535.ゼフィロス初出勤のお話9
おそくなりもうした。前半でルイさんはご帰宅でございまっす。
「なんとか乗り切った」
「今でも信じられない……あの状況でいけてしまうとは……」
はぁー、と二人は思いきり脱力しながら、浴槽のはしにちょこんと腰をかけていた。
志農さんは相変わらずのバスタオル姿だけれど、若様の方は身体が思い切りばばーんと出されていて、今彩ちゃんが帰ってきたら全部がご破算といった感じになっていた。
というか、若様のはその顔に似合わずその……立派だと思います。
「いちおー、更衣室に潜んでいる、ということはないみたいだね」
確認してからだらけてよ、というと、えぇーと二人は不満げな声を漏らした。
ちなみに戻ってくる道すがら、シャワーを軽めに一個だけ流している。
話し声が外に聞こえないための方針だ。水の音が流れて中で話をしていても更衣室まで聞こえないだろう。
「隠すなら徹底的に。あれくらいで動揺されてちゃ困るんだけど」
まったく、志農さんもせっかくのガードなのに、役立たず過ぎると肩をすくめると、面目ないとしょぼんと肩を落とされてしまった。
いや、ここは、別に貴女などいなくても! とかっていう返事を期待していたのだけども。
「で。どーすんの? 若様?」
よいせ、と再び浴槽に入ってふぅと、ルイはお湯に身体を委ねる。
そして、何気なく若様に尋ねた。
このまま彩ちゃんのことをほったらかすのかどうか、ということだ。
正直、若葉達がやっていることは、権力をかさに着た無茶ぶりというやつである。
明日華さんにしたって、今の状態で女子寮のお風呂に入る、というのはさすがに世間的に許されないだろう。
いくらここが学院所有のお風呂で、決まった人しか使わないとしてもだ。
貸し切り風呂ならば、すでに男女それぞれが自由に入る可能性があるからOKだけれど、果たしてここがそれに該当するか、といわれれば、原則男性の入湯はお断りなはずである。
たとえ、志農さんの心の中が女性であろうが、それは変わらない。
そもそも、手術前に女湯に堂々と入る、なんていうことは社会的に許されないことだ。
だから、ルイとて混浴風呂だったり貸し切り風呂だったりを求めてさまよっているのである。
女湯に入った経験は……そりゃ、ないではないけれど、ほぼすべて事故であって、ゼフィロスにいたっては女装潜入している人達としか一緒に入ったことはないのである。
「どうする、とは?」
「説明するのか、うやむやにするのかってこと」
決定権は、すべて若葉ちゃんにあるよ? と言うと、ええぇ、と怪訝そうな顔をされた。
「ルイせんせーはずいぶんと楽観されてますね。どうしようとか慌てたりはしないのですか?」
「んー、ほら、あたしはもう女性である前提でいろいろ話が動いちゃっているからさ。迷う余地はないよ」
それもあっての、先ほどの対応です、とない胸を張ると、なにこの自信と志農さんに白い目で見られた。
だ、だってしょうがないじゃん! ばれちゃったら学校にも迷惑かかるんだし。
「それに志農さんだって似たようなものでしょ? 嘘をついているわけじゃないのだし」
その身体を見られたくないというのは、本当のところでなんら罪悪感を持つ必要はないじゃない、というと、うぐと彼女は言葉を詰まらせた。
そう。
今回考えなければならないのは、彩ちゃんに対して嘘をつき続けるのかどうか、ここである。
若様の背中には傷なんてものはないし、何の変哲もない、ちょっと筋肉質な背中があるだけだ。
「あっ、明日華はバスタオル巻いてたからあれだけど、私はそのままだったから、彩さんになんて思われたんだろう」
「ま、そこは考え物だよね。二人ともバスタオル巻いてれば違和感はなかったかもしれないけれど」
果たして背中の傷を気にしてるはずの若葉よりも、全身がっちがちにバスタオルで隠していた志農さんというツーショットはどう映るのだろうか。
え、ルイさんは下半身だけ隠せば特別何の問題もございませんが。
胸がないのはもはや、哀れみを覚えられるレベルですので。
ふむ、沙紀ちゃんが使っていたようなの、用意した方が良いのだろうか。
