092.
「ふざけんなっ」
会場が成功ムードで沸いたそのあと、客が出て行くときの顔までしっかりと撮影し終えたところで楽屋としても使われるステージ袖に怒声が響いた。
そしてつかつかと、男子制服姿の澪が体育館を出て行く。かなり怒っているようで身体が震えてるのがここからでもわかる。
「トラブルですかー?」
一通り撮影が終わったのでひょっこり舞台袖のところに顔をだす。
巻き込まれ系としてはきちんと話に参加しておかねばなるまい。澪のことも気になる。
「あー、まあ、見ての通りですわ」
斉藤さんが、おじさん口調のほうのですわで肩をすくめていた。
投げ捨てられた台本にはLの悲劇というタイトルが載っている。あいにくこういうのに疎いので中身まではわからないのだが、次の公演のシナリオなのかもしれない。ついさっき終わったばかりなのに、気が早いことだ。
「その台本関係で澪が怒ったってことか? 素人の俺にはなにがなんやらさっぱりなんだが」
これで見てわかれというのは、ちょっと無理な注文じゃないですかね、斉藤さんや。
「次の台本の主役。男の子なんだけどさ。それを澪のために書いたんだってさ」
「絶対、澪音くんは男の子の格好したほうがかっこいいですよ。これからばしばしと主役も張って欲しいし、だから次のシナリオも彼の顔を思い浮かべて書いたのに」
シナリオ担当の子が斉藤さんの言葉をつないだ。
なるほど。それなら怒って当然なんじゃないか? 新入生達はなにやら怪訝そうな顔をしているけれど、二、三年なら去年の一年のあいつを見ていてどういう人なのかはわかっているだろうに。
「それで、とりかへばやもそのためのステップだった、ということか?」
「思った通り、若君ちょーかっこよかったですし。これなら男性役もばしばしやれます。今までがどうかしてたんです。いくら男子部員ばかりだからって、女の子の役ばっかりふらなくてもいいじゃないですか」
少し不満げに、それでも先程の彼の姿を見て目をキラキラさせながら彼女は前のめりになる。
うーん。事情の説明をしていないんだろうか。いいや。説明なんかなくても解れよといいたい。いくらなんでも無理矢理やらされてあの演技はできないだろうに。
「君は演劇やめたほうがいい」
だからぼそっと素直な感想が漏れてしまった。
斉藤さんは苦笑を浮かべているけれど、それでも口出しはしてこなかった。そのまま言ってやれとでもいうのだろうか。
「なっ。部外者のあなたにそんなことを言われる筋合いは……」
「いや。そんな台詞がでる時点で、演技も舞台もまるで見てないってことだろ。このとりかへばやって話の本質は、きらびやかな格好をした若君が、女として目覚めちゃうところ、社会的性別と肉体的性別の違いを表現した、たいした古典だと思うのだけどね」
まあ今の世の中、肉体的性別のほうに違和感を持つ人達もいるのだけれど、古典ということもあるしとりかへばやではさほど取り上げてない題材なのでその点には触れないでおく。
「そう。結理がどういう意図でこの話を選んだのか。薄々わかってはいたけど、こういう役だからこそ澪は受けたのよ? そもそも女役しか与えてない、のではなく彼自身が求めてないんだもの」
斉藤さんの声が、優しいながらも諭すような音を持っている。後輩と一緒という場面をあまり見たことがないけれど、こういうのも新鮮である。とりあえず一枚写真を撮っておく。カシャリ。いや。数枚撮っておく。
「って、こら。木戸くん。どうして君はそこで撮影をしちゃ……ああ。言っても無駄でしたね、いいですよう」
「いやあ、部活の熱い一幕は撮っておくべきだろう」
彼女の表情に引きつけられるように、つやつや撮影をしてしまったのだけど、さすがにこの場の空気というか、話の骨がばきばき折れてしまったようだ。
「木戸くんから見て、今日の澪はどうだった?」
「あれだけ演じわけができるなら、合格じゃないか? 男装状態でのハスキーボイスも独自で研究したんだろうし、女優として最高の仕事をしたと思うよ」
特に一番のメインになる妻との場面や、同僚と恋仲になるところなんかは、乙女の顔をしていてかわいかった。普通に撮影枚数も膨れ上がったくらいだ。
「ああ。せっかくだから見てもらおうか」
すちゃりと機材を入れているバッグからタブレットを取り出してSDカードを中にはめ込む。
「あれ? いつものより大きくない?」
それを覗き込んで斉藤さんが首を捻る。普段木戸が使っているものよりも二まわり大きいので驚いたのだろう。
「ガッコからの貸し出しなんだ。さくらが持ってけってさ」
いい友人である。大人数で見るならあんたのタブレットはいささか狭いだろうという話だった。
