ep.12_2 春井洋次 婚約指輪2
ジュエリーショップマキ。
二十年来この場所で店を構えている店主のマキは、予約の客もいないため、商品のチェックがてらショーケースを眺めていた。
きらりと輝くリングやネックレス、他にも貴金属の類いが綺麗に並べて陳列されている。
友人からはもっと安いリングも売ればいいのに、と言われるものの、マキの店にあるのは比較的高級に位置するものが多かった。
「そりゃ、安くても輪をつなぐ意味はわかるけど、せっかくだから、良い物をずっと使ってて欲しいし」
ここの客層は、どちらかといえば若い子のオシャレというよりは、婚約指輪や結婚指輪を必要としている大人だ。
もちろん、若い子向けのペアリングも取り扱いがあるけれど、最低でも五桁の値段がついている。
けれど、逆に言えば百貨店のそれよりは安いというところはあるだろうか。
制作者はマキ自身が工房に出向いて契約をしてきたところばかりなので、有名なところばかりではない。
というか、有名ブランドを置くほどの余裕もないというところもあるのだが。
「オーナー、また独り言ですか? もうアラフォーなんですから、指輪とお話してないで、指輪を付けた人と話をしてくださいよ」
「まったく、まだ若いからって、そんなこといって。でも指輪見てるとやっぱり楽しくなるじゃない? ああ、この子はどこのコの指にはまるのだろうって」
「……オーナーにとっては、指輪が我が子ですか」
うわぁ、と従業員の女の子があっけにとられたような顔を浮かべる。
「だって、指輪は付ける人を幸せにするもの、でしょ? どんな人に使われていくのかはほんと気になるし、ただ売りさばけば良いという風にはあまり思えないのよ」
ま、どうしても欲しい! っていうお客様にはお売りするけど、こちらからもマッチングをしっかりと見て行きたいところなのだと、マキは言った。
「とにかく売って、お金もちのおじさまにプレゼント用で使ってもらえばいいじゃないですかー。そしてその後は中古買い取りに……」
「うち、そんなにメジャーなところの扱ってないから、持って行っても二束三文で叩かれるわよ」
「ぶー。だからうちも人気のブランド入れましょうって言ってるのにー!」
どうして、こー、頑固なんでしょうかねぇ、と従業員の子はむくれていた。
それはそうだろう。
ショップを経営しているというのに、そんなにお客は入らず、一日数件の商談が成立するかどうかといったところなのだ。
さらには、冷やかしの人の来店頻度も少ない。
高級感がありすぎるからなのか、ほんとうにお客が入らないのである。
「まあ、それなりに利益は出てるから大丈夫よ。っと、あら、そんなこと言ってたらお客さんみたいよ」
マキの言葉に、えっ、と従業員の子はわたわたしつつ、なんとかドアが開くまでに姿勢を整えていらっしゃいませと綺麗な礼をした。
お客の感じは……片方は学生だろうか。この店を使うには少しばかり若い感じがしなくもないのだが、それでも優しそうな感じのする子だ。
そしてもう一人。こちらは……
「お、オーナー?」
「慌てないの。まったく」
この夏場でマフラーにマスク、さらにサングラスを掛けた男性は、ちらりと店舗を見ながらきらびやかだなぁ、とか言い始めた。
若い子は年相応にこのショップにビクビクしているのに、マスク男はまったく動じることはなく、独特な存在感を放っていた。
「いらっしゃいませ、お客様方。本日はなにかお探しの商品でもおありでしょうか?」
マキがまずは怪しくない方の男性に声をかけた。
声をかけられた男性は、ええっ、と身体を震わせて視線をさまよわせているようだった。
いわゆる、店員さんに話しかけられるときょどるお客さんというやつだ。特に珍しいというわけではないけれど、きっと自分の意思ではなく、マフラー男のほうに連れてこられた、ということなのだろう。
「あの、実は婚約、指……輪を探してまして」
このお店がいいと勧められたのできてみたのですが、とちらりと彼はマフラーの彼の様子を確認する。
どこまでいっていいのか悩んでいるのか、それともただ慣れていないだけなのか。
その姿はとても初々しくて、初めてアクセサリーショップに来ます、というような感じだった。
「まぁっ、婚約ですかっ。これはおめでとうございます。サイズなどはおわかりですか?」
ちらっと、視線をマフラー男の指に向けて言う。
マフラーにマスクにサングラス。これほど怪しい格好の男性となると、そこにはきっと秘密があるのだろう。
「えっと、いくつだっけ?」
「11号だな、たしか」
「……お客様、それマジでおっしゃってますか?」
ちらりとマフラー男の方の指を見たマキは驚いたような声を上げた。
思わず、その手を取ってしまうくらいだ。
