539.千歳さんの大学訪問2
今回はちょっとLGBTネタです。
「どうか! どうか我々の会の顧問にお願いいたします!」
健康増進センターの玄関を通るところで、中から雄々しい声が聞こえていた。
「なんか修羅場ってますが、入っていいものでしょうか?」
「んー、あの人、入っちゃ駄目なときは入室禁止の札をかけるから、良いんじゃないかな」
まあ、トラブルに突っ込む気があるのなら、だけどね、というと千歳は、トラブルですかー? と不安そうな声を上げた。
いや、でも、明らかに今の中の様子をみるに、面倒くさそうじゃん。
待ち合わせの時間に、すでに先約がいて。それで中で賑やかなところに突っ込めるのだろうか。
まあ、入っちゃ駄目という看板もないわけだけれど。
「先約があるなら、待っててもいいんじゃない? 約束の時間は二時なんだっけ?」
「はい。いちおうそうなんですが……」
先ほどちょっとほのかとの話で時間は使った物の、それでもここについたのは一時五十五分だ。
約束の時間の五分前。
ちなみに、さきほど「走ってください! まじで! 二時に間に合わないとやばいから!」と、千歳に言われて走ったのでちょっと汗ばんでいたりするのだけれど、まあいまは落ち着いている。
待ち合わせの時間に遅れてはならない、というのはひとえに、いづもさんの教えだ。
GIDを診るかどうかはともかく「医者というやつは、自分は遅れてきてふんぞり返るくせに、患者は一秒の遅れも許さない生き物だ」という歪んだ一般論をさらっと注意してきたのだそうだ。
それはもちろん、彼女の実体験で。
普通の仕事では、「遅れるという連絡」は必須としても、それからどうするか、という話をするものだ。
病院の予約というやつは、「どうやら破ってはいけない絶対遵守の物」といづもさんは思っているようだった。
普通の病院の場合は、「間に合わないようなら、予約の取り直し」か、「都合がつけば時間をずらす」ということができる。
絶対に守らなければそこで治療終了ですなんてことはありえない。
検査の機械がどうだとか、タイムスケジュールが組まれてればまた別だろうけど、少なくとも「問診だけ」なら調整はつくものである。
そもそも、精神科の問診など「ぴったり十五分」などと時間きっかりに終われるものでもない。
ジェンクリでは、「初診」か「再診」かで多少の予測時間の差はあるにせよ、時間がきたから今日はこれまで、なんてことはしないのだ。
これは、ほかの精神科でも同じで、必要な話を聞いていくばくかのアドバイスをするのに必要な時間は個々人でそれぞれ異なる。
五分で終わるケースもあれば一人で五十分なんてケースも起こりえるわけだ。
一時間の予約の中で何人いれるかは、それこそその精神科医次第。
でも、ふと。だったら「遅れた時間も診察時間としてカウントしてくれ」れば、怒られないのでは、と思ったのはいづもさんがいろいろ終えて五年後の事だったという。
どうせ、進展性のない話題をして、時間経過で「変わっていないか」を見るだけの、診察ではない観察を、遅れた五分やっていて、意味でもあったの? と暗い顔をしながら彼女は言っていた。
いづもさんにとっては、医者と会う=ジェンクリの精神科医と会う、というイメージで固定されていて、それが足立女史にも当てはまってしまっているのだと思う。あそこまでいくと立派なトラウマというものである。
「ま、時間は守れ、だから入ってしまおうか」
面倒くさそうだけど、と時計の針が二時を指したのを確認してから部屋に入ると、そこには例の女医さんと男子学生が数名言い争っていた。
「だから、無理だと前にも言ったでしょう。これでもそれなりに忙しい身だし、さらに言えば学校の教員じゃないのよ? 学校医なの。それを引っ張り出して顧問にしようっていうのは、ちょっと話が違うんじゃない?」
「ですが、先生はセクシャルマイノリティーに対しても権威である、という話も聞いています。これほどうってつけの人材はいないではないですか」
ぜひ、我ら、LGBTの会の顧問に! という言葉を聞いて、おや? と木戸の眉があがった。
昔、赤城と話をしたときに、この学校にも同性愛のサークルがある、という話が出たことがあったけれど、まさかこの人達がそれだろうか。先日、時宗先輩もあそこはやべぇと、漏らしていたっけ。
「権威ってほどの権威でもないけど……うーん。そもそも同性愛はICDからも外れてるし、私らのような医者がでる幕ではないよ」
トランスの子は医療的支援が必要だから見るけど、同性愛は病気じゃないじゃん、とあっさり言ってのける女医さんに、三人の男性はですが、とくってかかった。
