006.写真部勧誘1
「はて。これはなんだべか」
あの実習から数週。お正月があけて朝、眠気混じりのあくびをしながら下駄箱をあけると、中に白い封筒が入っていた。
簡素な封筒で差出人の名前はない。ラブレターにしては華がないなと思いつつ、中をあけるとそこには一枚のプリントされた写真と、今日の昼休みに屋上に来てくださいというコメントがつけられていた。
写真の中身はいうまでもなく、斉藤さんのカメラで撮った久米教諭、あの噴飯やるかたない駄目おばさん教諭の姿だ。
ぼけもぶれもない写真で、困惑した顔は突然撮られた写真にはありがちだった。
「まさか本人からの呼び出しなら職員室だろうしな」
そして斉藤さんがわざわざこんなことをするはずもない。
「どのみち行ってみるしかないか」
くしゃりとバッグに手紙を押し込んでとりあえず教室へ向かった。
とりあえずは授業優先なのである。
「君は確か、写真部の?」
屋上にはすでに人影があった。その人物には見覚えがある。この前の実習の時に写真がどうのと絡んできた子だ。たしか一組の遠峰さんだったか。
「来てくれてありがとう。木戸馨くん」
彼女は気さくに手をあげると軽く振った。
もともと生徒に屋上を使わせる意思が学校側にないのだろう。しっかりとしたフェンスは備え付けられているものの、ベンチや休み時間を遊べるような遊具のたぐいもない。
かといって立ち入り禁止というわけでもなく、別段カギもしまっていないので、呼び出しの場所としては体育館の裏よりもこちらのほうが人気があるくらいだ。
ただ、この季節は寒さのどん底と言うこともあって、そうとう冷える風が吹いている。コート無しではいささか厳しいくらいだ。
「それで? いきなり俺に何のようなんだ?」
とはいえ、遠峰さんの表情や身振りはどうしたって告白前の女の子のものではありえなかった。緊張はしているのだろうが、それでいて浮ついた感じというものがまったくないのだった。
「下駄箱に入れた写真、見てくれたかな?」
「ああ、これか?」
二年の教師の写真を渡されて、それでどういう話をしてくるのか。少し緊張しながらもポケットから写真を取り出す。
「それね、実は君のクラスの女子部屋のこの前の合宿の時の写真なんだ。久米先生、割ときれいに撮れてるでしょ?」
「ふぅん。まあぼけてもないし夜の部屋の撮影にしては悪くないんじゃないか?」
確かにその写真はほとんど反射的にその撮影シーンに合わせて木戸が設定して撮ったものだ。ただのこけおどし、ただの教師いびりのために撮ったものではあったけれど、けして妥協なんてできるはずもない。
「そ。でも、斉藤さんがそんな写真撮れるはずがないのよ」
何回見てもおかしいなぁと部員全員で首を傾げたのだと彼女は言った。
「斉藤さんの他の写真は暗がりだとかならずフラッシュがたかれてて、ぴらっとした感じになってたけど、これは違う。別の人が設定をいじって撮った写真だ」
フルオートなら、フラッシュをたくのが普通だ。部屋の照明が若干落としてあったあの場面では、嫌でもぴかっとフラッシュがたかれてしまう。
けれどあのときはほとんど無意識にフラッシュを消して撮った。
「そしてそれに似た写真が、これ」
彼女が後ろ手に持っていた小さな紙バックから、何枚かの写真を取り出した。
木陰になって薄暗いにもかかわらず、木陰の上の鮮烈な緑とともに、人の表情もくっきりと写ってる。その時の光景を切り取った写真だ。確かに夜の写真と通じるところはあるのはある。けれども写真を多少でもかじった人間であれば、それくらいのことは誰だってやるだろう。
「あの部屋にいた子にきいたけど、他の部屋の友だちが遊びに来てたことは認めたけど、それ以上はだんまり」
それが誰なのか教えてって聞いたんだけど、うまくはぐらかされちゃって。という彼女の言葉を聞くと少しほっとする。みんな約束を守ってくれたらしい。
「ここからは推理になるんだけど、三組の木戸馨くん。君があそこにいたんじゃないかな」
けれどそんな安心はあっさりと消え失せる。みんな内緒にしてくれているのにこの子はどうしてそんなに自信満々に言い放てるのだろうか。
「そ、それはさすがにどうなんだ? 男の俺がこの写真を撮っていたというのは無理があるというか」
さすがにばれて写経行きなのでは? というと彼女は手持ちのコンデジを構えた。
「カメラをこう構えれば顔の三分の一は隠れるし、木戸くん男子の割に髪も長めでさらさらだもの」
これで無言でシャッターをきれば、普通の人は逃げていくよと、彼女は言い放った。さすがに声のことまでは想像がいかなかったようだ。
「写真を撮られなれない人間は、唐突にシャッター音が聞こえると逃げていく、か。まるで武器みたいだな」
気持ちはわからないではない。写真は撮られる覚悟を持った上で撮られるのが基本だ。きっとあの教諭も唐突だったから焦ってさっさと帰って行ったのだろう。
「それで。それをふまえて木戸くん。あなたに言いたいことがあります」
