694.コンビニの店長が代わるってよ
「ありがとうございましたー」
夜のとばりがすっかりおりて、お客が居なくなると、少しだけ気が緩む。
商品の補充をしたりやることは多いのだけど、ずっと気をはりつめっぱなしだとやはり疲れはたまるもので。あと三十分がんばろーなんて内心で思っているときに、一緒に働いている先輩から声がかけられた。
「なぁ、木戸。おまえさん、大学でたら正社員とかやらん?」
「はい?」
その件では、まえからお断りしているわけですが、というと、だよなぁとため息混じりに言われてしまった。
木戸のコンビニ歴は高校一年からだからもう結構になる。
とはいっても、やはりアルバイトとしてであって、正社員の話はお断りしている。もちろん本業のほうがあるからで、大学を出たらアルバイトも辞めるつもりだ。
「突然、そんな話してどうしたんですか?」
「いやな、俺さ、ここの店長やらないかって言われてるんだよ」
「……店長!? 大出世じゃないですか」
「……おま、あの店長の毎日を見て、出世とかいうのか……」
先輩が、おまえ……とあきれたような声を漏らしていたのだけど、とりあえず無視することにする。
この店の店長、というのは、なんというか、正直木戸は受けたくない案件なのだった。
「えと、そもそも黒羽根店長、どうなっちゃうんです?」
「寿退職です」
「ほほぅ、ご結婚で……やめられるとでも?」
「おまっ、この業界を蟻地獄みたいにいわないでくれ。それにこの店の店長は辞めるけど、移動するだけだから」
「ああ、お相手は別のお店の店長さんですか。一緒に働く感じになるんです?」
「そういうことみたいだな」
ずっと一緒に居たいとか、めちゃくちゃ熱いよなぁと先輩はため息をついた。
そういえば、前に夜景の撮影をしにいったときに、学校近くのコンビニで黒羽根店長とお相手の写真を撮ったことがあったなぁなんて思い出す。
良い感じだったけど、結婚まではある程度時間がかかったなぁという感じである。
「先輩は、結婚とかはどうなんです?」
「俺は……まったくないなぁ。そもそもコンビニでの出会いなんて、お客さんくらいなもんだし。従業員は若いアルバイトの子ばっかりだから、手を出したら犯罪っていう感じになるし」
「あー、みんな十代ですもんね。大学生アルバイトもなぁ……」
結構、別のバイトに切り替えたりとかありますしね、というと、そうなんだよなぁと先輩はため息をついた。
「その点、木戸はちゃんと居てくれるから助かるよ。ほんと、是非とも正社員になって欲しいくらいで」
「先輩も大概にしつこいですね。むしろ、早めに辞めてしまってもいいくらいなのですが……」
「ぐっ……それだけは、やめて。まじで」
店長ぬけた穴もでかいのに、おまえまで辞めたら、俺は病める自信があると先輩は情けない声を上げた。
そう。正直木戸は、ルイとしてある程度の稼ぎがある状態だ。
コンビニでアルバイトしなくてもいいくらいには収入があるのである。
でも、仕事を続けているのは、やっぱり人間観察というか、こちらの仕事もある程度好きだからだ。
それに、木戸としてはまだ写真家としてやっていけてないから、というのもある。
「それにほら、イベントの時のおまえの爆発力ってすげーじゃん? 今年もミニスカサンタ希望で」
「それは構いませんけど、他の子育てた方がいいと思いますけど」
来年までしか居ないのですし、というと、くそぅ俺の心のオアシスがぁーー! なんて言われてしまった。
女装男子にそこまで依存してしまうのはいかがなものかと思います。
「つーか、おまえの女装姿が可愛すぎるんだよ。なんだよもう、そこらへんの女子より圧倒的にお肌綺麗だし、スタイルも抜群だし。胸とか慎ましやかだけど、それもまたよし!」
「先輩はちっぱい派だということですね。じゃー今年は胸の詰め物多めにしようかな」
「なんっだとっ。胸の大きさ変えるとか……」
「だって、女装ですし? ブラジャーの大きさ変えてパット入れれば大きさは変幻自在ですよ」
ま、俺もあんまり盛らない主義ですけど、というと、女装やべぇと先輩は言った。
「っていうか、下着も女性用なのか?」
「ですね。やるからにはそこまで徹底しますよ」
それがなにか? という顔をしていると、先輩はやべー、と声を上げた。
