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075.

「先日は大変申し訳ありませんでした」

 ぺこりと頭をさげられたのは、崎ちゃんの楽屋でのことだ。

 家で会うのはいや、というか家を特定されるのがいやだという話をしていろいろ断ったのだけど、崎ちゃん経由で話がきたのだ。後日謝りに行きますが実現されたわけである。

 もちろんルイとしては慰謝料もいただいたので、これ以上話をするつもりもないのだけど、どうやら相手はきちんと話をしておきたいらしい。粘着気質である。

「これ、つまらないものではなく、とっても美味しい茶まんじゅうです」

 崎ちゃん本人は今のところ撮影に出てしまってここでは二人きり。何かあったら連絡よこすようにと携帯は手に握っている。ワンプッシュで崎ちゃんのところにつながるようになっている。撮影中はあっちのマネージャーさんが持っててくれる手はずだ。

 さすがに事情の全部を話したわけではないけれど、崎ちゃんからは、あの人は仕事はできるけど、強引なところがあるから気をつけなさい、特にあんたの場合はいろいろ爆弾抱えてるのだしと注意を受けている。

「さて。単刀直入にお話をしますが、この前のことも含めて蠢のこともなかったことにしていただきたいのです」

「こちらとしては、シマちゃんと幼馴染みだった過去をなかったものにしようかと思う勢いですが」

 茶まんじゅうには手をつけずに、マネージャーさんに冷たい言葉を向ける。媚薬が入っていないから変な気持ちにはまるっきりならない。助けが来たときは少しだけ気分も緩んだものだけれど、根本の全部の原因となったのは彼のせいなのだろう。あのメールでの指示さえなければ彼らもあそこまでの蛮行はしなかったのだろうから。

「それはこちらとしても僥倖です。彼のことはもうすっぱり忘れて欲しい。もう第二の人生を生きているのですし」

「だったら、別に呼ばなくても良かったのに。私は元からシマちゃんのことを話すつもりなんてまるっきりないし、このネタ話して信じるのなんて、ゴシップ誌くらいなもんでしょ?」

「ははっ。芸能界に疎いとはいってもそこに行き着くのはさすがだね。確かに我らが警戒していたのもそこ。君から直接はないにしてもそういう噂が少しでも立てばそれをかぎつけた奴らがやってくる」

 だとしたら、その線は心配しなくても平気かな。彼はそういいつつも緊張を解かない。

 話はコレで終わりのはずなのにだ。

「それでは私はこれで失礼しますよ? これでも忙しいんですから」

「いや。話はまだあるんだ」

 まったく、と椅子に座り直して不満げな顔を見せる。

「貴方が彼らをたきつけた件ですか? 女子高生は口が軽いだなんて適当なことをいってあおったの貴方ですよね?」

「うはっ。これは手厳しい。まさにその通りなのですがね」

 全く悪びれたようすもなく、彼は足を組み替える。誠実さのかけらも消し飛んだくらいだ。まるでこの前のことは想定内のことだったと言わんばかりの態度である。

「いえね。君のことは珠理ちゃんからよく聞いたし、問題はなさそうと判断したのですが、この際、一つ試してみようかと思ったのですよ」

 なにが、と聞くつもりはルイにはない。試しという言葉でちらりとあの五人にある問題が頭に浮かんでしまった。

 おそらくそれさえなければルイは信用されていただろうし、あんなことにはならなかったのだろう。崎ちゃんありきの信用だとしてもだ。

「もし蠢の素性がばれたら彼らはどうするのか。シミュレーションをとね」

 君をそれに巻き込んだのは申し訳なく思いますが、と彼は悪びれずに言った。

 HAOTOの今の問題点は、危機管理能力のなさだ。子供だから仕方ないなんていうつもりはない。蠢の話は致命的すぎる内容なのに、それを守る体制はご覧の通りに雑すぎる。

 それをどうにかするために、彼はルイを使ったのだ。確かに結果的にはメンバー同士の結束も強まっただろうし、今後あいつも細心の注意を払って生活することになるだろう。

 それこそ、「以前のように」完璧に。性別を変える人間が、バレを警戒して四六時中緊張に身体をこわばらせるような生活に戻る。気の毒ではあるけれど内緒にするというならそれくらいはやっていただかないとこちらも被害を受けた身としてはやるせない。

