008.学校に潜入することになりました
「ああ。むにゅ……」
すーすー。
正月疲れというか正月あけ疲れというか。
新学期が始まっても木戸はずっと眠い目をこすりながらだ。
昨日の日曜日にも、遠峰さんに引っ張られて遅くまで撮影だった。正直彼女はルイが好き過ぎて困る。撮影自体は楽しいので別のいいのだけれど。
授業中は何とか目を、カッと開いてやり過ごしたけれど、昼ご飯を食べ終わったあとは眠気がひどくてそのままぱたりと机のお友達だ。
「おーい。裏切り者。別のクラスのやつが面会だ」
肩をさすられて、びくりと体がふるえる。
自然な目覚めが一番だというのに、どうしてこう騒々しく起こされるのかというところだ。
揺り起こしてくれたのは、クラスメイトの青木である。
裏切り者っていう名前でいうのは、女子からお呼びがかかったからなのだろう。
本当に、女子にモテたいという思いが強く出ているバカ友人なのである。
「誰だまったく」
ちらりと入り口の方を見ると、はろーと彼女が手を振っている。もちろんそこにいるのは遠峰さんだ。
まったくあまり学校じゃ話しかけて欲しくないのに、すっかりあちらは声をかける気まんまんなのだから困る。
「今、時間あるかな? 是非とも来て欲しいところがあって」
ぴらりとルイの状態の涼しげな顔の写真を見せられて、うぐっと言葉を詰まらせる。さすがにこんな脅迫めいたことをする人だとは思っていなかったのに、まったくもって迷惑な話だ。
彼女についていくと、普段あまり出入りのしない特別棟の廊下にさしかかる。少しほこりっぽい独特な匂いがするのは、あまりにも人の出入りが少ないからなのだろう。
「被服室でなにをしろと……」
彼女が立ち止まったのは、その階の一番奥。選択で裁縫などをやる被服をとっていないと縁のない教室だった。
かちりと扉をしっかりと閉めて、彼女が隠しておいたものをぽんと取り出した。紙袋から取り出されたものは、かなり見覚えのあるものだ。
「じゃーん。卒業した先輩の制服をお借りしてまいりました。たぶんルイちゃん細いから、入ると思うわけで」
「ちょ、なんということをしますか」
「だってー。ルイちゃんと一緒に写真部の活動したいんだもの」
うるうると眼を潤ませてこちらに詰め寄られると、邪険にはできなくなる。
木戸、のことは諦めたようだがその興味がルイのほうに移ってしまったらしい。
「とはいっても、さすがに学校では無理なんじゃないか? 前にも言ったけど、放課後はびっしりバイトが入ってるし。一時間程度ってわけにもいかないんだろ?」
時間の調整は実はわりとできる。店長が融通が利く人なので伝えておけばシフトの変更も可能だ。十時までしか年齢的に働けない部分はあるから、その分給料面に反映してしまうけれど、一時間くらいならば捻出はしてもいいとは思う。
けれど、一日まるっと休んでどうのこうのというのは無理だ。そもそも部活動が一時間で終わるのか? 無理だろう。
土曜の午後は敢えて言えば活動はできるのだろうが、それだって今の撮影スタイルを崩さないといけなくなる。
「一時間でもいいよ。まあ実質女装してってなるともうちょっと時間かかるんだろうけど」
「着替えるだけならさほど時間はかからないけど、メイクしないでどれだけルイでいられるかっていうのは心配だな」
「でも久米先生にはすっぴんでばれなかったって話じゃない? それならいけると思うだけどな」
「それは近くで見られてないからじゃないか? さすがにノーメークで女子に見える自信はないぞ」
普段どれだけ努力しているのか、きっとわからないだろう。
土日にしか撮影をしないのはその部分が大きいのだ。ルイを作るのはメイクだけで最初は一時間かかった。今でこそ三十分程度でいけるようにはなったけれど、ファンデぬって口紅ぬって、くらいですむ問題でもない。女子をつくる、というのは大変なのだ。
「そっかなぁ。ものは試しで女子の制服きてみればわかるんじゃない?」