いや、そうはいっても、女性下着を着けるのはデフォルトである。
躊躇する理由がよくわからない。
「その……きつかったりしないのか?」
「あー、そこはテクニックがありますから。なんとでもなりますよ」
収まるはずがないーというのは、きっと一般的な感覚なのだろうと思う。でもそれはそれ。
また、下着の形状でもいろいろなものがあるので、問題はなかったりする。
「俺にもできるだろうか……」
「……いきなり爆弾発言がでましたね。唐突にどうしたんです? いままでそういうのに興味はないと思っていたんですが」
「いや、黒羽根店長も結婚だろ……それにたいして俺はまったくもって、出会いすらろくにない……その突破口みたいなものとして、女装はどうなんだろうかって思ったりして」
「うわぁ……それはおすすめしませんよー。っていうか、下心ありで女装して近づくとかめちゃくちゃ嫌がられますからね? 女子制服を自作して女子校に潜入した馬鹿とか居ましたけど、ほんっとまじでキモがられますから」
もともと、女装が好きで自然に女友達が増えるなら、まだいいですけど、動機がちょっとよろしくないというと、くそぅ、と先輩はうめき声を上げた。
「おまえさんは、あんなに綺麗だったり可愛かったりする女子といっぱい出会ってるというのに、俺は駄目だとは……」
「もっと健全な出会いをしましょうよ。マッチングアプリとか、街コンとか」
「結婚を前提にみたいな? 前に黒羽根店長も飲み会で言ってたけど、なかなか相手見つからないって言ってたし」
それで、同業者とつきあえるってのは、くっそうらやま、と先輩は拳を握っていた。
「なにが、くっそだって? おつかれさまー」
ぴこんぴこんと入り口が開く音がして、いらっしゃいませーと声をかけると、そんな反応が返ってきた。
先輩には、さっきの言葉の言及で、木戸には良い笑顔である。
黒羽根店長は夜勤なので、そろそろ木戸と交代の時間なのだ。
「店長。俺、出会いがしたいです……」
「なに、いきなり。まさか私が結婚するからって、焦っちゃってる?」
「そうっすよ。しかもいきなり店長の座は君に決めた! とか言うし」
「そこはオーナーと話した上で決めたからなぁ。君ならできるよって感じで」
実際、一通り仕事できるし、後輩の面倒だってちゃんと見てるし、大丈夫じゃないかなと店長は言った。
「面倒見がいいことと、店舗運営ができることは別じゃないっすか。俺、店長みたいに数字数字ってがんばれない……」
「いや、私だってひぃひぃ言いながらやってたけど? クリスマスケーキに、恵方巻きに、バレンタインに、おせちに母の日ギフトに……クリスマスとバレンタインは、どこかの美女が降臨してくれたおかげで、売り上げ倍増なわけだけど」
「だが、男だってな」
そこは、確かに木戸さえ居れば売り上げ増は見込めるわけだが、と先輩は言った。
「まあ、別に男の子でもいいと思うな。あんなに可愛い子にケーキ販売してもらえるとか、チョコ渡してもらえるとか、うちの店舗は大勝利!」
「そして木戸がいなくなったら、大敗北必至ですか?」
「そのときはそのときよ。そのときの店長がガンバル。つまり、君がガンバル」
さぁ、カンバル王国に行った気持ちで、がんばろー、と店長が言うと、自分自身と戦えということですかと、先輩はげっそり答えていた。
なにかの小説の話である。
「あー、くそー、木戸みたいな可愛い子、入ってこないかな」
「じゃあ、先輩がやればいいんじゃないですか? 俺にもできるだろうか、キリっ! とかしてたじゃないですか」
「ちょっ、さっきは断っておいて、そのふりかよー」
「え、木戸くん、まさか……他の人も美女に仕上げられたりする?」
何を言ってますの? というような感じの反応に、首をかしげながら答えることにする。
「女装の可能性は無限大ですよ? それなりにノウハウもありますし、メイクや仕草や、声の調整なんかもたたき込むことはできます」
美人になるか、といわれると……どこまで盛れるかって感じでしょうかね、と肩をすくめて言うと、二人はこれだっ! とテンションを上げていた。
「え、先輩が売り子になるんです?」
「いや。俺じゃなくて、むしろ若い女子にメイクを教えてやって欲しい」
「……でも、それやって、男女で時給同じだとクレームきません?」
