623.学院の写真部の合宿12
若葉ちゃんが目の前でむせながら涙目になっていた。
一年生の子に見せられた本が原因なわけだけど、どうしてそこまで驚いているのだろう。
「ふふふ。若葉お姉さまでもそういうのは、驚かれるんですね?」
「えっと、若葉ちゃん。ちょいそれ貸して」
なに? なんか女子高生の中でエロいのでも流行ってしまっているの?
そんな風に思ってルイは、若葉からその文庫本をふんだくった。
いちおうは、女子校の風紀が乱れないための、先生らしい行動なのである。べ、別に中身が気になったわけではないんだからね!
「……なるほど。写真部の中でこれが流行りつつある、と」
んー、なるほどねぇと、いいつつ明日華ちゃんに視線を送る。
大丈夫ですか、若様と背中をさすったりしている姿は、微笑ましい光景である。
「ルイ先生はあまり驚かないんですね」
「そりゃ、エレナがこういうの大好きで、それこそゲーム版もプレイしてるからね」
かなり見慣れています、というと、きゃー、と言われてしまった。
原作が18禁だからそういうのもあって、ということだろうか。
「ゲーム版もあってルイ先生が得意……なるほど。それは女装潜入ものというわけですか」
「はいっ。明日華副部長のおっしゃるとおりです。秘密の花園に貴公子が訪れるなんて、なんて素敵なシチュエーションなのでしょうか」
「……そういう捉え方かぁ……」
キラキラした目でこちらを見つめる姿に、ちょっとだけ罪悪感のようなものが浮かんでくる。
うぅ。それ、もともと18禁で主人公が女の子とイチャイチャする話なんだけれども……
「そりゃ、普通の事ではないとは思うのですが、それでも小説を読んでいると素敵と思ってしまうのです。困っている女生徒にそっと寄り添って、しかも頭ごなしに言うのでは無く、相手の声をきちんと聞いて自発性を促すだなんて、なかなかやれることではありませんもの」
「小説版だと、そういう感じになるのね……」
さて。エレナに教わった知識でしかないのだけど。
女装系のエロゲには、物語が秀逸で全年齢向けに編集されたものというのが存在する。
大人向けがパソコンで出たあとに家庭用ゲーム機で出る、とでもいえばいいだろうか。
そして、小説版ももちろん全年齢なわけで。
学院での色恋を中心としたやりとりよりも、お姉さまとしてのふれあいの方が中心として書かれるので、とても貴公子然とした主人公像ができあがるという訳なのである。
「理想的なお姉さま……そう。まさに噂に聞く沙紀お姉さまみたいですー」
「ぶふっ」
もう一度、若葉ちゃんが噴き出した。
けふけふいいながら、さらにもう一度というのはなかなかに苦しそうである。
「こらこら、若葉ちゃん。乙女らしさが足りないぞ?」
ん? と言ってやると、こいつ何言ってんの? という感じで明日華ちゃんに睨まれてしまった。
えー、ここはゼフィロスの精神の通り、慈悲と寛容が大事かと思います。
「そうですよ。若葉お姉さま! お姉さまだって黙っていれば凜々しくいらっしゃるのですから、もう少しこう、余裕というか貫禄というか、そういうのがあれば、女装潜入のお姉さまにだってなれると思うんです」
ああ、尊いと一年の子は返してあげた本をきゅっと抱きしめてうっとりと言った。
よっぽど貴公子のお姉さまというパワーワードにやられているらしい。
「むぅ。沙紀お姉さまと比べられるのは、正直苦手です」
「よしよし。若様も十分ご立派です。沙紀様がちょっとアレなだけです」
しょぼんと若葉ちゃんが素でそんなことを言い出したので、明日華ちゃんも慌ててフォローに入っていた。
どうせ、乙女らしさも貴公子らしさも足りないもん、と言い始めた姿はさすがに撮影することはできなかった。
くっ。明日華ちゃんの頭なでなでとかレアで是非とも撮りたかったのに! いや。撮ってしまえ! カシャリ。
「そもそも若葉ちゃんは貴公子じゃなくていいじゃないの。それ以前に淑女になる練習しなよ。お嬢様なんでしょ?」
あたしみたいな、庶民じゃなくてさ、というと若葉ちゃんが恨めしそうにルイに視線を向けた。
からかわないでください、と言わんばかりである。
「うわあ。なんだか今の台詞、女装潜入した直後に主人公にサポートの先生がかけそうなものですね!」
まさかっ、ルイ先生はサポート要員でしたか!? と目をきらきらさせながら一年生の子に言われた。
まあ。ちょっと話の内容がそっち方向だよね、と思いつつ、それに対するフォローというのを高校生組はあまりできなさそうだった。
「ふっふっふ。そうなのです! 実はあたしはこの学院にどこかの御曹司が入ってきた時に、それをサポートし導く裏の顔が!」
「まあ! そうだったのですね! それで沙紀お姉さまとも懇意と……」
おぉ……とちょっと笑いを交えながらの答えは、どうやら冗談と捉えられたようである。
「沙紀ちゃんは純粋に被写体として懇意になっただけ、だよ? そもそも当時はあたし学院にいないし」
イベントの時だけ呼ばれただけですし、というと、ですよねー、という声が上がった。
冗談からの、本当の話を持ってくるとこうもすんなりと納得していただけるのだから、話し方というのは大事である。
そして、リアルに想像しながら、追加の情報を付け加えておくことにする。
「でも、実際、そんなお仕事やったら、かなりの報酬でもないとやってらんないと思うけどなぁ」
「あら。そうですか? 貴公子のお手伝いができるのに。場合によってはルイ先生も攻略対象になるとかあるかもですよ?」
「んー。あたしは庶民も庶民だからね。それで色恋沙汰になるのもアレだし、それにお手伝いで身の破滅を招くのはね?」
ちょっと恐ろしいなぁというと、はて? ときょとんとされてしまった。
あ。
「ああ、そっか。小説版はバッドエンドがないのか……」
衝撃的な事に気づいた。
ゲームのシナリオはそれぞれの分岐があって、それぞれのキャラクターにフォーカスをしながら、それぞれのエンディングを迎えるものではあるけれども。
女装潜入ものには、もう一つのエンディングがあるのである。
途中強制終了シナリオというものが!