昼休みもまだあるし、と彼女はいう。ちらりと時計を見ると確かに十分な時間がある。化粧ぬきならば問題なく着替えられる。
しかもここは被服室。開き扉式の鏡が設置されていてすぐに全身を見渡せるという始末だ。
「まずは、鍵を閉めること。それとウィッグつけてないから髪はこのままでいくぞ。それと。ばれたら罰ゲームってことで」
写真部にいぢめられている、と直訴してやるというと、遠峰さんはにんまりと頬をほころばせた。
そして、着替えを始める。いちおう遠峰さんには後ろを向いてもらいつつ、学ランを脱いでいく。おっと、いままで男子制服についてはまったく語ってこなかったけれど、うちの学校は中学から持ち上がりな感じな学ランである。オシャレっけもなにもないやつだ。
そして遠峰さんも着ている女子制服のほうはブレザータイプ。
ブラウスまでぱりっと用意されてるところに、どれだけの計画性があったのかと言いたいところだ。
リボンの色は赤。うちの学年のカラーだ。
ウエストサイズは大丈夫かと思ったけれど、止めてみるとジャストサイズ。
まーもともと女子服でのサイズもわかっているから、大丈夫だろうなぁとは思っていました。
ちなみに木戸のウエストサイズは男子で七十ではあるけれど、これは男女でウエストサイズを測る位置が違うだけの話で、女子の基準ではかると六十を切る。細すぎると言われるかもしれないけれど、実際これくらいの男子はそこそこいるものだ。
さすがに靴下はそのままらしく、上履きも兼用だけれど、特別それでおかしい感じもしない。
そして上着にブレザーを羽織れば完成だ。
女子制服の着方がわかる男子、というのはそれほど多くはないのかもしれないのだが、女子服を着こなしている身としてはさほど難しいものでもないというのが、木戸の感想だ。
まあ髪も短いし下着もかえてないのでこれでルイか? といわれたらなんともいえないのだけれど、ダメならダメで遠峰さんをからかうネタにすればいい。そしてそこでもう諦めてもらうのだ。
「こんな感じなんだけど、やっぱりちょっと切り替わんないよね」
いまいちーと女声でいうと、遠峰さんはいえいえ、と驚いた顔をした。
「もともと髪型も女の子っぽいんだもんなぁ。それなら違和感ないよ。ぜんぜんわかんない」
こんなかわいいこが男の子のはずがないと彼女は簡単に太鼓判をべたべた押してくれた。別に髪型は女の子っぽくしてるわけではなく、ショートボブよりもちょっと短いといったくらいで、男子にもそこそこいる感じではある。
女の子っぽくではなく、男子っぽくしてないというのが正しい。そう。最近の男子の髪型はおしゃれさんが多いからか、男らしいというかつんつんしてたり、これぞメンズですというような感じなのも多いのである。
「それで? 校舎一周でもしてくればいいわけ?」
はいはい、もうどうにでもなれですよといってやると、とりあえず一周してみよーと彼女は気楽に言ってくれた。
悪いがメガネの印象が強くたって、素顔を見ている連中はいるのだ。実習で一緒に風呂に入ったやつらは当然知っているし、斉藤さんの部屋にいた女子だってまじまじと見ている。
ろくすっぽ化粧もしてない状態で、ばれるなというのはいささか無理がありすぎる。
「そいじゃまあ、外にいきましょう外に」
「教室にはいかないから」
今は昼休みだ。たいていの生徒は食堂にいっているか教室にいるかで、あとは部室でご飯をたべたり屋上でゆったりしたりしている。
他の生徒はまあいい。問題は青木やクラスメイトたちの存在だ。
「うぅ。この前のルイたんのように性格が愛らしくないー」
ぷぅとむくれる姿の彼女には申し訳ないのだが、女装スイッチは確実に入っていない。ほとんどすっぴん状態で、下着も男物。この不完全な女装でルイでございとはなかなか言えたもんじゃないのだ。口調くらいは男子の時よりも丁寧にしているけれど、感情は全くついてこない。
「さて。それで最初はどこから回ればよいのでございますか?」
「そうだねぇ、まずは部室棟から行こうか」
