076.
これは、卒業パーティーの話題で盛り上がっていた最中の三月も初旬のことでした。
例年、卒業式とは別に行われるイベントは、卒業生と在校生の最後の交流イベントとして開かれているものであり、生徒会のメンバーが力を入れて催すものの一つだ。それは前の生徒会メンバーを安心して送り出すという意味合いもあるのだろう。例年は十二月くらいから今年はこんな感じというのがでるものなのだが、告知が出たのが二月という遅い時期というのもあって、今年は大丈夫なんだろうかという不安と、やる内容が内容だけに煮詰めるまでに時間がかかったのだろうなんていう憶測も飛び交っている。
どうしてそういうことが起こりえたのか、に関しては木戸も一枚かんでいるので後ほど語ろう。
「なんで俺……また調理室にいるんだろ……」
そんな中、なぜかステンレスの調理台の前にちょこんと木戸はたっていたのだった。
今回集まったメンバーは、先月とはがらりとかわって男子ばかりだ。
その中には、毎年一個ずつチョコを食べると豪語したものやら、木戸のチョコを幸せそうに食べていた面々がそろっている。
今日は久しぶりのバイト休みの日だーとか、思っていたのにいきなり帰り際に男子に取り囲まれて、さぁくるのだと拉致された訳なのだが、バイトの予定まで把握してるとなると、クラスの情報網は侮れないと思う。
「月に一回の平日休みにこれとは……」
「先月の日程をもとに割り出した完璧な日程設計なわけだが。不満はないだろう?」
「不満しかないよ」
はぁぁあああ。こちとらバレンタインデーをあげた側である。なんだってホワイトデーのほうまでつきあわないといけないのか。
「さて、今日はバレンタインデーのお返し、ホワイトデーのための集いである」
「だがしかし! 我々には金がないのであるっ!」
ぐっと拳をにぎりこんでの宣言にめまいがした。
ああ。そのくだりでだいたいわかりましたよ。
斉藤さんも倍返しでといっていたしな。けれども「女子が好きでもない有象無象の手作りクッキー」を欲しがるのかというのははなはだ疑問だ。最近は他人が作ったおにぎりを食べられない小学生だっているというのに。
「とはいえ、われらの菓子作りの知識はない。皆無であるっ」
握った拳をたんとテーブルに軽く打ち下ろしてみても、結局は残念な台詞でしかない。
「そこで、今回ご足労いただいたのが、一組のお菓子王子こと、朽木だ!」
紹介された彼は、クラスの離れている身としては初めて見る相手。けれども噂だけは知っている。いわく、お菓子のためなら自らを犠牲にできるくちき……クッキー王子だ、と。
そんな彼は、つかつか壇上にいって挨拶をするのかと思いきや。
「うわさ以上だ。ハニー」
片膝をつかれて、手の甲にかるい口づけ。バロン先輩ならまだしも、同学年の男子にやられるとなるとだいぶ背筋にぞっとくる。いくら挨拶程度とは言えやめていただきたい。
「あの、さすがにそれ男子相手にやるのはどうかと」
「美しいものは、男女問わず大好きなのさ。願わくばそんな邪魔なものは外してほしいところだけれど」
すっと流し目をされても、こちらとしては寒いだけだ。無言で助けを他のクラスメイトに求めてみても首をふるふるするだけで、まったくもって止めてくれる様子はない。
「まぁそれはともかく、なんで俺までこっちに呼ばれてんの」
手を掴まれたまま、前回のバレンタインの時に木戸に交渉してきたやつに文句を述べる。
けれど彼も肩をすくめるばかりで特になにかを言ってくれたりはしない。
「君お手製のスイーツはもう残っていないみたいだけれど、君の細指から生み出されるものは、どんなものでもかわいらしそうだね」
きれいな指だと、彼はなぜか木戸の手をそのままさわさわさすっていた。男性恐怖症こそ緩和はしているけれど、これはたとえそれがなくてもかなりキモい。
おまけに料理はするが菓子作りの経験はほとんどない。可愛いものが作れるかといわれると、はなはだ難しいのではないだろうか。
指のことは。まぁ男子の指には見えないかもしれないが、かといって菓子職人ということはまったくない。
「お菓子王子がいるなら、俺、いらなくない?」
ぼそりと周囲にいってやると、ちがうんだなぁと周りから声があがる。
「お菓子王子を呼ぶための条件がお前の参加なんだから仕方ないだろうが」
「は? なんで?」
ぱちくりと瞬きをしながら、まだ手を触っている王子に問いかける。
「なに、ちょっとした余興といったところだよ。先月の件を聞いてからどんな娘なのかと気になっていたからね」
「どんなコと言われても、見ての通り普通の男子高校生なわけだが」