俺の時みたいに特別手当がでるのと、本人の意向次第だと思います、というと、お、おうと彼は反応した。
「あんまり無茶なことをやらせると、パワハラって言われますからね」
「あー、そだねぇ。っていうか、数値目標がパワハラなんじゃないかなっていう無理げな話もあるんだけどねぇ」
あぁ、今年もクリスマスがやってくるー、と黒羽根店長は遠い目をしながら、言った。
ああ、これは今年もミニスカサンタをやれということだろうか。
「そして、仕事をするためだけに生きる、ワークマシーンになるんだぁ……くぅ、俺の人生はコンビニのためだけにあるのか……」
恋人が、恋人が欲しいのです、と先輩は嘆き声を上げた。
お酒が入ってるわけでもないのに、はっちゃけすぎである。
「出会いが欲しいというなら、ここはあえてお仕事増やすとかどうですか? オーナーがやってるカフェで働かせてもらうとか」
「ちょ、いまでもオーバーワークなのにさらに働かせるとか……木戸、おまえは鬼畜かっ」
「いや、コンビニ店員とカフェ店員どっちのほうがモテるかなぁって話です」
イメージ的な問題です、というと、お? と先輩は興味を示した。
確かにカフェ店員という言葉にはちょっとした、オシャレ空気が存在する。
「カフェって言い方はちょっとずるいよね。でもお茶屋っていっても雅な感じがするし……休憩所勤務って言えばいくらかイメージダウンになるかしら」
「名前でイメージ変わるのもありますねぇ。コンビニ店員ではなく、販売員とか……バイヤーはちょっと違うか。あっちは買ってくる人だし」
「コンビニ店長の肩書きを、良い感じに言い換える……か。でもカフェ店員ってかっけーなぁ……」
くぅ、と先輩がうめいた。
あこがれみたいなものもあるんだろうか。
「でも、オーナーのことだから、こっちの店長がんばって、って笑顔でいいそうな気がするな。相談したらお見合いとか持ってきてくれるかもよ?」
「お見合い……今時、お見合い結婚っすか」
「奥手だけど、結婚願望はある、そんな人たちが、集まる……のかなぁ」
ふむー、と黒羽根店長もよくわからない感じで、首をかしげていた。
世の中にはお見合いをするおうちもあるというわけだ。
さて、先輩の方の悩み相談はいちおう落ち着いたようなので、木戸は改めて店長に声をかけることにする。
なにせ、結婚である。結婚といえば、やることがあるではないか。
「そういえば、黒羽根店長、結婚式とかやる予定は?」
「あー、ないない。いちおうドレスアップして記念写真撮っておわり」
そう、結婚と言えば、結婚式。そしてそこで、行われる写真撮影……と、思っていたころが木戸にもありました。
まさか、式をやらないとかっ。いや、そういうところは増えてるようですが。
でも、まだ終わりではない。
「記念写真を撮るっていうのは、誰に撮ってもらうとか決めてます? 決まってないなら是非ともー」
「あー、木戸くんもカメラやるもんね。でも、撮影会場は押さえて衣装も押さえて、カメラマンは近くの写真館にお任せするつもりでいるの」
「近くの写真館?」
ん? と首をかしげていると、ええと、と店長はいい顔を浮かべた。
「佐伯写真館ってところに、ルイさんっていう若いカメラマンがいるのよ。なんか依頼できるっぽいからお願いしてみようかと」
「えっ、まさか銀香のルイさん? うおーまじで撮影依頼できるんすか?」
えっ、それなら俺も撮ってもらいたい! そして一緒にお茶を飲みたいー! と先輩は騒ぎだした。お客さんが来てない時間でなによりである。
「ちゃんとしたお仕事しか通さないみたいよ。それにうちの場合はその、旦那と付き合うきっかけみたいなところもあるし」
昔ツーショット撮ってもらったことがあって、と店長はのろけモードだ。
くぅ。あのとき女装してなければ、木戸がこの仕事を取れていたのではないだろうか。ちょっと悔しい。
「というわけだから、写真はルイさんに是非って感じ」
まあまた別の機会があったらこえをかけるから、そんなにしょぼくれないでくれたまえ、と店長から優しい声がかかった。
じゃあ、改めて式をするようなら声をかけてくださいねというと、そこは店の売り上げ次第で、と切り返されてしまった。
お仕事がもらえるのはまだまだ先になりそうだった。