077.
彼女の名前は、河北いづも。三十二歳のパティシエールさんで、やっぱりこの店のオーナーでもあるそうだ。
外国で修業を積んで、公園の一角に店を作ったという、若き経営者さんである。
そんな彼女からのお願いは、写真を撮って欲しいということだった。
「ここも開店して半年。みなさんに喜んでいただいていますけど、このたび宣伝用のホームページを作ろうということになりまして」
「よく食べ物とかだと、いろんなお店のランキングとかありますけど、そういうところではなく?」
「そういうのには登録済みです。ただ……やっぱりおしゃれ感みたいなのがあんまり出せないし、紹介できる量も少ないしっていうんで、きれいなホームページ作りたいなーって」
むしろちょっと時代遅れっていわれちゃいますけど、と彼女は笑い声を上げる。
けれどもいまどきのホームページはレンタルサーバーの値段も安いというし、きちんと委託を最小限にして作りこめばそこそこのものが出来上がるようにも思う。
時々エレナと遊びに行く時なんかにも、食事場所を探すときにその手のサイトも利用するのだけど、正直もうちょっと情報が欲しいなと思うことが多くある。そんなとき、そこのサイトに公式のリンクがある所のほうがありがたいのだ。もちろん個人でやってるお店では自分でちょくちょく更新ができないといけないけど、メニューが変わったときにいじったりだとかをすればいいだけなので、手間ではない。外部の人に作ってもらうとコストもかかるけれど、ホームページの管理は基本さえ出来てしまえばそう難しくはないのである。
「それで、実はあらかたデザインも決まって、メニューの写真も撮ってもらって、ほぼ完成ってなったんだけど……一つだけ。オーナーで職人なわたしの写真だけがどうにもいいのが撮れなくて」
前にきてくれたカメラマンさんにも撮ってもらったけど、しっくりこなかったのだと彼女は言った。
「そんなわけで、ダメ元というのも失礼だけど、ルイさんに試しに撮ってもらいたいなって。ああ、夜の分の仕込みは終わってるから五時までの一時間、フルに使ってもらって大丈夫なんだけど」
今の時間は四時。三時のおやつタイムが終わり、お店がいったん準備のために休憩に入る時間だ。
平日はこの店、どうやら七時までの営業でぶっ続けでやるようだけれど、日曜日は夜の時間を長くする代わりに四時から休憩に入るのだそうだ。平日はむしろ学生をターゲットにしたい部分もあるようで、学校帰りはあけておく主義らしい。
「さて、いづもさんとしては注文はあります? 正面からとか斜めとか。あと、隠すか見せつけるか」
「やっぱり、思った通りね。隠す方向でお願いしたいわ。それとパティシエ紹介で使うものだから、それを前提で」
「りょーかいです。でもレフ盤使って飛ばしたりとかそこまではできませんから」
さて、ここまでの会話でわかってもらえただろうか。店内にいた女装の人のうちの一人は目の前のこの人だ。もちろんいろいろといじってるんだろうことはわかるし、脂肪のつき具合から恐らくなにかしらの処置はしているのだろうとは思う。純粋に女装の人といいきるのは憚られる感じだ。おおむね女の子扱いをしてあげるのが正解ではあるのだろう。
とはいえ、肉体的に男子であった以上は、女装の男子を撮るのと同じような理屈があげられる。
女装の写真を撮る上でのポイントは、ごつさをどれだけ削るかにある。顕著に出るのは喉や頬のラインだ。エレナクラスになるとほとんど目立たないけれど、普通は気にする。実際ルイだって喉仏がないわけでもないし、下からのアングルの写真は嫌だ。
そういう理屈で女装専門ショップなんてのは、動画ではなく瞬間を撮れる写真を主流としているし、動画に耐えられる女装をする、つまり外に出ても違和感がない状態にするのは大変に骨が折れるというお話だ。
それを踏まえて、写真を撮っていく。
狙って上のほうから、そして顔の輪郭がそこそこごまかせる斜めから。
がんがんシャッターをきっていくものの、ルイの表情はいまいち浮かない。
そう。固い。うん。とても固いのだ。
これ、たぶん前のカメラマンさんもそうとう困ったんじゃないか。
それとも職人は固くないといかんとか、そういった感じで撮ったんだろうか。
ううん。この表情でお菓子屋のHPに掲載というのはさすがにちょっと女子としてどうなのかと思ってしまう。もっとこうスイーツというものはふわんとしているもののはずである。中華とかラーメンやとかなら店主が腕組みして無骨者という感じも一般的なのだろうけど、この店のイメージには合わない。
「とりあえずは、オッケーです。あとはちょっとお願いがあるんですが」
このままだとらちがあかないなと思ったルイは壁際に立っていたお菓子王子に声をかける。スイーツを食べて終わって幸せの中にいた彼は清算をするという段階で、なんと財布を忘れるという大失態をしやがったのである。
それで家に連絡を入れて家族に持ってきてもらうというような大失態を演じて待機中だったわけだけれど、それがよかったらしい。
「こいつ、この店に入るために必死だったので、ちょっと対談みたいなのをお願いしたいんですが」
「って、何をしゃべればいいんだよ……」
