635.プライベートビーチに行こう2
リハビリもかねて今日は軽め。実食までいくつもりだったけど下ごしらえのみでございます。
「ああっ、このコリコリしたのが……ひわっ、ぬるぬるする」
「……しっかり抑えて、ゆっくり……そうゆっくり」
コテージのキッチンで下ごしらえをしていると、可愛い女の子の緊張した声が聞えた。
「ほらっ、僕が支えてあげるから。思い切り行っちゃおうか」
「はいっ! 悪乗りするのはそこまでね、エレナさんや」
コテージのキッチンに立つ崎ちゃんに後ろからナレーションを当てるエレナに苦情を言っておく。
隣で見ていた崎ちゃんは、ぷぅーとほっぺを膨らませながらイカと格闘していたからである。
わざわざ二人一役で口調を変えて話すのはちょっと才能の無駄遣いだと思う。
「もーちょっと漫才してもいいじゃん」
「それ以上やると、崎ちゃん怒るよ?」
ほら、いまもぷるぷるしながら、イカ切ってるよ? というと、ごめーんとエレナさんは手と手を軽く合わせて上目使いで、ぱちりとウィンクをして見せた。
狙ったような小悪魔ポーズというやつである。
ちなみに本人はイカの内臓を引きづり出して、身の部分を丸く切っていっている最中だった。
内臓の方はちょっとヌルヌルするけれど、ちゃんときれいにとればあとは変なナレーションのような事はあり得ないのである。
ちなみに取り去った方のわたの部分は別の料理に再利用する予定だ。
「あんまり遊んでると間に合わなくなるよ。とりあえずあたし達も下ごしらえやろうよ」
「えー、ドキっ、エプロン姿の君にシャッターチャンスっ☆ 作戦だったのに」
「……前にそのエプロン借りたし」
確かに、可愛いし写真映えもするとは思う。けれどもそういう顔も想定内というモノである。
きっと次の写真集あたりでは、企画が上がって佐伯さんが撮っていくに違いないのだ。
しかも、ルイよりも圧倒的に可愛く、である。うう、泣ける。
「ルイねぇ。海老の下ごしらえってこんなんでいいかな?」
「貝類持ってきました。って、思いっきり遊んでますね」
隣のコテージを使って下ごしらえをしていた、クロと楓香、そして彩がバーベキュー会場前のコテージに顔を出した。
その手には下処理が済んだ魚介類がバットに敷き詰められたモノが納められていた。
さて。以前こちらにきたときはバーベキューの素材は概ね三枝家の執事である中田さんにご用意していただいたのだけど。
今回の旅行はせっかくだからみんなで食材を買うところからやらない? なんていう話になったのである。
なので、朝から集まったのにここに到着したのはこの時間、という感じなのだった。
実はここへの交通手段は、エレナさんの運転するレンタカーだったのである。
それこそこの前男同士で海に行ったときに乗ったような大きな車である。
本人はカラーリングが可愛くないとかぶーたれていたけれど、それでもしっかり大きな車を運転できるというのは素晴らしい。
その途中にあった、新鮮な魚介類が取り扱われている海の駅で、大量の魚介類を仕入れてきたのだった。
うん。電車旅というのも楽しくはあるけれども、エレナは目を引くし、さらに言えば崎ちゃんは変装しても割とひそひそされる存在だ。
学園祭の時にある程度羽目を外せたのは、かわいい男装をしていたというのもあるけれど、みんながそれなりに気を遣った結果なのだった。
移動をするなら車で、というのがこのメンバーでは無難な選択だったのだろうと思う。
ああ、クロやんは、すっげすっげと感動していたから、やっぱり男の子だなぁとルイおねーさんは思いましたとさ。
免許は取ったみたいだけど、自分の車を持っていないクロやんである。
というか、最近の大きめな都市に住んでいる若者は、車を保有するということがそれほど必須ではないというのもあって、今後はたまにこういう豪華な車を乗るというのが主流になるのではないかと思う。
ほんと。ルイだってせいぜい使うとしてもスクーターがあるといいな! くらいな感じで、まさにあいなさんと同じような方向性になりそうなのである。