彼女はもはやこちらを犯人と決めつけた上で、にじりと這い寄ってくる。これからなにか糾弾でも受けるのだろうか。木戸としては別に悪いことは何一つしていない。そこらへんはあの部屋にいた女子全員が証言してくれるに決まっている。
けれど。
「写真部に入ってください」
ぺこりと頭を下げられてしまった。
「は?」
いや、男子が女子部屋にいたことを糾弾しにきたのかと思いきや、まったく別の話がでてきて、正直こまった。
「だから、あなたを写真部に勧誘しています。っていうか、イベント係で写真を持ち回りでやってもらってるのって、素質がある人を見つけるっていう意味合いもあって。目に留まった人を勧誘してまわってるの」
最終的にチェックするのはうちらだし、と彼女は笑う。
今回の収穫は、なんといっても木戸馨だと部員で話題になったのだというのだ。まったく面倒くさい人たちに眼をつけられてしまったものだと思う。
「いや。そう言われても放課後は忙しいし、部活は無理だぞ」
誘ってくれるのはうれしいけれどと、とりあえず社交辞令は伝えておく。
「なら、週末は!? 月1くらいで撮影会やってるんだけど」
「それだけでるのはちょっと活動としてはどうなんだ? それにあれだけ女子ばっかりの部活に参加するのはちょっと」
別にカメラがメインなのだから、そこらへんは問題ないのだろうけれども、周りの眼というものもある。なにより週末のルイの活動の時間をとられてしまうのはかなり許容しがたい。
「ううぅ。そうなると、もうこの写真を元にゆすってでもつれて帰るしか」
うるうると彼女はいいながら、先ほどの久米先生の写真をとりだした。
けれども果たしてそれだけで、木戸があそこにいた証明になるだろうか。否。そんなことはない。
「悪いけど、写真部の方は参加できない。それにその写真を証拠にっていうのがまず、普通は無理な気がする」
「でも、あなたは来た」
ぐ。痛いところをついてくる。確かにそれだけの手紙は間違いかなにかだと思うものだろう。
「そうだ。これを返しておこう。この人の写真をもらってうれしい人は知人やら家族やらで、少なくとも俺はいらないし、プリントした写真を処分もしたくない」
はいよ、と渡すと彼女はうぅとうめきながらそれでも受け取ってくれた。
「そもそも普段なにをしていらっしゃるのでしょう?」
「苦学生は、資金調達の為に夜のバイトをしているのです」
さらりと事情をはなすと、彼女はきょとんとした顔をした。
学生がそこまで熱心に働くのはそれなりの目的がある場合だけだ。
学生の本分はあくまでも勉学にある。そこでのこれだけの時間の労働は、あまり誉められたものではないのだろうし、実際に遊ぶ金ほしさで働いている場合、ここまで熱心には働かないものだ。
「え、でも、だって、カメラ自体はもう持ってるわけでしょ? プリントとかするならお金かかるだろうけど。まさか家にはひもじい思いをした妹さんがいたりとか」
「ないっ。そういう重たいのはない」
木戸の家は特になんの問題もない中流家庭というやつである。借金苦であったりということももちろんなく、妹はいない。姉ならば一人大学にいっているのがいるけれど。
それでもお金がかかるのはもちろんルイを構築するためなのだけれど、それをいうわけにはいかない。
「でも暇はないっていうのはわかるだろ?」
「でもぉ」
ううぅと彼女は恨めしそうな声をあげる。
そうは言われてもやはり写真部にはいるのは無理というものだ。
「さぁ、木戸くーん。私たちと楽しい部活動をしよー」
昼休み、購買でパンでも買おうと思ったところで、じとーという視線が入口付近から向けられていた。
「ぐぅっ、だが断るっ」
こそこそ反対側の出入口から逃げるように、教室を出る。
目指すのはもちろん購買なのだけれど、その間に彼女をまかなければいけない。
そう。彼女は追ってくるのである。教師の目があるので走れはしないのだが、ほとんど競歩の勢いでつかつかと移動を開始する。ほかの教室の生徒たちはなんだなんだとこちらを見ているのだが、二人の姿を見つけたとたんにまたかとすぐに興味を失ってしまった。
そうなのだ。もうかれこれ二週間はこんなやり取りをやっているだろうか。
粘着といえばいいのか。接着? さすがにここまで追い回されるのは困る。
「あーもう。いい加減つきまとうのはやめてくれよ!」
「だって、木戸くんに写真部に入ってもらわないと私の命が」
「そんな大げさな……」
「あなたはわれらの救世主。未来に羽ばたく翼をもっているのよ。そんなあなたを連れていけないだなんてそれこそ、私の能力不足も甚だしい!」
さぁ一緒に部活をするのです、と彼女はつかつかと一定の距離をあけながら説得の声を投げてくる。
そもそも男の自分と同じ速度で歩ける女子というのはどうなのか。いや。木戸もそんなに足は速いほうではないというか、身長があるわけではないから歩幅が実際あんまりかわらないのかもしれない。
ルイをやるにはメリットだとはしてもこういう時は小柄な自分が恨めしい。
