窓観壁聴閑聞記(そうかんへきちょうかんぶんき)
誰でも夢を見るだろう。
どんなに不思議でも、現実味を帯びていても、目覚めれば、それは夢。
追われたり、襲われたりする夢なら、ホッと胸を撫で下ろし、いつしか忘れて行く。
そのまま、そのまま。
幸せな夢なら、そう願うだろう。
夢ならば。
昼夜逆転した生活の中で、昼間の音に夢を左右される事がある。
何の事はない。
ゴミ収集車が通れば、それを追いかけ、パトカーがサイレンを鳴らせば、今度は追われるのだ。
我ながら単純である。
何かの標語を盛大に雑音だらけの音響装置で鳴らす、広報車が通った時など、のんびり浸かっていた温泉が煮えたぎり、ついに火山になり、余りの壮大さに、飛び起きたものだ。
何故そんな夢を見たのかと、聞かれても、夢は夢。
それだけなのだった。
小さいながら、出版社に勤め、ひと昔前に流行った『フレックスタイム』のまま、仕事をしていたので、昼過ぎから明け方までの、夜更かし人生も10年選手と、いったところだ。
そもそも、物書きの先生方が、朝6時に起きたりしない。
取材旅行でさえ強者は、昼過ぎまで寝かせてくれるようにと、旅館に掛け合ってくれと言うのだ。
前の日から起きていて、夕陽と朝陽を見てから寝る、なんてのは良く聴く話だ。
人気がある故に、原稿が遅い東堂元規先生の自宅に、締切日でもないのに、呼ばれた。
先生の自宅の辺りは道が狭く、車を置く場所も近所に無いので、回り道ながらも、電車を乗り継いで、向かったのは3時過ぎだった。
新進のミステリー作家だったのだが、世代のギャップを扱ったエッセイが受けて、最近はそんな本業より、テレビのコメンテーターとして、世間に認知されている。
そして、それ故、またまた原稿が遅れる。
それでも、我が月刊誌に掲載のエッセイは、中々ファンも多く、まとまってから出した第一弾が、殊の外好評なのだ。
何せ、本離れしていない60代以降の男性読者をガッツリ掴んでいて、今また、テレビの力で熟女にも、人気なのだ。
つくづく、若い世代の本離れは、手の打ちようがない。
あとは、童話が売れてるのだが、本当に真ん中がゴッソリと抜け落ちていた。
東堂先生の御宅は、俗にいう旗竿敷地で、曲がりくねっていて、車も入られない。
そんな細い路地の奥に、昭和の頃の建物が、埋まっている。
下町的なクネクネ曲がった狭い道路の両端に、塀が連なっているのは、何かの嫌がらせとしか思えなかった。
雨降りの時には、通りたくない道No. 1だ。
栗蒸し羊羹を手土産に、梅雨が明けたら明けたで、ムワッと蒸してる細い路地を、半身に傾きながら、どうにか玄関にたどり着いた。
呼び鈴を鳴らすと、家鳴りさせながら、東堂先生が、格子戸をガラリと開けてくれた。
インターフォンが無くても、ここには本当に用のある人間しか来ない。
訪問販売やあらゆる勧誘なんかも、根性が足りない。
ここに出入りしてる酒屋は大したものだ。
玄関に入れてもらうと、ホッとする。
路地を歩く野良猫から、人間に戻った気分だ。
「すまなかったね。
さあさあ、上がってくれ給え。
相談があるんだよ、坂本君。」
ここで、東堂先生は毎回ニヤッとする。
「遅くなりました。
失礼して、上がらせて頂きます。」
かまうと長くなるので、変なニヤニヤは、無視してる。
坂本龍太の名前が何故だか、東堂先生の琴線に触れるらしいのだ。
もう少し似ていたら、多分ニヤリどころか毎回爆笑されるのだろう。
勝手知ったる他人の家。
言葉とは裏腹に、ズカズカと上がり、サッサと居間兼リビング兼台所に向かう。
独り暮らしの東堂先生は、二階建てや三階建てに、ぐるりと回りを囲まれた平屋で、この兼用のひと部屋と寝室以外は、全て書斎の様な暮らしをしている。
だがそれも最近は、書物の侵食が堰を切り出しているようだ。
