銀香町での初デート・じーちゃんを添えて3
本日、ルイさんはトイレに行っているのでナンバリングは無しでございます。
崎ちゃんの一人称で!
あたしは今、黒くて固い感触を手に感じている。
ずいぶんと重たくて、ずっしりくるそれは、ルイの大切なものだ。
言うまでも無く、カメラである。
どうしてあたしがカメラを持たされているか、といえば今、あいつはトイレに行っているからなのだった。
正直、いきなりお祖父さまと二人きりとか、こういうシチュエーションはやめて欲しかったのだけど、でも、ま。
尿意には勝てないというのは、万国共通というものなのだろう。
「にしても、カメラを預けていくとはずいぶんと信頼されておるようじゃのう」
公園のベンチに座りながらカメラをきゅっと抱きしめていると、お祖父さまに声をかけられた。
大銀杏に向かう途中で寄ったさきは、近所の小さい公園だ。
ルイ曰く、銀香町のお外トイレは網羅しているのだぜ! なんてことなのだけど、ほぼ迷い無く、ああ、あそこで! と言い出したときには、ほんとなじんでるなぁと思ったものだった。
もちろん? なのかはわからないけれど、女子トイレの方をご利用である。
それもあってカメラを置いていったというのもあるのだろう。あいつ、普段は電池抜いてトイレに入るって言っていたし。
盗撮のえん罪防止というやつだ。
「やはり、カメラマンにとって、カメラってのは大切なものですか?」
「そうじゃのう。まあ、所詮道具だ、とは思うし、人の命に比べれば落ちるじゃろうけど。でも、いろんな意味で、あの子は誰にでもカメラを任せるなんてことはせんじゃろうね」
カメラ自体も財産だけれど、写ってるものこそ、宝じゃからね、とお祖父さまは言った。
なんか、さっきまでルイとあほテンションで掛け合いをしていて、大丈夫なのかなと思っていたけれど。
ああ、確かに。
この人はきちんと、撮った写真を大切にしようとしてくれている人なのだと思った。
「今の世の中なら、いじってデータを消されたりってことも有る得るわけですしね」
「昔もあったんじゃよ? 撮られちゃいかん写真を、強引にもぎ取られてのう。こう、がぱーって、フィルムのところ開けられてびゃーってされれば、当時は終わりじゃ。古いマンガじゃと、ときどきあるシチュエーションなんじゃが」
最近じゃ、それこそSDカードを折るとかそんな感じになるのかのう、とお祖父さまは愉快げに笑った。
うん、そういうのは古いドラマで見たことあるかもしれない。
演技練習で見た昭和のドラマの一幕だ。
「にしても、ルイちゃん遅いのう。大きい方でもしとるんじゃろうか」
「ちょ、大きい方ってさすがに……その」
「見た目あれじゃが、一応人間じゃしね。昨日の晩ご飯はいろいろと奮発してくれたし、本人も、おうちのお金でローストビーフとはーー、とか涙目じゃったしのう」
「家でローストビーフ……あいつなら絶対自作よね……」
おいしいローストビーフのお惣菜を買ってきた、ではなく、美味しそうなブロック肉を買ってきた、のだろうなと思って、あたしはちょっとため息をついた。
料理が得意な男の子は、すごく良いと思う。男子飯、みたいなテレビとかを見ても、すごいですねー、ってコメントはする。
するけれど、いざそれが、フリルのエプロン姿の、若奥さんもかくや! というビジュアルだったらどうだろうか。
「なんじゃ、お前さん。あんだけ公衆の面前でやらかしているというのに、迷っておるのか?」
ん? とお祖父さまはカメラを向けながら、こちらにすり寄ってくる。
その姿はちょこっとだけ、馨みたいだ。
「迷いはあまりないんです。ただ……ね。いつまであの格好でいるつもりなのか、とか。できればその……あっちの姿とも一緒にいたいな、とか」
頬に手を当てながら、ちょっと恥ずかしそうに目を背ける。
なかなか人の前でこんな顔を、演技以外ですることはないのだけど、まあ、たまにはいいだろう。
「んー、わしもけっこーそんなんじゃったしね。うちのばーさんと知り合ったのも、まあ似た感じというか」
懐かしいのう、というお祖父さんにあたしはちょっとどん引いた。
馨と同じって、あんた……
「えっ、お祖父さまもお若い頃は女装を?」
えー、とあたしは、今目の前にいる、まあまあ変哲のないお祖父さんに、驚きの顔を見せた。
カシャリと思い切り撮られたのだけど、これはしょうがない。うん。
「してるわけないんじゃよ。昭和も中頃じゃぞ? その話をあやつにしたら、昭和の時代だって女装倶楽部とか、息吹はいっぱいありましたー、とか説教食らったもんじゃけど」
わしが昔手がけた学校の撮影とかじゃ、まだまだ女装=祭の日の余興じゃったんじゃがねー、とお祖父さまが少し遠い顔をする。
ああ、ルイからはさんざん、「うちのじーちゃん、地元に女装の巫女さま抱えてるから、そこらへんはぶっ飛んでます」って言われていたのだけれど。