「別に仲間内になら見られて良いんだ、とは思ったでしょうね。このままなんの手も打たなければ、第二第三の彩さんが現れてしまうかもしれません」
ご本人もそう言っていましたし、と志農さんは重たいため息を漏らした。
「悪い子ではないんだけど、っていうか逆だね。良い子すぎて若葉ちゃんともっと仲良くなりたくてすり寄ってるところはあると思う」
ほんと似たもの兄弟なのだから、と苦笑を漏らすと、あぁと志農さんはバスタオルを直しながら言った。
「お兄様とも面識があるんでしたか」
「むしろお兄様の付き合ってる相手と一番懇意にしています。去年居間で見せたエレナさんなので」
「ああ、あの……」
「コスプレのお姉さんか」
なるほど、あんな綺麗な方と付き合っているのか、と若葉ちゃんはちょっとだけうらやましそうな顔を浮かべる。
いや、志農さん、睨まないで上げてよ。
「ちなみに去年も話したけど、沙紀さんも交えてお食事会とかやってる間柄です」
だから、エレナを通してお兄さんに話をつけることはできます、と伝えておく。
まあ、二人にはまだ話していないけれど、エレナは咲宮のこの試練の話は知っているのだし、彩ちゃんに釘を刺してもらうことは可能である。
「隠すなら手は貸すし、話すなら、がんばれと言っておこうかな」
行動に移すなら早いほうが絶対にいいのだから、というと、若葉ちゃんは、そう、ですね、と悩ましげな顔を浮かべた。
ここにカメラがないのがもったいないくらいの、そんな顔だった。
「私に話ってなんだろう?」
ルイさんがほかほか湯気を身体から立てながら、それじゃーかえりまー、と鹿屋敷を去った後。
若葉は、明日華を連れて彩の部屋を訪れていた。
彩の部屋は若葉の部屋とは違って、ちゃんとしたかわいさの部屋とでも言えばいいだろうか。
暖色系のその部屋はベッドの上に二匹のぬいぐるみがいて、可愛らしいかぎりである。
本棚もきっちり整理されているし、勉強机もきちんと使っているように思われた。
「第二第三の彩さんが現れては困るので、きちんとお話をしておこうと思いまして」
とりあえず、紅茶はお持ちしましたので、と言うと、おぉー、明日華お姉さま手ずからの紅茶だ、と彩は喜んだ。
基本的にこの寮では下級生が上級生にお茶をいれるのが普通だ。
最上級生である明日華がそのお茶を振るまうのは、今年になってからはもう主人である若葉に対してしかないのだ。
次、飲めるとしたら、何かのイベントごとの時くらいだろうかと思っていたくらいである。
「相変わらずおいしいです。さすがは明日華お姉さま!」
ここまで上手くなれたらいいのになぁと彩はカップをもてあそびながら言う。
「その……単刀直入にお聞きしますが、彩さんは先ほどのお風呂で違和感などは感じましたか?」
「違和感っていうと、まあルイさんの裸がやたらめったら綺麗だったこと?」
あれは良い物見せてもらいました、とじゅるりと彩はよだれを拭うような仕草をした。
この学院では滅多に見られない仕草である。
「それは……まあ。全面的に同意しますけれど」
あんなにスタイルいいのに胸が残念というのが、またこう……と想像したところで、若っ、とそれをたしなめる声がかかった。
本題からそれるな、という戒めである。
「他には違和感はありましたか?」
「んー、どうだろ。若葉ちゃんの傷に対するその……執念みたいなのは違和感といえば違和感だけれど」
そこまで気にするとは思ってなかったから、けっこうアレなのかなぁと思ったと彩は言った。
「そのことで、本日はお話があります」
内緒話というか、絶対に他の方には黙っていて欲しいことではあるのですけど。
話しながら、ごくりと喉の奥の方が焼け付くような感じがした。
これから話すことは、罪の告白のようなものだ。
話すのに躊躇するのには十分な内容なのである。
「えっ、ちょっ、若葉ちゃん!? どうしたの?」
突然目の前で上着を脱ぎ始めた友人に、彩は目を丸くした。
まさかの友人が痴女だったパターンである。
「って、背中……きれい……」
上半身は下着だけ、という状態の若葉は背中を向けると、うつむいた。
そう。その背中には傷なんてものはどこにもないのだ。
あるのはほくろが二つくらいなものである。
