061.
王子様に抱かれた翌週。あんたのリハビリにはこれだと連れていかれたのは町中のとある店だった。経費はこっちでもちます! と、さくらになきつかれて都会にきてみたものの。
「今度はこっちですかい」
ずもーんと目の前に掲げられた看板をみて、うわぁーと、暗い気持ちになった。
よりにもよって、男の娘カフェに連れてこられたのである。
正直なところ、12月に入ってからろくに自然の風景の撮影ができていないので、そっちの方にも行きたかったのだけれど、さくらにあれだけ熱心に「ちゃんと直しておこうよ」といわれたら無下にもできないわけで。
実のところ、ここ二週間くらい生活をしていて、ルイとしては男性恐怖症は別に「どうだっていいのではないか」と最近は思うようになっている。
そりゃ男の人の撮影をする場合はネックになるだろうけれど、そもそも好きな被写体は自然物なので、撮れなくて困るわけでもあんまりない。それにエレナの写真だったら全く問題なく撮れるので、割と男の娘なら大丈夫なのだ。
だったら学校だけ我慢すればいいかなぁと思っていたのだけれど、さくらからしてみたら、男同士でびびってるとか、気持ち悪いじゃないのということらしい。
「そ。ここは可愛い子いっぱいだし、ちょっとしぶい感じの人もいるから、良い感じに訓練になるんじゃないかな」
店頭の表示を見た段階でルイの表情がとても曇る。スタッフ紹介みたいな感じで入り口の脇には小さめのスナップ写真が貼られていたのだけれど、やはり間違えようもなくものの見事に男の娘さんたちだった。すさまじく女の子っぽい子から、ごつさを隠そうというのをみじんも感じさせない写真なんかもある。
そして門を潜って、お店にはいると予想通りの風景が広がっておりました。
「ま。まって! ちょっとまって!」
「なによ。別にいいじゃない。けっこーここ有名なお店でコアじゃない人もくるんだから」
コアってなんなのさと思いながら店をちらりと見渡すと、その五十人くらいが入れそうなスペースではいろいろなコスチュームの人が接客をしていた。
制服が固定されてるわけではなく、セーラー服やナース、他にはゲームのキャラのコスプレの人もいる。
いるのだが。いうまでもなく。
「いらっしゃいー。あらかわいいお客さんねー。お二人は未成年かしら」
「はいっ。お酒類は頼みませんよー。わかってますって」
さくらが元気に答えると、その隣にいた人がすっと身を乗り出してくる。
「おぉーさくらちゃんに……ええぇっ。そっちってまさか」
「あはは。さすがにコスイベントで会ってる人にはばれるか」
その人はセーラー服のコスプレをしたおねーさんだ。年齢はよくわからないけれど、十代ということはおそらくない。あいなさんと同じくらいかもうちょっと上くらい。さくらが言っているようにその人の顔をまじまじと見ると、何回かイベントで顔を合わせている女装コスの人だった。エレナがああいうキャラなので、女装コスの人とはそこそこ交流があって、顔見知りということもあるのである。
「あのルイちゃんにお店に来てもらえるなんてっ。これはもう今日は撮影禁止とかいってらんないんじゃないかしら」
「ちょ、ちょっとまって。今日はちょっと撮影をはなれて……その、ね」
「そうよ。あーたの知り合いでも駄目なモノはだめ。この店はカメラの撮影はお断りだもの」
少し年配そうなおねーさんに諌められて、彼女はうぐぅと声を漏らした。
「それで? ただたんに物見遊山で来たって言うわけでもないのでしょう?」
「はい。実はこいつが男性恐怖症を患ってまして。みなさんでリハビリをしようって話なのです」
ここならいろんなタイプな人がいますし、と年配のねーさんのほうにさくらが伝える。
どうやらコスプレのほうの人ではなく、こちらの相手をしてくれるのはこの方のようだ。
彼女は少し立派な体格をした人だった。横幅があるからごつく見えるのだ。そして服装は思い切り和装。おっかさんというか、女将というか、そんな感じの威風堂々とした方なのだった。
「へぇ。確かに男に好かれそうな顔してるものね。押し倒されたりでもしたのかしら」
「おおまかにはそう、です」
あらまぁ、とネームプレートにさゆりと書かれた和服のねーさんは、頬に手をあてた。ドラマチックな想像でもしてるのかもしれないが、残念ながらそんなにいい話ではないのだ。
「警察に行ったり、避妊したりとかはしたのかしら。身体は大丈夫?」
「って、そこまではされてないですっ。そもそも避妊って……」
相手は、こちらのことを全く気づく様子はなく、心配そうな視線を向けてくれている。それともバロンさんみたいに反応がでそうな単語をぶつけてきてるのだろうか。
「なんだか、強姦されたあとに三日以内に薬を飲むと、妊娠しないで済むっていうお薬があるんだって。まっ、あたしたちは使う必要なんてまーったくないんだけどー」
