685.新宮夫婦からのご招待4
妻に、そういう告白をされた旦那さんってどんな気持ちなんですかね。
「お風呂いただきました」
「……ああ、馨くんか。その……なんか湯上りもその、美人デスネ」
「はぁ、真飛義兄さんはちょっといろんな意味でテンパリすぎではないですかね?」
お風呂から上がってほっこりしたところで、髪をタオルでわしわしとなでくりまわしながらリビングに行くと、真飛さんはちょっとタイムラグを発生させながら、あぁという感じで声をかけてくれた。
いつもの真飛さんならすぐにでも木戸に気づくはずなのだけど、少しぼうっとしてしまっているのは、先ほどの食事の時の姉の衝撃? 告白からなのだろう。
確かに、新しい家族が増えるっていうのはとても大切なことではあるのだけど、木戸としてはむしろ自然に、ああ、この時がきたのかくらいの感慨しかない。
というか以前病院に行ったときに、赤ちゃんの写真も撮らせてもらったし、小さい子の撮影だっていろいろしてきている。それは当たり前にあるものだし、むしろ、どうしてそこまで新宮家の人たちは慌てているのか、正直よくわからない。
「真矢ちゃんは、姉さんと寝室ですか?」
「ああ、なんかこう、いろいろ話をしたいって言っていたから」
女同士で話したいことがあるとかないとかって話だったけど、とかなり困惑したような顔をした真飛さんはブラックのコーヒーをすすっていた。
「ならこちらは、男同士で話でもします?」
「その格好で言われても、正直、あんまり男同士って感じがしないんだが」
ああ、ただでさえ牡丹のことで頭がいっぱいなのに、ほかの要素はあんまり入れないでくれないか、とげっそりしたような声が真飛さんから漏れた。
いや、ほかの要素もなにも、風呂上がりの男子ですが? それがなにかの要素なのでしょうか。
「眼鏡かければ、大丈夫です?」
「う。なんか眼鏡つけてても、風呂上がりはやばくない?」
「そういわれても、風呂上がりはみんなこんな感じじゃないです?」
「いや、そんなことはないんじゃないかい?」
君からほんのり湯気が出てるだけで、ちょっとこう……やばいです、と普通に言われてしまった。
んー、どうなんだろう。今まで湯上がりについては両親からも特に指摘はなかったし。
ん? あれ、もしかしてコンビニバイトしてた関係で、両親に入浴後の顔とかってあまり見られてないかもしれない。生活の時間が違うしね。
「でも、これであたしが女子ならそんなにおかしい反応には……なるのか。表に出さないだけで」
おう。そういうものか、というと、そういうもんなんです、と真飛さんは素直に言った。
そこらへん、真飛さんは素直に白状をしてくれた。
もちろん、そういう指摘自体を女性にしたら、セクハラだって怒られそうなもので、いちおう義弟だからという認識ではいてくれるのだろう。
「わかってもらえるとありがたいよ。っていうか、君はいつも風呂上りはそんななの?」
てか、修学旅行とか大丈夫だったの? と真飛さんは心配してきた。
いや。うん。そんな、がなんなのかよくわからないけど、気を付けてはいるつもりだ。
「家でのお風呂はこんな感じですけど、外だと基本お風呂には入りませんよ? 友人の家で泊まった時はまー、アクシデントもありましたし」
ルイとしてなら、混浴か貸し切りかで入ることはありますけど、というと、そういうものなのか、と真飛さんは視線をいろいろとやりながら、髪の毛乾かしておいでとやんわり今の状況を避けようと必死なようだった。
別に、妻の弟にそんなに気を使わなくていいと思うのだけど。
たとえ、これが妹だったとしても、むしろ困惑してはいけない場面のような気がする。
「では、お言葉に甘えて。最後に入る真飛義兄さんをまたせるわけにもいかないので」
洗面所を占拠させてもらいます、というと、さっさと乾かしておいでと言われてしまった。
むぅ。時間的なことを考えると、彼が入浴中に洗面所を使うというのが一番いいような気がするのだけど、どうにもまだまだ一人でブラックコーヒーを飲んでいたいらしい。
