059.
今回、青木氏が少しやらかしてしまいます。暴力表現にはいるかはわかりませんが念のため。
宿屋の部屋に一人取り残されるとその広さに少し心細くなる。
すでに部屋には布団がひかれていて、そこにうずくまるようにして木戸はぽけーっとしていた。
朝の宣言通りあやうい男子湯を避けて、風邪だと言うことにして部屋で休んでいるのだ。昼に少しだけ無理をしてかわいい乙女声を続けていたせいで実際少し咳き込んだりしていたので、周りは自然に風邪だと思ってくれたようだった。今部屋のやつらは風呂だ。こちらの湯船は女子湯が覗ける可能性を感じさせないそうなので、昨日のようなことはないだろう。うらやましい。かぽーんと温泉入りたい。
そうは思いつつ、疲れた身体をふあーとふかほわな布団に預けているといろいろな思いが浮かぶ。
たった一人の部屋だと人はテレビの音を求めるそうだけれど、木戸としては崎ちゃんがらみかニュースくらいしかみないのでこの時間はあまりつける気にはならない。それより今日の出来事を一つずつ思い出していたのだった。
朝の事件はともかく、町中の景色はしっかり刻んでおきたいし、午後に回った寺社仏閣もよかった。
なにより庭がいいところが多い。なんというか家の中に自然を呼び込んじゃいました、というようなわりと無茶な作りのところが多くて、少しばかり目を輝かしてしまったものである。
うちの近所も都会ではもちろんないのだけれど、あそこまで風情のある植物がたんまりというところはそうそう見たことがない。それを維持するのもそうとう大変だろうな、と思いつつさんざん撮影をさせてもらった。
そしてそんな景色を想像しつつ、部屋の連中の反応も思い出していた。
一緒の部屋になったやつらの半数、厳密に言えば八瀬は安全圏なので二人は今朝、エロい声エロい声と言ってきたやつらだったけれど、意外にこれが部屋につくなりスマンと謝ってきたのだった。
朝のテンションがさすがにちょっとおかしすぎた、と。冷静になって考えるとそうとうありえないことをしてしまったといったのである。
そして今日はひどいこと言わないから、とも。
そんなやつらはみんな今は風呂にはいっている。八瀬は今頃、風呂でどういう風にしているのだろうか。
みんなに見られているのか、それともクールダウンしたクラスメイト達はむしろ見るのを遠慮するのか。
「何事もないのが一番だがな」
温泉うらやましいと思っていると、不意に扉が開く音がした。
ぬっとあらわれたのは青木だった。
風呂の時間のはずなのに、なぜだろう。そもそも今日は隣の部屋のはずなのだ。昼の行動するときの班と寝るときの部屋割りは別になっていて、一日目、二日目で変わるのだ。親しくない相手とも話せという学校側の思惑もあるのだろう。
「早めに話をしておきたくてな」
いぶかしげにしていると、青木はちょこんと木戸の前に正座をした。
午前中の完全無視を言っているのだろう。
午後からは解禁したし、メイド喫茶でだってそれなりにサービスはしたはずなのに、やはりしこりとして残っているらしい。
「その、なにから始めたらいいか……」
うむむと困り顔の青木をみて、嫌な想像が浮かんでしまった。
普通ならば、何も知らないなら、まず最初にでる言葉は困惑と共に聞くはずだ。俺がなにか悪いことでもしたか、と。
「わざとか?」
「な、なんのことだ?」
だからこちらから話を振ってみたのだが、そうしたらあからさまにきょどった様子だ。
「今朝の……あれ。っていうかなんでお前、俺の布団で寝てたんだよ」
「トイレにいって、それで、木戸が寝てるなーって思って横顔みてたら、つい」
「つ、ついって……おま、お前……」
本当にわけがわからん。男の寝顔を見て一緒に布団に入ろうとする輩がいるだなんて。
確かに眼鏡はかけていなかった。その横顔がどんなものなのかは想像にかたくはないけれど、それでころっといくのはどうなのか。
「その、さ。かわいかったんだよ。眼鏡外したお前、さ……似てたし……」
「あーのーなー。恥ずかしそうに微妙な発言はやめてくれ」
ルイがかわいいといわれるのは大歓迎だけれど、木戸をそう褒められてもとても困る。それに青木は知っているはずだ木戸が男だということなんてのは。
「それに、どことなくその……ルイさんっぽい感じというか。気が付いたらはいってた」
一瞬だけ、ほっと安堵のため息をつきそうになってこらえた。昼間の女装を青木はルイと結びつけなかったようだ。眼鏡のあるなしのほうが彼の中では重要らしい。
「おまえのねーさんの知り合いだっけか。それでもどうしてそんな」
