090.
春。新しい教室はもちろんそんなに代わり映えのするものでもなく。階を一個下に変えただけのまったくもって以前のクラスと変わらない景色だった。
それでも前と違う点をあげるとすれば、それはクラスの中にいる人達だろう。
そう。三年次には大幅なクラス替えがあるのだ。理系文系が別れるのはうちの学校はやや遅くて三年なのである。
もちろん、ちらりと視線を向けて見れば、見知った顔はごろごろしているし、木戸と交流がある数少ない人達もそのまま持ち上がりになっている。青木は右前の方で精神統一をしているようだし、八瀬は左後ろの方でぶれずにアニメ雑誌に目を通している。男の娘専門雑誌が休刊になってからというもの、話題作を探るにはゲーム雑誌やアニメ雑誌をまんべんなく見なければいけないのだと彼は拳を握りしめながら語っていた。
木村はとんとんと紙をシャーペンで叩いているけれど、あれは勉強しようとかではなく、きっと新しいクマのデザインを考えているのだろう。
女子の方は修学旅行の三人娘はそのまま一緒に持ち上がり。かおるんと一緒だーと、佐々木さんは喜んでくれた。
さくらには、結局あんたと一緒のクラスにはなれんかった、と嘆かれた。他の写真部の面々も見事にばらけたらしい。どうせルイと一緒に通えないからどうでもいいもん、と彼女には言われてしまったのだが、それなりに遊びに行こうと声はかけておいた。写真仲間はルイにとっても大切である。
そして、どうでもいいことだけれど、担任は江戸川喜一氏であることも替わらない。時間に正確な彼は今年もしっかりとぎりぎりの時間でHRを終わらせることだろう。
去年のチョコ騒動の時のメンバーは半分くらいが別のクラスに割り振られていて、姿が見えなかった。むしろこれだけクラスがあってよく半分も残ったなという印象である。
そんなそれぞれの新しい生活の中で、特にみんなの視線を集めている人物が窓際のほうに座っていた。集めているのは視線だけではなくすでに何人かの女子が取り囲んでなにか質問攻めにしているようだ。彼女らはみんな一様に目をハートマークにして、半オクターブくらい高い声を出して、いわゆる黄色い声を上げている。
そんな人達に囲まれている席の主は、座っているというのにずいぶんと周りの女の子との視線は近かった。
つまり座高が高い、というと胴長短足みたいに聞こえてしまうのだろうが、もちろん上半身に比例するように足もすらりと長い。おまけに髪はさらさらで一見華奢なようにも見えるのだが、体はしっかりとできていて木戸はおろか青木よりもがっちりしているのではないだろうか。とはいってもスマートな印象を与えるのはひとえに身長が高いからである。
「ふぅん。木戸くんの視線すら集めるとはさすがに春隆くんね」
近くによってきた斉藤さんがにやりとちゃちゃをいれてくる。
まったく、別に他意があるわけではないのですよ。ただたんに女子の注目集めてるなーって思っただけのことで。
「有名なんだっけ?」
「そ。特進クラスのイケメンさんだよー。それがどうして一般理系のこちらのクラスになってしまったのかって、わりとミステリーなんだよ」
佐々木さんもまざって周りの噂話を伝えてくれる。たしかに三年になってあえて特進クラス、つまり進学のために特化したエリートたちを集めた八組から一般クラスに移ってくる生徒は少ない。一部では脱落組なんて揶揄されることもあるくらいなのだという。実際は、家庭の事情だったり進学ではない方向での興味がでたりだとかでこちらに移ってくるだけというようなことらしいのだが、特に三年になってからの移動は進学クラスの方からの風当たりが強いらしい。落ちこぼれ扱いというわけだ。落ちてきた先にいる人間としては、どうなのさとも思うのだが。
逆に成績優秀で進学意欲のある生徒が八組に移動になったりすることもあるので、脱落してしまったから普通クラスという印象が定着してしまっているようなのだった。