たしかにこれだけの人数であのサイズが狭いというのはよくわかる。場合によっては外部出力もついているのでテレビなんかでも表示ができるらしい。
斉藤さんが、愛を感じるわぁなんて言っているが、今回のは愛がどうのではなく純粋に友情と打算である。普段写真部が扱っている案件を木戸馨がどうさばくのか。うまいことやればそれはそれで有名にもなってもっと部活にもおいでよとなるし、失敗したら演劇部に申し訳がないということでのフォローなのだった。当然木戸としては写真部には参加できないけれど。
「まずはしょっぱな。登場シーンはいうまでもなくきりっとしているよね。そして結婚話は出たときはなんかおままごとしてるみたいな困った顔をしてる。そいでこっから。見て欲しいんだよ」
写真をフリックしてスライドさせていくと問題のシーンの中の一カットが表示される。
「うわ、やべぇな。こんな顔してたのかあいつ」
二年の子だろうか。男子生徒が一個下には多いと斉藤さんも言っていたけれど、男子のプレッシャーが木戸の背後にごっと集まっていた。
「どうして被写体のそういう機微には鋭いのに、まわりのラブオーラは気づかないのか訳がわからぬ」
ぽそりと斉藤さんがなにか呟いていたがこちらまでその声は届かない。
「そして極めつけはこれ、かな」
うぐっ。
脚本の子が息を飲んだのがしっかりと見えた。
そう。あの撮影の最中に、木戸としてひとつ仕込みをいれておいたのだった。せっかくの発表会なのだから、と。
「へぇ。木戸くんったら女の人相手でもこれできるようになったんだ」
斉藤さんがほほーとその写真に見入っていた。
そう。観客の顔が半分入っていてじっと見据える先には、イケメン女漁り大好き中将に熱視線を送る若君がいる。
まったくもって澪も苦しい恋をするかのような顔をしているが、このねーさんもそうなのかもしれない。いちおう、本人に了承をいただいて残していてよかったと思う。
「ふっふーん。これでもきちんと成長しているのですよ」
そう。学外実習はいまより一年半近く前だ。あの頃は遠慮をしていたけれどいまではもう、遠慮なんて単語はとうに置き去りである。
一同が今日の澪はすげーなぁというような空気になったとき、ようやく彼女は顔をあげて叫んだ。
「なおさらダメですっ。なんですかこの乙女顔は。澪音くんは男の子なんです。こんな顔できちゃおかしいんです」
「どっかの誰かにもまんまスゲー同じ台詞を言ってやりたい」
斉藤さんがなにか言うので振り返って見たけれど、ん? とはぐらかされてしまった。
とりあえずそちらは放置をしておいて、一人澪に否定的な彼女に向き合うことにする。
女優が満点の顔を見せてダメだしされるのは演技をする人間の常識なのか?
ちらりとまわりに視線を向けると、ふるふるといくつかの人が首を横に振ってくれた。
「この場でこの顔をしたからこのお客さんは見入ってくれた。あいつは女優でしっかり役を演じた。それで責められるいわれはどこにもないじゃないか」
正論である。うんうんと斉藤さんもうなずいているし、二、三年の部員も同様だ。一年はわかるというのと悩んでいるのが半々くらいか。
この際一年の同意はどうでもいい。いずれ慣れてしまえば澪が女優をやるのに疑問を挟む者はいなくなるだろう。それだけの完成度があそこにはある。
けれど、それを知っているはずのシナリオのこの子までが頑なに澪の否定をするのは正直わけがわからない。
「どうしてそこまで嫌がるんだ?」
だから直球を投げてみる。どう理論立てて考えても彼女が澪を否定する要素はちゃんと潰してある。あの成功した舞台を経てなお、常識がどうのとはさすがに言えないだろう。
「それは、その……レオくんが女の子になっちゃったら困る」
ふむ。力なくつぶやく彼女の声はかなり深刻そうだった。
「困るっていわれちゃいましたがー」
助けを求めるようにクラスメイトに視線を向けると、まさにすまないねぇと言いそうな老婆の顔をしていてどきんとした。もちろん撮る。
「ちょ、老婆顔はやめて。それはやーー」
え、すごくいいのに。演技しててめさくさいいのに。てか舞台外で演技はそうはしないレア写真である。木戸は売りはしないが、欲しい人は多いだろう。
「木戸くんと絡むといっつも変な顔撮られて話の腰がばきばき折れてこまるわ」
こ、こほんと咳払いをしてから彼女は先輩の顔になって、後輩と視線をあわせた。
「結理は、澪たんが舞台の外でも女の子っぽくなっちゃわないか心配なんだ?」
「心配どころの話じゃないです。もう教室に入るときだって、時々少女みたいな顔を浮かべることがあるんですっ。先輩達が面白半分で女の子役ばっかりやらせるから」
あれほど言っているのにまだ自分自らやってるという風には思ってくれないらしい。