いちおうは、女装が普通じゃないというのはわかっているらしい。
「わしもさすがに、その頃はふつーじゃったからの。町に巫女様が誕生して、一気に男の娘ブームに沸いたのはここ十年じゃよ」
いやぁ、地元のじじいどもは迷信深いのもあれじゃが……なんといっても、巫女様可愛すぎじゃからのう、と言われて、あたしは首を傾げた。
いまさら、どこで誰が女装していようが、あまり気にはならないけれど、お祖父さまの家のそばにそのような場所があったというのは、驚きだ。
「あ、その話あまり聞いてないです」
ってか、馨のやつ、お正月あたりから、ぱたっと連絡が来なくなった。
まあ、年末の告白があって、気楽に連絡をしてくるやつではないってのは知っているし。
それに、こっちからも連絡を控えていたってのはもちろんあるわけだけど。
告白の代償とはいえ、言葉が交わせないのがこうもつらいとは思わなかったものだ。
べ、別に他に友達が居なくて、さみしかったとかそういうわけではなくてね!
じ、実際、さくらや、エレナとはそれなりに連絡を取り合っていたのだし。
芸能界関連だと……うん。一回モデルの子と連絡とって、盛り上がったくらいかな。
あなたは演技にストイックになりすぎないで、友達と遊ぶことも覚えなさいと、とある監督に言われたこともあるけれど。
どうしても同業者には心を開くことは難しいのだ。
弱みは見せられない、というのはあるし、それに。
自分とは全く毛色の違う相手と付き合うというほうが正直楽しい。
エレナのあの、ちょっと頭おかしい感じも、仕事上ではあまりお目にかかれないし、さくらにしても最初は馨目的で近寄ったところはあっても、努力タイプのあの子の姿は好感が持てた。
「なんじゃ、あやつ、わしの町のことを話しておらなんだか」
「あ、それはその……その前に、あたしが、告白したからで……」
田舎の話を話題に上げられなくてさみしいのうというお祖父さまにとりあえずフォローをいれる。
まあ、それから半年放置されたのだけど、まあ、馨なら仕方ないとしておくしかない。
「なんと。そんなころからアプローチかけておったのか。それで? 返事はどうじゃった?」
「返事はいただいてません」
「……さすがのわしでも三ヶ月じゃったんじゃがね……」
「それは、お祖父さまも、奥様から告白を受けた、と?」
ん? とあたしはそこで首を傾げた。
いや。これでもそれなりに、昔の時代のドラマをやることだってあるあたしだ。
さて。目の前にいるお祖父さまが生きた青春時代となると、いつ頃だろうか。
五十年は前だと思って良いだろう。
女性の意思表明が今よりずっと大変だった時代。
その頃に、奥様から告白をして、それを放置した人。
ああ。馨の残念っぷりはほんと、このお祖父さま譲りだ。
「最初は恋文ってやつじゃったがね。あれはいいもんじゃぞ。今でもまだ机の引き出しに保管してあるしの」
まあ、お前さんの告白は思いっきりメディアに保管されてるわけじゃがね、とお祖父さまが苦笑を浮かべる。
うぐ。
そりゃ、やらかしはしたし、いまでもあの映像を見ると自分で顔を覆いたくなるくらいなのだけど。
世間的には、あれの意味合いはうやむやになったままだ。
未だに、ドラマの宣伝といっている人もいるし、ガチだと思って憤る人、応援しようという人、尊いという人と、別れている。
「告白されて三ヶ月。お祖父さまはその……なにを思ってましたか?」
ちょっと顔を赤らめたまま、お祖父さまにそのことを聞いてみる。
話をすればするほど、この人は馨に似ている。
ならば、その話を聞くことで馨対策ができないか、と少しでも思ったのだ。
そう。ほんとに少しだけ。だって、馨の方がよりこじらせているに決まっているから。
「あの頃のわしは、どうすればより良い写真が撮れるのか、という方が優先じゃったしね。ほれ、男の精神が成熟するのは女より遅いっていうじゃろ? まー、ガキがおもちゃに熱中するように、カメラに夢中で、ばーさんの恋文のこととか、すこーんと抜けておったんじゃよ」
もらった日は一日ちょっとごろごろしながら考えたがね、と結構残念な答えがきた。
ううん。馨は果たして告白した日の夜、いろいろと考えてくれたのだろうか。
こちらとしては、かなりいろいろと手を尽くして万難を排してという感じではあったのだけど。
すこーんと抜けてるというのは、多分馨もだろうなぁと、ちょっと体から力が抜けそうな気分だ。
あの夜、エレナに、どうしてあそこで演技に走っちゃうの!? と思い切り怒られたけれど、まあ、そうなのだろう。
あれではたぶん不足なのだ。
こんな写真馬鹿どもを相手にするには。
「で、ばーさんな。これじゃダメ、と思ったらしくての。そのあといろいろとあったんじゃよ」
懐かしいのう、とお祖父さまは遠い目をした。
まて。
この目の前の写真馬鹿を振り向かせた方法があるというのなら、是非とも教えて欲しい!