ぼそりときわめて男臭くいってやると、今度は王子がぱちくりと目を丸くする。
いったい何を想像していたのだろうか。そりゃかわいい声も出せはするが、こいつにだけはそんな声はだしてやらん。
「それはともかく、さっさとクッキーの作り方なりを教えてもらおう。俺は別に返す義務はないんだが、まぁ後学のために」
「あ、ああ。そうだな」
まったく毒気を抜かれてしまったのか、王子はエプロンをつけるとむさい男子たちに手洗いを命じた。
当然のことながら、男子だとつい忘れてしまいがちなところだ。
それに倣うように木戸も手を念入りに、先ほど王子になでられた指のところを重点的に洗っていく。
やっぱり女同士で手をつなぐのはありだけれど、男と手をつなぐのは結構こたえる。
そして、クッキー作りが始まったわけだが。
粉が顔についたりだとか、砂糖と塩を間違えたりだとか、量をはかるという概念がなかったりとか。
どうしてそうしちゃうのかさっぱりわからんと思いつつ、あえて協力も口出しもしないで王子の手際にすべて任せる。
こちらは指示通りに生地をこねて、あとは型をぬいて焼き上げればおしまいのところまであっさりいった。指示だけは的確なので、できあがりが楽しみだ。
「家庭科の授業……ちゃんとやってないとな」
阿鼻叫喚の他のテーブルの様子をみていると、あーあとあきらめに似た声が漏れた。
木戸はその日にだいたい作り方を覚えて、翌日の昼休みに女子への差し入れをしてみたのだけど、他の男子は改めてホワイトデーの前に家で焼いたらしい。
ちなみに木戸のクッキーはわりと好感触で、放課後にあのとき参加していたメンバーでお茶会やろーよなんて話になってしまったほどだ。量はそこそこ用意したけれどみんな部活はいいんだろうか。三月はそんなに活動はないのだろうが。
「もう、木戸くんが女の子なら惚れてしまうがな」
きゃんといいきられても、いやこれはお菓子王子の教えかたがうまかっただけですと、答えておいた。
確かに王子の指導は的確で、なんというか、おうちで焼いたちょっとべちゃっとしたクッキーではない、さくさくした食感にしあがっているのである。
それから数日後。なぜか干からびたような顔をしていた男子がたくさんいたのだが、それについては触れるのはよすべきだろう。合掌。
「ごむたいなっ! なんでそんなっ。男だからスイーツを食せないだなんて間違っているっ!」
「そうはおっしゃられましても、当店は女性か女性同伴の方でなければ」
クッキーがさくさくに焼けるようになってから初めての日曜日。
ルイとして公園の撮影に向かっていたら、なんだかその一角で騒ぎになっていた。
ようやく一月二月と続いた騒動を通過したのだから、なるべくなら首はつっこみたくないなぁと思っていたのだけれど。
こういう時はたいていルイは巻き込まれるものである。その時はふいにその野次馬の先頭にぽんと立ってしまっていたのだった。
「じゃ、じゃあこの子も一緒にはいるっ。それならいいだろう?」
「はい?」
いきなり腕をわしっと掴まれて、きょとんとしてしまった。
普段ならもう少し遠巻きに見ているというのに、どうしてこう。
諦めたように後ろをついていくと、店員さんがしかたないですねぇとため息をついたのが見えた。
「好きなものがあるっていうのはいいことだと思いますけど、突然女の子の腕を掴むのはちょっと関心しませんね」
その相手にじぃーといぶかしむ視線を向けつつ、とりあえずスイーツがいただけるというのでおとなしく彼の様子を探る。目の前の相手はつい先日、いろいろな意味でお世話になったばかりのお菓子王子こと朽木だった。
自分のことを女の子呼ばわりすることは滅多にないのだが、店が店だけにごく自然にそんな台詞が出てくる。この人だって今後、女の子相手に同じことをして回ってはいろいろと良くないだろう。
「いやぁ。すまないね。僕だってうるわしいレディの腕を強引に掴むなんてことはしたくはなかった。でも、しかたなかったのさ。この店はようやく発見した僕のパラダイスなのさ。味見をせずに指をくわえるなんてできないよ」
「彼女、まではいいませんけど学校で女友達つくればいいじゃない」
そのお店、出来てからまだ半年経たない程度の洋菓子カフェ「シフォレ」の内装を、落ち着いてる上にかわいいなぁなんて見回しながら王子に簡単な解決法を提案する。
お菓子王子のネームバリューは正直そこそこなものだ。女友達くらい簡単にできそうなものなのだけれど。
「女友達は面倒くさい」