九組の理数科は三年間持ち上がりだということだけれど、あれはあれで理数に特化した変人集団だということで、木戸とはそんなに縁のない相手だ。
「普段なら、特進落ちとかいってみんな蔑むのに、この扱いはなんなのさ」
まさか、これがイケメンと美女に限るというやつなのかと思っていると、しかたないよーと、佐々木さんですら浮わついた声をあげていた。針のむしろどころか黄色い声ととろんとした乙女の顔が教室にあふれている。
そんな注目のまとの彼は、さわやかに周りの相手をしながらも木戸と目があったとたんに立ち上がってこちらに近づいてくる。
「君が噂の木戸くんか。噂通り……ってまて。おまっ。馨か?」
「はて。噂の春隆くんだという話は聞いていたけれど、なんで俺の名前を?」
どうしてそんな知り合いみたいな反応なのですかと思っていたら彼は極上なスマイルを浮かべて言ったのだった。
「忘れるなんてひどいなぁ。同じ中学で一年のとき一緒だった南郷春隆だよ。けっこー一緒につるんでただろう」
そういわれてようやくぴんときた。中一のころに確か一緒だったことがあるやつだ。そこそこ仲が良かったはずなんだけど、いつのまにか一緒にいなくなったんだ。二年になってクラスが変わってそれからだったろうか。
「ば、か、なっ。いくらなんでも変わりすぎだろお前」
こちらが座っているからというのもあるにしても、見上げるのに苦労するほどの長身はあのとき一緒にすごしていたハルちゃんではない。
「そういう馨もずいぶんかわっちゃったよね。昔はあんなに愛らしい笑顔を振り向いていたっていうのに」
ぞろぞろついてきた女子たちに意味ありげな視線を向けつつ、彼は愉快そうにこちらに悪そうな顔を浮かべていった。にまぁと笑いながらだ。
「僕の馨は、素顔をさらしたらそんじょそこらの美女が霞むくらいにかわいいんだ。いまもそんなだっさい眼鏡をかけてくれてて、ほっとするくらいだよ」
「誰が僕の馨だよ。ほんと、見た目じゃなくて中身だって別人じゃねーか。女の子みたいだっていじめられるって愚痴ってたお前とキャラ全然違うぞ」
そう。なにも身長だけがばかでかくなっただけでは木戸はそこまで驚かなかっただろう。男子は中学のころにぱんと身長が延びるやつはいるし、木戸だって中学の三年で二十センチは延びてる。けれど、あの頃のこいつは女の子っぽいと揶揄されるくらいにはかわいかったし、おどおどしていて補食されるウサギさんという感じだったのだ。
「そりゃ、いろいろ在ったし、派手に高校デビューもしているからねっ。いまじゃ僕のことを女っぽいなんていうのはいないし、怯える必要もないってね」
それがいまではこれである。キラキラとしたオーラが全身からでていて、屈託がない。もともと整った顔をしていたけれどそこに男の精悍さが加わっている上に、話口調も中性的だから女子受けが大変にいいのだろう。ちゃらいまでいかないというのも大切だ。
「それより馨こそ、久しぶりに素顔を見せてよねっ」
するっと。ごく自然な動作で彼は木戸の眼鏡を取り去った。
「ちょ、返せっ。眼鏡は顔の一部なんだから」
「あはは。一部がないほうが、かわいくていいのに」
手をパタパタさせてみても身長差も手伝って、なかなか彼から眼鏡が取り返せない。少し目を細めているのは見えづらいのもあるのだが、周りの印象を変えるためでもある。
「やめてやれ」
ぱしっと彼の手から眼鏡を取り返してくれたのは、クマ職人の木村だった。それはほらよとすぐさま木戸に返される。ありがたい。
「いくら木戸が可愛いからって、興味を引くためにいたずらするなんて、小学生かおまえは」
「別にそういうんじゃないんだけどなぁ」
んーと春隆氏は悪びれずにうっすら浮かべた笑みを消しはしない。
さらには疑問まで口にする始末だ。