「あ、あのっ! お祖父さま? その、いろいろというのはどういった……」
「そうじゃのう……」
ちょっと前のめりで尋ねると、お祖父さんはうむー、とちらりと視線をそらしてから言ったのだった。
「ふふ。ここから先は有料じゃよ。年寄りからのアドバイスだってほいほいと与えられるわけではないぞい」
ほれ、とお祖父さまはなぜか、カメラをこちらに向けてきた。
ええと。これはあれか。対価としてモデルになれとかそういうことなのだろうか。
さっきからばんばん撮られていたけれど、それはモデルとしてではない。
それこそスナップ写真といわれる類いのものだった。
それと違って、ガチで撮らせろということだろうか。まったく。馨もこの人も、とんだカメラ馬鹿だ。
「数枚だけなら、いいですよ。それで教えてくれるなら」
「ほっほ。太陽より上手く撮ってやるからのう」
「って、なにやってるんですか! お祖父さま!」
そんなやりとりをしていたら、いつの間にかルイがトイレから帰ってきていた。
手にはハンカチが握られていて、今だ手をふきふきしながらだ。
撮影体制になっているのを見て、小走りで戻ってきたらしい。
「なにって、撮影じゃよ?」
「人の被写体盗らないでくださいよ」
うぅ、と恨めしそうな顔を浮かべられて、お祖父さまは悪かったのう、とあいまいな笑顔と共にカメラから手を離した。
撮る意思はないという表明のためだろう。
それにしても、ルイったら言うに事欠いて、盗らないでときたか。
なんだかその台詞だけですごく胸のあたりがぽかぽかしてしまうのはなぜなのだろう。
「じゃったら、おまえさんが撮ればいーじゃろー? わしはそんな二人を撮るからの」
ほれほれ、構えてもらって撮るんじゃよー、とお祖父さまに背中を押されてルイがあたしの前にやってくる。
さて、ではこれから撮影会になるかといえば、まあ。
「撮影枚数を増やす、というのは無しだからね」
果たして残ってる枚数で、佐伯さんを超えられるかしら、と言ってやるとルイは、少し考えてカメラを構えて、そして下ろして考えて、というのを繰り返していた。
はぁ。
ここで素直に撮って、と言えればいいのに。
でもきっと、馨からしてみれば、あたしの写真は佐伯さんに撮ってもらったあたしの写真集との比較になるだろうし、あいなさんが撮ったものとも比較対象になってしまう。
素直に、撮られたい、撮りたいから撮る、というからちょっと飛び出してしまっているものには違いなかった。
たかが百枚……いまはもっと少ないな。それであたしの魅力を最大限に引き出して、他のプロを超えるものを作れるのかとなれば、ルイだって躊躇もするのだろう。
「ま、難儀するじゃろうけど、うちの孫をよろしくの」
お祖父さまのちょっと憂いのこもった声が、あたしの耳には残った。
御影じーちゃんも、馨に似たような感じで写真にのめり込んでたわけで。
この人どうしてばーちゃんと結婚できたのか、みたいなのはドラマはあるだろうなぁってことで。
さぁ、不憫さが際だったのか、進展があったと捉えるべきなのか。
悩ましいところですが。
次話では銀杏まで行く予定です。せっかくのデートなのですからね! 雰囲気あるところで残りの枚数は使いましょう。




