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091.

 新学期になってからというもの、木戸には一つだけ楽しみがある。

 まあ、一つしかないのがしょんぼりなのだが。

「ポスターもすっごい綺麗につくってくれてありがとうございます」

 数日前から学校に張り出されているポスターは、今日の舞台にあわせての特別仕様だ。

 演目は「とりかへばや」。あの古典の名作の現代リメイクで、脚本は二年の子がやっているらしい。

 そしてそこで主演を演じるのが、澪だというのだから、やっとここまできたかーと、じぃんとしてしまう。

 ちなみに斉藤さんは、バックアップにつとめていて主演を避けている。

 これは演劇部の伝統のようなものらしく、四月の一発目は二年が中心でやるのだそうだ。

 ここで経験を積ませて、文化祭の時は三年との間で配役の奪い合いができるようにして、結果、切磋琢磨して良い舞台を作りましょうという流れになるらしい。去年二年で主役を張った斉藤さんはそこを勝ち残ったということで、わりとすごい人なのだよな、と改めて思わせられる。

「いや。ポスターの素材は撮ったけど、作ったのは漫研だし」

 そっちにも感謝しておくれよ、というと、はいと、きらきらした笑顔を向けられた。

 今の澪は、若君の格好をきりっと着こなしている。のだが、その衣装は平安時代の和装ではない。

 そう、あくまでも現代版なのであって、着ているのは洋服なのである。けれど現代版といっても少し時代は古くなっているので、今みたいなカジュアルな服装、というよりはぱりっと決めた姿といった方が良いだろうか。燕尾服とまではいかないけれど、正装にスティッキを合わせるというような。それこそ片眼鏡(モノクル)でもつけてしまいますかというくらいな、明治大正時代が舞台なのであった。

 たしかに、今時だったらジェンダーフリーが進んでしまっているので「とりかえたいならとりかえればいいじゃない」という話になってしまい、話が根幹から崩れてしまう。リアリティもあったもんじゃない、ということで時代を少し旧時代的なものにしているのだろう。

「にしても、よかったんか? 若君でめちゃくちゃ男装だけど」

 とりかへばやの主役はだれか。そう言われるとそれぞれのキャラクターの個性が強いの悩ましいところだけれど、圧倒的にエピソードが多い「若君」こそが主役といって過言ではないだろう。若君っていったら男の役じゃん? 女優の澪がやるのはどうなの、と思ったそこのあなた。このお話は男女取り替え劇なので、若君は肉体的には女性なのである。

「ああ、いいんですよ。だってこの役は女優じゃないと出来ないですから」

 男装の状態なくせに、澪はにっと少女らしい表情を見せる。

 とりかへばや、は平安時代あたりの話で、才気あふれる女の子と、内気で女性的な男の子を取り替えたいという願いから、じっさいに「やらかしてしまえ」と男女逆転をする話である。だから確かに女優がやるのだとしたら、若君の方が正しいのだろう。肉体的やら感覚的なものは女性で「ただ仕事ができて利発なだけ」で入れ替えを起こしているのだから。昨今ある性別違和がどうだーとかではなく、ジェンダーバイアスに巻き取られた古代だからできる話なのだ。

 結局、若君は偽装結婚したりとか、ばりばり働いたりとかはするけれど、同僚に正体見破られて懸想されて、女の顔を出しちゃうわけで。最終的には妊娠したりまでするという、社会的性役割と、自認的性別と肉体的性別は全部分離していて、おまけに性指向も別物なのですというような、いろいろ身につまされるお話である。

 現代風に言えば、男勝りにばりばり働いて出世もしまくっても、恋をする相手は男だし子供も作りますって感じだろうか。時代がそれを許さなかっただけで、ジェンダーフリーな現代ならわりと普通にいそうだ。

 そう。とりかへばやは、性転換ものではなく、厳密には性役割交換ものなのである。

「男装している女子を演じる男子っていうのも、むしろややこしやだよなぁ」

「まー、お姫様っぽいのも好きですけど、こういうのもやりがいがあっていいですよ」

 いい仕上がりになっていますから、是非とも撮影ともどもよろしくですと言われて、任せるがいいと答えておく。

「それで? そのカメラはどうしたんです?」

 前に持ってたのと違いません? と尋ねられて、うーん、まぁと遠い目をする。

 今日持ってきているのは、ルイのカメラ、ではない。

「ちょいとさくらに借りたんだよ。普段つかってんのは、卒パの時派手に見せびらかしてるんで」

 傷の一つでもつけたらぼこる、と言われているので扱いは丁寧にしないといけない。

 もちろんルイのカメラを持ってきてしまっても良かったのだけど、そこそこ認知度が高いルイの持つカメラを見分けられる人はいるかもしれない。写真部の連中と鉢合わせになったらほぼわかるだろう。

 そんなわけで、さくらに一日だけ機材を借りたのだった。写真部秘蔵のあの高級機はさすがに部員じゃない人には任せられませんと断られた。いや、貴女たちそれを体育祭でバトン代わりにつかったよね? という突っ込みにさくらは、ルイになら貸したげてもいいけど今日は違うんでしょ、とぐすっと言われてしまった。そうは言われてもさすがにルイで学校の撮影はできない。

