの戸口には、見るからにサンタにしか見えない赤白の服を着て、背の高い、不自然にお腹周りをふくらませた、見事な白ひげを蓄えた見知らぬ紳士が立っていた。
一斉にサンタへ視線が集まる。
唐突なサンタの登場に驚いたのか、部屋中に満ちていた音楽もやんでいた。
堂々と胸をはったまま動かないサンタを見詰めると、サンタはフイにウインクした。
それを合図にクリスマスソングをバイオリンが弾き始める。誰にも咎められることはなかった。今ひとつ状況が掴めないまま、悪びれる様子のない侵入者に合わせて、今度は四重奏でクリスマスソングを弾き始める。どうやら予想は正しかったらしい。
漆黒のタキシードを着た執事が、楽団にそっと視線を投げて、肯定の笑みで会釈した。
仕事が分かればあとは誠心誠意ことにあたるのみである。4人の奏者は、サンタの正体に好奇心をくすぐられつつも、自らの役割に没頭していった。
私は突然現れたサンタに、穴が開くかと思うほどの容赦のない視線で、しげしげと見詰めた。
身内だけの誕生会にやってきたのだから、当然、私を知る親戚か関係者に違いない。私の家はかなり古い一族なので、引きずり引っ張りすれば、かなりの数の親戚筋がいそうなものだが、何故だか実際は違い、私が知る限り、伯爵様と現在呼ばれているいとこの君と、祖母と母しかいないのだ。
つまり、この目の前のサンタに、まったく心当たりがなかった。
「おばあさま、あの方、どなた?」
訝しげに覗き込んだ私に、祖母は困ったような懐かしむような笑みを浮かべ、私の頭を撫でてくれた。
どうやら祖母には、サンタの正体が誰なのか一目瞭然だったらしく、しょうがない方ねと呟いた後、心底嬉しそうに微笑んだ。そして溜息を一つついて、そっと私にその紳士の正体を耳打ちした。
「あなたの、おじいさまよ」
「・・・え・?」
おじいさま、と祖母が言った。
あまりにも聞き慣れない単語に、思考が止まる。聞き間違いだろうかと、不覚にも顔に書いてしまったのだろうか、祖母が可笑しそうに小さく吹き出すと、
「本当に、あなたのおじいさまよ。この10年、世界中にある我がヴィコルト家傘下の企業に、奇襲攻撃をしかけて遊んでいらしたから、あなたの記憶にお姿が残っていないだけよ」
と説明してくださる。
それでも、まだどこかいかがわしいかんじが拭いきれない。私は微動だにせず、怪訝な視線を隠しもせずに、どこかおかしなサンタ服を着込んだ、いやに姿勢の良い紳士を見遣る。
私の無遠慮な視線にまったく動じないそのサンタは、その場にいた全ての視線を一身に集めてゆっくり優雅に私の目前にやってきて、
「やぁ、おまえがジェニファー・アンティエーヌだね」
と微笑んだ。
張りのある伸びやかで若々しい声、顔半分をしめる白ひげとイメージがまったく合わない。あまりのギャップについ笑ってしまう。
「きっと僕を覚えていないだろうから、わざわざサンタに変装してきたんだよ。警戒されないようにね・・どうやら正解だったらしい」
サンタは白ひげをさすりながら、どこか自慢げにほくそ笑む。
細められた瞳は、母と同じ綺麗なエメラルドグリーンだった。
私は床にすわったまま、居住まいを正して、祖父だというその人に向き直る。
「初めまして、おじいさま。わざわざ、私の誕生日に会いにいらしてくださってありがとうございました」
「おやしまった、挨拶を間違えた。メリークリスマスじゃなくて、誕生日おめでとうだった」
わざとらしく頭を抱え、がくっとその場に膝をおり倒れこみ、塞ぎ込んだ。
やけに芝居じみた所作に、ついおかしくて笑ってしまう。俯いて落ち込んだふりをしてみせたその人が次に顔を上げたとき、ふさふさに茂っていたはずの白ひげは、跡形もなくはがされ、母に面影の似た美貌の紳士に変身していた。
「じじぃのふりは、疲れるな」
頭にかぶったサンタ帽をめんどくさそうに脱ぎ捨てながら、祖父というのだから、それなりの年齢と思われる美しすぎる初老の紳士が満面の笑みで微笑んで、
「毎年、お前のバースーデーに間に合わなくてすまなかったな、ジェニファー・アンティエーヌ。愛しい孫娘」
バランスの良い、長くてたおやかな腕が伸びてきて、ぎゅっと私を抱き寄せる。愛おしげに両目を細めて、私の頬にキスをした。