仕事の時は、新人が運転手をやるべきでは? なんて話もあるのだけど、佐伯さんの場合は一人でぱっといって、帰ってくるスタイルなので、そういう労働はあんまりない。そもそもあの人はなんとなく弟子を抱えていってああなっただけで、一人のカメラマンっていうスタイルを崩していないのだろうと思う。
アドバイスと仕事の割り振りなんかはやるけれど、あんまり複数人で撮影っていうのをあの人はやらない。スタジオスタッフ総出で撮影なんていうのはほとんどないのである。
「ほんと、たかがイカ切るだけでエレナに変なナレーション付けられたらたまったもんじゃないわよ。で、次はなにを切ればよろしいんで? ルイ先生」
「野菜類も用意しておきたいよね。パエリアとか創作料理系はエレナが勝手にやってくれるから、こっちはさくっと焼いて食べる系の素材を作れば良い感じ」
例えば、お肉の時のBBQでもよく使われる野菜串とかどうかな? というと、あー、なるほどそういうのもありか、と崎ちゃんは今度は野菜とにらめっこし始めた。
こちらは近くのスーパーで買ってきた物である。
「それで? エレナさんがなにやらこった料理をしてくれる? という話をきいたのだけど?」
こんなところで油を売っていて良いの? と崎ちゃんがニコニコしているエレナに不機嫌な声を向けた。
「ふふふー。彩ちゃんと一緒にすでにパエリアの下ごしらえは済んでいるのですよ。貝係の彩ちゃんとね!」
「貝係を強調してくれますけど、実際やることあんまりないんですよ? 別に潮干狩りしたあさりとかシジミの泥はきさせるとかじゃないですし」
もっとエレ姉さまはいろいろ調理を振って下さってもいいのに、と彩さんがご不満そうな顔だ。
ちょっと可愛かったので一枚撮った。
「うぅー、ルイ先生も写真撮ってないで、珠理奈さん手伝えばいいのに」
「えー、あたしはカメラ係だし。それに下ごしらえ頑張るって言い始めたの、崎ちゃんだしなぁ」
指示だしだけで、あとはやってもらおうのコーナーです、というと、これが嫁姑というものか……と彩ちゃんが変なことを言い始めた。
「あによ、その関係性は?」
もちろんそれに崎ちゃんも反応するわけで。
「ひっ。そのっ、エレ姉さまが時々言うんです。あの二人はデートとかし始めたけど関係性はカップルよりは嫁姑だよねって。舅じゃないんだってところがミソだよって」
女子力が高い彼氏ってのは大変だねー、とエレナさんはにこにこしながら愉快そうに言った。
「ちなみに彩ちゃんも学院じゃ、あたしは女性の先生で通ってるからそこはちゃんと内緒にしてね?」
「解っていますよ。旅行計画を聞いたときにエレ姉様に聞かされましたけど、やっぱりこうやって接していると……そして、考えるのをやめた、になります」
エレ姉さまの事だって、一緒にお風呂入ったりしなかったら、信じませんでしたから、と彩ちゃんは言う。
最初の説明で、よーじ君は俺の恋人と紹介したのだそうだ。
そして素直に本当の事を伝えたのだけど、え? へ? とかなり困惑して。
付き合っていくうちに、姉様に固定されたのだそうだ。うちのおにーちゃんが壊れたと思った時もあったのだという。
「むむむ。どいつもこいつもこの見た目にだまされて……ほんとの馨はもっとこう……」
「もっとこう?」
ふーん、とエレナさんがにまにまエプロン姿の崎ちゃんに絡んでいる。
んぐっと、崎ちゃんは口をつぐんで、野菜串を作り始めた。
せっせとピーマンばっかりの串を作っているのは、みんなへの嫌がらせだろうか。
「はいはい、姫様が拗ねてしまわれたので、そろそろバーベキューのコンロの方にいこうか?」
「りょーかいです! お腹すきました」
「そうだよね。焼けるまで時間かかるし、移動しようか」
「あ、彩ちゃん、貝持つよ」
ほれほれと、珍しく楓香がお姉さん風を吹かせている。ま、いつもルイたちと一緒にいる顔しか見てないけど、高校で最高学年になったときは後輩指導などもしていたのだろうか。成長したなぁとほっこりしてしまう。