「それはどうなんですかねぇ。専門家のご意見をどうぞ」
「専門もなにも。それって演技の練習なんでないの? 俺も寝ぼけてたりするとカメラさわってる手の動きすることあるし」
「まじか……木戸くんそこまでいっちゃってる人だったかー」
あ。ひどい。話ふっておいて、ここでドン引きとかかなりひどい。
「とまぁ、エアシャッターきれる木戸くんのことはどうでもいいとして、澪の女の子っぽい仕草はたしかに、休み時間に演技の練習してるんじゃない? どっかの阿呆みたいにチャンネル変えるみたいに性別変えられるなら必要ないかもだけど、澪の場合練習しないとだからね」
仕草の練習だとか、話し方だとか、いろいろと覚えないといけないことは多くある。女子であればベースとしてあるものが男子である自分にはないことをよくわかっていて、舞台の役をつかむために少しでも没頭しているのだろう。
その話には聞き入ってしまったが斉藤さんよ。ルイだって努力してあの状態なのですよ。積み上げていっているんですよ女子成分ってものを。
「じゃあ、このままぞっぷり女の子になっちゃうとかっていうのは」
「澪がどーなるのかは本人次第よ。どっかのバカが覚悟を示せとか言ってだしたお題もちゃんとこなしたし。自分自身で答えは出すんじゃないの?」
本人のやりたいことを邪魔できる立場ではないでしょ、私たちはというと、シナリオの子はしゅんとなってしまった。不安半分、安心半分といったところだろうか。
「じゃ、木戸くんは先輩として、澪のフォローよろしく、と」
タブレットは預かっておきますと、残りのメンバーはどうにも今日の舞台の反省会を始める様子だった。
「お美しいです、若君」
後ろから抱きついて耳元でささやいてあげると、その相手はびくりと体を震わせた。思いきりの女声と上着を脱いでいるとはいえ学生服はかなりのアンバランスなのだが。あえて澪に会うなら女子でのほうがいいだろうなということで、声と意識だけは変えておく。眼鏡もシルバーフレームに変更済みだ。
「木戸先輩……どうしてここだってわかったんですか?」
すでに学ラン姿だというのに、澪はきっちり女声に切り替えてこちらに呆れた声を漏らした。
外から見るととてもきわどいのだろうなぁとは思う。見た目としては男子生徒同士で抱擁しているのだから。
とりあえず、ちょこんと澪の隣に座って、この場所を見つけられた経緯の種明かしをした。
「前に、写真部のお題で学校の条件にあう場所を撮影してみようっていうのがあってね。その時がぼっちスペースっていうタイトルにしたのよ」
だから知ってるのです。ルイさんはいくらかは知っている、といいながら、ほいとコーヒー牛乳の紙パックを渡す。
「今日の残念賞ってことで」
「木戸先輩が物をおごってくれるときは天災に注意しろってちづ先輩が」
若干引き気味の後輩に、ぷぅと頬を膨らませておく。
うくっ。まだ残ってるのか。貧乏と言われていたのは二年も半ばぐらいまでだというのに。
「さすがに今ではそんなことはないんですからね。友達にはケーキ強請られるし、ちゃんとお外でご飯食べられますからね」
「でも、ルイ先輩なら、奢られ専って気がします」
ひどいことを言ってくださる。ルイさんは質素倹約。奢られまくりの女王様ってことはないのだ。
「一応言っておくけど、あたし普通に奢られたのって、数少ないかんね」
報酬として、とかでないかぎり、ルイが不用意に人様にご飯をいただいたことはない。
おおむね合コンの補充要員として呼ばれたときくらいなものである。
おばちゃんにコロッケもらったりもあったけれど。
覚えておきます、と澪はコーヒー牛乳にストローをさしてちゅーと吸いはじめた。
「で? 話を聞いたからこんなところまで追ってきたんですよね?」
少しクールダウンしているのだろう。ステージでいろいろとやっていたのでそれなりに時間は経っている。澪に先ほどの怒りの感情はもうなくて、あるのはやるせなさだけのようだった。
「まあねぇ。いちおーあっちの方は説得はしたんだけど……」
「男が女優をやるのはおかしいんでしょうか」
疲れたような声が澪から発せられた。彼は去年の文化祭で女優をきちんとこなしていたから、そこらへんの偏見はもうなくなっているのだとばかり思っていたのに、それなりに波風はあるのだろう。
「別におかしいことじゃないと思うけどなぁ。実際今日のだって表情が色っぽいってみんなに好評だったんだし」
後で写真は見ておくれよ? と眼鏡をかけた状態であってもルイっぽい口調で伝えておく。
「そりゃ、頑張りましたもん。ただの男にならないように男装状態作るのは大変だったし」