「半分寝てて常識がなかったのは確かだ。すまん」
確かに青木は寝起きが悪いほうにいちする。トイレに行った後ふわふわした状態で木戸の素顔を見てそれで、理性が働かない状態でなんとなく布団に入ったというのはなくはないのかもしれない。
「じゃあ、そのあとのことは? その、えっと」
ちょっと言いよどみながら唇を触る。
「あれは、つい魔がさしたというか」
「ちょいまて! 寝ぼけてたとかじゃないのかよ!」
うぁ。遠峰さんの意見が全面的中でこまる。彼女曰くのバッドエンドというやつだろう。
正直、背筋に嫌な汗がでた。お風呂に入って流してしまいたい。
「だって、お前の唇、見れば見るほどつややかで、女の子の唇みたいだろ」
「俺の気持ちは無視かよ、こんちくしょう」
「だって、寝てたし。すっごい気持ちよさそうに寝てたから気づかないかなって。んで、実際してみたらお前だって、舌を動かしたりとかちゃんと応えてくれて、もう辛抱たまらなかった」
「応えたって、確かに無意識で動いてたろうけど、別にそんなんじゃ」
なんだこれ。話をきいてて妙に気恥ずかしいというか。嫌悪感みたいなのはないのだ。ないのだが、むずむずする。ぞわぞわする。
「声も出てたじゃねーか。すっごいかわいい声。むしろどういう夢を見てたらあんな声がでるのかそっちの方が興味があるね」
「しらん。覚えてない。それに声のことだってわからんよ。寝てる間のことなのだし」
ぷぃとそっぽを向きながら、苦々しい表情だけが浮かぶ。
あーもう。失態すぎる。声に関しては女声がでること自体は昼に明かしているし、青木自体が女声で歌える男子なのでそこまで突っ込まれないだろうが、それにしてもさすがにあの声はまずい。
「もっかい、してもいい?」
「おまいは、俺の唇に何を求めているんだ」
「男の欲望のはけ口」
さすがは安定した残念っぷりである。その照れたように手を頭にのせるしぐさをしている場合ではないだろうに。
どうして姉弟でこんなに違うのか、本当に残念だ。一瞬でも付き合おうとか考えた自分を反省したい。
「ちょ、とそれは……さすがに残念な青木だけある発想だな……」
「ああ。俺は残念さ! だがそこがいい」
「いや、それ自分でいうセリフじゃないだろ」
はあ。とことんこいつはバカすぎる。
深い脱力感ばかりが体を襲った。ひどいもんだ。どうして女子の前だとああなのに、男子を相手にするとこうなのか。
「しっかし。ここでOKするようなやつがいるかどうか。常識的に考えてそれはないぞ。俺はキス魔ではないし男相手に興奮したりもしない。いたってノーマルだ」
「えー、あんなに気持ちよさそうな声あげてたくせに」
それを言われると困る。けれどこちらにも切り札はあるのだ。
「それ以上迫ったら遠峰さんのつてを使っておねーさんにご報告するから」
「うぐっ。それを言われたら困る」
そう。あいなさんの前では青木はとても頭が上がらないのである。そうじゃなくてもこんな話、家族にされたくないだろう。
「じゃあ、せめて眼鏡を外してくれ」
けれどそこで引き下がらなかったのは、よっぽど執着があるのだろうか。
青木は頼むっ、とぱんと手を胸元で合わせた。
女子がやればかわいらしい仕草なのだが、残念ながらやっているのは青木なのだ。
むろんウインクも小首を傾げるというオプションもなしだ。真剣みは伝わるのだが。
「断る。素顔みたらまた変な気分になるだろお前」
「だー! 見せろこら」
びきり。肩に強い力がかかる。青木のやつ、強引に眼鏡をはがそうと実力行使にでてきやがったのだ。
なんとか力を入れて対抗しているのだが、それでもぎちぎちと押し倒される。もともとの筋力では体格の問題もあって、木戸ではささえきれないのだ。
手が眼鏡にかかって、ジャージの上着が肩から少しだけずり落ちる。
「ふぃ~いい湯……ってお前らなにをやってんだ!」
「た、たす、けて」
「はぁ、はぁ。木戸、眼鏡を……」
「こら、やめろ!」
風呂から帰ってきてくれた人たちが青木を二人がかりで引きはがしてくれる。
青木に掴まれた肩が痛い。
しかも、なんだこの剛力は。
今朝のあれとは違う別種の感覚が今目の前にある。
「痛い……やだ……男の人、きらい」
無意識だったかもしれない。震えるような声が漏れていた。眼鏡が半分ずりおちていて、肩をつかまれていたせいでジャージの上着が少しはだけてしまっている。その上こちらに向けられる青木の視線が怖い。
怖い。男の視線。怖い。
「落ち着け! 大丈夫。もう怖くないから」