「その、傷があるっていうのは実は嘘でして」
「うん?」
いそいそと服を着ながら、若葉が言いにくそうに言葉を作る。
その姿を明日華は、心配そうに見ているだけだ。
「だったら、なぜ? って聞いちゃったほうがいいのかな?」
そんな嘘をつく必要がこのお嬢様学校であるだろうか。
ああ、一人だけかつてそんなことを言っていた人がいた。
それは彩がこの学校に入学する前に一年在籍していた人物だ。
「それがその……実は、私はその、本来はこの学院にいられるような人間ではないのです」
「それは裏口入学的な……っ」
っていっても、若葉ったら成績悪くはないじゃない? と彩は首をかしげてみせる。
さすがにいつも主席というような感じではないけれど、若葉はけして成績が悪いわけではない。
学業もだし、学校への貢献という意味合いでもきちんと活動をしているようにも思う。
「そ、そうではなくて。その……私が、あの。女性ではない、ということで」
ほとんど絞り出すようにして、若葉がいうと。
じぃーっと、彩はその全身を上から下まで見た。
それはもう、なめ回すように、だ。
「ふぅん。そうなんだろうな、とは思っていたんだけど」
「へ?」
「ああ、ほら若葉が男の子って話」
「ちょ、彩さん? そんなあっさりな反応って」
あんまりな彩の反応に、明日華がさすがに口を挟んだ。
そういう返しが来るとは思っていなかったのだ。
「実は、さっきのお風呂は、最終確認みたいなものだったんだよね。ほら、これでも私はエレ姉様との付き合いもあるし、あれを見慣れていると、若葉はちょっと男の子っぽすぎないかな? って」
「で、ではなぜ、いままでしらんぷりをしてたの?」
あんまりな告白に、若葉は、がーんとなりながらも尋ねた。
男だとわかっているのなら、それを黙っている必要はないだろう。
「いやぁ。そういう人なのかなぁと思っていたの。心は女性的なやつ」
まあ、そうじゃないっぽいんだ、というのはさっきわかったわけだけど、と彩は紅茶をこくりと飲み込んだ。
そう。心が女性だということであれば、あそこで彩の身体から目をそらす必要性などというものはまったくないのだ。
それこそルイさんのように、ばばんと身体のラインをチェックしたりするのが自然なのである。
「って、そういう人でも、視線は背けますよ。自覚はありますから」
申し訳なさくらいはありますから、と明日華から注釈がはいる。
いちおう、まだ手術前の身体だ。そんな自分が女性の身体をじろじろと見ること自体には、遠慮はある。
そんな明日華の反応に、え? と彩は表情をこわばらせた。
「まさか……いや。いやぁ……明日華お姉さまが、そういう人だったりします?」
「します」
まじかー、とそこで彩はちょっとだけ頭を手で押さえた。
若葉の事はぱっと見でわかったけれど、さすがに明日華のことは気づかなかったのだ。
サポートをするために一緒の学校にいるんだろうな、というくらいしか。
「じゃあ、さっきのバスタオルの話は、身体見せたくない的なのだったんですか?」
それにしても立派なおっぱいがあったかとは思うのですが、というと明日華は肩をすくめた。
「いちおう中学の頃より医学の力を借りていますからね。ターナー二期からです。日本の技術力は世界一、とはもうしませんが」
それでもやはり、他の女性とは身体は異なりますよ、と明日華は目を伏せた。
そう。特に乳首さんあたりが気になる明日華なのである。
「じゃあ、若葉は? そういう人ではないのだったらどういう人なの?」
そういう人というのなら、それなりに配慮をする準備はあるし、学校にだって話を通しているのなら、特別騒ぐつもりはない。
そもそも、彩としても一年間放置していたくらいなのだ。
でも、そうでないのなら? 一年間以上ここにいる理由が、全然わからない。
彩がエレナにこっそりそういう事例について聞いたときの答えは、「女装潜入にいたるまでのシチュエーション全集」というもので網羅されているのだけれど、そこらへんのお話は、大抵半年から一年くらいのものであって、一年以上そこに居座るなんていうことはあまりなかった。