帰宅部のルイさん的にはきっと面識のない方が多いだろうという彼女の言はもっともなのでそのまま彼女の後をついていく。
いまいちスイッチは入っていないのだけれど、そこまで怯えるような状態でもないかと踏ん切りをつける。制服姿というのもまぁ悪いものでもないのだろう。男ものの下着がちらりと覗く、という状況だけは死守をすることにしよう。彼女が用意してくれた制服のスカート丈は短すぎて心細い。
被服室を出て、人気の少ない廊下から部室棟への渡り廊下を通り過ぎる。これまでにすれ違ったのは数人だけれど、特別問題は起こらない。
「ほら、全然大丈夫そうじゃない」
「みんな、周りを意識してないだけだよ。見られてないならどんなんでも問題にはならない」
直視して、凝視して、関わって。はじめてそれで、相手をしっかり見るのが人のあり方だ。
すれ違う相手に意識をずっと送るような人間は、一部の特殊な人間だけ。それ以外はただの障害物としてしか、いやむしろいないものと認識しているのかもしれない。
「さっちーん。この前の写真ありがとー! ちょーよかった」
そしてときおり聞こえるのは彼女に声をかける人たちの存在だ。こちらもちらっと見るものの、まったくといって不審がらない。
「また撮影会やろーね。撮るほうはまかせてもらおう」
「次の衣装ができたら連絡するよー」
そいじゃねーと知り合いらしい彼女は去っていった。
「にひひ。今のはちゃんと見てたと思うんだけど、どうですかねぇルイちゃん」
「くっ。一人くらいじゃ、わかんないもん」
「いーですよ。じゃあどんどん人が多いところに行こうじゃないか」
そして舞台は教室棟へ。もちろんルイのクラスだけには行かないことは約束済みだ。
ここまでくると人の数はうわっと増える。半数程度の生徒は他の場所に行っているといっても、教室から解放されて廊下でしゃべっている子もそこそこの数がいるのだ。
「さすがに悪ふざけにもほどがある気がするけれど」
むうと頬を膨らませながら彼女のそばを離れないように歩いていく。時折声をかけられつつ、それでも誰もこちらの存在を不審がらないのはいささか問題のような気になる。週末の姿ならまだしも、メガネをはずして髪型を軽くいじった程度で違和感のない女子の完成というのは男としての自分にすこしがっかりする。
「もうちょい時間あるから、歩いてみようよ」
度胸試しなのですよ? とくすりと彼女はいたずらっぽい笑みを浮かべる。
「う。斉藤さん」
教室から少し離れているのに、どうしてこんなところにいるのか。簡単。トイレにいった帰りなのだった。階下に一個しかないトイレに向かう生徒は昼休みがそろそろ終わりに向かうこの時間には増える。
それをさらっと失念していたのはこちらのミスだ。
「おー、さっちん。このまえは写真ありがとね。いい感じにポスターしあがりそうだって喜んでたよ」
「ああ。あの次回の公演ポスター用のやつかな」
二人があーだこーだとはなしている間、関係のないこちらは手持ちぶさたになる。もちろん話に参加するつもりなんてさっぱりない。こちとら斉藤さんにばれないか心配で心臓がばくばくしてる。でも今やれることといったら、不自然じゃないようにすることだけ。
できるだけ仕草を女の子っぽくしてみる。待っているにしても手を後ろで組んだり、片足のかかとをあげてみたりと、そうしながら二人が話しているのをほんやり聞いているというスタンスだ。
「ポスターができたら見せに行くからチェックしてほしいな」
「そのときは、是非。楽しみにしてるね」
そいじゃーとお別れを切り出してくれた二人は別の方向へと歩き出す。
とりあえず一番の難関は抜けたらしい。
ほっとした瞬間、すれ違いざまに彼女は小声でいったのだった。
「その演技力にほれぼれしちゃう。すごい才能だね」
くすっと笑った彼女の顔にこちらはぴきりと凍りついた。
まったく勘弁して欲しい。
けれど彼女に弁解するような時間的余裕はなくて。そのまま被服室にむかう以外になかったのである。