「バッドエンド、ですか?」
「そうそう。小説版ではそこらへんは書かれてないんだろうけど、最初のほうの選択肢でやらかしてしまうと、好感度が上がらない状態で女装しているのがばれて退学になったり、放逐されたりしてしまうの」
ま、その潜入している子の態度が貴公子ではなかったなら、途中で終了ってな感じ、というと、あぁなるほど! と納得の声をいただいた。
「小説は物語として進まないとですものね。さすがに放り出される描写で終わってしまったらがっかりです」
最初の方にそれを恐れる描写というのは入っているのですが、と彼女は補足してくれた。
なるほど。いちおうはリスキーな事を描いてはくれていたらしい。
「そんなわけで、女装潜入はそれだけリスキーだし、それを助けたとあれば退職のみならず、下手をすれば損害賠償だって起こりえてしまうという恐怖の裏仕事なのです」
じぃと明日華ちゃんから、どの口がいいますかというような視線を受けたのだけれど、そこらへんは無視である。
ここらへんははったりで通した方がいいことなのだ。
「損害賠償ですか? ええと、どのようなところが損害なのでしょうか?」
「このゼフィロスという学院は、歴史と伝統のある女子高です。職員だってほぼ女性で構成されていて、男性が立ち入ることはほぼできません。まぁ警備の方の中には男性がいらっしゃいますけど、直接生徒に触れるわけではないですし」
「それは、確かにそうだと思います。殿方と触れあう機会というのが本当に減ったなぁと思いますし」
「さらにこの学院は学園祭だって、家族の方しか男性が中に入ることはできないという徹底ぶりです。はい。そこで明日華ちゃん。どうしてこういう学院を作り、かつ親御さんたちはここに入れたがるのか、お答えください」
はい、どうぞ! といくらか落ち着いてきた若葉ちゃんの介護から解放された明日華ちゃんに矛先を向けてみる。
さぁ。君も乙女ならば、ここはきちんと答えていただきたい!
「入ったばかりの子にこの話をするのも少しばかり気になりますが……親の視点では不純な異性交遊の心配がぐっと減るということがあります。安心安全のゼフィロス。そのこともこの学院の魅力の一つと映るのです」
「はい。正解。もちろん生徒側からこの学校を選ぶ基準は、制服が可愛いとか、施設が充実しているとか、庭が綺麗過ぎるとか、食堂が豪華とか、お姉さまに憧れた! とかいろいろあるんだろうけど、保護者側からするとやっぱり、子供の安全っていうのは大きいと思うんだよね」
「そこまでですか? 別の学校が危険ということはないと思いますけれど」
女子高というものにそこまでの価値がありますか? といまいち納得しないようで、彼女は小首を傾げていた。
可愛いので一枚撮影しておく。
「そうですね。実感しにくいとしたらちょっと想像してみてください。共学校であったのなら写真部の顧問はルイ先生ではなく、別の男性です。それがルイ先生みたいにはぁはぁ言いながら写真を撮りまくるのですよ? まあルイ先生でもNGだとは思いますけど」
ですよね、先生と明日華ちゃんがじと目を向けてきた。
「えぇー、いいじゃんよう。可愛い素顔っていうのはちょっとした瞬間に撮れるのだぜ?」
「だぜ、じゃないですよもう」
「……そう思うと確かに、ちょっと危険な気はしますね」
あっ、ルイ先生は全然危険な感じしませんけど! とあわあわ言いながら彼女はフォローをした。
見た目の影響というのは大きいものだなぁと改めて思い知らされてしまう。
「まあ、そんなわけでね。安全だから娘を入れたのに、そこに女装潜入なんてされてしまったら困るのです。最初からそういう人がいますよ、と言った上でのことならば、理解した上での入学という契約になるけれど、そうでなければ下手をすると詐欺だ、なんて話になりかねない」
ま、全部が全部つまびらかにする必要があるか、といわれたらそこまで学院のパンフレットの量を増やす訳にもいかないのだけど、と付け加える。さすがにトイレが故障続きです! とか雨漏りします! とか、そういうのは書かなくても詐欺だとまでは言われないと思う。
「でもでも。こんな素敵な貴公子ならば学院のイメージを下げるということもないのではないでしょうか?」
素敵過ぎるのに! こんな潜入を待っているのに! とそれでも彼女は食い下がってくる。
