087.高校三年四月~
お待たせいたしました。本日から再開でございます。
でも、本日は木戸パートなのです。
「へぇ。この写真いいじゃない? ボス」
佐伯写真館の入り口の中にはショーケースがある。そこに飾られている写真はこの写真館の主が気に入ったものやら、関係者が撮ったものだ。
その中の一枚を見て、不敵に二十歳半ばの男性が店主に話しかける。
「一人立ちしたんだから、ボスはやめよーよ。佐伯さんとかさえきゅんとかでいいから」
もううちの職員じゃないんだしと佐伯が言うと、彼はえーでもーと体をくねくねさせた。わざとだ。
「こ、ころちゃん。あのだな。これあいなのじゃないし、誰か入ったのか?」
「って、そっちの呼び方取っちゃうって……」
カウンターの先に座る佐伯は先ほど受け取った書類に目を通しながら苦笑を浮かべた。
さすがにその呼び名の方を呼んでくるとは思わなかった。太陽と書いてコロナと読ませる、この呼び名を知っているのはここの従業員だったものだけ。名刺にはルビは振っていないし太陽さんか、佐伯さんと呼ばれることの方が多い。
そちらの名前をわざわざ口に出したところを見ると、まだまだご機嫌ななめは変わっていないようだ。
「いやぁ、佐伯さんのことはほんとまじ、すーはいしてるし感謝してるし、心のししょーって感じですがね」
だから、ころちゃんで、と口ではそう言いながら、彼の目は全く笑っていない。
けれどそんな視線を佐伯はまったく気にした様子はなく話を続けていく。どうせ喧嘩別れしたあのときから自分の評価は地に落ちているのだ。仕事関係のつきあいがあるだけでまだマシだと言えるだろう。
「それは、知り合いの子が撮ったもんでね。リアルじょしこーせー。JKでね。あいなはちらほら会ってるみたいだけど、おじさんが会えたのは一回だけ。まぁ若いから技術はまだまだだけど、ちょっと目を引く写真撮る子なんだよねぇ」
「引き入れたりはしないんすか? 十代の小娘で、あいなの秘蔵っ子だっていうなら、十分ここでやれるでしょうに」
なんだ女子高生か、と少しだけ興味を失いながらも、目の前の男のやり方を実感している身としてはそんな台詞が口を突いて出てきてしまう。
「決めるのは本人だからねぇ。強引にしちゃってこじれた経験を生かしてる、そんなところでね」
「はっ。俺の前でよくいうじゃねーか」
むんずと胸の前で腕を組みながら、若い男が吐き捨てるように言う。
「反省もしているし謝罪もしたはずだよ。だからこそこちらからこの子にも手はだしていない。あいなにも言って聞かせてる。しばらく様子見をしておくようにってな。この写真の子はただでさえ知り合いとか、情とかそういうのには弱いから」
そういうので取り込むのもさすがに後々禍根が残るだろうと佐伯は肩をすくめる。
本心で言えばすぐにでもスタジオで働かせたい。あいなを見つけたときのような手応えを確かに感じる。けれどもせかせるような真似はしたくないのだ。
「ま、うちでもらっちまうのも一つですかな。いい感じなルーキー欲しかったんですわ」
「っていっても、オレも連絡先あんまりしらんよ。全部あいな任せだし」
本人の自由意思以前に連絡先を見つけるのが先だなと伝えておく。
銀香のルイといえばそれなりに知名度は銀香限定ではあるものの、賞のたぐいに応募した気配もまったくないし、どこに住んでいるのかもわからない。銀香で週末はりつづけていれば会えるかもしれないが、あいなの話では彼女も高校三年で少し活動の頻度を落とすということだった。なおさら会える可能性は少ないんじゃないだろうか。
「ちょ、それで期待のルーキーとか!」
「しかたないだろー? あいなが、あの子のことはトップシークレットですし、なんもいいませんって言い切るんだし。それに就職するときになれば洗いざらいはかせるよ」
それ以外で個人情報もらう必要もないだろ? と問われて、ぐぬぬとその若い男、石倉は口を閉じる。
「一回だけ仕事を手伝ってもらったこともあるしな。あの一枚だけじゃなくてコンスタントにほどほどが撮れる。三木野みたいに健康面の問題もないし、なによりカメラのことが大好きだ。カメラの先にいる人達が好きだ」
おまけに美人だしな、と言ってもあまり石倉は乗ってこなかった。
「なぁ。石倉。俺はさ、おまえのことも……」
「その話はなしだ。円満退社、円満起業。お互い同じ業界でやってくってことでいいじゃねーか」
ま、やり直したいという申し出はありがたく聞いておくけれどな、と冷え冷えした視線を佐伯に向ける。
いったんこじれてしまった関係はなかなか元に戻らない。
「んじゃ、もらうもんはもらったし、また現場であったらよろしくな、佐伯師匠」
