591.新居とお引っ越し1
「なにもない家。これがこうも美しいとは……」
カシャリ。
2LDKのその家のリビング部分。
まだなにも置かれていない空間は、東からの光が思い切り入っていて光り輝いている。
南向きのリビングはこれからもっと明るくなるのだろうけれど、今はまだ午前も午前なのである。
一階のリビングは、カウンターキッチン付きのいわゆるリビングダイニングといわれるものになっていた。
結構最近のはやりの間取りと言われるものだ。
ダイニング用にテーブルがあり、そして少し離れたところにソファーとテレビがあるという感じだろうか。姉さんが渡してきた完成予定図では、そんな感じに仕上がる予定だ。
木戸家はもう少しこのスペースが狭いのだけど、その分個々の部屋の方にしっかりスペースを取っているという感じだろうか。
「そういう顔してると、つい、ルイさんって呼んじゃいたくなりますよね」
はぁ、と一人わくわくした声を上げた木戸にため息をついているのは、結婚式以来の真矢ちゃんの姿だった。
夏イベントではばったりということはあるかもねー、なんて話をしていたのだけど、それ以前の話でこんなところでばったりという感じだった。
本日は何をしているのかと言えば、ずばり。
姉夫婦のお引っ越しのお手伝いにかり出されているわけで。
アルバイト入ってないようなら、是非その日は手伝って! と言われてしまったのである。
そして木戸達はあらかじめ引っ越し先で待機をして、いろいろと運ばれてくる物を受け取る係というのを任命されていたのである。
それぞれの家から必要なものを持ってくるだけかと思いきや、なんというか……この際だから、家電とか新しくしちゃわない? なんて感じで、引っ越し元からもってくるもの以外に、配送されてくるものがあるのだ。
というか、二人それぞれ一人暮らしをしていたので、使っていた物というのがどうしても一人暮らし用の物が多く、二人でそれをつかうとなるとちょっとという感じになりそうだったのだ。
だって、一人暮らし用の冷蔵庫が二個ばばんと並んでいる光景はちょっと滑稽だしね。
それなりに使い勝手は悪くなさそうだけれど、それならちょっと大きめの冷蔵庫を用意してしまった方が、一緒に生活をしている感というのはよくでることだろう。
「今日も俺は男子状態です」
とりあえずイベントまではしばらくこっちです、というと、まじで!? と真矢ちゃんは目をまんまるにした。どうにも真矢ちゃんてきにはルイの印象の方が強いようだけれど、普段は男子な木戸なのである。
「正直、バイトがやばくてね。店長にお願い、助けて、私たちを助けて! ってお願いされて結構シフトいれてるんだよ。まあもちろん夏の後半の方は余裕もたせてるけど」
ほんと、イベントとかいっぱいで、今年も休んでる暇はなさそう、というと、どんだけ活動的なんですかね、と真矢ちゃんは肩をすくめた。
そうはいっても、夏にやるべき事はけっこういっぱいあるのだ。
崎ちゃんとのデートの約束はもちろん、八月だって果たす必要がある。
そして、あとは夏の盛大な同人誌即売会がある。あれはレイヤーさんもたっぷりでてくるし、参加しない手はない。
え、エレナさんのコスROMはさすがに今年は遠慮させてもらった。
春先のあの事件のこともあったし、姉様が結婚したりなんかもあって、ちょっと作り込む時間はないかなぁと、エレナから言ってくれたのである。
そして、ゼフィ女の写真部の合宿の引率なんてのもやる予定だ。保護者がルイでいいのか、とも思いはしたのだけど、学院側からすれば二十歳すぎてるし、大丈夫という判断なのだろう。院長先生は、信じていますからね? とにっこり迫力のある笑顔だったのだけど、まあ、気を付けることにしようと思う。
「でも、コンビニバイトですか……馨さんにおでんよそってもらったら、みんな鼻血でも噴くんじゃないですか?」
「さすがに噴かないかなぁ。仕事は仕事だよ。それに普段は黒縁眼鏡に守られてるので、地味めの小柄男子という扱いになります」
下手すると今でも高校生だと思われます、というと、そりゃーまー、そうですねぇと思い切り頷かれてしまった。