そういうことならと、急いでドライヤーを使わせてもらうことにした。
なかなかの風量があるドライヤーで、姉のこだわりもわかるようなチョイスである。
新宮家の新婚夫婦の家の家電は、お互いの住んでいたところからの持ち寄りと、新しく購入したものが当然ある。
新しいものっていうのは二人で暮らすためにサイズアップしないといけないもの、家の広さというのはあるし、冷蔵庫や各種家電類も、一人暮らしの時よりも一回りは大きなものにしているということは聞いている。
キッチンなんかも料理がちゃんとできるサイズのものになっているし、二人暮らしというスタイルに合わせてのものに変化はしている。
そして持ち寄りの部分では、美容系のものは姉のものが多く採用されている。
シャンプーなんかはさすがに別のものを使ってるみたいだけど、それでもドライヤーは姉が使っているもの、そしてそれは木戸家においてある髪の毛さらさらになるドライヤーに一目ぼれした姉が、使い始めたものでもあった。
そんなドライヤーからの熱風を浴びながら、そこまで長くもない髪の毛を乾かしていく。
最近、あんまり髪を切りに行っていないので、長さはまあ男子のそれとしても伸びすぎになるだろうか。
それを丁寧に乾かしつつ、ロングの髪の毛にちょっと、思いを巡らしたりする。
正直なところ、地毛のほうがおしゃれはしっかりできるように思う。
ウィッグが取れた時になんて言い訳しようかというのはあまりないんだけど、編んだり髪型をいろいろアレンジできるのは面白そうだ。
そう考えると伸ばしてみてもいいんだけど、そこでふと思うわけで。
髪を乾かすのが面倒くさい。その時間はもっと他の事に使いたいし、優先順位で言えば撮影のほうが上だ。
いちおう、女装も楽しいけどあくまでも撮影のために女装しているのがスタートなのだ。
そんなことを考えてドライヤーをかけてると、あっさり髪の毛が乾いたので、居間に戻ることにする。
その前にキッチンに寄って用意したのは、夜の飲み物である。
「お待たせしました。これでどうです?」
ことりと、マグカップに注がれたココアを真飛さんの前に置くと、自分の分を斜め向かいの席に置いて着席する。
暖かいココアはゆったり湯気を出していて、甘い香りが周りに広がっていく。
「……なんというか、髪を乾かしたにしても、眼鏡がないとやばい感じがする」
「眼鏡があればOKということで」
うんうん、これで大丈夫といいつつ、ココアに口をつける。まだまだ熱いのでちょっとだけ。うんうん。優しい甘さが広がっておいしい。
「いや、その仕草もあんまり外でやってはいかんような気がするな」
俺だからいいようなものの、他の男の前でカップを両手で挟んでふーふーするとか、やっちゃだめだから、と言われてしまった。
えええ、これくらい誰だってやるでしょうに。
「それで? 俺のことはともかくとして、やっぱり姉さんのことでかなり動揺してる感じですか?」
あっちが女子会やってるならこちらは男同士で語ろうではないですか、といったら、おまえが言うなと言うようなあきれ視線を向けられたけど、もうそこには触れないで話を続けていこう。
「動揺……ま、そうなんだろうなぁ。いきなりなことで実感はないっていうか」
正直、自信もないと少し困ったように彼は言った。
うーん、確かにいきなりあんな話をされたらそうなのかもしれないけど。
でも、その前に真飛さんの気持ちを聞いておいてみようかと思う。
「真飛さんとしては、姉さんにどうしてほしいです?」
「どうって?」
一番大切な問題。それは彼のやる気というか、気持ちというものだろう。
「ええと、産んで欲しくないのかどうかってこと」
これが一番大切なことなんじゃないだろうか。
最近は、ネグレクトなんてのもよくニュースで聞くし、子供に愛情を向けられないなんていう話はよくある話だ。
「なっ、ちょ、馨くん? いくらなんでもその質問はちょっと失礼というか……」
「大事なことじゃないですか? ほらほら答えてくださいな。真飛、お、に、い、さ、ま」
頬杖をつきながら、ちょっと上目遣いでそんなことを言ってやると、うぐっと彼はうめき声を上げた。