そういいつつ、お前はクッキー作りのときに手の甲に口づけとかしたよね。とルイは回想しながらひきつった笑みを浮かべる。
「甘いマスクと甘い指で、かるーく落とせばいいだけじゃないですか」
まったく、と苦笑を漏らすと、おや? と不思議そうな顔をされてしまう。自分でもおかしい自覚があったのか、それとも他の女の子を相手にしたときと反応が違ったからなのか。
その反応がおもしろくてつい、その後も言葉を続ける。
「ここまでしちゃうようなお菓子マニアなくらいです。自分で作ったりもするんでしょ?」
「まあそうなのだけれどね。それでも気兼ねなくケーキを作ったり、食べたり、異性と一緒じゃ集中できない」
「わからなくもないけど」
そうはいっても、こいつは女ったらしだとばかり思っていたのだが。
実際、木戸の手を触ってあんなことを言ったではないか。
「でも、そんなにお菓子が好きなら、気になる相手に食べさせてあげたいとか、思わないものですか?」
「君は、そういうのあるのかな?」
「ありますよ。お菓子ではないけど、今は大好きな人達に素敵な写真をってね」
うまいことはぐらかされてしまったが、きっとあまり人に振舞うというような視点に立っていないのだろう。それならそれでかまわないけれど、だったらもっとこうドライな感じで付き合ってくれる友達をつくればいいのに。
そうこう話をしていると、店員さんがすっと脇に現れた。視線が激しく冷たい。
注文したものを持ってきてくれたらしい。その数は割と半端なく、ルイが頼んだハニートーストの数倍の面積を彼が注文したスイーツたちで占拠してしまっている。
「ようやく来たか……まったく、素直に入れてくれればこんな騒ぎにはならなかったのに」
先ほど留めていた店員さんだったからなのか、朽木が悪態をつく。
「まあまあ。甘いものがあるところでそういうのはナシですよ。それと店員さん。スイーツの写真は撮っても?」
カメラをちらりと見せながらおねだりをすると、しかたないですね、と了承がくる。
食品を撮る、ということはあまりしたことがないのだけれど、せっかくのきらきらしたスイーツである。
美しくつくられたものは写真に残すのもいいだろう。
もちろん、本に載るような絵にするつもりはまったくない。あくまでも新しい写真を撮ってみたいだけだ。
カメラマンというものは、自ずと自分の好きなテーマなり得意な素材が決まるという話だけれど、今の段階ではまだいろいろと撮っていく段階というのが正しいだろう。好みはあっても新しい分野もどんどん撮っていきたい。
「んっまーい。はぁはぁ。クリームもさることながらこの生地の粉の比率が最高だ。なんだこのさくさく感。たまらん」
テンション高い向かいでこちらはもそもそとナイフで割断したどでかいハニートーストのブロックを口にいれる。まあ美味しいのは美味しい。パンの絶妙な焼き加減と上にのった甘すぎないクリーム、そしてはちみつの甘さに加えて、焼き立てのパンの熱ととろけていくアイスの冷たさのコラボレーションは、バランスが良くて幸せな気分になれる。
のだけれど。ちょっとこう。目の前でハイテンションな男子がくねくねしていると、なんで自分はこんなところにいるんだろうかとがっかりした気分にさせられる。
「しかしこんなことして断られると思わなかったんですか?」
あらかた食べ終えて、コーヒーで口の中をさっぱりさせているところで、目の前でいまだスイーツと格闘している彼に責めるような声を漏らす。
「ああ、逃げられたら次のターゲット探しただけだし。一人目でおとなしく捕まってくれてよかった」
幸い周りに人も集まっていたしね、と悪びれずにいう彼は、クレープを切り裂いて口にほうばる。幸せそうな顔だ。
「いつもこんなことやってるんですか?」
「女性同伴限定の店はこれで三件目くらいかな。他のところは隅っこの方にこっそりいれてくれたんだが」
この店はケチ臭いと文句がこぼれる。
そうはいっても、周りを見回してももちろん女性客がほとんどで、彼女に連れてこられた男性が少し緊張しながらこの空気の中で座っているくらいである。男性客単独はもちろんいない。そう、見た目だけは。ね。
「こういうところは雰囲気も大切にするって言いますし。そんなに好きなら女装でもすればいいじゃないですか」
「待ってくれたまえよレディ。簡単に言ってくれるがそんなことがあっさりできる人など……わずかしかいない」
一瞬、いないと言おうとして、誰かの顔でも思い浮かんだのだろうか。あえて言い換えてきた。
むろん木戸の学校には女装に耐える人間が多めにいるのだし、同じ学校のお菓子王子がそういうのも納得ではある。