たしかに、こいつは眼鏡をかけていなかった頃の木戸のことをよく知っている人間だし、そんなもんつけずにコンタクトにすればいいじゃないかと言いたいのはわかる気もする。
「っていうか、あれかい。みんなは木戸くんがかわいいってわりと知ちゃってるのかい?」
「去年同じクラスだった子はそれなりにかなぁ。今年はじめてって子はそうでもないだろうけど」
佐々木さんが他意はなく事実だけを伸べてくれる。実際眼鏡をはずした姿をしっかり知っている人の方が少ないのだけどシルバーフレームの眼鏡でいろいろやらかしているのでそういう印象もあるのだろう。
しっかり眼鏡をかけて周りの様子を見ると心配そうにこちらを見つめる青木の姿があった。何かあったらわって入ってくれるだろうか。でも自分が入るとさらにややこしくなると思ってりもしているかもしれない。
「へえ。せっかく眼鏡で隠していたのに、そいつは大変だ」
「へ? なんで大変?」
佐々木さんがきょとんとした顔で彼に疑問した。心底わからないといった様子だ。
「だって、女みたいなのを隠してたのにばれたんだ。そりゃ大変な日常じゃないのかい?」
「え。それってなにか問題なの?」
一瞬の静寂が教室をおおった。
半分くらいはなんの話をしているのかわからないというようだが、残りは事情を知っていて、どうしてこの新参者はそんなことを言い出すのだといった感じだ。
それはもちろん当事者の木戸もだった。たしかに素顔はそんなにさらさないようにしているけど、女みたいな顔っていう部分でなにか思うところはまったくない。むしろ被写体さんに怯えられなくてありがたいくらいだ。
「わからないかな。ええと、去年違うクラスだった……レディ。君はそうかい。もしクラスメイトの男子が華奢でか弱い軟弱者だったらどうだい?」
聞かれた彼女はもと二つ隣のクラスだった子だ。木戸との接点はほとんどない。
「たしかにそれはちょっと引くかなー。やっぱり男の子はたよりがいがあるほうがいいし」
もやしっこはちょっと嫌だなぁと今まで面識のない子達が騒ぎ始める。たしかに木戸はもさいし細いし印象で言えばそうなのかもしれないのだが、そこまでひどいだろうか。印象に残らないとはよく言われるのだが。
「別に木戸はか弱くも、軟弱でもねーよ。ただべらぼうにかわいいだけだ。それがなにか悪いことか?」
いつのまにかそばにきていた八瀬が援護射撃をいれてくれる。つばが飛んでいるのは木戸のことを悪く言われて怒っているからなのだろう。
とはいえ、木戸的には男子の状態をどう言われようとどうでもいいのが正直なところだ。隅っこ暮らしができる今のスタイルも嫌いじゃない。というかむしろ率先して話題にならないようにしているくらいだ。カメラを握れない日常でまで人に囲まれて追い回されるのは勘弁していただきたい。
「ま、木戸くんがかわいいかどうかはこのさいどーでもいいけど、そろそろ喜一せんせ来ちゃうよー? 時間守らない子には黒板消しが飛んじゃうよ」
「おっと時間ぎれのようだね」
それは怖いと、斉藤さんの絶妙な注意に彼もおとなしく自分の席に戻っていった。
「それと木戸くん。今日の放課後から舞台の打ち合わせしたいから参加よろしくね」
道草食ったら怒るからね、とわざわざ言ってくれたのは、先程の話の蒸し返しを避けるための牽制だろう。
持つべきものは仲のいい女友達だなぁとしみじみ感じた木戸だった。
過去からの刺客登場です。弱みを握っていると思いきや、それが弱みにならない空気感というのを出したかったのですが、クラス替えしているので木戸くんのかわいい所を知っている人とそうじゃない人との間での温度差がすごいことに。
彼も彼なりに「元いじめられっこのイケメン」なので、そこらへんも今後絡んでまいります。
さて。とりあえず静観なハルちゃんは放置しつつ次回は、四月の舞台のお話です。2話構成予定でございます。