088.お花見
川辺。ちらちらと桜の花弁が散っては水面に落ちてそのままくるくると流れに乗って川下に進んで行く。
その光景の中で、でろーんと弛緩した顔をしているのは、お茶の間でおなじみの美少女の姿だった。
最近は演技の幅も広がったとよく言われる彼女は、今日は春物のワンピースにハイヒール姿という、どこかお嬢様っぽい格好の上に、ちょこんと帽子をかぶせている。町中を歩くための一種の変装なのだろう。
連絡が来たのはつい先日のことだ。
そろそろ花見に連れて行きなさいとあくまでも命令口調のメールに苦笑を浮かべながらも、今月二回しかない撮影日をそこにあてる。桜の中の女優さんの撮影は、スタジオで撮った時以上に背景があるので映えている。やっぱり背景がきちんとあるなかでこそ、崎ちゃんのポテンシャルは発揮されるようだ。かわいい子はきれいな景色の中で、である。当然エレナもその傾向があって、しっかり背景と溶け込ませた方がいい絵になる。日常のスナップも悪くはないけれど。
ちなみに、現在のルイは崎ちゃんの知り合いというポジションなので一緒にいたとしても特別、なにかスキャンダルのようなものには発展しない。女同士で町中を歩いているというだけの関係として周りにも映っている。とはいえ、さすがに今いるのはいわゆる雑多に人が集まる桜の名所ではなかった。
都内にあるお花見スポットはいくらお忍びモードにしたって、崎ちゃんがいるだけで周りに人が群がってしまう。そんなわけで川辺に桜の木がある絶好の場所があるというので、彼女に連れられてきた場所は、川辺にある一軒家なのだった。
庭園といってしまうほどは広くはないけれど、都内でこれほど庭が付いている邸宅を保有しているというのは十分に裕福なおうちなのだろう。残念ながら借りられるのは庭だけで家の中には入れないのだけれど、そちらも高価なものがたくさん置いてあるのかもしれない。見た目でいえば京都なんかにありそうな古い庵を彷彿とさせる平屋は生活するには寒そうだけれど、かなりの趣がある建物だ。
「つーか、せっかくこのあたしが誘ってやってるっていうのに、どうしてそんな浮かない顔をしてんのよ」
「にはは。そーなんだけど、ここのところ勉強漬けでちょーっと疲れちゃってるのさ」
カメラを構えつつも力ない笑みを漏らすと、崎ちゃんはむすぅーっと不満げな顔を隠そうともしなかった。
咲宮家のご邸宅をお借りしているとは言え、仮にも人気女優がそんなあけすけな素顔を出してしまっていいものなのだろうか。
ちなみにこの家の保有者である咲宮家はかなり大きいおうちらしい。エレナのところの三枝もかなりな所だけれど、格付けみたいなものはさっぱり知らないので一般庶民からすれば同じようなものである。
「それに、これだけの景色を二人締めっていうのは贅沢というか、いいのかなぁって」
「その遠慮は無粋。あたしを誰だと思ってるの? 以前舞台として使わせてもらってるし。咲宮の祖先の役をやっててそれ絡みで借りるのはとっても楽だったんだから」
じゃんじゃん撮るといいよ、と言われつつシャッターを切っていく。
川辺の桜というのはどうしてこれほどまでに美しいのだろう。
去年いった桜並木もきれいだったけど、花びらが踊るように流れていくというのもいいのかもしれない。
そして川面に映し出されるおぼろげな桜の姿。
一枚ずつシャッターを切るたびに、だんだんと暗鬱な気持ちも前のめりになっていく。
「それと、撮影頻度が減るくらいでそんなにしょげないでよね。たかが一年でしょ。それも月二回はこーやって外に出られるっていうなら、それで十分じゃない」
「うぅ。今までは月八だったんですっ。祝日も入れればそれはもう、もっとになったし」
「……そしてその頻度であんたはルイだったわけか……」
改めて考えると、そうとうだなと珠理奈は眉間にしわを寄せてあごに指をのせる。
学校があった時間以外はほぼ外に出ているわけで。しかも撮影となれば確実にルイなのだ。
自分が木戸・男バージョンと会ったことのほうがむしろレアだったのかもしれないと珠理奈は思う。
「四分の一だよ、四分の一。崎ちゃんだって急に仕事減ったらイヤでしょ?」
「う……まあ、今仕事干されたら確かにへこむけど、あたしだって最初のうちは下積みとか、仕事なかったりとかいろいろしたよ?」
「えぇっ。国民的美少女とかいうところからスタートしてるんだし、順風満帆なのではないの?」