あちこちに積まれた本の山を越えて、人が座れる椅子のひとつに腰を落ち着けた。
シミだらけのコーヒーテーブルに、土産の羊羹を置く。
後ろから、遅れてきた東堂先生は、羊羹を見つけて嬉しそうだ。
冷蔵庫から、ペットボトルで出された冷茶が、そのままテーブルに置かれた。
3人掛けの長椅子から、本を床に降ろして、自分の座る所を作ると、『ありがとう。』と、羊羹の皮を剥いて、かぶりついた。
何時もの事だから、『お茶、頂きます。』と、こちらもボトルの冷茶を呑む。
カタカタ音のする扇風機の羽根が回っているだけだが、陽が射さないので、路地よりはまだましだった。
ひとしきり羊羹に噛り付いてから、東堂先生も冷茶を呑んだ。
グビリと、喉が鳴る。
人心地着いたのだろう。
ジッとこちらを見ている。
「坂本君、ところで君、夜は寝るのかな。」
とんでも無い作家先生だ。
いいえ、と、首を振った。
「もう何年も夜は寝てませんね。
こんな商売では、不眠症でもないのに、徹夜徹夜ですから。」
ウンウンと、頷いている。
「坂本君、寝てる人の頭の中に入ってみたくはないか。
普通に夜、寝てる人のだ。」
「エッ。」
絶句。
寝てる人って。
「せ、先生、それって、寝てるんですよね。
寝てる人、なんですから。」
「ほう、わかるんだ。
なかなかだね、坂本君。」
なんか、小馬鹿にされてる。
人も還暦を過ぎると、七化けでも、するのだろうか。
人が悪いとしか、言いようがなくなる。
年寄りが温和で博識だったのは、最早、都市伝説なのだろうか。
最近の老人が起こした数々の事件や事故が、頭を巡った。
「坂本君は、朝方、寝るのだろう。
でも、昼間寝ても夢は見るよな。」
「そうですね。
どうしてもそうなります。
印刷所と駆け引きなんかしてたら、昼過ぎって事もありますが、大抵は5時とか6時過ぎですね。
今頃は、とっくに陽が昇ってますよ。」
東堂先生は、ひとり、うむうむと、考えている様だ。
「どんな夢を見るかね。
面白いのや怖いのかな。」
「色々です。
で、寝てる人のだと、人の夢を覗くんでしょうか。」
「そうだよな。
うーん、そうか。
寝てるんだもんな。」
何を感心しているのやら。
エッセイの材料にされてるのなら、それこそ編集の仕事だが、暇つぶしに呼ばれたのなら、サッサと引き上げたい。
そんな、怪訝な心の内が顔に出たのだろうか、突然笑い出した。
「いや、ははは。
ヘンテコ過ぎて、着いてこられないだろう。
知り合いが、そのまあ、発明家だな。
そいつが、ホラ、被験者、ってのを、探しててさ。
夜寝ない人間が、いないかって。
俺は、締め切りが迫ってるからって、断ったら、雑誌社の人間は夜起きてるだろうって、言われたんだよ。
どうだろう。
紹介して良いかな。」
まてまて、整理がつかないぞ。
なんなんだ、物書きのくせに、この脈絡の無い話は。
沈黙が時を止めた。
その時、呼び鈴が鳴った。
余りに唐突で、東堂先生の手から、食べかけの栗蒸し羊羹が、ベチャッと、テーブルに落ちた。
慌てて立って、テーブルを蹴飛ばし、2人分のお茶のボトルが倒れて、ダチダチと、床に流れ出した。
その辺にあった物を掴んで、お茶を拭うと、助けたお茶のボトルを持って、玄関にかけて行ってしまった。
みれば、お茶を拭いたのは、ランニングシャツだ。
ソッと摘んで、洗面所の洗濯機に放り込みに行った。
もどってみると、二本のお茶のボトルを握ってる東堂先生と、見知らぬ男が立っていた。
「坂本君、こちら永方君。
ここの大家さんでもあるんだ。
さあさあ、二人共、座っていてくれ給え。」
ベットボトルをテーブルに置くと、羊羹を救い、テッシュを1枚出して、テーブルを、拭いた。
気不味く椅子に腰掛けた二人を残して、羊羹と共に、冷蔵庫に行った東堂先生だった。
