656.岸田さんとコスプレイベント1
さぁ、やっとこ次のお話でございます。今回のおともは岸田さん。
やっと、このお話が……かけるっ!
「馨。ちょっといいか?」
九月にさしかかる頃、コンビニから帰ってきた木戸に、父が声をかけてきた。
大学生活と撮影のお仕事が入っていても、いまだコンビニでの仕事も入れているので、帰りは十時になったりもするのだけど。
それでも父さんは晩酌をせずに待っていたようだった。
明日は久しぶりにぶらぶらと町回りでもしようかなと思っていたので、そこまで早く寝なければいけないわけでもない。
え。もう大学三年の夏なんだから、あそんでばっかりいないで仕事のことを考えろって?
そこは……うーん。母様からはちくちく言われているけど、現状はもうこのまま様子見である。
あえて就職活動を、というような考えは、ない。
「おまえ、たしかコスプレってのに詳しいよな?」
「そりゃ、そこそこは撮ってるから。でもコスプレそのものなら健のほうが詳しいんじゃ?」
ふむ、と父から意外なことを質問されて首を傾げてしまった。
コスプレの写真を撮ってるというのは、両親ともに知っていることだ。なにせここでエレナの写真なんかを公開したこともあるわけだし。
そこらへんに偏見があるような親ではないのだけど、ここまで前のめりに聞かれるのは初めてのことだった。
「いや、技術のほうじゃなくてな。社交っていうかそういうのでちょっと聞きたいんだが」
「いまいちはっきりしないけど、なにかあった?」
歯切れが悪そうな父の言葉に、話をしやすいように言葉を投げてやる。
さっさと本題に入っていただきたいのである。
「ああ、我が社でコスプレイベントに出ている社員がいるっていう噂があってだな」
「でも、そんなん、個人の自由でしょ?」
ううむ、と父が言いづらそうにしている姿を一枚撮影。
ちょ、おまっ、と言われたけどそんなものは無視である。
いまさら、会社にレイヤーさんがいたからってそんなにおろおろするのはどうなのだろうか。
父は知らないだろうけれど、むしろ貴方の部下にレイヤーさんが一人居る! というような現実があるのである。
衣装作りとか、イベント会場にいきたいから、会社のそばに部屋を借りているお姉さまが。
でも、はるかさんが今更身バレを起こすようなことをしたのかな。
どちらかというと、レイヤーとしてというよりは、岸田さんと女装姿でデートしてる姿を目撃されていたという方がありそうだけどね。
岸田さんあれで女性に人気はあるから、そっちがばれたら社内でいろいろ言われそうな気はする。
「や、俺も言っておいたよ。そんなに気にすることでも無いだろってさ。おまえら見てて、これでも理解のある管理職だし」
「それでも噂はひろがっちゃってて、白い目みたいな?」
「残念ながらな。別に白い目まではいかないにしても、若干特殊な趣味というようには捉えられるだろうな。まぁ、どこかの誰かさんみたいに、常日頃から女装してうろうろしてまわってるのより十分健全だと思うんだが」
「それは、健にいってやってくんない? あいつこそ、女装コスの希望の星だよ? 再現度ぱねぇって言われてるし」
それに、あたしのどこが不健全なの? と少し上目遣いで言ってやると、うぐっ、かーさんにそっくりな顔で責めないでと、父さんは情けない声をだした。
はい。わかればいいのです。
「ただ、やっぱり一般的にはコスプレって、宴会芸とかその……ちょっとエッチなお店のものってイメージが強いっていうかさ」
趣味という感じには受け取られないもんだ、というので、再び声音を変えることにする。
「父様は、私の写真をみて、まだ宴会芸とかいうなら眼科に行くべきだと思います」
少しふくれるように、女声にきりかえて拗ねた声を上げる。どうだかわいかろう。
「や、やめろ。牡丹にすらそんなかわいい仕草されたことがないんだから」
「まあ、やめますが。それで? どんな人なのかあたりはついてるの?」
あたりがついてるのなら、それとなしにその人に話をふるなり、噂が広がってるならどう対応するか協議していく必要がある。それこそコスプレというものがこんなモノだとオープンにしてしまうか、完全に隠し通すかどちらかだ。
「それがさっぱりでな。おまえに心当たりがあるなら、それとなしに噂の話をしておいて欲しいと思って」
「それならば、まあいいですが」
「って、知ってるのかよ」
あからさまに、誰がやってるのか知ってますという風な対応に、父は大げさに驚いた。
「これでも顔は広いですからねぇ。ただ、本人に忠告しておくだけにします。どうするかは本人次第。会社ばれを嫌がるコスプレイヤーさんはあんがい多いので」
理由は今回の件をみても明白だ。悪目立ちしすぎてしまう。