八瀬がちらっと見ただけで状況を察してくれたらしい。眼鏡をはすずと、ふんわり抱きしめてくれる。身体を念入りに洗ったのだろう、ふわっと石けんの匂いが香ってきた。
そして耳元でぽそっと、女声で囁いてくれる。
「だいじょーぶ、みんないるから」
そして八瀬はこちらをかばうように背中に隠すと、青木に鋭い視線を送る。
「青木、サイテー。なんてことやってんのさ。今朝の今日だっていうのに」
「ちがっ、俺は別に押し倒そうとしたわけではなくて」
周りからの冷ややかな視線で誤解が広がっていると悟った青木は、わたわたと言い訳をするのに必死だった。
実際眼鏡を取ろうとしただけ、ではあるけれどどのみち強引に迫ってきたのは確かなのだ。
震えが止まらない。ルイとして痴漢にあったときはまだ余裕があったのに、今回のこの怖気というのはなんなのだろうか。八瀬に監禁されたときよりも、正直かなり応えている。
「いったん部屋に戻って頭冷やしてろ。ていうかすぐに消えろ、カスがっ」
しょぼんとしながら、青木はもう何も言わずに自分の部屋に帰って行った。
その後ろ姿はすごく小さくて、さっきの剛力を示した相手とはとても思えない。
「男の娘は優しく扱えってんだ」
ああ、八瀬の存在はありがたいものの、友情というよりもそちらの感情のほうが大きかったかと思ってしまう。
「いちおうみんなにも言っておくけど、木戸のこと襲ったら許さないから」
「こら。いくらなんでも信用してなさすぎだろ」
八瀬の宣言に、わらわら集まってきた部屋の人たちは、あきれ声をもらしていた。
「そうだぞ。確かに今朝はテンションがおかしかったからあれだが、今はもう朝の時間だけなんかおかしかったって思ってるし」
「ホントに?」
八瀬が疑わしそうな視線を向ける。眼鏡も外しているし口調も声も変えているから、女子が男子に詰問しているような感じだ。
「そういうお前だって、トイレに行ってただろうが」
「あのねぇ。別に変なことをしてたわけじゃないし、賢者タイムなわけないじゃん。そりゃ確かにそういう設定は萌える。ひそかに修学旅行で結ばれる二人。ありだ! でもそれは二人が愛し合っていて合意の上で行われるものであって、男の娘だから強引にしてしまっていいわけじゃない」
「確かに男だからって許されることじゃないとは思ってるよ」
八瀬が男の娘と言っていても音として伝わるオトコノコはどうやら他のクラスメイト達には一般的な意味で届くらしい。
「確かに木戸はすげぇかわいい。でもノーマルな男子なの。どこぞのエロゲみたいに強引にすればコロッと気持ちよくなっちゃうなんてことはないの」
一瞬だけ八瀬がこちらの唇を見て、ため息をついたのだが、その理由まではよくわからない。変な声を上げていた点に呆れているのかもしれない。
「じゃー八瀬きゅんはどうなのさ」
「ボクは……僕が好きになった相手ならそれが男でも女でもいい。今のところそういう相手はいないけれど」
朝同じ部屋だったやつが、少し期待のこもったまなざしを八瀬に向ける。
けれども八瀬がふいと視線をそらすと、他のクラスメイトも引き下がる。
「とりあえず、今日は木戸だけちょっと隔離で寝よう。おびえちゃっててあまりにも不憫だ」
男の娘は守ってあげないとね、とウィンクをされてももうなんにも、反論する気力はなかった。
一晩寝て、それで落ち着くか。そんなことあるはずはなかった。
青木のあれはトラウマになっているようだった。
さすがに昨日のあの直後よりはましだ。
いちおう話をしたり、連絡事項を伝えたり、ということもできる。
でも。男に触れられると怖気が走る。そして女子相手だとそもそも手を触る機会はないのだが、斉藤さんたちが大丈夫? と手を握ってくれた時は、なんともなかった。
写真の撮り方もちょっとだけ、変わってしまった。
気楽な撮影という感じにならないのだ。一瞬躊躇してしまう。
もちろんそれでもぶれない、赤目は出さない、光のいれかたも問題はない。
けれど、前に取ったような楽しい写真という感じじゃない。距離が、確実にある。
「木戸ー、大丈夫か?」
「さすがにダメージは抜けないかな」
ははは、と乾いた笑いを浮かべながら、八瀬の気づかいに感謝する。
こいつにもひどいことをされたが、今回ほどメンタル面でやられることはなかったような気がする。
「寝ざめも最悪だったし、今日のバスの席に感謝したいくらいだ」
隣に座っているのは八瀬。そして前後は女子だ。通路を挟んで反対側には男子がいるけれど、八瀬がカバーしてくれてるから視界にすらろくに入らない。