「今日食べたデザートの感想とか疑問とか、そういうの話してくれればいいから」
はい、さっさか座ってさっさかしゃべる、と強引に椅子に座らせると、いづもさんもその隣に座ってもらう。
「今回印象に残ったのは、生地の作り方ですね。触感が独特でなかなか味わったことのないものでした」
最初に手を出していた、アップルパイの感触がたまらんと話を切り出した。
それからプリンやババロア、エクレアやマカロンなど、あれはこうだこれはこうだと話をしつつ、いづもさんも、あれはねーとかちょっとつくるの苦労したんだけどね、とかトークにうまくなじんでいく。
話がヒートアップしたところで、数枚写真を撮る。
シャッターの音がなっていても気づかないくらいに二人は話を繰り広げて、いい感じだ。
「まさかここまで話の合う相手がいるなんて……」
「異性って以前にスイーツ仲間ってところですかね?」
すっとぼけて、しれっと言ってやると、いづもさんが、このぅとなんとも言えない愉快そうな顔をしていた。
「さて、それじゃとりあえず先ほどとった写真に、お気に召したのがあるかどうかというわけで」
すちゃりと手持ちのバックからタブレットを取り出して、かちゃりとSDカードのデータをそちらに流し込む。
まだまだ新しいタブレットは見事に写真を表示してくれる。
明るさとしてはばっちりだ。
それをいづもさんに渡して写真を確認してもらう。
「こんな簡単なことだったか……」
それを見ながら、いづもさんは震えるように自分の両腕で体を抱きかかえた。
おそらく、前にここに来たカメラマンさんも、最後まで悩み尽くして、どうしようと思いつつ出来る範囲の仕事をしていったのだろう。
「きりっとした顔も好きですけど、やっぱり女の子は笑ってないと、ね?」
その理由がよくわかるルイとしては、必要な言葉がぽんとでてくる。
そう。この人はカメラを向けられると緊張するのだ。というか撮られ慣れてない上に自分自身に引け目でも感じているのだろう。もちろん撮られるのが大好き、見られるのが大好きという人も一定数いるけれど、性別を変えてしまえというところまでいっている人の場合は写真を得意としない人もいるのを、ルイは前に女声を研究したときにすでに知っているし、その知識はそのまま今も残っている。
「いづもさん、自分が思ってるよりずっとずっとかわいいんですから。構えずに自然体で撮られてくれればいいんですよ」
「ルイちゃんこそ、すっごいかわいい」
「はいっ。それはもう知ってます」
ルイは、もう自分に引け目など欠片ももっていない。最初の二週間程度で緊張感よりも撮影の楽しみのほうに気分は持っていかれてしまった。自分を撮られるのが少し恥ずかしいのは、撮影する側だからである。
「こ、これがジェネレーションギャップという……」
くすんといづもさんが泣きまねをして見せる。お菓子王子は事態がよく呑み込めていないようでぽかんとしていたけれど、それは無視だ。あえてルイの性別については教えるつもりもない。
「ともかく、気に入った写真ができたならよかったです。データはコピーしてお渡ししますので自由に使ってくださいね」
「ああ、報酬はどうしようかしら」
どうやら、この店にふさわしい写真が撮れたらしい。
いづもさんは、嬉しそうにしながら、あーどうしよーと呻いていた。
「新作試食券とか、そういうのはどうです?」
「へ? そういうのでいいの?」
「だって、いづもさんのお菓子、気に入りましたもの」
大好きですと言ってあげると、まあまあといづもさんは頬に両手をあてて照れていた。
「それじゃー月一回ご招待券ということで。たまにはルイちゃんと会いたいし」
あ、それと、といづもさんは言葉をつなげる。
「お菓子王子くんだっけ? 君の来店は歓迎ということでみんなには言っておくので」
遠慮なくきてね、といったところで入口の扉が開いて鈴の音がなる。
「先輩?」
「ああ、ルイちゃん。どうしてって……まさかこいつにナンパされた?」
「いえ、ケーキを食べるための生贄に使われました」
でも、結果的には良かったですよ、と伝えた先には、写真部の元部長さんがいたのであった。
「ね、ねーちゃん。これには深い事情があって……」
「あんたねぇ。食べ歩きするのに財布忘れるとか本当に恥ずかしい! しかも休憩時間に待たせていただくなんて……本当にうちの弟がご迷惑をおかけして」
ぺこぺこと先輩は頭を下げる。どうしてこう、姉と弟という立ち位置だと弟が残念系ばかりなんだろう。
まて。それを言えば木戸も弟であって、と一瞬嫌な想像が頭に流れた。だいじょうぶ。ルイは妹だからきっとその範疇にはない、はず。
「いいえ。こちらも良い出会いがありましたからね。今後ともごひいきにしていただければ」
ちゃんとお財布は持ってきてほしいですけど、とお茶目に微笑されると、おねーさんはすんませんともう一度ぺこりと頭を下げた。
私も写真撮られるの苦手な人なので、そういうところを上手くやれる写真家は素敵だなと思います。もう履歴書の写真とかどうにも上手く撮れませぬ。
いづもさんは年上のおねーさんキャラで、ガチな人ですのでそれも含めてシフォレの常連にもなるし、シフォレはお話の舞台での常連にもなります。こういう店あったら私も是非行ってみたいものです。