「いくら何でも無謀過ぎますっ。万が一なにかがあったらどうするんですか!」

「後も追っていましたし、状況の確認もしていました。貴女が危うくなったらそこで踏み込もうと思っていました」

 正直、媚薬を盛られて翅のズボンを下ろすあたりで、踏み込もうと思ったのだと彼は言う。

「けれども途中から雲行きが怪しくなった。それならもうちょっと様子をみようということになったのですよ。いえ、これでもおじさんも男ですしねぇ。画面越しの君の顔があまりにも艶めかしくてごくりんことしてしまいましたよー」

 冗談を言っているのかいまいちわからない真顔で彼はあごに手を当てる。

 ふむ。画面越しに見ていたのならもう少し早くに助けていただきたかったところだ。そもそも媚薬を飲まされて動けなくなったあたりで助けるのが一番じゃないだろうか。ルイだからこそそこまでの心の傷にはならないで済んでいるけれど、これが普通の女子なら普通に心的外傷(トラウマ)になるだろう。

「ずいぶんと悪びれない言い方ですね。これで私が激昂して話を周囲に漏らしたり、気鬱になって引きこもりになったりしたらどうしようと思っていたのです?」

「そこらへんは珠理ちゃんからよく話を聞きましたしね。君なら適任だと私が判断しました」

「崎ちゃんはなんて言ってたんですか?」

 さて、彼女はルイのことをどう言っているのだろうか。そこは気になる所だ。もちろん性別の話はしていないだろうけど、彼女のルイにたいする評価というものが気になる。

「田舎で会った子で、芸能界に興味のない芋っこだって。蠢さんと幼なじみだかなんだか知らないけど、なんだか親しげでむかつく、と」

 確かになぁ。目の前で口封じ♪なんてことをやられたら親しげだとは思われるかもしれないけれども。

 でも、そんな芋っこをあんなところに放り込んで大丈夫だと判断した意味がわからない。

「ああ、だから何度も言ってますが、貴女が素直な芋っこだったらもっと早くに救出に行ったんですって」

「素直じゃなくて悪かったですね」

 確かに身を守るためとはいえ、アレはやり過ぎだったかもしれない。曲芸といってもいいだろう。

 けれども、さすがに若者の暴走ととらえる以外にないじゃないか。あんなこと。

 それに、ルイとしては痴態を撮られるというのにどういうリスクがあるのか、重々承知している。なまじ普通の女子が脱がされるよりもよっぽどひどい話になるだろう。

「この通りです。確かに今回我々は貴女にひどいことをした。けれども彼らのため。今後のためにだったんです」

 がばりと上半身を折って、頭を下げる。大人の男の人に頭を下げられる経験なんて当然ルイにはないわけで、その姿にすごく胸がもやもやする。頭を下げるという行為はこの相手にもやもやを与えさせて譲歩を生み出す行為なのかもしれない。

「頭を上げてください。一度だけなら許してあげます。でもこれは二度はないですし他の子だったら絶対許されないことです」

「許していただけるのですね。良かった。それが聞ければ安心です」

 それこそばれたら一大スキャンダルですからね、としれっという彼だが、こちらが折れるのを想定しての人材選びだったはずだ。なんとなく手のひらで踊らされたような感じがしてしまう。