「世界的にはそうでしょうけど、日本での同性愛の立ち位置の低さったらないですよ。病気だっていわれるのももちろん嫌ですが、ひそひそ変な奴らって言われるのも嫌ですって」
そこらへん、先生なら理解も十分にあるだろうし、うってつけじゃないですか、と三人の一人が苦しそうに言った。
それに足立先生は、ちょっとため息まじりな反応を浮かべる。これ以上話をしたくないオーラがでているようだ。
そして、もちろん部屋に木戸達が入ってきたのにも気づいているから、彼女はLGBTの会の三人に向けて切り出した。
「はいはい、次の予定が入ってるから、そろそろお帰りなさいな。他に相談の約束を受けてる子がいるのよ」
ちらりと入り口の方で待っているこちらに視線を向けて、足立先生は、はっ、と目を見開いた。
約束の相手である、千歳を見たからだろうか。それとも木戸を見たからだろうか。
「あら。まさか木戸くんまで一緒にセットでくっついてくるとはっ。これが海老で鯛を釣るってやつかしら」
「木戸……? えっ、まさかしのさん!?」
ざわっと、LGBTの会の人達はその名前に反応した。
「いや、千歳は海老じゃないですって。どちらかというと俺はおまけでついてきた金魚のふん的な感じです」
そんなキラキラした視線を向けなくても、というと、フンはどうなのと足立先生に苦笑された。
まあ、さんざんセンターに遊びに来いと今までも誘ってきてたしね。そんな状態で木戸がここにくればこうなることはある程度想像はついていたけれど。
「あのっ、しのさん! 俺たちLGBTの会のピンチを救ってはくれないだろうか!」
「ふぁっ!?」
まあそんな風に思っていたのだけれど、突然男子三人に詰め寄られて、木戸は一歩引いた。
さっきまで足立先生に詰め寄っていたのが全部こっちに来た感じだ。
千歳は、びくりと身体を震わせてしまっている。
「ええと、センセ。この状況はいったい?」
キラキラした目を向けてくる彼らを通り越して、苦笑を浮かべている先生に助けを求める。
いきなりこう来られても困ってしまうのだ。
「ああ、この子ら、LGBTの会ってサークルのメンバーなんだけど、去年に顧問をされていた先生が退官なさってね。それで後釜を探しにさまよっているところなのだけど、会員三人のサークルになかなか関わろうって人はいなくて、こんなところまで来ちゃったわけ」
ちなみに、私は学校の教員じゃないから、あんまり顧問を受けるって感じはないわよ、と足立先生は肩をすくめた。
「って、俺も学生だし、顧問はできないでしょ……」
それなら先生にやってもらったほうがまだマシでしょうと首をかしげると、わしっとその男性の一人が木戸の手を握りしめた。
ちょ。まって、いきなり男同士で手を握るとかやめていただきたいのだけど!
てか、手、でかいな。
「いいや。しのさんが俺たちの会に合流してくれれば、きっと会員は増えるはずだ。そうすれば顧問の話だってなんとかなるかもしれない」
特に文学部とか文系の教員なら受けてくれるかも、と彼らは期待に満ちた目を木戸に向けてくる。
そりゃ、たしかにしのさんは多少は学内での認知度はあるほうだと思ってるけど、それでも、だから会員が増えるということはないと思う。
それと、長谷川先生はLGBTに寛容ではあるし、エレナたん大好きというのもあって女装とかも受け入れられる人だけれど、だが、二次元に限るでござる!(きりっ)という感じだ。
そもそも特撮研の顧問なので、譲ってやるつもりはない。
あんなに素敵なござるを手放す気はないのである。
「兼任って感じになっちゃうし、俺は写真屋であって、LGBTちゃいますから」
「あれだけ女装しまくってて、いまさら関係がないとは言わせないよ」
「トランスの会員として是非とも我らと一緒に!」
さぁ、と迫られてちらりと足立先生の顔色をうかがっておく。
なにやらにやにやしているようだった。どうやって切り返すの? といわんばかりである。
そして、千歳。何が起きてるの? という顔をしているけれど、自分の相談がおざなりになってる状態に対しては特に思うことはないようだ。
「いちおう説明しますけど。まず性別的にレズビアンではないですよね。んで、ゲイでもない。そりゃ男の人に告白された回数は多いですけど、相手が求めてるのって男同士の関係ってやつじゃないケースの方が多いし……」
翅さんとか、最初はルイに興味をしめして、それからその後に実はという話をきいても、なにそれ! もっと好き! みたいな感じになってしまった。