どうにも、若く見られてしまう木戸なのである。
「それより真矢ちゃんはこういう家ってどう思う?」
「どうって言われても……まあ、家だなぁとしか」
新婚さんが住みそうとしか言えないと彼女は言った。
実際は、この間取りだと子供ができるの前提のような気もしなくはないのだけど。
「でも二階に二部屋あるのはいいなあとは思いましたね。兄さん達がどう使うのかは謎ですけど」
広い方の部屋を夫婦の寝室にして、隣はしばらくは物置とかなのかなぁと彼女は言った。
それは確かにそう思う。
さすがに初っぱなから夫婦の部屋が別というのは考えにくい。
あんまり人前では出さないけど、新宮さんはなにげに姉のことが大好きなのである。
「個人的には一階にもう一部屋あると嬉しいなとは思いますけど」
「まあそこは都会の一軒家なので。それでこの家賃はむしろ安いんじゃないかなぁ」
さて。二人が引っ越しの先として選んだ場所は二人の通勤、通学にちょうど良い場所ということで町を選んで、そこから物件を探したようなのだけど、いわゆる下町情緒というものが残っている町なのだった。
もちろん銀香町まで田舎ではないけれど、古くからの町というイメージがあるところである。
そんなところで築十年未満で九万ちょっとというのだから、破格なお値段といってしまってもいいのではないだろうか。
「しかも2LDKなのにさらにロフトもついてるからねぇ。なんていうかロフトはマニア心をくすぐるというか」
「あはは。馨さんでもそういうところあるんですね。うちなんかは、ロフトとか天井高いとかは、空調が効かないからだめだー! って感じなんですけど」
個人的には私もロフトはちょっと好きですと、彼女も言った。
実質部屋が一つ増えるようなものというのもあるし、天井が狭い部屋は隠れ家みたいで雰囲気がいいのである。
「なんか秘密基地みたいでロマンがあります。集めたグッズをそこに展示しておいて、ふらっとしたときにそこに行って眺めるみたいな」
「あ、それいいね。俺もお気に入りの写真をパネルにして展示したりしたいや」
ロフト……屋根裏……ああ、ここではどんな物語が生まれるのでしょう、とナレーションを付けると、真矢ちゃんもちょっと新婚生活には憧れます、とうっとりした表情を浮かべた。
いちおうそれも撮っておく。
「馨さんは新居とかの予定はないんですか? その……お付き合いしてる人と」
「……お付き合いはしてるけど、そーいう予定はございません。というか、俺が付き合ってるわけじゃないし」
「ややこしいことしてますねぇ、相変わらず」
「フルタイムで女子をやるつもりはないしなぁ。まあ新しいおうちには興味はあるけど、それにしたって今後はむしろ家に居るより外にでる方が多いと思うし」
そういう意味では、帰ってくる家があっても外でお泊まりが多くなるような気がするかなぁと答えておく。
実際、あいなさんの生活リズムを見ていると、遠出をして写真を撮ってくるみたいなことは割とあるし、佐伯さんにしたってロケで外回りをしてることはかなりある。
定時で帰って家でまったりする、というような生活とはちょっと違うと思うのだ。
「あとは、あっちもあっちで家にいるのって半分くらいだし。ロケとかで地方にいっちゃうと家を空けるみたいな感じかな」
まー、あそこはセキュリティしっかりしてるから、空けてても安心だとは思うけど、というと、お互いの家に行き合う仲ですか……と真矢ちゃんは言い始めた。
いや。
行き合うっていっても、酔っ払ってぐったりした崎ちゃんを家に連れて行って介抱したり、トラブルの時に手を貸してもらったくらいだけどね。
正直行き合うというのであれば、エレナさんのおうちの方がよく行ってると思います。
「っと。そんな馬鹿な話してないで。どうやら宅急便きたみたいだよ」
ピンポーンとチャイムがなったので、真矢ちゃんを連れて玄関に向かうことにした。
今日の一番の目的はもちろん家具の受け取りなのである。
「宅急便です。中に運び込みますね」
とりあえず、姉夫婦から渡されている間取り図と、ここに置いてね! という説明書を見ながら、業者さんには設置をお願いした。