「わかったって! だからそういういたずらは止めて」
狙ってやられてもどきっとするから、と真飛さんはテーブルにこてんと倒れ込んだ。
ほっぺたをくっつけてぐったりしているのは、いちおう親戚としての気安さというやつでもあるのだろう。
「もちろん、牡丹のことはさ、嬉しいって気持ちはあるし、産んで欲しくないなんてことは全然ないんだ。でも、いきなり父親ですって言われてその……不安というか」
いまいち、実感がわかないのだと真飛さんは言った。
ちょっと困ってるような、困惑しているような表情は、ちょっと可愛くも見えたので、数枚写真を撮らせてもらった。そこで撮るのかよという感じで一瞬だけ視線がこちらに向いたけど、まぁ、馨くんだしなぁとそっちは諦め気味のようだった。
「不安に関しては、みんなそういうもんだって言いますけどね。ただやるかどうかって話だと思いますけど」
「やるかどうか、か」
やるかどうか。どうにも木戸の言い回しが悪かったせいか、真飛さんはいまいちわからないというはてな顔である。
「だって、年間百万人も子供生まれてるわけですしね。それだけの人が親になってるわけですし。そんなに子育てが無理難題ってわけでもないと思います」
苦労はするだろうけど、無理だったら日本人滅んでますから、というと、そういわれるとそうか、と真飛さんは言った。
「だから、やるかどうかって話かなって思うんですよね。ちなみに俺はそっちより写真撮ってるほうがいいかなって感じ」
やらない側になりそう、というと、あー。ととても残念そうな顔をされてしまった。
なんでそこで残念そうなのかがよくわからない。
「そもそも、うちのおじさんですら、子供育てることができたんです。あの、俺のことを溺愛する残念みにあふれるあの人でも、二人はちゃんと育ちましたから」
衣食住がちゃんと足りてて、ちゃんと話ができれば大丈夫なんじゃないかな、というと、そんなにおじさんってやばいの? と言われてしまった。
「甥に、昔好きだった女性の影を求めちゃダメでしょう。いっつも会うとき、かわいいねー! とか、静香さんに似てるね! サイコーとか言ってくるんですから」
「あ、ああ……それはちょっと、あれかもしれないなぁ」
その、小さなころとか大丈夫だったの? と真飛さんは真剣に悩み始めてしまった。
これは、もしや刑事さん、犯人はこいつですというようなことになるんじゃないかと、ひやひやだ。
「さすがにそこは、母さんがちゃんとたしなめてくれるので大丈夫ですけどね。あんまり外で一緒に二人きりで会うってことはないですし。それに本気ではない……と思いたい」
うん。ちょっとそれは……さすがに困るというと、困ったら頼って良いからと、生暖かい視線を向けられてしまった。
「育児放棄しちゃったり、ついいらっとして殴ってしまったりって、真飛さんと姉さんならしなさそうなんですよね。だから正直俺はあんまり心配してないです」
それに仕事も順調なんでしょう? というと、まぁ一応はと彼は返してきた。
それなら、別にそんなに不安がらなくてもいいんじゃないだろうか。
「それと、さっきの今で自覚を持って、すごい親になろうなんてできる人の方がむしろ怖くないですか?」
「いや、そりゃそうなんだけどさ」
「だったら、焦らずにじっくりでいいんじゃないですか? 嫌じゃないんならそれで大丈夫ですよ」
それに、すぐに出産って訳でもないでしょう? というと、そりゃ、まぁ……とまだ、歯切れが悪い返事がくる。端から見ていたら、真飛さんはかなり立派な人だと思うんだけど、それでも今回の件は対応しきれないものらしい。
となると……どうしようか。木戸はそう思いながら、ココアに手を伸ばした。
先ほどよりも少し冷めたココアが、甘くておいしい。
なんか、漠然とした不安っていうのは、なかなか制御できないものなのかもしれない。
それなら……漠然じゃない不安っていうのを出して置けばいいだろうか。
うんうん。それがいい。
「むしろ、それよりもマタニティーブルーとか、その間に真飛さんが浮気するリスクの方が十分高いような気がしますよ」