「さて。それでは、そんなところで本題に入りましょう」

「はい?」

 きりっと居住まいを正して彼はこちらを正面から見据えた。眼鏡の位置すら直すほどだ。

 さきほどまではどこか真剣みがなかった彼なのだが、彼は嫌らしい笑顔をひっつけたままそれでもこちらにじっと熱のこもった視線を向けてくる。

「ルイさん。うちの事務所に入りませんか?」

「これはナンパかなにかなんですか」

 なにいってんのこいつ、というのが声に出ただろうか。

 いくらなんでもあんまりな申し出ではないだろうか。謝罪のあとにこれというのも。

「ええナンパです。君の才能に正直脱帽しました。いまどんなAVをとっても、男の逸物を握りしめて、おまえの息子は誘拐したって台詞はいえません」

「それはいえないとは思いますが……だからって。はっ。まさか口封じの一環ですか!? ビデオを撮ってたってことはそれを編集して売りさばくって脅すとか」

「ああ。それは……いい案ですねぇ。もちろんそれをやったらこっちも身の破滅ですが」

 個人利用ならば十分あれはあれでいいものですと、彼はなぜかお墨付きを与える。

 どのみちアレが世に出たら大変になるのはそっちもだ。自分でスキャンダルをばらまくようなものになってしまうのでその点は安心している。

「どうです? 芸能界デビュー。もちろんカメラマンとしてメインで活動してくださってかまいません」

「嫌です。お断りです」

 ぷぃとそっぽをむくと、彼は目を見開いて呆然とした。

 断られるのが心底わからないといった様子だ。ここの人達は本当に芸能界至上主義だよね。

 自分のことは知ってて当然とか、憧れて当然とか。

 ルイのあこがれは、だんぜん、四季の草花の安田興明さんである。あの後もやっぱり空き時間に調べてみたりしてもあの写真集以外は出てこない。

「とはいえ君は写真をやる人だろ。だったら見てもらいたいって思うだろ。それならネームバリュー! それがないと話にならないだろうが」

 突然の反応に、彼は丁寧な言葉遣いをかなぐり捨てたようだった。

 わかりはする。写真の良し悪しより、撮影者のブランドでちやほやされる風潮はたしかにあるのだ。けれどもそれは、本末転倒ではないか。腕があるから名前が売れる。そうやって実績を作っていって売れていくのが正しいあり方だ。佐伯さんなんかはまさにそんな職人として成功している先輩だし、あいなさんだって多少展示会とかで外見を使ったとしても、メインになるのは写真のもつ力だ。

「だが、断る、ですね」

 にこっと笑顔を浮かべる。きっと誰しもに受け入れられるふわりとした笑顔。

「でもその容姿をつかわないのは、なんというかいろんな意味で損だって思わないかい?」

「異色アイドルとしてでも売り込もうというんですか? でも私は隅っこ暮らしでいいんです。作品が日の目を浴びるにしてもそうじゃないにしても、それ以外の要因で作家のネームバリューだけで売れたくないです」

 いちばん理想の形はお互いがそれぞれ補完しあいながら人気が出ることだ。それはコスROMの販売をしているときにも思った。エレナのことを知っていて買ってくれる人はもちろん九分九厘そうだったのだろうけど、ふらっと写真を見てそれで買っていってくれた人もいたのだ。その人からのコメントが来たときは正直ぐっときた。

 女だから相手を萎縮させずに写真を撮れる。その点はメリットだと思っているし今後もこのスタイルは変えない。けれど、女を武器にして写真を売り込むという真似はしたくないのだ。

「君は甘い! わかっているのか。見られる商売っていうのは売れなきゃ意味がない」

「わかってはいないけど、知ってはいますよ。ネームバリューのほうが大切って。悲しいけど人は自分の審美眼よりメディアの評価を鵜呑みにする。海外の賞をとれば落武者だって凱旋できる。けれどそれって作品の力じゃなくて審査員とかの力で売れてるだけでしょう」

「君はそれで満足なのか!」

 マネージャーさんの声にも熱がこもる。思わず前に乗り出すくらいには今回の話に乗り気なのだ。そりゃそうか。この前の件が前座で、こっちが本題と言い切るくらいなのだから。

「シマちゃんから聞いてないかな。あたしは閉じた世界で目の前の人たちの笑顔を見たいだけ。顔の知らない誰かのために頑張れない。がんばろうってする子は応援するけど、私にとっての世界は目の前にあるもの。空気、風、人。そして光とかそういったものが大切で、あんたがたがいう、つまらない田舎を愛していて、そこで触れあう人たちが大好きで。これで満足できないって人のほうがよっぽどわけわかんないです」

