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#06

意識は戻った。ただ、目を開いている感覚はあっても視界は一面、白く光り輝いている状態が続いていた。一方で、視覚以外は正常に機能しており、理科室の独特の匂いが鼻孔をくすぐり、窓が寒風に揺らされる音を耳が捕らえた。肌で感じる周囲の空気は、全館暖房で温められた、少し乾燥しているが心地よいものに変わっており、机の上に置いた両手が、実験用作業机の合板の冷たい感触を伝えている。ただそれが、それだけが現実だと頭で理解していても、両手には、ひとの肉を(えぐ)り、骨を砕いた感覚が生々しく残っていた。

ゆっくりと視界が元に戻ってくる。視線は正面よりやや下を向いていたので、向かいに座る、黒い学生服が目に入った。少し視線を上向けると、皮肉っぽい笑みを浮かべた中性的な顔が見えた。

「須賀…」渇き切った喉から、坊坂はかろうじて(かす)れた声を出した。「悪趣味だ」

坊坂の、不機嫌な声と表情に、美月は内心、表に出しているより余程面白がりながら(こた)えた。ちょうど、美月が写真からドッペルゲンガー氏に繋がるより前と、両者の表情が逆転していた。

「面白半分で巻き込んだのはそっちだろ」

「面白がってたのは事実だが、訓練になることも事実だ」

声が悪いことは自分でも分かるらしく、坊坂は喉を手でさすりながら応じた。美月もそれは十分理解している。理解した上で、少しばかりの悪ふざけを上乗せしただけだった。

「気分が悪そうだな」

「最悪だ。あんた、自分と違って、俺がこの手の精神攻撃的なものに対抗手段を持っていないって知っていてやっただろ」

半眼で、余りに恨めしげな様子で言うので、美月は耐えきれず笑い出してしまった。坊坂はころころと快活に笑う美月を見ながら、溜め息をそのまま深呼吸に変え、両手で机の縁を掴んで軽く身を()()らした。椅子に背もたれがあればもたれ掛かるところだが、あいにく木製の丸椅子なので、その体勢で硬直した各所の筋を伸ばした。美月が笑いを収めるまで、そうして身体を動かして調子を整える。美月が平静に戻ったところで、坊坂は椅子に座り直し、真っ直ぐ向き直った。

「まずあんたは、この女と同調状態にあった、で良いな」

言いつつ、机の上のフィルム写真の右端を指す。真顔に戻った美月はうなずいた。

「ああ。ドッペルゲンガー氏にアクセスしたら、残滓(ざんし)があったらしく簡単にその女のひとに繋がった。でも二十年ってそれなりの時間だから、このひと、もうひとの姿もしていなかったし、記憶らしきものがあるだけで会話なんてとても成り立たない様子だった。だから、同調して、記憶らしきものをあるだけ全て把握した方が早いか、と思って。そう思ったら、あっさり同調出来た。で、ついでに俺が把握したものを後で坊坂に言葉で説明するよりは、直接体験してもらった方が早いなと」

「他者に幻覚みせるとか、出来るんだな」

聞いていない、という表情を露骨にして、坊坂は確認した。

「幻覚というか夢に入るかな。相手に俺が何度か治癒を掛けていて、つまり何度か入り込んだことのある相手で、自分より精神操作系の能力が低くないと駄目みたい。藤沢には効くけど、八重樫には駄目なんだよな。八重樫の関係の深い神様って、その方面に強いから」

「俺は効いた二人目か?」

「そう」美月はくすりと笑った。「訓練、だろ」

坊坂は苦虫を噛み潰したような表情になって、顔を(そむ)けた。

「あと、途中から、この女のひとじゃなくて、この女のひとと同調したら釣れた生霊がいたから、そちらに同調を切り替えた。まとわりついてきたし、やたら殺意が強かったから、ひょっとしたら加害者じゃないかと思って記憶というか思考を送ってみたけど、どうだった?」

「…あんた、見てないのか」

「殺意のある生霊と同調状態にあって、更に他者の内部に手を伸ばしている状態で、見ている余裕なんて無い」

肩をすくめる美月に、坊坂は溜め息を()いた。

「俺を精神操作系統の術の影響下に置いておいて、殺意のある生霊なんて危ないものと同調するなよ」

「危険になったら、坊坂の方の術を解けばいいだけだろ」

坊坂は更に深く息を()いた。

「お陰で、人殺しの体験が出来た」

「じゃあ、加害者なんだな」

「恐らく。ただ、体験したのは、この女とは別の誰かを殺ったところだ」

「…え?」

その返答は予想外だった美月は、間抜けた声を上げた。坊坂は誰にともなくうなずいて続けた。

「ちょうど、別の誰かに殺意を抱いたところだったんだろうな。二十年前のときの記憶がフラッシュバックして、生霊がこの女の方に飛ばされたんだろ」

何と言っていいのか分からず、黙り込んだ美月を前に、坊坂は少し前の美月より更に皮肉っぽい笑みを作った。

「得難い体験をありがとう。ひとつでも足しにあるものがあれば良いか、くらいで持ちかけたけど、思いのほか色々分かった」

「それは…どうも。このひと、見つかりそうなんだ」

坊坂の皮肉を(かわ)して、率直に美月は尋ねた。

「現実問題としては、加害者と思われる奴を今日の事件で捕まえてもらって、自白させるのが早いな」

「今日の事件で、捕まえられそうなんだな?」

何せドッペルゲンガー氏が化けた女の件は、二十年以上隠匿(いんとく)されて来た訳である。心配そうに問い掛ける美月に、坊坂は特に感情の籠らない淡々とした声で応じた。

「今回は、本人も腕力が落ちていたし、威力のある凶器もなくて、相当暴れてうるさくしたからな。既に近所から通報されているかもしれない。そうでなくても、死体をどうこうするだけの体力がないと思う」

言いつつ、坊坂はフィルム写真を取り上げて眺めた。

「このひとは、名前がカエデかモミジで、今は楓の木の下にいると思う」

「今は?」

「今は」

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