うーん。どんだけ好きなのだろうか、この子は。
エレナさんも女装潜入はよ! はよこい! とか言うけど、実際はおっかなびっくりな大冒険である。
「直接触れあった子ならば、問題はないと思うんだけどね。例えば……そうね。部長さんが実は男性だった! といった場合の事を考えてみようか?」
「ちょ。ルイ先生! どうしてそこで引き合いにでるのが私なんですか!?」
後ろのテーブルから抗議の可愛い声が上がった。
いや。確かにここで引き合いに出すなら、若葉ちゃんなんだろうけど、さすがにそれは危険が危ないのである。
「いや、部長さんじゃなくて、写真部の誰でもいいんだけど。その場合はどう感じる?」
「写真部の方が女装潜入……それでしたらもちろん、まったく問題なしです。貴公子っぽさはないですけど」
ほう。貴公子っぽさがないそうです、若葉ちゃん。
まあ、女子に貴公子っぽさを求めることが間違いだとは思うのだけど。
「なら、今度は考えて見て。まったく見ず知らずの二年生が、実は男性だった、と知らされたら?」
「……ええと。それはちょっと。一回見に行かないとなんとも」
貴公子っぽいと舞い上がります! という子の前でちょっと、ルイはこめかみのあたりに手を当てた。
なんというか、この子の中での女装の男性のイメージが、あまりにも女装潜入ものに浸食されすぎている気がする。
「じゃあ、若葉ちゃん。この学校に男性が女装して潜んでいると言われたら、どう思う?」
「……明日華。パス」
「承りました」
むぅ、と不満げな顔をしながら若葉ちゃんが質問を放り投げた。
まあ、そうなるかなと思って質問したので、問題はないのだけどね。その不満げな顔は一枚いただきました。
「実務としては、まずその誰かを特定し、観察しに行きます。ただ心情としましては、面倒ごとが起きなければいいけど、でしょうか」
「排斥したいとか、信じられない! とかそういうわけじゃないんだ?」
「その方にも事情というものがあるかもしれませんし。そもそも、学院が入学を認めたわけですよね? 身体検査もありますし、プールもあります。学院に隠してことに及ぼうというのは、無茶な気がします」
学院祭のおりでも、女装して侵入しようとした方がいらっしゃったという話もありましたし、と明日華ちゃんは遠い目をした。
「……なんだろう。このジェネレーションギャップは……」
ううむ。明日華ちゃんがなんだかとても、女装に関しての寛容さがありすぎて上手く伝わらない。
いや。ルイとしても女装を否定するなんてことは、まったくもってするつもりはない。
ないのだけど、一般的なイメージというものがどうなのか、ということについては嫌になるくらい解っているつもりだ。
母様にもさんざん、あんたって子は、と言われ続けているし、それにきっといづもさんの話がけっこう知識として頭に入ってしまっているのも原因なのかもしれない。
「そんなに年の差はないかと思いますが」
「女装に対するイメージの変化というのは、喜ばしいとは思うところだけど……うーん。ここらへんは直接親御さんに聞いてみた方がいいかもしれないなぁ」
上の世代だと、結構女装っていうものは、ネタや隠し芸でやるような笑いものの種だったのさ、というと明日華ちゃんはすいっと視線をそらせた。
ちょいと古傷でもえぐってしまったかな。大丈夫だろうか。
「わかりました。今度機会があったら聞いてみます。でも、やっぱり女装のお姉さま……らぶです」
麗しいのです、といいつつ同席の子は本をきゅっと抱えるとうっとりした顔を浮かべたのだった。
一度ついたイメージというものはなかなかにこびりついて離れないものである。
うん。若葉ちゃん。ばれないように注意しましょう。
アイコンタクトを送ると、若葉ちゃんはこくこくと思い切りうなずいたのだった。
女装に触れたのが「なにか」によって、そのイメージはかなり変わってくるというお話でした。
女子高生からみる女装潜入について書こう! と思ったのだけど、考えれば考えるほど、お姉さまったら凜々し可愛い!
そして、男の娘本がたくさんあり、動画では美しく女装するのも流れたりしますし、今時の若い子なら女装しててもあんまり気にしないんじゃね? なんて思った次第です。(男性だとまた意見は変わるでしょうけれどもね)
さて。次話は町歩きぶらり旅でごわす! ぐぐるまっぷさんのお世話になろうかと……