「初めまして、坂本です。」
「永方です。」
挨拶も半分に、永方も長椅子の上の本を、床に下ろし始めた。
何せ、あの先生、自分の尻の幅ぐらいしか、片付けていない。
永方の、地道な努力で、大人二人分の敷地が長椅子の上に、現れた。
そこに、冷茶のボトルを持った東堂先生がやって来た。
「いや、永方君、悪かったね。
本棚を頼んだんだが、来るのが遅れてて、あの壁に、本棚を打ち付けたいんだが。」
これは、大家にお伺いを立てているのではない。
あそこの壁に本棚を打ち付けるぞ、宣言なのだ。
永方も飄々(ひょうひょう)としている。
東堂先生が指し示した壁の隣を指差した。
「あちらの方が、良いですよ。
テレビが見辛くなるでしょう、あっちだと。」
「そうか、そうだよな。
さっ、お茶をどうぞ。」
永方は頭をピョコンと下げて、お茶を手にした。
「さっき話た発明家なんだよ、この永方君が。」
クルッと顔をめぐらせ、今度は永方に坂本の事を話し始めた。
「編集者の坂本龍太君。
ねっ、直ぐに来てくれるでしょう。」
だから、それが仕事。
見知らぬ人に呼ばれたのなら、ノコノコやって来たりはしない。
サッパリと刈り上げた短めの髪、流行りなのか丸首の白のティシャツに、下はよれたジーパン。
靴下は履いてなく裸足で、A4のバインダーを、横に置いている。
道で会ったら、少し老けた予備校生かな、といった風情で、昔の学生風な印象をうける。
年齢が読み辛い顔をしていた。
「その、お話はどこまで。」
「寝てる人の頭の中に入るってのは、言ったよね、坂本君。」
「はい、伺いました。」
永方は何故か嬉しそうな顔をした。
「そうなんですね。
寝てる人ってのは、いるのです。
起きてる方をどう探したら良いか、考えあぐねていたのだのです。
作家の東堂先生なら、寝ないでしょうからと、お頼みしたのですが、原稿が詰まってると、断られて、困っていたのです。
夜に強い方でないと、この実験は成功しないと思うんです。
どうでしょう。
受けてもらえませんか。」
「やって見なよ、坂本君。
そしたら、それを書くからさ。
どうだい、なかなかのテーマだろう。」
白いティシャツが目に痛い。
日の差し込まない薄暗い部屋に、本と雑然とした家具に囲まれて、つけっ放しの台所の灯りが、変に永方を、照らしている。
ニコニコしてるのが、気になりだした。
「でも、寝てる人なんですよね。
寝てて百%、夢って見ますか。」
永方がそこか、という、顔をした。
「夢は二の次です。
寝てるのを、その中を見てもらいたいんです。
装置を動かすのを、他の人にやってもらえれば、自分がやるのですが。」
「凄いぞ。
3回や4回の連載出来るだろうし、永方君の実験報告にも、なるから悪い話ではないだろう。」
返答が思いつかない。
それから小一時間ほど、説明と説得が続いた。
頭の中を覗く機械の構造も教えてくれたが、余りに畑違いで、電気で動く以外は、羅列された数式も何かの部品の名前や機能さえ、外国の子守唄のようだった。
つまり、チンプンカンプンなのだ。
で、なんてことはない。
「一応、やってみます。」
と、説得されていた。
約束の日に、東堂先生の自宅で待っていると、先だってと同じ白いティシャツとジーパン姿の永方が、やって来た。
坂本が入る実験体は、永方の家に居るので3人して、そちらに移る。
広い道ながら、途中から舗装されず、木々に囲まれた涼やかな坂をダラダラと上がった。
車の轍もついていた。
「東堂先生の所でなければ、車でお迎えにあがったのですが。」
ああ、と思った。
この作家先生が、実験のためとは言え、家から出て待ち合わせ場所に来るなんて事は、まあないだろう。