茶封筒に入ったものを鞄にしまいながら、石倉は写真館の扉を開けたのだった。
そんなやりとりがあったとはまったく知らない木戸は、四月に入ってからというもののほとんど軟禁生活だった。
もともとそんなに学力が低いほうでもない、というか下がった時点で有無を言わさず女装とカメラを取り上げられる生活は、極度の集中力を木戸に与えてはいる。宿題は学校で片付けるのを基本としているし、むしろこれだけ長い時間を勉学に充てるということ自体なかった。
さて、ここで木戸の生活がどう変わったのかをお伝えしよう。
週五でいれていたアルバイトは週三に。しかも一時間短くなって六時から十時までだ。学校での勉強会だったりというのに参加することもあるだろうということで、スタート時間をやや遅めに設定している。
そして撮影でのお出かけは月二回までに制限されてしまった。
他のクラスメイトは予備校にいったりしているので、そういうのがないだけマシでしょと言われてしまったら、家でやるしかないのだが。
「うがぁー写真撮れないよう。勉強やだよー」
ひぃと机にかじりついているのにどうしても、考えてしまうのは写真のことばっかりだ。
この時期だったらあそこの景色がというわけである。とはいえそこそこ勉強だけはしておかないといけないというのだからしんどいのだ。
進路に関して言えばまだ選び中というのが正直なところ。
方向性だけは何とか決まったけれど、それでも絶対ここじゃないと嫌だというところがない。
というのも、まだまだ悩んでいるからだ。写真につながることを学びたい。そういう思いは確かにあるけれど、じゃあ写真につながるところってのはどこなのかって話だ。
技術を求めるなら専門学校になるし、それ以外のバックグラウンドの知識を深めておくというのもある。
それらが絞りきれないというのが正直なところで、どちらにしても学力はいるから候補の学校に入れるような知識だけはつけておこうというのが今の状態なのである。
とはいえ、写真を撮るための知識を得るための学校に入るための、どうでもいい勉強をするために、肝心の写真を撮りに行けないというこのいらだちというのはたまらない。もうちょっとこの学校に絶対入りたい! みたいな風になればそれはそれで熱も出てくるのだろうけど、どうにもどんよりしてしまっているのだ。
最終的にはオープンキャンパスとか、見学会に行って決めようとは思っているけど、それがあるのはだいたい夏休みである。気が早いみなさまは去年に行ってるようだけれど、去年の夏なんて思う存分撮影しまくっていたので、そんな未来のことなどに考えが行かなかったのだ。
「とはいえ、女装すれば何かが変わるなんてことはないわけで」
ふむーとクローゼットの方に視線をやってはぁとため息を吐く。
姉からちらりと言われたことがあるのだ。ルイになればいくらか集中力が増すのでは、と。
そんなわけはない。世の中にはそんな暗示にかかるような人もいるだろうが……あいにく、ルイになったらもっと写真撮りたくなって、うずうずするに決まっている。
集中力アップは絶対にありえないので、気分転換に明日は買い物に出ることにしようと思う。
そう。両親はカメラを持って外出しなければ、とやかく言いはしないのだ。
欲しい本もあることだし、明日は気分を変えよう。そう思って再びノートに向かい合った。
それから手が進んだかといえば、前よりいくぶんマシだった、としか言いようはなかった。
まあ、「普通の勉強」に関しては、木戸はこんなもんである。
そして翌日。
普段ならば確実にカメラを持って外に出ているであろう日曜日の昼に、買い物を済ませてしまった木戸は帰宅をするしかないという悲しい状態だ。もちろん女装は禁止。しっかり眼鏡をつけたもっさい状態である。
実はこっそりコンデジを持ってきていたりはして、町の風景を押さえていたりはしたのだけれど、もちろん気分は少ししか上向かないし、町の風景というのもなぁと思ってしまう。
それでも撮らないよりはいいので、ちょろちょろ撮影しながら帰り道を進んで、ちょうど歩道橋を昇っている時にそれは起きたのだった。
「え?」
つい、歩道橋で足を踏み外してしまったのだった。
そのときの光景というのはなんだろうか。時間が遅くなるというのは確かにあるらしい。
おそらく緊急時で脳の処理能力が上がった結果遅く感じるということなのだろうが。
それでも体は動かない。
だから、とりあえずカメラをかばいつつ落ちてみたのだが。
ぽすり。
来るかなと思っていた衝撃は全く逆に。
腕を強引に引っ張られて、構えていた力と逆に無理矢理ひっぱられたので腕が痛い。
そして。そのまま男の人に抱き留められてしまった。
