527.ゼフィロス初出勤のお話1
「ようこそおいでくださいました。まずは着任ご苦労様です」
「本日よりこちらでお世話になります。よろしくお願いします」
その堅牢な学院の一区画のその部屋は、相変わらず時代を感じさせる豪華な部屋だった。
校長室はどこも似たような物、というけれど、残念ながらルイが通っていた学校の校長室はもうちょっと質素というか簡素というか。
それと比べてしまうとここは壁紙から本棚から、なにもかもがゴージャスなのだった。
「契約内容はもうすでにご理解いただいていますよね?」
「はい。写真部のコーチとして月二回以上指導にくること。その日取りに関しては写真部の子たちと相談をし、調整をとること」
一つ一つルイは契約内容を挙げていく。
ちなみに、金銭に関しては時給制ということはなく、固定給だ。
月二回以上、となっているけれど、来れば来るだけお給料がもらえる、ということではない。
それでもコンビニでのアルバイトよりは時給はいいし、なによりゼフィロスに入れるというメリットは計り知れないのだけれど。
「あとは、指導日以外は校内にむやみに入らない、というのも徹底をお願いしますね」
学院長先生が、悩ましげな顔を浮かべながらルイを見つめていた。
うぅ、あえてそれは飛ばして話をしたというのに、学院長先生は忘れ去ってはくれなかった。
そう。学院関係者なのだから、自由に学校に入ってもいいんじゃないの? という思いはあったのだけど、さすがに許可が下りなかったのだ。
これはルイの性別の件もあるし、先日の報道の件も影響しているのは間違いなかった。
先日は咲宮の邸宅に挨拶に行ったけれど、そのときもかなり厳しい苦言をされたものだった。
レズビアンの子を女学院に入れてもいいのだろうか、というのは職員会議でも議題に上がったのだそうだ。
けれども、その……もともとこの学院には、そういう風習というか、文化がないわけでもないし、不純なことさえしなければいいのでは、なんていう形で決着がついたのだとか。まあ恋愛の可能性がどうだー、なんて言い出したら、共学校なんてこの世に存在できないしね。可能性がある、だけで排除していては、世の中回らないというわけだ。実際に問題行為があればしょっ引かれるのは、同性愛だろうが異性愛だろうが変わらないということである。
腕も確かで、リーズナブルで生徒達の刺激になるのならいいのでは、というのが最終的に学校が下した決断なのだそうだ。
「あの、学園祭とかはどうなるんでしょう?」
「それは、撮影者として選ばれたら、と思っていてください」
他にいい人が見つからなければ、貴方になるでしょうが、とそのイベントのことを尋ねたら、学院長先生は答えてくれた。
去年は学園祭と卒業式と参加したけれど、コーチとしてはそれに参加できるのか、と思ったわけである。
卒業式に呼んでくれるような知り合いは、さすがに今のところいないので、正規カメラマンとして雇ってもらえるのを期待したいところだけれど、それは一年でこちらがどれだけ伸びるか、というのもあるのだろうと思う。
「最後にもう一度念押しをしますが、けして本校にふさわしくないことはしないこと。そして気持ちが緩んでばれないこと。ここは守ってください」
本校に殿方が紛れ込んでいるだなどと、しれてしまったら一大事です、と学院長はいまさらなことを言い出した。
もちろん、いまさらであろうと守らなければならないことだけれど。
そういえば、いまさらながらな話がもう一つあったっけ。
「若葉さんはどうなさっていますか?」
そう。去年一年間ゼフィロスにいた若葉さんは、卒業式が終わったあと、終業式が終われば無事に試練終了ということだったはずだ。
今どうしているのかは一応把握していた方がいい。
おまけに言ってしまえば、そんな彼のメイドさんである明日華さんがどうしているのかも、かなり気になっているところだった。
さすがにご主人に付き合って転校ということはないと思うので、まだいると思うのだけど。
「志農明日華さんは今年も本学に在学しています。今年が三年生ですね」
なるほど。それなら撮影するときはちょっと注意するようにしておこう。
診断書は取ってあるようだけど、変な角度の写真は厳禁なほうがいいだろう。
「そして皐月若葉さんが二年生です」
「はぁ?」
え? と、そこでちょっと変な声を漏らしてしまった。
若様の試練はもう終わっているわけだから、共学校なり男子校なりに転校してるとばかり思っていたのに。
そして、共学校でうっかりお嬢さまっぷりがでちゃって、「おまえ……」とか言われる展開だと思っていたのに。
「驚いた声もそちらで出るのですね……まぁ、これもいまさらですが」
「どうして、若葉さんはまだ在学されてるんです?」