衝撃的な告白をされて、うぇーと女子にあるまじき声を上げてしまったのだが、でもそうだろう。
たしかに、努力はしたのだろうと思う。でもいまの崎ちゃんを見ていると、この輝きを見ていると、これで仕事を干されるなんてことがあるのかと少し思ってしまう。それくらいカメラの前の彼女は輝いてみえる。もちろんそれは春の日の光のせいもあるのだけれど。
「そう優しい世界じゃないもの。ちょーっと気を抜くだけですかんと売れなくなるし、それこそほんと、木戸馨とのスキャンダルでもあったら、いろいろ危ないんだからね」
異性とのスキャンダルは、一部のファンを刺激してしまうものだという彼女の言に、ルイはきょとんと小首をかしげる。
「そういうものかなぁ? あたしあんま、テレビの向こう側にそういうの思ったことないけど」
「それは、あなたが特殊なだけであって……」
ぐむぅと、テレビ信者ではない目の前の相手に珠理奈はむぅと頬を膨らませる。
その姿ももちろんカシャリと写真に残す。
テレビの向こうには何も思わないのだが、カメラの向こうにならいくらでも思いは抱ける。
そんな姿に、恋愛がらみの話はもう聞きませんよーだ、と拗ねた声が漏れた。たしかにファン心理は怖いっていう実感はあるけれど、目の敵にされたのは相手のこちらだったように思うのですが。
「しかし、四分の一か……そうか。なら。簡単じゃない。四倍の密度で撮影すればいいんじゃない?」
このカメラ馬鹿め、と言いたげな視線を向けつつ崎ちゃんはあたかも名案ではないかと、うんうん首を縦に振ってうなずいていた。彼女としては多少はこちらの状態を心配してくれているらしい。
けれども、だ。
「へ? ちょ。つまりその……今まで撮ってる数の四倍を一日で撮れば良いと……」
「そうそう。密度を濃縮して……」
「つまり、一日千枚を撮れと……」
撮影時間は八時間程度だろうか。もっと伸ばしてもいいのかもしれないが。普段撮っているのが二百枚から三百枚といったところだから、四倍となるとそうだろう。そしてその時間内にその枚数は、三十秒に一枚。
プロの世界では四時間拘束で三百枚以上なんていうのもあるけれど、その倍近く……いや。
「エレナの写真集撮った時は、たしかにかなり撮ったけど……そうか、それくらいがしがし撮れば良いのか」
枚数は撮ってはいる自負はあるけれど、焦って撮ったことは実のところそんなにないのがルイである。スタイルとしては気に入ったものをぶらぶらしながら撮るので、そんなばかげた量を撮ったのは写真集を作った時くらいなものだ。
それを、フルスロットルに切り替える。そうか。たしかに歩道橋の彼も言っていたものな、遠慮なんかしてちゃ、撮り逃すみたいなことを。
「あのー、ルイさーん」
あまりに剣呑な光を瞳に輝かせていたからなのか、崎ちゃんがぱたぱたと目の前に手を振ってきた。失礼な。これでも一応は正気である。
「腐抜けてる余裕もないってことはわかったかも」
がんがんいこうぜ、と言いつつ、カメラを構える。バッテリーはしっかり予備も持ってきているので、いくらでも撮影はできる。しかも被写体もとびきりのがいるのだから、これで落ち込んでいる暇なんて元からあったものではないのだ。
「まったく、あんたったらルイのときはいつだってそうなんだから」
「そうでもないよ? どっちかっていうと撮影より周りの観察の方がメインだったし」
そうじゃなくて、カメラ握ると元気になるってこと、と言われてしまうと、はいその通りとしか言いようがない。
「でも、さすがに良いモデルがいると、気合いも入るってもので」
崎ちゃんが撮らせてくれるのなんてこれで三回目。しかも一回目はそれこそ数枚しか撮っていない。
前回はあんなんだったし、きちんとした撮影となると初めてじゃないだろうか。
「そうね。このあたしが一般人相手にこんなに撮らせるなんて滅多にないんだからねっ」
「感謝はしておりますよっと、おおぉっ。メジロが桜の花びらつんつんしてるっ」
かわいいっ、と言いながらもピントを合わせて撮影。鳥はそんなに得意ではないけれど、ぶれずにしっかり撮影はできたようだった。
「んもー、あたしより鳥の方がいいって、どういうことよ」
「でも、撮影っていっつもこんな感じだもん。あたしのスタイルというか……興味持ったものにともかくシャッター切る感じ」
