約束
スタイリッシュなリビングが、持ち込まれた装飾品で飾られた結果、ずいぶんと懐かしい雰囲気に包まれていた。全面ガラス張りで額縁のような壁から望む景色は、昨日までのN,Yのままで変わらないのに、まるでロンドンの緑の館の応接室にいるみたいだ。
私にとっては、ものすごく落ち着ける空間。ただ、母やローリーにとっては、いつもとはまるで違う空間に仕上がってしまっていて、もしかしていい迷惑かもしれない。
テーブルやソファーの配置も、パーティー使用に変えられていた。
私が飾ったツリーも、豪華さは残しつつ、落ち着いたかんじに仕上がっていた。これならきっと、鼻で笑われることはないはずだ。ツリーの回りを注視しながら一周する。少しでもおかしな箇所はないか観察した。
「まぁ、綺麗ね」
掛けられた声に驚いて、振り返るとそこに、母がいた。ギリシャ神話の女神が着ていそうな、ふわふわとした、豪華なシルエットの純白のドレスを着ていた。
娘の私すら見惚れるほどの神々しい姿。
その隣にはローリーが立っていた。母の左手を優しく握り、右手を腰の辺りにそっと添えている。まるで母が転ばないようにガードするような様子で、母をエスコートしていた。
私は二人の様子をなんとなく眺めていた。冷やかすつもりも、咎めるつもりもない。
ローリーが母を一人掛けの椅子に座るように導く。導かれるまま自然に、母がゆっくり椅子に移動する。そんな何気ない所作すら目が離せない。母はやがてゆっくりと腰を下ろし、彼女に微笑んだ。
微笑まれたローリーも母に微笑み返す。言葉は一つも介在しないのに、ローリーの心が滲みでているような印象的なシーンだった。
「お母様、起きてきて大丈夫なの」
私の質問に母は小さく首を傾げた。さらさらと綺麗な金髪が流れる。白くて細い首筋を隠すように。
「ええ、別に病気ではないもの」
おかしなことをいうのねと、母が笑う。
私は母に駆け寄ると、膝をついてその場に座り込み、母の膝に頬を寄せ頬ずりした。
母が、頭を撫でてくれる。嬉しくてうれしくて、母の手の感触をもっと味わいたくて目を瞑る。閉ざした視界のせいか、私の頬の感覚が急に過敏になったのか、触れている母の足がとても細く頼りないことに気づき、どきっとした。
「お母様、なんだか最近痩せたんじゃない」
顔を上げて母の瞳を覗き込む。母はいつもと何も変わらなかった。穏やかで、慈愛に満ちた眼差し。
私の頭を何度もなんども撫でてくれる。こみ上げてくる漠然とした不安を取り除いてくれるように。
「アンティエーヌ、明日で13歳ね」
覗き込む私の顔が、母の曇りのないエメラルドの瞳に映っている。
大好きな、大好きな私の母。
「パーティーが終わったら、あなたに大切な話があるの」
母の手が私の髪を優しくやさしく何度も撫でている。
「聞いて・・くれるかしら?」
聞いている方の胸が苦しくなるような、逃げ出したくなるような不思議な声。
だけど、とても優しい声で母が言った。私はじっと母の瞳を見詰め返す。母は探るような視線を投げる私へ、ただただ愛おしそうに微笑んでいる。その揺るぎのない姿に、ひどく安心する。
母がいう、大切な話がどうゆうものなのかしるよしもなかったが、その母の微笑みを見ているだけで勇気が湧いてくる。
だから私は母の瞳を見詰めたまま頷いた。
母がまた一段と優しく微笑み返してくれた。
「愛してるわ、私のアンティエーヌ」
母がゆっくりかがみ込んで、私の額にキスをした。まるで、約束の代わりのようなキスだった。