しかも助けられたはずなのに、そのままぎゅむっと抱きしめられている。
腹部に堅い感触が感じられた。
これって……
「カメラ?!」
ひんやりした感触はまごう事なき一眼レフの輝きだ。
「うわ、壊れてないですか? 大丈夫ですか?」
「いやいや。むしろ心配なのは君の体の方だ。高校生かい?」
やたら柔らかい笑顔を向けてくる彼は、カメラをすっと構えてこちらにシャッターを切る。
なんというか、何十万回も撮っているというような、自然な所作だった。
「うっ。その……カメラが大好きで、その……」
これがジェットコースター効果というやつなんだろうか。まだ心臓がどきどきしている。
それにその撮影のしかたにもどきどきしてしまう。
あいなさんの撮影を見ているときに感じるものにどことなく似てはいるのだけれど。
「あれ。女の子、だった? いや、それなら俺としては嬉しい限りだけど」
あんまり嬉しくなさそうに言う台詞は、冗談としてとらえていいのだろう。
でもなんでそんなことを言い出すのか。
「あれ。うわっ。眼鏡が吹っ飛んでる……」
それが原因か。たいてい眼鏡を外すと女子だと言われるのだ。
慌てて眼鏡を割れてないか確認してから拾って装着する。
「助けていただいてありがとうございます。でも残念ながらオレは男なんで。人としていいことをしたってことで、ひとつ」
「ま、いいや。どちらでもいいから、もう一枚」
かしゃりと写真が。眼鏡をつけた姿も映し出す。
「もぅ。いきなり写真撮るのはマナー違反だと思います」
男声のまま、少し口調はルイっぽく。拗ねた仕草にもみえてしまいそうだったが、ほおを膨らせておく。
「写真を撮るタイミングなんて、いちいち確認とってたら間に合わんぜ。ま、撮った後の写真の確認は被写体にしてもらうのが俺たちの流儀だけどな」
ほれ。どうよと二枚の写真を見せられる。
ううむ。眼鏡ありとなしの写真をこうやって比べられると複雑な気分だ。自分では鏡で見ているからわかっているのだが、明らかに眼鏡を外したときの木戸は女顔である。服装こそ男子だし、春先で薄着しているから思いっきり下着のラインも見えるし、ブラなしなのはわかってもらえると思う。思うのだが、それでも女子扱いということも最近はよくある。
この二枚が並ぶのは、正直困る。
「まあ、いい写真、なんじゃないですか? ちなみに撮った本人としてはどっちが好みですか?」
「眼鏡かけてる方が好みかなぁ。素顔も捨てがたいけどどうにも女くささがなぁ。君よく、女と間違えられるだろ」
へ?
この人、たいてい眼鏡外している方が評価される木戸を、眼鏡かけてたほうがいいなどとおっしゃる。
「そういうことなら、素顔の写真は削除ということで、よろしくです」
被写体の許可はとったあとに撮るのでしょ? と言うと、いいだろうと彼はカメラを操作した。
「それより怪我はしていない? 結構無理にひっぱったから肩はずれていたりとかは」
「ないです。全く問題ないです。ほら、こんなにしっかりです」
肩をぐりぐり回して見せて問題がないことをアピールする。
とりあえずルイの写真を削除してもらえたのでこれで一安心だ。あとは大丈夫というアピールをして別れるだけでいい。
「それは良かった。俺も昔はカメラに夢中でつい転んだりしたこともあったしな。でも気をつけないと危ないぜ」
「それはもう」
気をつけますというと、彼はさわやかな笑顔を浮かべながら木戸がきた方向に歩いていった。
「さわやかなカメラマンだなー。ちょっと憧れる」
いいなぁとその後ろ姿を見送りつつ、はっと我に返る。
早く帰らなければ、さすがにドヤされる。理由がない外出は今のところ禁じられているのだ。
そうは言いつつも、カメラを構えてしまうのはしかたがない。
なるべく気になったところにだけ向けようと思いつつ、家に帰るのはさらに少し時間がかかったのだった。
休止後一発目! 佐伯さんちは、いろいろあるんですよっていう。あいなさんは偽名ってのは、密かな伏線なのですが、佐伯写真館は「ひどい名前のオンパレード」です。ルイが入ることになったらどうなるのやらって、「もともと偽名ですし」なるようになります。
そしてルイたんの出番すくなくてスマン! 三年になって制限があっても「ちゃんと」出ます。でないと私がイヤだ! いくら受験だからって木戸も私もルイを捨てるなんてできねーですわーー。
受験勉強については……作者も絶対この学校に行きたい!みたいなのがなかったので、死にものぐるいだったのって、浪人時代でありました。
さて。そして二話目ですが、ここにかなり苦戦をいたしました。っていうかこれから手直しするのですが。「お花見」回です。誰と行くのかはお楽しみにということで!