「確かに、細身で綺麗な指だとは思います。ですが男性で11号が入る方は希です。というかこうやって触った感じだと明らかに17号くらいが妥当だと思うのですが」
「……え?」
「ですから、お客様の指のサイズは11号ではありえないというそういうことで」
いくら女性の平均値に近づけたい願望があっても、きちんとサイズがあったのを付けるのをおすすめします、とマキは言った。
そう。マフラーにマスクにサングラス。顔をすっぽりと隠してお店に来店するケースというのは、いままでもマキは経験している。
それらの共通項は、たいていが「人様に見られると困る」タイプのお客ということだ。
たとえば、不倫や浮気というケースももちろんあるけれども、二人で来店ということになるとその率はぐっと下がる。
ならばほかの禁じられたものといえば。
二人が恋仲で、肩を寄せ合って指輪を買いに来た、というストーリーが一番ストンと納得できるのではないだろうか。
「あの、なにか勘違いされてます?」
「いいえ。隠さなくていいのです。なにも男性同士で婚約指輪を送るというのは悪い事ではありませんから。当店でもそういう方は多く……はありませんが。そのような方も受け入れるのがこの店なのです」
「……なぁ。おすすめの店って、わざわざそういうの狙った?」
「狙ってない。っていうか、ここってそういうのも考慮してたのか……」
もごもごと、マフラー男子が天を仰ぎながら何かを言った。
「男性同士となると、婚約まで、と思う方もいらっしゃるのですが、ここは、どーんと結婚指輪などはどうでしょうか? 婚約指輪ですと、仕事上付けにくいなどもありますが、結婚指輪であればとやかく言う方はいません。お二人の絆のためにもずっと付けていられるリングなどはいかがですか?」
「……ええと」
「あ、いや。例えばですが、結婚指輪って実際婚姻関係に無くてもつけてて問題にはならないんでしょうか?」
マフラー男の方が少し照れながらそんなことを言った。
「めざとい女性ならば、指のリングは気にしますし、会社なんかでも付けていれば気にする人はいますね。でも、昭和の時代ならいざしらず、そこで相手はどんなやつだという相手はそうはいないと思いますよ」
もちろん、テレビに出るとか有名な人なら、ちょっとしたことで写真撮られてネタになるでしょうが、というとマスク男は、ひぃと身体をのけぞらせて、まじか……光明が……とかうつろな声を漏らしていた。
細身の男性が、しゃーない、まじしゃーない、と、頭をなでなでしているところはツボだったのだけれど。
事情がわからない側としては、コミュニケーションをとりつつ、ジュエリーを販売するのがすべてである。
「結婚指輪はさすがにつけると、その、親御さんに怒られるというか……なので、婚約指輪なんですけど。それって、男が付けていてもおかしくないモノでしょうか?」
「基本的な答えなら、婚約指輪は女性が付けていて、余計な虫除けとしてつかうっていうのもあるんだけど……ケースバイケースというか。本人達が送りたい、受け取りたいって気持ちがあるなら、別におかしいことではないと思うわ」
もちろん、一般的な婚約のときに男性が受け取るものは、「男性的なもの」として、カフスなどのスーツを彩るモノになって、指輪をという風習はあまりないのだけれども。
でも、そこらへんは当人同士の自由というもので、ここであなた世間と違ってますよというような、マキではないのであった。
「なんでしたら、そちらさまにお似合いになりそうなものをお選びいたしますが」
「……はぁ。さすがに勘違いしすぎだろ、マキおばさん……」
さぁでは二人の愛のためにご奉仕をしましょう! と前のめりになるところで、マフラー姿の男性がため息交じりにそうつぶやいた。
「あら、お客様。以前こちらにいらしていただいたことがあるかしら」
「オーナーのことをおばさん呼びするだなんて、なんと命知らずな……」
ひぃ、恐ろしいと従業員の子が頬に両手をあててのけぞっている。
アラフォーにおばさんという呼びかけは禁忌なのである。
「だから、俺だっての、俺」
「……あれ? しょー君?」
「えええっ、HAOTOの翅!?」
ええっ、どういうこと!? と従業員の子が騒ぎ始めたので、マスクとサングラスを外した翅はおっと、静かにしてくれよ、お嬢さんと、笑顔を浮かべながら人差し指で唇を押しとどめた。
普通なら嫌がられそうな仕草だが、イケメンならばさまになるのだから困る。
「今日は、友人の恋人に贈る婚約指輪を見にきたんだ」
あんまり騒がれては困るから、こんな格好をしてきたんだけど、迷惑だったかな? と変装を完全に解いたHAOTOの翅は人好きのするスマイルを浮かべたのだった。