そう。心の性別が女性の人、というのであれば、そもそも「潜入」ではないし、潜入だとしたら、長期間いる意味というのがない。
誰かのボディーガードだ、というのにしても、若葉よりは明日華お姉さまのほうが力は上だろうし、美容業界の跡取りだー、というには若葉はそこまで化粧品関係にうるさいわけでもない。
というか、むしろ、女子をやってるのがいっぱいいっぱいという感じだろうか。
見る人が見るのなら、気づくというレベルなのである。
正直、どこをどうみても、若葉がこの学校にいて利益になるようなことがないのだ。
女子校でハーレムしたいというような輩を、ゼフィロスが受け入れるわけもないので、その考えも除外だ。
「それは、お話できません」
期待まじりに前のめりになっていた彩に、若葉は言いにくそうにそう答えた。
本来なら話すべきなのですが、という申し訳ない言い訳までがおまけ付きだ。
ふむ、と彩はその反応にがっかりはしなかった。
「結構複雑な事情というやつかな。なら、聞くのは無粋……なのだろうけど」
ふむんと、彩はもう一度言葉を切ってから、そのことを切り出した。
「つまり……その、沙紀お姉さまと同じ感じ、ということでしょうか?」
「え?」
一年だけ現れた伝説の転校生。藤ノ宮沙紀。その名前を知らない三年生はいない。
まあ、彩と同じ、実際に一緒に過ごしていない世代になると、知名度はやや下がるけれど、それでも実際一緒にいなくてもお姉さま達から漏れ聞こえる噂でその名前を知っている人達はそれなりだ。
で。
その藤ノ宮の姫様は、「一年だけこの学校に通った」のだという。
それこそ、女装潜入系ゲームのテンプレのようなものだ。
おまけに卒業後の活動については、ほぼ噂を聞かない。
それこそ忽然と消え去ってしまったかのような感じなのだ。
彩だけは、エレ姉さまから食事会の話を聞いているから、いちおう存在していることは知っているけれど、あれほどの有名人のその後がぱたりと噂から立ち消えるというのはどうなのだろうか。
「どうして、沙紀お姉さまが、私と同じと思うのですか? というかお姉さまに失礼でしょう」
「そうです。うちの主人が女装潜入している、ど変態だ、というのは曲げようのない事実ではありますが、それでどうして、あのお姉さまの名前がでるのでしょうか」
「だって、沙紀お姉さまも、男性の方でしょう?」
「……どう、して」
彩のその一言に、二人は思わず絶句してしまった。
それこそ、そのことが事実だということを認めてしまったようなものだ。
「直接の面識はないですけど、沙紀お姉さまを撮った写真はいくつかあります。写真NGって話でも、ルイさんにだけは撮られているから」
それを見てると、んー? って思ったんです、と彩は言う。
「もちろん、今回の事がなければ、そういう偶然もあるかな、とは思ったんだけど」
「どうしてそう思ったのですか? 私を見破れなかったあなたが、どうして」
明日華は仕事柄、前例である沙紀の資料はもちろんすべて見ている。
写真NGにしていた沙紀が撮られていたのはもっぱら、ルイさんにだけだ。
他にも生徒が隠し撮りした物はあるけれど、そちらも特におかしい物はない。
そう。おかしい写真は一枚もなかったのだ。
「私、エレ姉さまの写真はじっくり全部見てるんです。可愛らしい姫様だったり、時にはかっこいい騎士様だったり。町娘だったり、現代物もやりますし、いっぱい写真は見てきました。でも、エレ姉様の写真にはないものがあるんです」
「ないもの?」
何言ってんの? という感じで二人は首をかしげる。
さすがに、若葉も明日華も、エレナ写真集を網羅しているわけでもない。そちらの話はクエスチョンだ。
「たとえば、ローアングルがない、とかです」
撮り方。
「ルイさんはあれで、ちゃんと良い腕をしたカメラマンで。特に男の娘の撮り方としては、もうすさまじいものです。じゃあ、それと同じ撮り方をされている沙紀お姉さまは? おまけに若葉だって、あの人に、男性的に撮られる角度で撮影されたことはないでしょう?」
ルイは、男の娘を撮る上で、かなりのアドバンテージを持っている。
手や肩、骨格など。
男性的な部分が強調されるような角度では写真は撮らない。