ただ、それでも、彼は少し勘違いしている。
「そうですか? このお店、実は今二人、女装した人いますけど」
「は?」
周りをちらりと見渡して声を落としていうと、きょとんと彼は口をあけた。まあそうだろう。
ルイだって驚いたくらいだ。スイーツを食べるという一点のために女装しているのかそれとももともとそうなのかはわからないけれど、確かにルイを除いて二人もいるのである。
「いやいやいや、ないだろそれ、いくらなんでも冗談が過ぎる」
「冗談じゃないんだけどなー。美味しく食べて欲しいから誰とはいいませんけどね」
波風たてちゃかわいそう、と苦笑を浮かべると、近くに人の気配を感じた。
「お待たせいたしました、コーヒーゼリーでございます」
その気配は左側から現れて目の前にゼリーを置いてくれる。視線を向けるとなぜかシェフ帽子をかぶった人がそこには立っていた。三十路すぎくらいだろうか。メイクこそ薄めだけれど美人系のおねーさんだ。きりっとほりが深めで、少し外国の人っぽい印象すら受ける。ハーフのエレナよりもきりっとした感じである。
「えっと、頼んでないですけども」
「いえ。店のものが少し失礼な対応をしてしまったようですので、ご挨拶をと思いまして」
ややハスキーな声の彼女は、どうやらこの店の店長だとかそういった類の人らしい。たしかにスイーツは最高だったけれど、雰囲気は多少悪くなってしまったのは否めないから、フォローということもあるのだろう。でも。
「それをいうなら、こいつの無茶が元ですから。いただけるものはおいしくいただきますけど」
ぷるぷるのゼリーの上に白い生クリームがのっている。さっきもそうだったのだが、どうにもこの店のスイーツは甘みが少な目なような気がする。メニュー表には甘さのランクが書かれてあったりするから、甘いものは甘いのだろうけれど。
こちらの言葉にシェフ帽の方はほっとありがとうございますとだけいって、戻るのかと思いきや、言葉をつづけるのだった。
「それとお客様、先程、この店に入るために女装をというような話をされてましたが」
「あ、っとその、はい。聞こえちゃってました?」
あはは。と愛想笑いを浮かべながら、頭に手を置く。さすがに店の人に女装でというのを聞かれるのはまずい。
「もともとわたしがこの店を女性同伴限定にしたのは、どれくらい女装した人がくるかなって思ってのことですからね。別にこちらとしては男性に来て欲しくないってわけでもないんですよ」
けれども彼女は嬉しそうに前のめりになりながら、そんなことを言ってきた。すさまじくキラキラしてこちらを見てきているのだが、ふむ。これはすさまじい観察眼の持ち主なのだろうか。
「なるほど、パティシエさんの趣味というかそういうのなんですね」
「いや、この場合パティシエールさんだ。女性にその呼称は正しくない」
デザートと格闘していたお菓子王子は手を止めるとそれだけ口をはさんだ。
「それで割と、女装の方、来てくださるのですか?」
「はいっ。それはもう。時代の流れなのか、わたしがあなたくらいの頃は人前で堂々と女装なんてなかなかできなかったんですけどね」
すごい時代になったものですと、彼女は遠い目をするように言った。
そりゃ、そうだろう。十年一昔というけれど、当時のことを語るブログなんかを二年前によく読んだけれど、今ほどライトに女装ができるような時代ではなかったのだという。もちろんルイだって姉たちにやられた経験がなければこんなにすんなりはやっていなかっただろうけれど。
「あ、それと……そのカメラを見る限りだと、お客様、写真をおやりになるようですね」
「はいっ。ハニトも撮らせていただきましたし、このコーヒーゼリーも」
光の調整をしつつ、うまく光沢がおいしそうに映るようにしてシャッターをきる。
「食品は滅多に撮ったことがないので、というか外食自体滅多にないので、自信はあんまりないんですけれども」
こんな感じです、と背面のディスプレイに絵を映し出す。
「なかなかにきちんと写ってるじゃないですか。それでは一つお願いがあるのですが」
お時間があれば、ですが、と彼女は切り出した。
や、やっと。日常回です。木戸くんがまた一歩乙女ちっくになりました。さっくさくのクッキー焼けるのって良いですよね。
そしてシフォレの初登場。このお店は貧乏設定のルイが珍しく居着くところなので、登場頻度がおおめです。明日どんなひとなのか詳細設定が明らかにっ。
二月にもう一個事件が起きてますが(フラグ管理的に必須なやつです)、あっちはそこまで後味は悪くならないはずなので、たぶん大丈夫。うん。