「弱ってる顔もかわいいけど、あんまり弱ってると、いろいろ危ないですぞ?」
後ろの席の斉藤さんが体を乗り出して頭をぽふりとなでてくれる。
その手の感触は柔らかくて暖かい。
「ありがと」
減らず口をたたこうかと思ったけれど、その気力すらない。
あの事件はクラス内にはあっさり広まった。ああ、ものの数分で。
男子には詳細も含めてわーっと。女子のほうは仲がいい男子からじわじわ話が広がり、襲われたの一点だけが広がって、青木は女子にとっての敵であると認識をされた。被害者が木戸なのにである。さすがに詳細までは女子には広まっていないようだし朝のあの一件は斉藤さんあたりしか知らないのだが、襲われたというだけで十分な理由になるそうだ。
教師から事情は聞かれたものの、お咎めはなし。こっちは純粋に「男同士の悪ふざけ」くらいにしか思ってないらしい。大人の感覚では「同性同士でなにかそういった、性的な行為があるはずがない」というのがあるのだろう。不純同性交遊という発想がまずないから、どこまでやらかしてもそれは、悪ふざけの域をでないのだ。
たしかについぞ、一昨日くらいまでは木戸ですらそう思ってたわけだけれど。
「ありゃ、こりゃ重症だ。まあ先のことはともかく、今日一日は女友達としてフォローするから」
なんでもいってね、と斉藤さんにウィンクされてしまった。
女友達として、という単語の意味は、木戸をルイとして扱うというようなことなのだろう。
「幸い集団行動だしな。班行動であれとセットってよりは十分、安心していい」
なでなでと八瀬に頭をなでられても、嫌な感じはない。ソフトな感じだからだろうか。
「それと八瀬くん。今度、ちらっとあっちのほうも見せてね? 演劇部としてはちょっと興味深いから」
「女子にそれを見せる勇気は……ちょっと」
「どうせ、木戸くんの仕込みでしょ? うちには彼の弟子がいるので、その完成度は知ってるつもりですが?」
くすっと、女優の笑みを見せられて、さすがの八瀬もぽかんとする。
そう。澪の存在を、八瀬は知らない。彼にしてみれば、いきなり与えられた情報に戸惑っているのだろう。
「えと、斉藤さん? まさか他に男の娘がうちの学校にいるってこと?」
「え? オトコノコ? うーん。あれはなんていうか、女優、かな?」
「でも、木戸の弟子ってことは……」
単語の共通化ができてないせいで、いまいち二人の会話はかみ合わないようだ。けれども木戸がそこにかかわる気力はなかった。
「まあ、今度舞台やるしさ、それよかったら見に来て? 澪もでるしね」
町の施設かりてやるんだけどねーっという斉藤さんの声もどこか遠くに聞こえる。
ちらちらと会話が交わされるのが聞こえたが、その言葉はあまり耳に入ってはこなかった。
「でも、イベント委員がこのざまでは、撮影代わってもらったほうがいいのかな?」
けれどもその言葉だけは耳に入ってきた。
「それは、や……」
ほとんど反射的に自然と、ルイ声が出ていた。
写真家としてのポリシーだ。どんな逆境でも写真は撮れないといけない。
そう。あいなさんの絵を、太郎さんの動き方を知ってる。
具合が悪いからといって、それを言い訳に写真が撮れないのはダメなのだ。
ただでさえ、万全の状態ですら良い写真が撮れる率はそう多くはない。その率が高いのがプロのカメラマンと呼ばれる人たちなのだろう。
「写真は、撮る。いいや、撮らせてくれ」
ぐったりしながら、それでもカメラを握る。
ああ。男は怖いさ。反射的にすさまじく嫌だが、撮るもんは撮る。
「このクラスで、へたれたいまの俺より上手く撮れるやつがいるならゆずるがな」
「それ言われちゃ、まあ無理なのかな。写真部いないし」
斉藤さんに全力で苦笑されてしまった。今日の写真と昨日の晩飯の写真を見せながら、自分では不出来なそれでも彼女は、他よりましといってくれるのだ。
ならば、少しでもクオリティはあげないと。
「ありがと。少し元気出た」
カメラの冷ややかな感触をなでながら、一つの決意をする。
写真の絵だけは、譲らないのだと。
たとえ男子が怖かろうが。撮ってやろうと。
どこまでできるかは知らないけれども。なんとかしようと思ったのだ。
弱っている木戸くんはレアです。すっごいかわいくて大好きです。これがギャップもえかっ。
青木氏は今後もきちんと出てきますし、いろいろと関わり合いができます。高校時分の男同士の友達なんてお馬鹿な悪友ばかりだと作者は思っております。
さて、これにて修学旅行編はおしまい。次回からは「男性恐怖症の男子」の治療話です。どうすりゃこれって治るんでしょうね?