「我々からすれば違いなんてあんましわからないんですが、わかる人にはわかるんでしょうね」

「それなりにはね。それじゃ楽屋の風景なんかも撮っていっちゃいましょうかね」

 ほどほどに。と心の中で付け加えて澪から離れる。そりゃきちんと撮るけれど、タガが外れるとすぐに女子っぽい対応になってしまっていけない。

 けれども準備段階のこの空気は好きだ。舞台が始まる前の緊張感というか。

 そういうのをつい、撮ってしまいたくなる。

 ぶつぶつ台詞をつぶやいている人や、うわぁーどうしようと頭を抱えている人もいたりする。

 そんな景色をすっと撮影していると、舞台袖の様子をにまにましている斉藤さんが視界にはいった。

 なんというか、もう年長者の視線というのか、ほんわか後輩を見ている姿がほほえましい。

「もう、木戸くんは撮るならちゃんと今日の主役たちを撮ってあげてよ」

 無意識でシャッターを何回か切っていたら、彼女はこちらを振り向いて、まったくもう、と唇をとがらせた。

 かわいいのでもう一枚いただいておく。驚くほど遠慮なく自然に撮影出来ているのに満足する。彼女はもう諦めたのか、はいはいあなたはそういう人でしたよと肩をすくめた。ただ彼女の言い分ももちろんなので今日の主役たちのほうにもカメラを向けた。

 とりかへばやの姫君役は女子生徒でおとなしめなご令嬢という印象の子だ。一般的にとりかへばやの姫君は女東宮に見初められるほどの美女で、かつ男っぽくない子であることが必要とされる。つまり女子を配役してしまうのが一番楽なのである。原作の方では女東宮との間で出来てしまったりするのだけど、そこは今回ばっさりとカットされている。

 演技力の問題でもあったか? というよりも、若君をメインにすえてシナリオを組んでいるからなのだろう。

 そんなことを思いながら、今度は楽屋であるステージ脇からでて観客席の方に視線を向ける。

 宣伝効果もあったのか、用意した席の八割はもう埋まっている。

 みんなそれぞれスマホをいじったりと時間をつぶしているようだが、そこで開演のブザーがなると視線を緞帳が下げられたステージに向ける。

「ああ、どうしてうちの子らは」

 疲れたような父君のナレーションと共に緞帳があげられる。

 薄暗い体育館のステージに向けられたライトが暗さに慣れた目にまぶしく感じられた。

 そこに立っているには二人の男女だ。まだ若々しい父君と母君。少し疲れたような表情はもちろん演技である。

 よく初っぱなからあんな心労がたまった演技ができるよなぁと練習のときも思ったけれど、もちろんその姿は双方ともに撮らせていただく。

 五歳になった双子の兄と妹は方や外出を怖がり家の中に入り浸り、方や外での交流やら論理的な考えかたをするできる子で、妹が兄だったら良かったのに、というような話し合いが続けられる。どうしてもこの時代は世間にでて大きく働くのは男の仕事だったのである。

「ああ、いっそ二人をとりかへばやっ」

 そして十数年の月日が経つのでありました。

 一瞬ナレーションと共にステージは暗くなり、役者が入れ替わる。

 先程の二人のうち、父君はその間につけ髭をつけてやや老けた演出をし、母君は退場。代わりに二人の男女が登場する。

「あの若君って女の子?」

 リハーサルのとき以上にきらびやかな若君にもちろんシャッターを切る。立ち位置などはすべて把握しているのでどこらへんから撮ればいいのかはすでによくわかっている。

 きっと、そこにはしっかりといま会場の人々がうっとりと見つめている相手が写し出されているに違いない。

 衣装は大正時代、裕福な家ではトレンドになっている洋服を着用している。きりっとワイシャツを着込んで、男ですと言えばもちろんはああそうですか、というだろうけれど。

 なんというか、やはり女優なのである。宝塚みたいって声も上がっているけれど、女の子がむりやり男の格好をしている雰囲気がしっかりとできていた。

 胸とかつぶしてるのかなっていう囁きはまさに正解で、澪ったらスポンジ製の偽乳にさらしを巻いているのだった。そこまでやるかいとあきれ声を漏らしたら、若君のおっぱいがまったいらということがありますか? と冷ややかな視線を向けられるほどだった。そりゃまったいらな子はそんなに多くはないけれど、いないとも言い切れないのに。

 でもそこはこだわりなのだろうな。うん。時間が許す限りこだわれるところはこだわった方がいいものだ。

「では、いって参ります、父君」

 凛々しく。けれども声音は細く。よく澄んだ声が会場に響く。

 正直体が震えた。木戸が教えた発声をさらに発展させて、声量を拡大させつつさらにトーンも落とすという、曲芸だった。地声とは明らかに違う、その声は周りからは無理して低くしゃべっている女の子という風に映る。

「見惚れている場合ではないな」

 こちらもそろそろ本気を出さねばならない。いくら記念の写真扱いだろうと、男の娘が男に扮した女役をやるのである。どう撮ろうか、役者の動きも大方頭に入っている。

 昔あった怯えはもう、ない。

 あとはそう。役者達を余すことなく撮っていくだけだ。

 にまりと少しだけルイの表情をだしながら、舞台のスケジュールを頭に浮かべて狙った場面をあっちにいったりこっちにいったりして撮影を始めることにした。

 お楽しみの始まりである。

舞台一話目。本番からスタートであります。題目は有名なコレですが。男装してる女の子に見せるのって、並大抵じゃないのよなぁと。ここらへんはご都合主義で!(汗)

始まりの時間が好きなルイとしては。というか木戸としても、準備の時の顔はばしばしとってしまいますよね。


そして後編は、あの温厚な澪たんがぶちきれます。

さあ舞台はどうなってしまったのか。それでは明朝でっ。

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