「しっかし、身内のお店でしたか」
「そりゃなぁ。一番に頭に浮かんだのここだし」
つーか、普段の装飾品は美術さんとか、衣装さんとかが用意してくれることが多くて、自分でアクセサリーを買ったこととかほんと、あんまりないんだよ、と翅さんは言った。
そして、出されたお茶をうまぁー、とすすっている。
洋次の前に出されているのは、アイスコーヒーだ。
入り口のそばで話していた我々だったのだけど、翅さんが正体を明かしてからはオーナーさんの扱いは一気に変わった。
奥の丸テーブルに誘われてお茶をごちそうになるなんていうのは、そうとうのVIP扱いということで間違いはないのだろう。
「あらあら。しょー君ったらもっとちっちゃい頃は、おねーちゃんのお店キラキラしてて、きれー! ってお目々キラキラさせていたものだけど」
「たしかに、お店自体はキラキラしてますしね」
この人なら素直にそんなことを言ってしまいそうですね、と向かいに座っているマキさんに言うと、あら、と不思議な顔を浮かべられた。
「ずいぶんとしょー君と仲良しなのかしら?」
「仲良しかっていわれると、どーなんだろな。顔見知り以上友達未満ってとこかね、俺達は」
「そんなところですかね。今回頼ったのは仲が良いからってわけじゃないし」
他に頼れる相手が居なかっただけなのです、というとそれで、しょー君には頼れちゃうの? と苦笑が浮かんだ。
たしかに、今の状況を考えるとこの人に相談できるというのは、レアなことなのかもしれないけど。
個人的には、エレナに女装の仕方を教わるダメ芸能人で。
かつ、ルイさんにラブでいくらでもでれるという、ダメ芸能人である。
「えー、実は二人でできてて、しょー君が婚約指輪受け取るとかじゃないのー?」
つまんなーい、とマキさんがぶーと、声を上げた。
身内なのがわかったからなのか、先ほどまでの営業な感じはなりをひそめ、かなりフレンドリーな口調に変わっている。
「マキおばさん昔からそういうの好きだよな。男同士の恋愛?」
「いいえ。男同士の行きすぎた友情ってやつ!」
ひゃっはー! とマキさんは前のめりで翅さんの言葉を訂正した。
「おばさんに聞いても多分無理だろうけど、恋愛って落ちるものだよな? 親友関係から恋愛関係になるってあるもんなの?」
「え? 男同士だったらあるんじゃない? 女同士でもだけど。友情だと思っていたこの気持ちが実は恋心だと気づいて、けれども相手は遠い汽車の中! ああ、行ってくれるな旦那さん。私はあなたと共に生きたいのです」
よよよ、と顔を伏せるマキさんを前に、翅さんははぁーとため息をついた。
「汽車とかもう走ってないし! っていうか、それなら多分俺には縁はなさそうかな」
「思いのままにあっちにふらふらってするから、男友達は保護者になるって話ですか?」
「って、よーじ君、その話だれから?」
「もちろん蜂さんですよ。翅と付き合う男はみんな苦労するってため息ついてたみたいですから」
あくまでも伝聞調でそう伝えると、あー、うー、と翅さんは困ったような顔をして頭に手を当てていた。
HAOTOの中のトリックスター的なところがある彼は、確かにいろいろなものに興味を持っていて間違いではないのだろうとは思う。
けれども、付き合いの浅い身としては、どの程度規格外なのか、というのは正直よくわからないところだった。
「あのさ、よーじ君? 俺そこまでひどくねーよ? もう大人だし、周りに迷惑はかけないようにしてるっていうか」
今回の事だって、あんだけ重装備してたのって、マキおばさんの店に迷惑を掛けないようにしたからだからな! と彼は言った。
「それ、ルイさんも同じような台詞を言っていたような気がしますが」
自分、そんなにひどくないからね! って言っていた友人と、どうにもこのイケメンどのは同じようなことを言っていたらしい。
正直、どっちも周りをかき回すという意味合いでは、迷惑も含めて、あんまりかわらないようにも思うのだが。
「まじで!? 俺、ルイさんと同じ!?」
「ルイさんと同じくらい迷惑ってことじゃないですか?」
あの残念美人と同じとか、ヤバイ人じゃないですか、というと、ふふんと何故か翅さんはご機嫌な様子で、紅茶を口にいれていた。
「へぇ。しょー君もついに好きな人ができたのね。ルイさんっていうと前にテレビにでていた子かしら」
いえ。でも……とマキさんは何かを思い出すかのように中空を眺め。
「あの子、珠理ちゃんと行きすぎた友情を育んで居なかったかしら?」
いきなり記者会見でキスとか、おばちゃんほんと、まぁまぁって言いたくなっちゃったもの、とマキさんは前のめりになった。
対して翅さんは、だうーんとがっくり肩を落としている。