キッチン関係はかなり豪華なIH対応のコンロが設置され、冷蔵庫は今後の事も考えてのサイズである。
サイズに関してははかったようにぴったりで、デザインも周りにしっかりと調和している。さすがは美大の学生さんという感じだろうか。センスはいいと思う。
どうやら姉さんは結婚を機に料理をちゃんとやろうと思い至ったようで、まずは形から入ろうと考えたようだった。まだ鍋とかはないけど、カウンターキッチンは正直使いやすいと思う。
「姉は、おっぱいだけの人では無かったか……」
「馨さん、それはセクハラですよ」
「そうは言われても姉さん大学入ってから一緒に暮らしてないしさ。こうもいろいろ進歩してるとは思わなかった」
どんどん設置されていく家具をみて、素直につぶやいたのだけど、真矢ちゃんに叱られてしまった。
キッチン周りが終われば、リビングの方になるのだけど、新しいテレビがでんと一台設置されていた。
4K対応の55インチである。
そして、その前にはソファがでんと置かれていた。
椅子とかは前の物を使うのかと思ったけど、さすがにリビングといったらこれでしょう! という感じもあるんだろうか。
一人暮らしだとあまりソファとか使わないけど、二人で寄り添ったりする場合は有った方が良いアイテムだろうか。
そういえば、崎ちゃんの家にはソファはあったような気がするけど、どうやって使ってるのだろう。
酔い潰れてくったり、というような姿になってないことを願うばかりである。
「では、ありがとうございましたー」
宅配の兄さんはちらっと、木戸たちの姿をなぜか羨ましそうに見ながら撤収していった。
別に、代理で受け取っているだけなのになぁ。
「新婚さんってどうしてこうも、幸せそうに見えるんですかねぇ」
今の配達の人、私たちの事をそう認識したんですかね、と真矢ちゃんは苦笑を浮かべていた。
「いやいや、俺と真矢ちゃんじゃ、絶対新婚っていう風には見えないと思うけど」
「そーですよねー。高校生くらいに見えちゃいますもんね、馨さんは」
女装した方が年齢高く見えるとか、誰も信じられますまいと、真矢ちゃんは言った。
ま、若く見えること自体は悪くはないと思うんだけどね。
「さて。それでどうしようか? おっきいテレビもあるし、これ……SDカードを入れればいろいろと鑑賞会が……」
「それは暇だったらやりましょう。でもとりあえずこれで一段落って感じですかね」
「そうだね。姉さんたちが到着するのは午後だっていうから、それまで鑑賞会を」
まだ時間あるよ、というと真矢ちゃんは、あーあなたはそういう人ですよね、とやれやれと諦めたような顔を向けてきた。
いや、でも、実際第一弾の受け入れは終わったのだし、時間的な余裕はあると思うのだけど。
「それより、馨さん。そろそろお昼時間です。食べに行くかそれともここで作るか、考えないと」
「いちおうIHはあるけど、お鍋とかが無いんだよね……」
先ほどのは大型家電や家具の類いだったので、細かい物がまったくもってそろっていない状態なのである。
かといって、勝手に鍋を買うか、といわれたらそれはこの家の主が選ぶものなので、その選択肢はなしだ。
「となると、商店街で食べ歩きとかでしょうか?」
「そうなっちゃうかなぁ。正直自炊派としては外で食べるのに抵抗があるけど」
「兄さんの話だと、食費も請求してくれてかまわないよ、って感じですけど」
それでも、外食いやですか? と真矢ちゃんが言うので。
それならば、よろこんで、と木戸は答えたのだった。
六月が挙式で、引っ越しが八月頭ってのもと思わないではないですが、おうち探し頑張ったということで。
都心で2LDKで家賃十万以下があるかどうかってことで調べたら、ちゃんとあってびっくりしました。
家賃は収入の三分の一までといわれてますが、いちおう姉様もアルバイトしてるので二人合わせてでこれくらいは、という感じですね。
最近はお洒落な家が多くて、わくわくしますね。
さて。次話は地域散策と参ります。商店街のある町! いいと思います。