ちょっと驚いている学院長先生に、ルイから質問をむける。
どうしてまだこの学校にいるのだろう、あの子は。
「咲宮の家から連絡がありまして。あと一年はよろしくお願いします、と」
詳しい事情はさすがに私も聞かされておりません、と学院長先生はため息を漏らした。
おそらく理事長からもなにも聞かされていないのだろう。
いちおう今回の件はばれちゃったときに、理事長先生は知らなかったということにしておいた方がいいこともあるだろうからね。
「詳細は本人達にこっそり聞いておきます。まあ写真部の子たちがメインなお付き合い相手になるので、そっちと接触するかはわかりませんけど」
危険を回避するためには最初に知っておいた方が良いようにも思うけれど、果たしてあの二人と触れあう瞬間というのが訪れるのか? なんてのもあるし、とりあえずは会ったときに聞いてみるということでいいや、と内心で判断を下す。
とりあえずは、写真部の子たちを最優先だ。
「それでは、本日から顔合わせもかねて、写真部の子たちに会ってきますね」
ちらりと時計を見ると、そろそろ集合時間の二時を示す頃合いだった。
土曜の午後を使っての撮影会ということで、第一回目はセッティングされているのだ。
「ええ。くれぐれも問題が起きないように、お願いしますね」
では、いってらっしゃいと、すごく心配そうな顔で送り出されたルイは、さぁがんばろうとカメラを握る手に力を込めたのだった。
ちなみに、前に寮母さんが言っていた食堂割引券は、月八回以上勤務する職員からということを知るのは、少し後のこととなる。
「では、着任の挨拶をどうぞ。ルイ先生」
「……りょうかいです」
うわぁ、という顔をしながら、写真部のメンバーをチラリと見回した。
今年の写真部のメンバーは、普段より少し多めに、三年三人、二年四人、一年六人という大所帯だった。
ルイがいた学校でもここまで集まったことはなかったように思う。
けれども、ルイがこんなに呆然となってしまっているのは一つ理由がある。
「本日からこちらの写真部の臨時顧問を引き受けることになった豆木ルイと申します。基本は月二回くらいお邪魔しますが、要望があればもうちょっと増やすことも可能です。一年生とは本当にはじめまして。そして二、三年生はお久しぶりといったところで」
よろしくお願いします、とぺこりと頭を下げた。
さて。
お久しぶりといっているのは、いちおうこれでもルイは写真部とのコネクションがそれなりにあるからだ。
ほのかに誘われて写真部の展示も見に来ているし、さらに言ってしまえば一年半前の潜入騒動の時にも、顔を知っている人達はそれなりにいる。もちろん相手は奏のことしか知らないので、一方的に、になるのだけれど。
けれども。そんな中に、あんたらここにいる人だっけ? という相手が二名ほど紛れ込んでいたのだった。
二年と三年にそれぞれ一名ずつ。
「はいはーい! もう、質問会始めちゃっていいですよね、明日華お姉さま!」
「もう、ルイさんが来たらいろいろ質問したいことがいっぱいあったのです!」
くわっ、と前のめりな二年生達と、先ほどまで挨拶の仕切りなどをしていた三年生の図が目の前で展開されていた。
ええと……こっちも質問したいことがあるのですが。
「部長、これはどう収集つければいいですか?」
「あぁ……質問は一人一個だけ。カメラに関係することなら無制限ね」
あまり騒ぐと、生徒会からお叱りを受けてしまいますから、とテーブルの端の席に座っている部長さんがみんなを鎮めてくれた。
ちなみにこの部長さんったら、奏として潜入していたときに、水のある風景を撮っていた生徒さんである。
あぁ、もうこの子も三年生になったのね、という感じだ。まあ、ルイも三年になったので同じなのだけれども。
「あのっ! 先日あったあの記者会見についてなんですけど、いいですか!」
「答えられることしか答えないけど」
聞いてみるだけはいいよ、というと、やったーと彼女たちは黄色い声をあげた。
まりえさんあたりがいたら、貴女たちは……と、背景に、ごごごごの文字とかを背負いそうな場面である。
そこらへんは適度にいなしながら答えつつ、すっと二年生から手が上がった。
「あの、カメラ選びとかって、どうすればいいでしょうか? 一年生の中にもまだ選べてない子がいて」
もちろん、私も今年になって入ったのでまだ決めあぐねてて、という声が出て、やっと写真関連の質問になった。
そんな質問をしてきた相手は、何を隠そう、今年もなぜかゼフィロスに潜入している、皐月若葉くんなのだった。
入学一年経った状態の彼は、ほぼ他の女学生と変わらないような感じで、自然な受け答えをしていて、大丈夫かこの子……と心配になってしまう。
「さぁ、ルイさん。若の質問に答えてくださいませ」