「じゃあ、こっちはコンロの担当してるよーじの方にいくね」
「むぅ。あんたはここで一緒に野菜串作りなさいよね」
「はいはい。解ってますって」
仰せのままに、とうやうやしく礼をして、外のコンロに向かうエレナ達を見送る。
下準備はこうやって分担してやっているけれど、コンロ当番となっているのは、一応男性に見える唯一の人ということで、よーじ君がやっている。
なにも、男女の役割云々ではなく、女子のりにはついて行けないから一人で火をつけておきますとよーじ君が言い出したからこうなったのである。
本人曰く、はたから眺める位がちょーどいいのだそうだ。
そっすよね、とぼそっとクロやんが言ったのだけど、残念ながら君はこちらの仲間である。
「ところで、あんたはさっきから何を作ってるの?」
「こっちは、海鮮焼きそばの材料だね。海老とイカとタマネギと、ホタテね。焼きそば小僧に負けない塩焼きそばを作り上げるつもり」
「……そんなにあっさり食材作れるなら、こっちもやってくれてもいいじゃない」
「それはほら、今、野菜串手伝ってるし」
あっちはあらかた終わったから、あとはコンロの方の鉄板で炒めるだけなのです、というと、女子力……と崎ちゃんはがっくりと肩を落とした。
「でも、ここらへんは慣れと好き好きじゃない? 崎ちゃんだって家では自炊もしないわけじゃないんだし、自分で美味しい! って思うレシピを考えるとか……」
「そういう考え方を女子力がある、とか余裕があるとかいうのだけど」
「……やっぱり仕事の方優先で、家の事あんまりできないとか?」
「忙しいのは忙しいわね。ドラマの撮影に入るとそっちに集中するし」
昼はお弁当になるから朝と夜は野菜とるようにしてるけど、と言ってはいるものの、ちょっと顔を背けてるところからすると、簡単なメニューをといったところなのだろう。それでも十分だとは思うけど。
「でも撮影が終わればまとまった時間はできるわ。今日だって無理に仕事を明けたわけじゃないし」
日常のスケジュールだったら、ちゃんと休みがあるから、と崎ちゃんは言った。
春先の事件からというわけではないのだけど、彼女の仕事量はそれ以前とはさほど変わってはいない。
ルイとの公開口づけ事件は、ドラマの仕込み扱いをされているし、一時期はショックを受けたファンのみなさんも今では沈静化している。
それだけ同性愛というものが「身近ではない」からこその、沈静化ではあるのだろうけれども、それはそれで珠理奈には都合の良いことではあった。
「前から海に行きたいっていってたしね」
よいせと、タマネギと椎茸とピーマンの串を作りながらルイは言う。
誰と、というところを言うほど無粋ではないつもりだ。
「そうよもう。今年も誘われないかなって思ってたんだから」
「そんなことないよ。春先にあんなことはあったけど、時間できたら出かけるってのは前からそうだったし」
花火見に行ったりもしてるし、というと、そういうことも……たしかにあったけれども……と崎ちゃんはもごもご言葉を濁した。
「覚えてないなら、ちゃんと写真もみっしりあるんだけど?」
「うぅ……覚えてるわよっ! でも、なんていうかその……今年になってからはちょっと特別というか……」
「……その件に関しては、なんというか、長らくお待たせして申し訳なく」
「べっ、別にいいのよ? っていうか今のルイから返事をもらったら、こっちのほうがダメージ大きい訳だし」
あまりにもダメージが大きすぎて、つらい……と、言いながら崎ちゃんは野菜串の制作を進めていった。
それこそもう、みんなが食べきれるかというレベルの、ピーマン串量産である。
「そろそろコンロの準備できたけど、二人のほうはどう?」
「野菜串は、これでもかというくらいできたので、みなさんでヘルシーなお昼ご飯にしよう」
「……ヘルシーねえ」
それ以上痩せてどうするんだか、と崎ちゃんはちらりとルイの脇腹を見たのだった。