エレナと撮影に出るときだって、だいたいこんな感じでございますと言うと、彼女はむむむと、さらに不機嫌そうに唇をとがらせる。
「そもそもエレナって子との関係はどうなってるのよ。あんなに親密に写真撮っちゃったりして」
この三月に入るまでの間、ひたすらに増えたエレナの公開写真を片っ端から見たのだろう。彼女はなぜか悔しそうにむっとしながらこちらに詰め寄ってくる。
「んー、モデルと撮影者って関係。あとは普通に友達だよ」
エレナも受験生だしあんまり引っ張り出せないんだけど……でも、時々遊びにいこーとは言われてるから、町中で撮影したりは、あるかも、というと、あーもー、と崎ちゃんは深いため息をついた。
「ううう。あたしは仕事で大忙しだっていうのに、なんであんたらはデートみたいなことしてんのよ」
「デートではないのです。女子高生同士のちょっとした外出なのです」
「女子高生同士……」
「今みたいな感じな、ね?」
うむむ、と言葉にならない声をあげている崎ちゃんの写真を何枚か押さえておく。さきほどから不機嫌そうな顔ばかりなのだが、せっかくこんな景色の中なのでもうちょっと笑っていただきたいものである。
「それで、崎ちゃんのほうは最近どうなの?」
「とりあえず、次に放送予定のお話がクランクアップしたからちょこっとお休み。っていっても明後日あたりから雑誌の撮影なんだけど」
もー受験がどうのーなんて言ってらんないほど忙しいとにこやかに言い切る彼女に疲れの色はまったくなかった。そこまで忙しいのに撮影に付き合ってくれたりメールしてくれたりと、なかなかに彼女はまめな人である。
「雑誌かぁ。そういやこの前の佐伯さんの写真集、すごかったね」
「でしょー。あの人いっつも楽しく撮ってくれるから、作っててこっちも楽しくてね」
そりゃ、ルイに撮られるのも好きだけどさ……と、小声で何か言っているのだが、ごにょごにょしてて良く聞き取れなかった。
「そういや、あんたの秘密のことって、佐伯さんは知ってるの?」
「いちおーあそこらへんだとあいなさんしか知らない。あのとき助手やってた人」
「ああ、あんたの師匠とかって人か」
それでか、となにやら彼女は納得顔を浮かべている。
「ただ、男子状態で佐伯さんにも会ってはいるから、わかっちゃったらきっと驚くだろうね」
あいなさんは触れあう機会がすごく多かったからばれたけれど、佐伯さんとは今のところほとんど接点がないし、木戸馨としての写真はそれこそ学外実習の時のものくらいしか見られていないから、現状ではまず気づいてはいないことだろう。
「そりゃそうよね……このギャップったらほんともうどうしようもないわ。普段のあのもさいのがこーなるというのも」
「やろうと思えばイケメンっぽく仕上げることもできないでもないけど……崎ちゃん的にはどう思う?」
「うっ。もさいほうでいいです、ごめんなさい」
にひっと笑顔を浮かべると、彼女はしこたまいやそーに顔をしかめた。まあルイとて木戸状態で自分をきれいにプロデュースするつもりは欠片もないのだが。
「まあ、あっちに関しては別にモテたいとか思ってないしね。目立たない程度でちょうどいいのさ」
表舞台は女優さんがたにお譲りしますよ、とカメラを向けると、彼女はふふんとほどよく育った胸をはった。
「あっ」
そのとき春風がスカートを揺らし、そして帽子を宙に舞わせる。そのときぱっと開いた表情の明るさは驚き声も含めて新鮮で、気がついたら思い切り写真を撮っていた。
春風の中で桜の花びらが舞う中、一瞬だけ覗いた驚いた顔と、それでもきりっとすぐに表情を変える彼女の顔をそのままに撮っていく。ほとんど反射的な動作だった。帽子がない方がきらきらした素顔が映えて、かわいいと言うより美しい。
「それでこそ、写真馬鹿の馨だわ」
にっ、と唇の端をしっかりと上げた彼女はまさに桜の花びらを背景に立つ女優さんそのものなのだった。
お花見の相手は写真仲間かと思いきやっ、でした。
咲宮家とはルイさん大学時代にちょっと親密になります。富豪と女装。この二つの単語から導き出される結論は! ヒント:女装潜入
さて。このお花見ですが前編です。後編は明日の朝ということで。
せっかくこの二人なんだから、他に何人か足して化学反応を起こしてみたいというところでありますよ。候補は三パターンあったんだけど、お久しぶりな方をご提供です。
PM20:14追加。久しぶりってほどでもなかったっす。お正月もでていましたorz