作り込みは半端なくて、その世界にのめり込んでいたとしても、部外者からみれば、変な格好してポーズ決めてる人達という認識にしかならないだろう。それこそ社会的に有名な作品、しかも外国のものに限るみたいなもののコスプレでないと、痛い人扱いになってしまう。それくらいあそこは特殊で特別な場所なのだ。
「おそらく、公にはできないでしょうね、あの人は。そうやって思っておいてくださいな」
何事も起きないことを祈ります、といいつつ木戸は部屋に戻ることにした。
「今日は、結構大きい会場でやるんだなぁ」
ううむ、と周りに集まっている女の子たちの姿を見ながら、本日のイベント会場に視線を向ける。
とある高層商業ビルの一つの階を借りての、同人誌即売会+コスプレイベントが行われるそこは、もちろんオンリーイベントの規模ではなく、かなり幅広いジャンルを扱うイベントのようだった。
「キャリーバック持ってるの、だいたいイベントに行く子なのかな?」
若い子多いなぁと岸田さんは女の子ばかりのその光景に、物珍しそうな視線を向けていた。
さて。そんな父の話があった翌日。町をぶらぶら歩いていたら岸田さんからもメールが来ていた。
電話ではなくメールなのは、先方が仕事の昼休みに連絡してきたからなのだろう。
大学は夏休みが長いというけど、社会人との差はかなりあるように思う。
もう夏休みなんて、せいぜいとれて三日くらいだと父さんが言っていたので、岸田さんも同じようなものだろう。
そんな忙しい彼が、週末ちょっとつきあって欲しいというのだから、そうとうなものなのだろうと思う。
そして、その要件っていうのが、週末にあるコスプレイベントについてきて欲しいという依頼なのだった。
もちろんこれは木戸宛てのおさそいだから、男子としての参加をするということになるのだけど。
会場とイベント内容を聞くなり、木戸はいつもとは異なるイメージで参加しようと決めたのだった。
「ま、下の商業施設の方に行く子もいるでしょうけど、だいたいは我々の目的地と同じでしょうね」
割と服装を見ると、可愛い系とかレース多めとかの子が、会場に多いイメージです、というとそういうもんかぁと彼はうなずいた。
「印象というと、馨くんは今日は黒縁眼鏡じゃないんだね。いつもよりもすっきりしてていいと思うよ」
「ありがとうございます。黒縁眼鏡も大好きなんですが、なにぶん今日のイベントはちょっとこう……」
「そうなのかな? まあ、はじめて行くから正直どうなのかさっぱりで」
岸田さんに誘われたイベント。
そう。「誘われた」という通り、イベントの場所は木戸ではなく岸田さんの指名だったのだけど。
それが、思いっきり女性向けのイベントだったわけで……ね。
知らないというのは、とても怖いもので、岸田さんはのほほんとどんなところなんだろう、とかわくわくしている。
木戸としては、目的地を聞いた瞬間にうわぁとなった。
さすがに、去年の春先のイベントからだいぶ時も経っているから、蚕が告白した相手、としての木戸馨の印象は風化しているだろうとは思うけど、それでも家にまでマスコミに押しかけられたトラウマはいくらか残っている。
一般の町なら風化してしまっていても、「ここ」だったらもしかしたらそれが残っているかもしれないのである。
謎の黒縁眼鏡のMの存在が、である。
「でも、急にコスプレイベントに行きたいなんて、いったいどういう風の吹き回しで?」
「あー。なんというか会社で今、ちょっと嫌な感じな空気がでててさ。それで実際コスプレ会場ってどんな感じなのかなってのを見てみたかったんだ。そうすれば先入観だけで話しなくてすむかなと思って」
「ああ、父から話は聞きましたよ。会社でレイヤーさんがいるかもって噂になってるって」
「係長はそこらへん、おおらかというか。まぁ馨くん達の影響もあるんだろうけど、そんなに騒がなくてもいいだろうって感じなんだけどね」
やっぱり、ちょっと距離があるからなのか、みんな面白おかしく想像して、ひそひそしてるって感じなんだ、と彼は言った。
「それで、よりによってこのイベントですか?」
「いちおう、女性向けのイベントを紹介してもらったんだけど、ダメかい?」
「ダメじゃないですけど……まあ、男同士で来るところじゃないですね」
ここまで完全に女性向けっていうのは、結構男性は浮きますよと言っておく。
さらには、男性二人ならなおさら浮くどころの話ではないのだけど。
そこで、本日の木戸のコーディネートの力が発揮されるのである。
黒縁眼鏡を外して、細めのフレームのものに変えつつ、服装は中性的に持って行く。
以前、蚕の告白事件があったときに、変装用に崎ちゃんにコーディネートしてもらったときの眼鏡がここで大活躍である。
さらにはいつものもっさい感じじゃなくて髪型もいじっているので、なおさら中性っぽく見えることだろうと思う。