いいつつ、彼女はずもーんと沈んだ。自分で地雷を踏んだらしい。
「まあ、いいわ。それならルイちゃん? おねーさんと腕相撲しましょう」
「腕相撲……ですか?」
さぁ、ほら、おててをだしなさいと言われて、言われるとおりにする。
男同士が手を結ぶ時、もっとも多いのがこの腕相撲なのではないかとすら思うくらい、自然に手が握れるというスポーツである。
「スポーツだったら嫌悪感もでないのではないかしら。まっ、あたしみたいな淑女を相手に、男性恐怖症を発揮したら、もう今日は涙で枕を濡らすしかないんだけれど」
がしりと手が握られる。一瞬だけぴくんと指は震えたけれど、嫌な感じはあまりしなかった。
綺麗にマニキュアの塗られた爪と、ややサイズの大きい手のひらは、男性の手のひらというよりはマダムの手というような感じだ。
「それと、もし勝てたら今日のお会計から二割引してあげるわよ」
周りからはまた始まったよ、この腕相撲さんはーと呆れのこもった声がわらわらと聞こえてきた。
「いいじゃないの。別に今回はかわいい子のリハビリのためなんだもの。いつもは男性客の手を握りたい一心でやってることだけど、たまには良いことをしたいのよ」
「本気だして、怪我させたらなおさらルイちゃんの男性恐怖症悪化しちゃうんじゃないの?」
「そこらへんは、ちゃんとやるわよ」
さぁ、勝負っ。と右手をがっちりとくませられ、レフリー役の子が二人の手を覆うように握ってきた。
ほんのりとした体温も確かに不快には思えない。
そして左手はしっかりとテーブルを掴む。こちらも臨戦態勢である。二割引は確かにおいしい。
「へぇ。あんがいルイちゃんったら腕の力あるのねぇ」
レディーゴーのかけ声と同時に思い切り右腕に力を入れる。少しだけ今はルイが押している状態で力が拮抗している。おそらく最初の一瞬は力のいれ具合を躊躇したのだろう。全力でいってべちんとたたきつけるのもちょっとと思ったのだろう。そして力を入れてなんとか拮抗させている。でもそんなことが出来ると言うことはこの人のほうが力は強いということだろう。
「ずっとカメラ握ってますしね」
一眼は重いですし、と軽口を叩きながらも、きりきりと腕に力を入れていく。
もう、遠慮も躊躇もない。
「うわっ、さゆりねーが女の子に押されてる……すげぇ」
ギャラリーがなぜか、男口調でこの光景への感想を漏らしていた。ちょっと白熱してきちゃって地がでているのだろうか。けれどもそんな背景の音なんて無視。今は力一杯この勝負に勝つことだけを考える。
「こなくそー。もうちょっと……」
さすがにそろそろ腕が疲れてきたのですが。それでもさゆりさんの鍛え抜かれた腕はなかなか角度を変えてくれない。そこからは一方的な展開になってしまった。
そう。ルイの筋力がそこで悲鳴を上げ始めてしまったのだ。持久力という点ではそんなにないルイなのだ。
じりじりと押し込まれて、そしてそのまま、こんっと軽く手の甲が机に触れた。
「女の子相手に本気出したの久しぶりだわ……」
ぜぃぜぃと息を荒くしながら、さゆりさんは少し太い声でそう言った。
こちらもはぁはぁと息は荒い。けれどもそんな音ですら女声のそれなのは、もはや呼吸のしかたが染みついているからなのだろう。
「それで? どうだったかしら。あたしのこと、怖い?」
「いえ。全然」
言われてみると、男の人に手を握られる状態でも全然大丈夫だった。
「なんでだか、わかるかしら?」
愉快そうに彼女はほおづえをつきながらにんまり笑う。
そういう仕草は妙な色香が漂う大人の女という感じだ。
「外見的特徴もあるけど……なんだかんだで終始、優しかったからだと思います」
そう。ここなのかもしれない。もちろん女装しているという見た目部分は大きい。たしかに体型的な問題でやや普通の女性には見えない部分はあっても物腰や仕草が柔らかいおかげで、男っぽさという点ではかなり薄れてくれている。けれどそれ以上に、腕相撲をしている間も気を遣ってくれていたのがよくわかるのだ。
まず、手を握るにしてもぐっと握りしめたりはされていない。そして最後の押さえ込みも、力の限りなんてことはなかったのである。
「んまっ。嬉しいことを言ってくれるわね。でも、その通りよ。力としてはあたくしのほうが強かったけど、その使い道は心得ているし、傷つけたりなんてしたくないわけ。そういうのを無視しておいたをしちゃう男子もいるかもしれないけど、全部の男性が怖いってなっちゃうのは、もったいないわよ」
もうたくさん男がいるんだし、これが全部危険人物だったら世界は終わってるわよという台詞は確かにその通りだなぁと思わせられた。
「男相手なら、がっちりホールドして逃がさないけどね、さゆりねーは」
「あれ? さゆりさんって……?」
ここって、男の娘カフェですよね? と首をかしげると、ああと彼女はまったく悪びれる様子もなく言うのだった。