こくんとココアを飲み干しながら、いたずらっぽくそう言うと、真飛さんはがたりと起き上がった。
ちょっとカップの中身が揺れてしまったけど、なんとかこぼれなかったようだ。
「ちょ、馨くん?! さすがにその想定はどうなの?」
「いや、ほら、漠然としてない不安を出したら、そっちの方に目が向くかなぁってね」
真飛さん将来有望なんだし、他の同僚が放っておかないかもしれないでしょう? というと、いや……まぁ、と視線をそらされてしまった。
「って、まさか……不倫です?」
ちょ、何をしてますの? と首をかしげて、女声にして言うと、ちょっ、何をいいだすの!? と真飛さんは慌てだした。
「不倫はしてないってば。ただ、その……結婚指輪してるのに誘ってくる同僚とかは居たりするのは事実で」
「それだけ人気があるってことですかねぇ」
もっとこう、派手な感じの指輪にしてみるとか? というと、いやこれは外したくないし! と真飛さんはちょっと照れ顔でそんなことを言った。
うん。とてもかわいらしい顔かと思います。もちろんいただきました。
「なら、スマホの待ち受けとか、姉さんのにするとかは?」
「それはもうやって……」
「ほほぅ、やってらっしゃるのですねぇ。そういうことなら、俺がおすすめの姉の写真を提供するのもやぶさかではないですよ?」
結婚式の時のとかもありますしね、というと、それは是非分けて欲しいですと、彼は言った。
「あとは、外でお酒飲まないとかでしょうか。酔っ払いはいろいろと危ないです」
うんうん、どこかの女優様もくてんくてんになっていたなぁと、去年のことを思い出す。
本当に、外でのお酒は何があるかわからないから、飲み過ぎ注意なのである。
「それは、ちょっと気をつけてはいる。っていうか、そこまで飲み会が多い会社ってわけでもないから、あんまり心配しないでいいよ」
これからはなおさら控える方向で考えていこうかと思いますと真飛さんは言った。
今日のことで、さらに決意がみなぎったようだった。
「ふふ。身近な問題を考えるだけで、もう手一杯ですね」
漠然とした不安なんて考えてる暇とかないでしょう? というと、なんかたしかにそうかも、と真飛さんはココアを飲み始めた。
先ほどのブラックコーヒーよりもずいぶんと甘みが強く感じられるだろうと思う。
「でも、一番の不安は、うちの弟が、夫を誘惑しないかどうか、だと思うのだけど?」
「ちょ、姉様っ!? いつから話聞いてたんですか?!」
さて。落ち着いたところで、隣の部屋から声が聞こえた。
そこからすっと現れたのは、真矢ちゃんと話していたはずの姉の姿だ。
「不倫と、マタニティーブルーあたりからよ。今だって誘惑オーラが漏れすぎていて、同僚の人なんて目じゃないくらいの魔性」
「魔性って。さっきも真矢ちゃんが言ってたとおり、俺は写真馬鹿でポンコツなの。誘惑なんてしたくないの」
自然にしてるだけで、相手が誤解するだけなの、というと、だから魔性なのよ……と言われてしまった。
「まあでも、うちの旦那の話を聞いてくれてありがとね。それは感謝します」
「さっきまで、瀕死だったからねぇ。今はちょっと落ち着いたかなって感じで」
あとは若いお二人でお話をすればいいんじゃないでしょーか、というと、あんたの方が若いじゃん! と二人に言われてしまった。まあ、事実ですが。
「落ち着いたようなら、提案があります。真矢ちゃんも来たことだし、シフォレのケーキタイムにしましょう」
そして、もっと二人の話を聞かせてください、と言うと、おおっ! そういえばケーキがあった! と姉さんはにこやかな顔を浮かべたのだった。
先ほどはお鍋だけで、余裕がなくなってしまったけど、今ならばおいしくいただけそうである。
さー、新宮家のミッション終了です。
必要なことだからがんばって書きました!
来年の出産イベントを書く気力があるかどうかは……そのときになってみないとですね!
それにしても、シフォレのケーキは沈んだ気分を浮き上がらせる魔法がありますね。素敵です。助かります。