 早口でまくし立てると今度こそ彼はきょとんとした。芸能界の人から言わせればワケわからんのだろう。

「私の外見が目を引くのは知ってます。そういう風にプロデュースしてますから。でもね、これは写真を撮る上で相手が萎縮しないようにするためのものであって、自らが輝くものではけしてないんですよ」

 ルイは圧倒的にかわいい。もう自分で言ってしまおう。鏡も見ているけれどそこらへんの女子よりもよく仕上がってると思う。

 けれども圧倒的に足りないものがあるのだ。

 それは、願望だ。見られたいという願いそのものだ。注目を浴びたいから可愛くなりたいというわけではないのだから、普通の人とは自分を作るためのルートが違うのだろう。

「芸能界にいる人たちは、そこを目指してがんばるからこそ輝くのではないのですか」

 今回の件でもわかるように、何をしても生き残りたい、注目されたい、大物になりたいという思いが強いからこそここでやっていけるのだろう。そこらへんのモチベーションはルイにはまったくないのだし、デビューしたところで鳥肌がたってなにもできないで終わるような気がする。

 人には向き不向きがあるのだ。

「しかし……私は君が欲しい」

 絶対に売れるとビンビンと反応しているのだと彼は言う。

 そろそろ崎ちゃんのお仕事も終わってしまいそうな時間になってしまっている。けれども彼は話を切ろうとはせず、帰るそぶりをみせると、まーまーもうちょっとだけ、お願いしますと慌てた声を漏らすばかりだ。

「仕方ないですね……おとなしく帰してくれれば使う気はなかったんですが」

 すちゃりと鞄から、タブレットを取り出して操作をする。何かあったときのお守り代わりに持ってきていたファイルがその中にはあるのである。

「私はこんな画像をもっています」

 動画を再生するとそこに写し出されたのは、あの場の全景が把握できる引きの絵だった。

「最近のカメラは高性能でして。あのランクでも平気で一時間以上の撮影に耐えるんです」

 このために大容量のメモリーを買ったのは内緒である。

 画像を見終わった彼は顔をさぁと白くして、手を伸ばしかけて止めた。

「はい、削除。原本は家にSDカードにしまって保管してあります。コピーはいま消した奴だけ。この子にウイルスが入っててうっかり拡散なんて事態がなければ、たぶん大丈夫です」

 WIFI環境じゃないとネットにつながりませんし、と付け加えると彼はほっと安心したようだった。

 タブレットの使い方としてどうなのか、といわれそうだけれど、基本木戸はタブレットをネット端末として使わない。

 というか、使えない。というのも学校の無線LANは情報処理室周辺だけしか使えないし、パスワードが要求される始末だ。

 アルバイトをしているコンビニでは使えるけれど、公衆無線LANを使ってまで情報を取るだけの時間的余裕もない。

 電車の間は無理だし通信機系は維持コストがかかる。そもそもタブレットが手持ちできるようになって、過去の写真の整理や観察ができるようになったことこそがありがたいほどだ。

「そこまでして、嫌がりますか……ならわかりました。今日のところは引き下がるとしますよ」

 そろそろあちらも休憩に入るようだし、とマネージャーさんはぐったり肩を落とした。

 とりあえずは、引き下がってはくれたようだが、今後もアプローチが続きそうだなぁと、内心げんなりするのだった。

 撮影に対するスタンスをあらためて考えさせられるターンです。考えるまでもなく、職人気質なのですけれどね。

 そういう部分が出したくてターニングポイントと言っていたのです。このマネージャーさんは反省の色がほとんどないので、印象はすこぶる悪いだろうなと思っていますが、たまには悪役も必要であります。

 仕事ができる大人の男なんていうのは、たいてい他人をないがしろにするし踏み台にするものだ、というのが仕事してると思うことでありますヨ。利益追求する世知辛い世の中なのです。あぁ、自由になりたい。win-winとかそれなんて電動音って感じです。

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