目の前でそれを自然にやれてる男子生徒がいるのが非常にやるせないですが、と彼は、じとーとこちらに視線を向けてくる。あらま。ここまでルイモードを出すと学ラン着ていても男装に見えてしまうのか。お化粧もウィッグもないはずなのですがね。
「それでも、イヤだって子がでちゃったんだよね」
「極めていけば、誰にも文句は言われないと思っていたんですけどねぇ」
実際、目の前に誰からも何も言われない女装の人がいるのだし、と澪ははふんとため息を漏らす。かわいい。
弱ってる姿がかわいくて、ついシャッターを切ってしまった。
「先輩はどうして写真部に入らないのですか?」
そんな姿に苦笑を浮かべながら、澪は今まで気になっていたのだと詰め寄ってくる。
確かに、木戸はさいさん写真部の勧誘を断っている。
もちろんそれは放課後はアルバイトをしなければならないから、ではある。けれどそれはなんのためか。
ルイを構築するため。ではなぜ女装をするのか。
そこらへん、さくらには話してあるけれど、その話を澪にもしておく。
「でもいまは普通に撮れてますよね?」
今日もばっちりなのでしょう? と言われるとその通りとしか言えない。当初こそ男状態での撮影に遠慮もあったけれど、これだけいろいろと撮影をして人と触れるようになって、木戸としても写真は撮れるようになったと言っていいだろう。
では、それならあえてルイをせずに学校で部活をやればいいんじゃないか、という疑問はもっともだと思う。だから、そこには明確に答えておこう。
「そんなのルイで撮影してるほうが楽しいからに決まってるじゃない」
そう。今日の撮影もたしかに楽しかった。しっかり仕事をしきった感じはある。けれどもそれは舞台を撮るという場面においてだからできたというところは考慮しておかないといけない。
はたして木戸馨として町中を撮影して歩いて、ルイでいるときのような開放感はあるだろうか。
はい。それはあり得ない。満場一致だろうこれは。
女装の有無で木戸の場合は性格ががらっと変わる。たしかにいまの木戸でもそこそこのものは撮れるだろうけれどあそこまでぐっと踏み込んで撮影ができる自信はない。
木戸馨がダメなわけではない。
ルイの性格設定が、どうしようもなく理想的な女の子過ぎるのである。はっきりいって木戸自身があそこまで愛される自信はない。
「確かに木戸先輩がはぁはぁしながら写真撮ってたら通報ものですが、ルイ先輩なら許せちゃうかなぁ」
そして、ルイ先輩としては学外部員にならざるを得ない、かぁと少し残念そうな声が漏れた。
澪としても、ルイに撮影された方が楽しいのかもしれない。
「それで? 澪はこれからどうするの?」
「どうしましょうか……」
うーんと、コーヒー牛乳のストローをぴょこぴょこいじりながら悩ましい声が上がる。
「大切なのは、やりたいかどうか、だと思うよ。好きって気持ちは何よりも勝るんじゃないかな」
だって、ずっとそのことを考え続けるのだから。受験に入るまでの間、いや入ってからであっても手放せない思いがあるなら、それを捨ててしまうのはもったいない。
「それに、斉藤さんみたいになるのが最初の目標だったわけでしょ?」
舞台女優。そこに憧れを抱いて、彼はここまできてしまったのだ。木戸が手を貸したのは最初だけ。一年間で積み上げてきたものは、たかが一人の反対で崩れるようなものではない。
「ですね。それを最近忘れてました」
「いい顔になったね」
けっこーけっこー、と再びシャッターをきっておく。迷いが吹っ切れたようである。
そこで、ふと思い出した疑問をついでだから聞いておくことにする。
「そうそう。ちなみに澪は男と女どっちが好き?」
後学のために、と付け加えると、あー、うーんと、と少し照れたような表情が見えた。
「僕は女性相手ですね。男の人と付き合うのは、あんまり想像ができない」
まールイさんなら別ですけどねー、と思わせぶりな台詞が出るけれど、それは無視していいだろう。
「むしろ僕としてはルイさんの好きな相手がどんな人なのかが気になりますが」
「好きなのは銀杏の巨木さんです。特定の異性はいまのところはどうでもいいかなぁ」
あ、被写体として好きな子達はいっぱいいるけどね! というと、澪はまったく写真馬鹿なんですから、と苦笑を浮かべたのだった。
女装否定派って、うちの話には滅多に出てこないのですが。色恋沙汰になるとこうもなるよね、という感じで。たしかに私も彼氏が女装するのはヤだなぁと。愛でるのは大好きなんだけど、友達としてはもー大好きなんだけど。で、でも、おつきあいができるか、といわれると。
それを越えてつながれるのだとしたら、すばらしいのですが。
はい。そして明日。とある人物に春が来ます。ああハルも来ます。すいません、掘り下げないといかんので。