けれど、つかつか歩いているといつの間にか背後にある気配は消えていた。
まいたのか、と思いつつ速度を緩めたその瞬間。
「おわっ」
角を曲がった先に彼女の顔がすでにあったのだった。
なんだこれは。忍術かなにかなんだろうか。
「えーと。遠峰さん? 俺は購買でパンを買わねばならないわけだが……」
道をふさがないでくれますかいね、というと彼女はうるっと涙をたたえたようなうるんだ瞳でこちらを見つめてくる。自然にやられてるとしたら写真を撮りたくなるような顔だ。
「だったら、部活、入ってよ」
あいにく昼飯と部活動を天秤にかけるような趣味はない。
「そもそも土日は撮影にでてるんでしょ? クラスメイトから聞いてるもの。いの一番に家に帰ってなにかしてるって」
それこそ教師がSHRを終えたらすぐに走り出すという話は仕入れているんだからと彼女は言い放った。
確かに事実である。間違いなく事実なのだが、それを認めるとしてもその時間を部活動にさく気はやはりない。
「バイト先の、コンビニ? そっちでも木戸君の彼女を装ってシフトを聞いてみたら、平日だけって話だったから、もう確実でしょう?」
「まて。誰が誰の彼女だって!?」
「だって普通の友達に、そんなシフトの話なんて教えてもらえないじゃない? だからほっぽらかされてる彼女っていう設定にしたというわけ」
「ひい」
この前にんまりと店長が笑っていたわけがわかったような気がする。そして確か言われた。彼女を大切にしなきゃだめだよーとかなんとか。
けれど、今でさえ木戸はもう、ルイという彼女を大切にしているのだ。恋人ではないが。
「土曜日は毎週活動してるけど、日曜日は強制じゃないし、それくらいだったら来てくれても罰はあたらないと思うのよ」
それに、女友達もわんさかできるよーと彼女は含み笑いをしながら告げる。写真部の構成は、一年は三人で二年は二人。三年生には男子生徒もいるようだけれど、それ以外はみんな女子という非常に偏った部活なのである。
「いや……でも俺だって唯一の空き時間は自由にしたいっていうか、土日で撮影場所のバリエーションというかそういうのもあるし」
少しばかり苦しい言い訳なのだが、仕方ない。ルイとして学校にくることは無理である以上、週末の撮影の素晴らしさを伝える以外にないのだ。
「学校だって撮るところいっぱいあるし、目の前に風景さえあればうちらはどこだって写真撮れるんだよ?」
だったらこっちで撮ってもいいじゃないと彼女は膨れる。
「いいや。撮影場所を選ぶのだって立派に必要なことだ。俺の専門は風景なの。学校はそんなに興味ないの」
「そこまでいうなら、わかった」
さらに頬を膨らませながら、彼女はむきーといいながらうなずいた。
何か納得してくれたんだろうか。
「そんな魅力的な週末のあなたの撮影。あたしもつれてって? それで部活勧誘は諦める」
確かに、週末の撮影がいかにいいかを伝えたのだが。それがこういう流れになってしまうとは。
「一日だけ、考えさせてくれ」
それだけ言うと木戸はくるりと踵を返して教室に戻った。
腹はなったが、そのまま机に座って、寝た。
ぽちゃりとしずくがなった。
腕を軽く水面にあげると、みずみずしい肌の張りがみえる。つっとその柔肌に雫が滑って水面へと落ちていく。
まあ、ヤローの風呂場シーンなんてどうでもいいといわれるのはわかってはいるのだが。
悩ましいところは風呂場で考えるのは、どうしたって仕方のないことだ。
ああ。悩ましい。あの子にルイの姿を見せてしまっていいのかどうかがとても悩ましい。
週末の撮影をしているのは、おおむねルイだ。男子の姿での撮影は実際この前の学外実習のときが初めてといってもいいくらいだった。最初のころに撮ろうとしてびくびくしてしまって、だめだぁーとなってからはあっちの姿ばかりだった。
ではこのままつきまとわれていいのかといわれれば、いいわけがない。
「それに、ルイに写真仲間ができるのは、正直、うれしい」
そう。部活に参加をすることは難しいような気がする。撮影をしているのは木戸ではなくルイだからだ。
もちろん木戸の状態での撮影もできないではない。ただせっかくの休みの日の撮影をするならルイの姿でいたいと思ってしまうのだ。写真の質にしたって男女のそれではだいぶ異なる。明らかにルイの状態で撮った写真の方ができがいい。
「では遠峰さんにルイの正体がばれても問題にはならないか……」
これはイエスだ。別段ルイの正体に関して内緒にしているのは青木だけ。あとあいなさんには『言っていない』。
他にも言っていない人がいっぱいいるけれど、別段絶対にルイの存在を内緒にしているわけでもない。
「しっかり口止めをすれば……」
想像してみる。ルイと一緒に遠峰さんがカメラを握っていたら、と。
あいなさんとの撮影も楽しいけれど、同年代の子との撮影というのも、それはそれで楽しいものだろう。
「なら、答えは一つ、か」
はぁ。深い息を吐きながら、覚悟を決めたのだった。