「単体で写真を見たなら、美しいお姉さまでおわりますけど、そこだけ欠けてるとなれば気づきますよ。あの人が全方位から撮らないわけがないでしょうから」
「なんかそのコメント聞くと、ルイせんせーが節操無しに見えるんだけれど」
どうして、その発想? と若葉がいうと、彩は、ん? と首をかしげた。
「そこは節操無しで正解だと思うけど。エレ姉さまだって、あぁ、ルイちゃんはアレだからいいんだよ、って言うくらいだし」
あんまり、自分で誇れる物がない身としては、きらきらしてて素敵だと思うんだけどな、と彩はいいきった。
「ちなみに私について気づかなかったのは?」
明日華から質問があがる。
写真のあれそれで正体がばれるのなら、自分はと思ったのだ。
「明日華お姉さまは圧倒的にルイさんに撮られた写真がないですよね。数枚ではさっきの判断はできないですよ」
百枚の中で、狙ったアングルがなければ、あれっとは思っても十枚の中では、それがなくても判断はできない。
それこそ、撮影拒否をしているという結論しかでないのだ。
「たしかに、カメラからは逃げ隠れする感じで、一年の時もカメラマンがいたら隠れていましたけれど」
ふむ。撮影角度ですか、と明日華は悩ましげにうむむと、声を上げると頭を抱えた。
「喉仏、削ろうかとちょっと思っています」
「って! 明日華はストイック過ぎだよ! 声変わりだってろくにしてないでしょ! ってか喉仏とかないじゃん!」
これが喉仏ってやつだ! と、若葉は明日華の手を誘導する。
ちょっと離れてみれば、「あぁ、お姉さま!」みたいな図なのだけれど、残念ながら喉仏の有無を確認しているだけだ。
それとて若葉のそれにしても、言われれば気づくというくらいで、思い切り上を見たりしなければそんなに目立つ物ではないのだけれど。
「明日華はもうちょっと自信持つべきだと思う。っていうか、それで自分の姿がどうのってのは、こっちからしたらよくわからない」
ほれ、彩も言ってやって、と煽られて、え、と一応言葉は重ねる。
「それはそうです。未だに明日華お姉さまがそうなのかも、納得いっていませんし、喉でしたっけ? そこにも違和感ないですし」
わざわざじっと見ても、その特徴はないのですよねえと、彩も言った。
「ほら、明日華の喉はすべすべーってね」
ほれほれと、若葉は明日華の喉辺りをなでる。
その感触は、幼い頃に感じた物とあまり変わらない物で。
さすがは、幼い頃から治療をしているだけはある、といった感じだった。
削る必要なんて、ほぼどこにもないほどだ。
「あのう、そういうの、ご自分達の部屋でやって欲しくてですね」
目の前でいちゃいちゃしはじめた二人に、彩はざっくりと苦言をたたき込む。
説明に来たはずの二人が、二人だけで盛り上がるなど、本当に許しがたいことなのだ。
「総合的に考えて、彩さんは、我々がこのまま学院にいることを黙認してくださるのでしょうか?」
話が右往左往しすぎていて、いまいち理路整然としていませんが、と明日華はまとめにかかった。
いちおう、一番確認しておかなければならないことである。その答え次第ではいろいろと対応を練らねばならない。
まあ、一年も過ぎているので、ここで潜入を終了というのもプランの一つではあるけれど。
「ああ、それは……若葉がうちに来なければならなかった理由は教えてくれないんだろうけど、それが、非行とか暴行とか、ひどいことをしてここに送られてきたっていうのでなければ、いいかなとは思ってるよ」
男を知らない、うぶな子達ならあれだけれど、うちは兄様がいますから! とびしっと、親指を立てられてようやく潜入組はほっと息をはいた。
いちおうこれで一年は同じ学校にいるのである。それで変な事がないのならば、彩としても騒ぎ立てる必要はない。
「そうだ。そういや若葉は潜入中ってことは、名字変えてるの? 本名ってなんなのかな?」
それくらいは教えてくれてもいいんじゃないかな? と彩は聞いた。
というか、もしかしたら名前も? とすら思ったくらいだ。
若葉という名前は男の子につけられるにはいささか女性的という感じにも思うものである。
「私の本名は、咲宮若葉。って、ちょ、そこまで聞いておいて、そこで、灰色とか! 彩さーーん!」