「それはほらぁ、こういう業界ですもの。ただ女装するって共通項だけで、好きな相手がどうとかはあんまり関係ないというか」
若干、ルイが思ってる男の娘の定義からはずれてしまうのだけれど、どうやらそれはそれでいいらしい。
通常、男の娘といったら、見た目可愛くて女の子にしか見えないけれど、だが、男だ、という単語がその後につくものである。好きになる相手もノーマルであるケースも多い。
けれどさゆりさんを見ていると、男の娘というよりは、女装さんやらニューハーフさんやらっていう単語のほうが頭にちらついてしまうのだ。
「えと、じゃあ、さゆりお姉さんは、男の人が好きってこと、でいいんです?」
「やっだぁ。そんなストレートに聞かないでよ。もちろん男の人は大好きよ。イケメンとかだ、い、す、きっ」
やんと照れながら答えるさまはとても乙女だ。
「男の人にせまられたりとかは?」
こちらの真剣な空気がわかったのか、彼女はおどけた雰囲気をおさえて、こちらに向き合ってくれる。
「ない、ではない……けど。けっこー面白半分。声はかけられるけど、本気ってのはないんじゃないかしら。このお店、お客は男女で半々くらいだけど、女の子に声かけられる方が多いのよね。それでもごくごく稀に、本気になる人もいるにはいるけど……こういう所にくる人っていろいろと情報も持ってて、きちんと変態紳士な方々だから」
むしろライトな一見さんのほうが失礼なこともばしばしノリでやっていくのだと彼女は言う。
「変態紳士って……」
「ああ、あたしたちみたいにちょっと、はずれちゃった人たちをめでる人っていうのが正しいのかなぁ。ちがうのかな。でも紳士だから、そこら辺は無茶しないっていうか」
「それは、本当にいいですね」
変態と冠されていても本当に紳士であればそれは好ましいことだと思う。
そんな本音がとことん漏れてしまったのか、さゆりねーさんは、やれやれと苦笑を漏らしながら言ったのだった。
「ルイちゃんも、彼氏つくれば恐怖症克服できるんじゃない? この人がいれば世界に怖いものなんてないって状態になれば、ちょっと怖そうな相手を前にしてもがんばれるんじゃないかしら」
一人や二人そういう相手がいたって不思議じゃなさそうに見えるけど、と言われて、うーんと複雑そうにさくらのほうに視線を向けてしまった。
「べ、別にあたしはルイの彼氏なんて面倒臭いことやんないわよ? っていうか最近あたしだってちゃんと女の子らしくできるように精進してるんだからねっ」
わたわたとさくらが言い訳をするのを見て、さゆりねーさんが目を丸くした。
「あらま。ルイさんったらビアンさんなのね。だったら男性恐怖症になりやすいのもわかるかもね」
「あ、いえ、そういうわけでもないんですけどね……」
さあどう説明しようかと思いつつ、どのみち彼氏を作るというのは難しいので深い話をするのを控えるようにする。
「なんにせよ、この店は安全だっていうのはあたくしが保証するから、いろんな子と会って話をしてみてごらんなさい。ちょっとはその怯えに効果があるかもしれないから」
さゆりねーさんはそう言い置くと、カウンターの裏側に入っていった。さきほどちらりと合図のようなものがあったので、呼ばれていたのだろう。
「ルイったら、女子のほうが好きだったなんて、初耳ね」
「しかたないでしょー? それにさくらには助けを求めたわけじゃなくて、どうしようかーって相談したかっただけなんだし」
そもそも、恋人よりも撮影のほうが大事というのが二人の共通見解だ。それなのにあわあわと慌てたさくらのほうが悪い。
「まーでも、多少はマシにはなったんじゃない? 二時間までは居れるのだし、他の男の娘ともいっぱい話をしてみるといいんじゃないかな?」
「そだね。それとご飯関係は注文してもよろしいので?」
「あー。そりゃね」
カフェなのだから、注文はちゃんとしないとねーと、さくらはいまさらなことを言ってのけた。
話の流れから急に腕相撲になってしまったけれど、この店のコンセプトはご飯を食べながら男の娘さんたちを愛でたり話をしたりすることなのである。
「あ、でもできれば安めなのでお願いシマス」
経費はさくら持ちなので、たかってやろうかとも思ったのだけれど、にまっとしたのを見とがめられたらしい。一番素直にサンドイッチセットを頼むことにした。
おすすめメニューに写されていた写真の中で一番発色がよくておいしそうだったのである。
男の娘カフェ系は何度か作者も行ったことがありますが、新宿二丁目とかよりも入りやすいライトな感じがよいよねと思います。
そして、腕相撲。しばらくやってませんが、自然ななりゆきで異性と手を握れるシチュエーションなのではないかと思っております。さゆりさんはイケメンが来ると腕相撲ふっかけるようです。