「まさか……三角関係? 横恋慕? もう、しょー君ったらなんともスパイシーな生き方をしてるわね」
しかも、女の子相手に女の子を奪い合うというのは、耽美な気配がする、とマキさんは何故か大喜びだ。
「あの人の場合性別がどうだっていうよりは、むしろ恋愛をするのか不明というのが痛いですね」
「何をしてもなびいてくれない感がひどい……」
ほんと、どうすればこちらを見てくれるんだろう、と翅さんは思い切り肩を落としてうなだれていた。
あー、むりー、という感じだ。
まあ、カメラ関係でつればほいほいついてくるルイさんだけど、なかなかそこまでいくのも難しいのだろう。
「じゃあ指輪を贈ってみるとかはどう? サイズわからなかったらネックレスとか」
「……指輪つけるのかな。撮影の邪魔とか言いそう」
「石が大きくなければ、邪魔にならないと思いますけど」
撮影の時に手に指輪がはまってるルイさんか……と想像してみて割と違和感ないなぁという感じがした。
ただ、本人が付けるのかどうかといわれると悩ましいところだ。可愛いモノは好きな人だけど、だからといって指輪が好きかどうかはよくわからない。
「指輪か……はっ。おばさん! 今は俺のじゃなくて、よーじの婚約指輪のほうが優先!」
「あらあら。そうだったわ。ええと春井さんでしたっけ? そのお相手の写真とかはあるかしら?」
「写真ですね。はい、いっぱいあります」
ほら、可愛いでしょう? と洋次はエレナさん用の大容量記録メディアの載ったタブレットを開陳した。
「あら……ポートレートなのね。なんていうか撮られ慣れてるというか。えと……テレビで見たことはないけど」
芸能人なの? とマキさんは翅さんに尋ねている。
「師匠は、芸能人つーか、アマチュアというか。あんまし多くの人に見られるの、親御さんの意見で反対されててな。うちのマネとかには是非ともデビューを! とか言われてるけど……」
「あくまでもエレナは男の娘としての立ち位置を願ってますからね。芸能界だとそういうのって、まだキワモノみたいになってしまうだろうし、かといって何も言わないで女性としてっていうのは本人的にいやなのかな」
ま、言わなくても、大人気間違いなしでしょうけどね! と洋次はドヤ顔をしておく。
エレナさんは本当に可愛らしいし、どこでも自慢したい最高の恋人なのである。
「ちなみにそれ、ルイさんの、だよな……くっ」
「時々、ルイさんから、いえーいエレナたんの可愛い表情を抑えたぜ! ってメールが来るんですよね。残り分は次会ったときのお楽しみで! みたいな感じで」
ルイさん、データ通信的に無制限じゃないから、こういうところは節約をするんですよねぇと、洋次は言った。
いちおう洋次の生活水準だと、データ通信はほぼ無制限な気持ちである。
エレナからはルイちゃんはカメラ関係にお金掛けたいから、こういうところはケチるんだよ、とにこやかに言われているのだけど。
通信だって、カメラマンには必要なんじゃないかなと思うのだが。
優先順位というのは、その立場にいないと解らないと言うことなのだろうか。
「ぐぬっ。ポートレート撮ってくれって言えば、きっと食い気味で、是非! みたいなことを言ってくるんだろうが……マネさんからおこられるよな。技術云々以前に、また蒸し返しますか? っていわれるだろうし」
それに、ルイさんの写真技術の話だよなぁと翅さんは言う。
すでに十分きれいな写真を撮ってくると思うけれど、プロのモデルを撮るとなるとまたハードルはあるらしい。
「しょー君の失恋話はおいておいて、このコかぁ。本人がかなりキラキラしてるから指輪も割とゴージャスな感じにしてもいいかもね」
結婚指輪となるとあっさりめでもいいのかもだけど、婚約指輪なら華やかでもいいんじゃないかなと、マキさんは言う。
「あ、おばさんもそう思う? 俺もそうだろうなって思ってたんだ」
もちろん師匠は何付けたって可愛いけど、だからこそちょっと強い指輪じゃないと、付けてることが霞むと、翅さんは言い切った。
確かにキラキラな彼女だけれども、芸能人にそこまで言われるとはという感じだ。
「石の種類にもよるのだけど、この子の輝きに負けないものを探しましょうか」
腕が鳴ります、とマキさんは写真を見ながら不敵ににやりと笑った。
商売関係なしに、どうやら最高の指輪を探してもらえるようである。
おかしい……エレナさんの指輪買いに来たはずなのに、ルイさんの指輪の話になってる……
けれども、なんとか指輪の購入は完了です。
わぁ、って手をかざしながら指輪を見るエレナさんを幻視しそうになりますね!
さて、次話からはようやくプライベートビーチな話でございます。
ダブルデート的になるのかっ! 言われると……さぁお邪魔虫はだれになるのかしらといったところで!