2週間に1回のテレビ出演の時も、かなり渋々で、2本まとめ取りなのを、もっと増やせないかと言って、顰蹙を買ったのは、つい先日の事だったのだ。
それでも普段、酒屋では持ってきてもらえない物を買い占めて帰宅できるからね、と、、笑って教えてくれたのだが、本当に出不精なのだ。
そうでなくては、あんな不便な路地の行き止まりなんかに住まないだろう。
やがて、永方のお屋敷が見えて来た。
鬱蒼と生えた木や絡みつく蔦に囲まれた、緑色の大きな家だ。
誰の趣味なんだろう。
暗い緑色は、洋館を矮小化させ、見た目を歪ませてる様な感じだ。
グルリと巡っている塀は、蔦が絡まり、元の姿が埋もれて見えない。
俗に言う、嫌な感じだった。
黒っぽい門の横の潜り戸から、屋敷に入った。
日が当たらない場所らしく、苔むした庭が現れ、飛び石がテラテラと黒く光ながら続いていた。
永方は飛び石を無視して、玉砂利が引いてある小道を進む。
ジャリジャリと音を立て、3人は屋敷の裏側に出た。
一段踏石を上がった先に、勝手口がある。
永方がジャラジャラと、鍵の束を出し、そこを開け扉を開いた。
中は、サッパリとした台所で、かなり広くダイニングテーブルも8人掛けの大きな物が、スンナリと収まっている。
木をそのまま生かした壁や床は、明るく広く外とのギャップが凄かった。
外側が幽霊屋敷なら、中は北欧モダンと、言ったところか。
その広いテーブルに東堂先生と付く。
「どうぞ、喉が渇いたでしょう。」
出された麦茶には、砂糖が入っていた。
殊の外、スッキリとしていて飲みやすい。
「どうぞ、あちらで着替えて下さい。
リラックスできた方が良いでしょうから。」
永方から渡されたのは、パジャマだった。
台所の隣の三畳の和室に、入れられ戸を閉めららた。
仕方なく、白のリネンのパジャマに着替える。
糊が効いていて、パリッとしていて、着ると気持ちの良い、パジャマだった。
衣紋掛けがあったので、そこに、開襟シャツとズボンを掛けたが、靴下はどうして良いかわからず、履いたままだった。
出て行くと、東堂先生が白菜漬けをかじっていた。
「おっ、似合うな。
坂本君も、食うか白菜。」
「いえ、結構です。」
作家のくせに、デリカシーが無い。
「さ、此方です。
もう直ぐ夕方ですから、急ぎましょう。」
永方に連れられて、屋敷の中を行く。
廊下を歩いて行くと、玄関ホールに出た。
玄関の大袈裟な観音開きの扉と、吹き抜けが現れた。
玄関ホールの奥の、大きな階段は、映画に出てくる様な、曲木の手すりが囲み、絨毯が引いてあった。
その上を3人で静々と上がったのだった。
階段を上がると、壁に沿って、扉が並んでいた。
1番奥の角部屋の戸を開けて入ると、そこに白いカーテンに囲まれた、パイプベッドが、現れた。
同じ様なカーテンに隠されたベッドが、反対側に置かれている。
側には何やら、機械が置かれたテーブルもあった。
外は夕焼けに染まり出し、部屋はオレンジ色に染まり出していた。
永方が、パチンと電灯を点けた。
「さっ、どうぞ、寝て下さい。」
「はい。」
よく見る病室のベッドそのもので、言われるまま、掛け布団を捲り、身体を入れた。
永方がなんだかゴチャゴチャ説明しながら、頭や腕に、何かをくっ付ける。
何処からか引っ張って来た丸椅子に、東堂先生はちゃっかり腰掛けていた。
「心電図も脳波もとります。
眼はどうします。
アイマスクもありますが。」
「いえ、このままで。」
あちこち線を付けられ、本当に実験体らしくなっていた。
いつの間にか、窓のカーテンは引かれ、部屋は夜の色に染まっている。
「起きていてくださいね。
では、始めます。」
不思議な実験が始まった。
気がつくと、変な気分だ。
永方の説明では、寝てる人の中のはずなのだが。
頭をめぐらし辺りを見たが、白いカーテンに白い天井。