「マジか……」
改めて本当の自己紹介をしたところで、彩の動きがちーんと止まった。
乞われて話をしたのに、この反応になるのはさすがに、心外である。
「ええと。なるべくなら無用なトラブルは起こすなな、咲宮家? うちの父様とか鼻息でふっとぶ感じの?」
エレ姉さまの三枝家すら、恐れおののくその名字、と彩は身体をガクガク揺らせ始めた。
「はい。その咲宮家です。ですので彩さんもあまり深く知らない方がきっと身のためです」
いろいろ気になるでしょうが、世の中知らない方が良いこともあります、と明日華は補足した。
もちろん、さすがに権力をかさに来てやりたい放題ができるわけでもないけれど、それでも取引の自由というものはある程度存在するものだ。
鼻息で吹っ飛ぶことだってあるのだろう。
「ちなみに沙紀お姉さまとの関係は?」
「従姉妹同士になりますね。よくできた年長者で本当に困るのですが」
あれと比較されるのはさすがに、と若葉は肩をすくめてみせた。
幸いなのは、世間的に同じ一族と思われてないということくらいだろうか。名字はそれぞれ母の旧姓を使っているので、関係ない人と思われているのだ。
「いちおう話せるのはこんなところまでです。彩さんも納得してくれたみたいだし、今後ともよろしくお願いします、ということで」
「ああ、はいはい。いいですよー。長いものには巻かれる体質を全力でだしてやりますから」
でも、困ったときにはお互い助け合うってことで、と彩はにこりを笑顔を浮かべた。
これでようやっと正式に友達になった、という風に感じられたのだろう。
「ああ、最後に私から一ついいでしょうか?」
話がまとまったといったところで、いそいそと明日華が手を上げて発言の許可を求めた。
別にいいですけど、と彩は改まってどうしたの? という感じだ。
「先ほど、彩さんはルイさんの隣で身体を洗っていらっしゃいましたが、その……性別ははっきり確認できたのでしょうか?」
昨年からの懸念事項であるそれを、明日華は改めて確認する。
沙紀には直接的なことを教えてもらえなかったし、実際、一緒にお風呂に入ってもこっちがいっぱいいっぱいすぎて、チェックする余裕などなかったのだ。
たしかに、女性カメラマンでないといけない、というのは理解していても、明日華としては気になってしまう部分なのだった。
「それが、おっぱいないけど、下の方はつるっとしてたので……ああ、いちおう大人らしく発毛はしてましたけど」
それがなにか? と言われて、二人は普通に、なんやそれーーーーー! という気持ちでいっぱいだった。
特に明日華の方がひどいだろうか。
なにそれ。隣に女子高生いて、普通にお風呂にさらっと入れてしまう自称男子とか……
しかもそれが、心が女性っていう、自分と同じではないのである。
同じなら、純粋にすごいと賞賛したいところなのだけれど。
そう。もう、「ルイという生き物」がよくわからない、という感じだ。
なんなんだ。
「あはは。エレ姉さまは、ルイちゃんはルイちゃんだから、もうそのまま受け止めるしかないって言ってましたけど。うーん。私は素直に写真馬鹿のお姉さんって感じで受け止めてますよ」
まああんなに胸がないとは思いませんでしたけど、と彩は笑った。
あそこまで普通に自然体で女湯に入れるのだ。
あれが男だったらむしろ嫌である。
「きっと明日華お姉さまももうちょっと自然に肩の力を抜いて生活していいんだと思います。二人とも写真部でルイせんせーと一緒ってことだし、じっくり観察してみるのもいいんじゃないかな?」
見習うべきところはいっぱいあるだろうし、と彩は言うと、残っている紅茶を飲み干した。
最後のしめくくりが決まらなくて、時間かかってしまいました。
いやぁ、カミングアウトあるあるの一つですが、「え、実は知ってたよ?」炸裂です。
にしても、エレナさん謹製、女装潜入シチュ全集はいろんなの網羅してるんだろうなぁと思います。
ますます、「おいおい、ルイさんってなんだよ感」がましましな明日華さんですが、まあゆっくり一年間関わっていただければなと思います。
せっかくのJK楽しまなければ損しますぞ。