岸田さんと居たら、ボーイッシュな女の子? ん? どっちだろ、というような印象を与えられるはずである。
年齢差もあるから、兄妹みたいに見られることもあるかもしれないけど。
「そんなに女性向けなのか……いや。どうやらうちの社にいるのが、女性のコスプレイヤーさんだって話だったから、こういうところの方がいいんだろうなって思ったんだが」
「もうちょっと女性向けでも、ライトなところもあったんですけどね……ここは、えっとその」
周りに集まってる女性たちの姿をみつつ、口ごもることにする。
なんというか、あまり男性に向けてこういうところで赤裸々に説明をすると、嫌がる子もいるのである。
「でも、どうしてそこまでしようと思うんです? 岸田さんだって休日はデートとかしたいでしょうに」
「で、デートは……その。まぁ、したくないわけでは無いんだが。はるが……その。コスプレ会場はちょっと無理って言ってて」
まー、確かに女性の格好をした状態で、人が、特に女性が多いところはきっついのだろうなぁと岸田さんは一人納得していた。
いいえー。岸田さん。ただ単に西さんがレイヤーさんとして有名だから避けただけだと思いますー。
正直、もう二人とも付き合ってるっていってるんだから、趣味の方も解禁してしまえばいいのになって思うのに、はるかさんったらまだまだそんなの言えないっ、とか可愛い顔をさらしてくださるのである。ああ、ほんとうに撮影しがいのある被写体です。ありがたし。
「いつもみたいにシフォレでお茶してればいいのに。別にレイヤーさんの気持ちを知ろうとか思わなくても」
どうせ、いつか嫌になるほど知るんだろうし、と頭で思いつつそれは内緒である。
でも、岸田さんはまったく別の意味でとったみたいだった。
「できれば、味方してあげたいんだよね。打算っちゃ打算なんだ。俺達の仲が社内に知れ渡ったら、きっと同じような、場合によってはもっとひどい事になるんじゃないかって思ったら、こういうのには味方してあげたいっていうかさ」
「マイノリティ同士で仲良くしましょうとかそういう感じですかね。まあ、レイヤーさんは別に自分をマイノリティとは思ってない人多いでしょうし、みんな大好きなことをただやってるだけなんですけどね」
レイヤーさんの写真を見てもらえれば、そこらへんはわかるでしょうに、とむぅーと唇を尖らせていると、確かに楽しそうだなとは思うけど、と岸田さんは言った。
「実際に感じてみるとまた違うものだと思うんだ。まぁ、そりゃ写真もいいとは思うけどね」
「俺の前で、写真の悪口いうとか……」
「ちょ、馨くん? 悪口は言ってないよ? ただ、その場の臨場感っていうのもあるって話で」
「くぅっ。そこまで言うなら臨場感まで撮り尽くしてやろーじゃないですかっ」
これは腕が鳴ります、と含み笑いをしていると、うわぁと岸田さんにドン引きされた。
そうはいっても、せっかくコスプレ会場にきたのだから、それなりに写真は撮りたいのである。
しかも、この女の子一杯の中で、木戸としての撮影をするというのは、かなり珍しい体験である。
以前、はるかさんのお手伝いをしたときは、ルイさんとして午後は撮影よろしく! って言われちゃったしね。
ふんす、と気合いをいれつつ、ビルのエレベーターに乗り込んだ。
ここを出れば、女の園へと出発である。
「それじゃ、岸田さんもちゃんとカメラ持っておいて下さいね。ちゃんとカメラ登録もしますから」
あそこ受付なので、さぁさぁ、と言うと、俺まで登録しなくても、と及び腰されてしまった。
いいや。いちおうでもカメラは持っていた方がいいと思います。
きっと撮りたい瞬間がそこにあるはずだから!
「今日は俺が案内役なんですから、きちんと言うこと聞いて下さいね?」
「っていっても、たぶんシャッターは押せないと思うんだけど……」
それであっても、カメラは持っておきましょうというと、はいはいと彼は諦めたような声を上げた。
コスプレ会場にきたのなら、やっぱりカメラは持っていた方がいい。
それに。
「同人誌の方じゃなくて、レイヤーさん中心で行きますからね」
その方が参考になるでしょうから、というと、お、おう、と岸田さんはおとなしくうなずいてくれたのである。
本日はレイヤーさんの空気を感じるのが趣旨である。
同人誌の方を避けるのは、当然の措置であって特に深い意味はない。
ええ。きっと。
ちょっとしたことが、会社でのトラブルにつながるのは、世の常というもの!
にしても、かおたんに面と向かって、写真よりリアルの方がいいよ、とかさらっと言えるの、岸田さんくらいなもののような気がします。新しいかおたんの顔が見れて作者は感激です。
さて。そんなわけで女子ばっかリなイベントで、やろう二人?(男性一人と、意味不明一人)で参戦ですが。果たしてどんな事件がおきるのか! やってまいりましょー。