あれは同性愛ではなく、おまえの事が好きなんだ的なやつなのだろうと思う。
というか、身近にいる同性愛カップルは、相手が男だから好きになった、のではなく一緒にいて落ち着く相手と、落ちるべくして恋に落ちたという感じなケースが多いのだ。
さらに、男×男の娘というエレナさんちみたいなのは、果たして同性愛なのか? という疑問もある。
「そしてバイでもないです。つーか、撮影優先で恋愛なんてやってる暇はないですよ」
「木戸さんはそういう人ですよね……ほんと、信さんのこともあっさり振るし」
まったく、もったいないことをする人だ、と千歳がにこにこしていた。
まあそこでお付き合いしていたら、自分があんなに愛されることもなかったのだから、それはそれでよかったということなのだろう。
「それはそれで恋愛要素欠落してる人としては、セクマイのような気がしないでもないけれども」
ほら、アセクシャルだってLGBTの仲間にはいっていいのではないの? と足立先生が煽るような言葉をいれてくる。
いや。でも一般的にはLGBTっていったらそこで完結でしょ? アセクは仲間に入らないこと多くない? そりゃ詳しい人はみんなまとめていろんなジェンダリティをLGBTの中に見いだすかもしれないけれどさ。
「どうなんでしょうね。優先順位的に撮影のほうが上ってだけで、恋愛感情とやらはあるかもしれませんよ?」
実際、告白されると嬉しかったりはしますから、というと、ほほう、と千歳が腕をぎゅっと握ってきた。
いいや、確かに青木のことと、崎ちゃんのことなのだけれども。
そんなに嫉妬心ばりばりださなくても、盗らないからさ! 撮るけど。
「じゃあ、Tは? あそこまで見事に女装してのける人がトランスでないわけがない」
LGBじゃないことはわかってもそっちは? と三人は不思議そうな顔を浮かべている。
「性別移行しようとかは思ってないし。それにその……トランスっていうといろいろ悩まなきゃならんでしょ? 俺はただ好きに着替えてるだけで、問題らしい問題は……ああ、男湯に堂々と入れないというのは問題かもしれませんが」
「女湯は入れるんですか?」
「そっちも入れないよ。ってか混浴か貸し切りだけ。そういや千歳が前に入ってた海辺の温泉は是非とも貸しきりで入りたいよ」
あのときは楽しそうだったよね、というと、はいっ、と満面の笑顔が浮かんだ。
女子に囲まれて貸し切り風呂に入るという経験は、千歳にとっては相当な意味があるものだったようだ。
ちなみにその顔はしっかりと撮らせていただいた。
「あら。トランスの人が悩まなければならない決まりはないのだけど……でも、木戸くん的にはセクシャリティが、とか性自認がとか、そこらへんは揺らいでいるわけではないのよね。敢えて言えばトランスヴェスタイト? 女装趣味?」
「……あのレベルでやってて、女装趣味なだけっていうのが恐ろしいですが」
はぁ、と千歳が肩をすくめているのだけれど、でも実際のところ、着替えているだけに意識としては近いものがある。
もちろんルイをやるときは完全に意識も女子のほうにシフトはするのだけど、自覚として自分がトランスの仲間だという風には思っていない。
そもそも、千歳とかに比べれば覚悟が全然違うし、木戸さんにそんな熱量はないですよ。
可愛い格好は好きだけれどね。
「と、まあそんなわけで、俺はLGBTじゃないわけです。なのでそちらに合流する気はないし、それに変にそれでトランスですというレッテルがつくのは避けたいです」
というか、しのさんを普通の女子学生と思ってる人もそれなりにいるので、というと、まぁこの人ならそうか、と千歳からなにやらうらやみ混じりの視線を向けられてしまった。
いや、でもちーちゃんだって可愛いじゃないですか。
さて。こんなもんでどうだろう? と足立先生にあとはまるなげようと視線を向ける。
関わる理由がなくなった木戸さんはもう、あとは千歳の付き添いでオペの話を聞くだけである。
けれど。
「なら、木戸くん。加入をしないかわりに、LGBTの会の運営に関してアドバイスしてあげてみて?」
いちおう、セクマイさんの受け皿は学校にあってもいいとは思うし、と足立先生は千歳の相談をほっぽりだしながら、そんなことを言ったのだった。
さあついに、ご対面です。ちょっとずつ匂わしておいた「学校のセクマイサークル」です。
近年は外資系の会社には、セクマイサークルがあったり、それぞれで交流してたりアメリカでは大きな会になっていたりと、この手のサークルもあるものです。
では、大学ではどうだろうかー? ということで。
次話では、立て直し案をだす方向で。