あまりに不憫な顔を向けすぎていたせいか、明日華さんから軽く睨まれてしまった。
そういうことならお答えしましょう。
「んー、カタログとかもあるだろうし、この学校ってWIFIも通ってたよね。だったら比較サイトで条件を入れて調べてから、現物見に行くといいんじゃないかな?」
カメラ選びにはルイとしても馨としても、先輩達の助言をいただいたわけだけれど、探し方としてはこれが理想的だと思う。
やっぱり現物を見て買った方がいいからね。
そこからネット通販で買うのか、現地で買うのかはみなさん次第だ。
あとは、そうだなぁ。カメラ系の雑誌を見て「こんな感じの写真が撮りたい」というのがあったら、その人が使ってるカメラを参考にする、なんてのもありだと思う。たいていこのカメラで撮りましたっていうのも載ってるものだし。
「それはわかるんですが、その……条件ってのがいまいちわからなくて」
メーカーはどこがいいか、とか、どのサイズがいいのかとか、さっぱりなんですー、と初心者のみなさんは泣きそうな声を上げていた。
まあ、カメラも種類がいっぱいあるからね。何を優先するのかって言うのでも、選択するものというのは変わってくるし。
「そこに先輩方からのアドバイスは?」
ちらっと、上級生達に視線を向けて、そんな質問をむける。
ルイから、こんなんというのを言ってもいいけれど、先輩からのアドバイスというのをまず優先させてもらう。
「いちおう、今は写真部が所有してるカメラを使ってもらっているけど、それを元に、アレがやりたい、コレがやりたいって思いが出たときにメモでも取っておくといいんじゃないかしら」
「ええと、写真部所有のカメラって、見せてもらっても?」
いちおう、一年半前に、奏としてここのカメラは借りたことがあるけれど、改めてチェックをさせてもらうことにする。
さすがに写真をやろうという子は個人でカメラを買っていくものだけれど、それでも入部してすぐでカメラを持ってないというような子のために、ここには数台のカメラが用意されている。
「ふむ……新しく買い足ししたりはしてない、か」
だいたいここ2~5年くらいの一眼がそこには並んでいた。
メーカーはそれぞれバラバラ。サイズも大きめのからコンパクトなのもある。
あ、あとはコンデジも何台かあるみたい。
撮影スタイルによっては、コンデジも十分ありなので、初心者向けということで排除しないで、是非とも使ってもらいたいと思う。
「どうですか? ルイせんせー」
「最初にいろいろなのお試ししてみるのはありだから、日によって別の機種、みたいにしてみるのもいいかなって思った」
今年の新入部員は六人。それに若様もいれると七台のカメラをこの中から使うということになる。
ゼフィロスなら部の備品としてカメラ一台くらいすぐなんじゃ! なんて思ったりしてしまうところだけれど、さすがにそこまでお金をかけてるという感じはなかった。
とはいっても、入門機としては十分すぎるものが並んでいるし、レンズなんかもそれなりにそろっているから、最悪カメラを買う余裕がない部員さんがいたとしてもここにある物で十分いい写真は撮れると思う。
「一眼のマニュアルの話とかはしてあるのかな?」
「いちおうは、ってところですね。でも、撮りたいものを撮るべきっていうのはありますから、まずは撮ってみるというのを優先してます」
オートでもまずは撮影です、と部長さんはいい顔を浮かべてくれた。
なるほど。その姿勢は素直に良いものだと思う。
「昔、カメラ大好きなお姉さまに教えていただいたんです。縛られることなく、撮りたいものを撮るべきだって。あの頃の写真部にはいろいろなルールがあってやりづらいこともいっぱいあって。それでほのかお姉さまと一緒に、いろいろと変えていったんです」
でも、最初はあの、ちょっとだけこの学校にいたお姉さまから始まっているのです、と彼女は言った。
ああ、言うまでもなく奏さんの事ですね。
「そういうことなら、今日はメーカー別、カメラの特徴講座みたいなの、やってみる?」
まあ、カメラはなんでもいいっていうのは賛成ではあるのだけど、といいつつみんなを見ると、是非参考にさせて欲しいです、と声が上がった。
どうやら一回目の講義はここからスタートするということで決定なようだった。
さぁやってきましたよゼフィロス話。
女子校は華々しくていいですね! しかもお嬢さまたちは良い子ばかりなのです。
無事に仕事にありつけたルイさんですが、一般的な外部コーチの報酬はそんなによくないといわれています。月二万も出たら素晴らしいと思ってますが、あの風景を撮れるのなら! です。
そして咲宮のぼっちゃんは、ちょっと片足つっこんでますが、ちゃんと事情はございます。さあ楽しい放課後をすごそうではありませんか。