蛍光灯の明かりと、カーテンの向こうの人影。
なんの変化も無い。
そのまま、静かな部屋に、夜中が来た。
遠くから、永方や東堂先生が話す声が聞こえる。
それだけだった。
寝てる人の夢の中に入ってはいけない様だ。
ふと、寝てるのは誰なんだろう、と疑問が湧いた。
それにしても、ジッとしてるのも辛い。
が、身体を動かす事が憚られる様な気がしたのだ。
見ても仕方ないので、目を閉じた。
耳が、自分の鼓動を伝えてくる。
そうか、する事が有るから、起きているのだ。
何もせずに、ましてや寝た状態で、夜を過ごす事など、あり得ないのだ。
それを口に出そうとしたが、重い。
重くて、口が開かない。
寝てはいない。
だが、身体全体が重い。
その時、感じた。
骨の内側。
これは、髑髏の内側なのだ。
誰の。
寝てる誰かのだ。
夢では無い。
目を開けると、眼がある場所が見える。
見る視点をずらすと、内側からの骨が見える。
夢の中に入っているのだろうか。
好奇心が勝り、あちこち観察する。
どうやら、髑髏の内側しか見る事が出来ない様だ。
骨がわかる。
肉は何処に行ったのだろう。
何故、眼の部分だけ、開いているのか。
これが、この人物の夢なのだろうか。
坂本は自分は寝ていないはずと、その目玉で、後ろから覗いた。
目玉がその目の穴と同化しだすのがわかった。
目を開けると、天井と電灯。
だが、位置が違った。
そのまま、まんじりともせずに、夜明けが現れた。
ふと、覗き込む永方に気づき、思わず頭を上げた。
「お早うございます。
気分はどうですか。」
ベタベタ貼られていた線は、全て取られていた。
「と、東堂、、せ、先生、は、、。」
口が重い。
「あの方は、寝てます。
気分が悪くはありませんか。」
「は、は、なし、づらい、ですね。」
「今、飲み物、お持ちします。」
永方が部屋から出て行った。
身体が重いが、ベッドの頭の柵に捕まり、身体を起こす。
足を床につけると、履いたままの靴下が、力の無いあしのせいで、滑る。
どうにかこうにか、靴下を脱ぐと、ひんやりした床に足が届いた。
ゆっくり立ち上がり、カーテンの閉まった側のベッドに、向かう。
カーテンを掴むと、腰が抜けた様に、その場に座り込んだ。
バチバチとカーテンを、止めていたクリップが天井から外れた。
そこに現れたのは、ひとつの髑髏だった。
枕も掛け布団も無い、敷布団だけのベッドの上に、黒々と穴の開いた髑髏が乗っていたのだ。
扉が開いて、永方がお盆に水差しを乗せて、立っていた。
「ね、ね、、寝てる人って、、これ、は。」
「寝てる人ですよ、坂本さん。」
東堂先生は、夜中まで起きていたのだが、寄る年波には勝てず、惰眠を貪っていた。
起きたのは昼過ぎで、坂本さんは、帰りましたよ、と、言われたが、図々しく、ご飯を頂戴してから、帰宅した。
実験の結果は、なんだかんだと、誤魔化されたのが気に入らなかったが。
それから、東堂先生の担当は、橘香澄という、短大卒の若手に変わった。
坂本は出版社を辞め、永方の屋敷に住み込んでいる。
出不精の東堂先生が2度程、永方の屋敷に行ったが、呼び鈴が壊れているのか、誰も出てこないかった。
橘香澄は、甲斐甲斐しく東堂の蔵書を分類して、キチンと本棚に収めてくれたので、重複していた本を処分すると、部屋はスッキリとした。
引っ越しを勧められ、とうとう東堂先生も折れて引っ越すことになった。
テレビの露質が増えて、かなり不便になっていたのだ。
引っ越す前、永方と会ったが、坂本の話は出なかった。
東堂は、それっきり、永方とも坂本とも会ってはいない。
坂本が取り憑かれたように、毎晩、髑髏の目から天井を見、そこから耳をそばだてていて、それを永方が観察している事は、誰も知らないままだったのだった。
今は、ここまで。