495.特撮研は卒業旅行にいくそうです7
前半はちょっと、医療系のお話を。
後半は志鶴先輩の後ろにカメラがまいります。
「ご満足の様子だけど、馨、夜景はしっかり撮ってきたんだ?」
「ちょっと身体冷えたんで、お風呂また入りたい感じですけどね」
かちゃりと男性用寝室につくと、なんだろう。
穏やかな志鶴先輩と、一番端のベッドで壁に向かってなにかをつぶやく時宗先輩がいた。
オレオワタみたいなのをずっと言っている。
かなり壊れてしまっているようだ。
「いちおう、あっちのサークルの予約時間は終わってるけど、今だと誰かと被るかもしんないよ」
「わかってますよ。なのでお布団に入ってあったまる方向でいこうかと」
もしくはヒーターの前を占領する感じで! といいつつ、部屋に備え付けられているそれの前に向かう。
この建物は夏場に人気が集中するのもあって、冬の暖房対策は各部屋ごととなっている。
住んでいる人が少ないのにセントラルヒーティングになっている、なんていう贅沢はできないのだ。
でも、ヒーター自体はよくきいていて、前にいくと温かい風が体を包んでくれた。
「にしても、ちょうど外に出るときに花ちゃんと合流できたんで、一緒に撮影できて楽しかったです」
夜景の撮り方教えたりしながら、わいわいしてきました、というと、ほぉーと志鶴先輩は意外そうな顔を浮かべた。
「馨ったら、なにげに花ちゃんと仲良しだよね。他のメンバーよりもずーっとさ」
「撮影者と仲良くなるのは自然だと思いますけど。それで時宗先輩とも仲良くやってますし」
ヒーターの前でぬくぬく力を抜きながら、はふーといっていると、先輩は、仲良く、ねぇと、すこし哀れみのこもった声を漏らした。
時宗先輩は相変わらず体育座りで、オレオワタの構えなのである。
「それで、時宗先輩って、どうしてそんなに落ち込んでしまってるんですか?」
まさかカメラ壊したとか? と、落ち込む理由を推理することにする。
たいていの人がここまで落ち込む原因といったらやはりこれだろう。
「いやいやいや、カメラは無事だよ。ただ、そうだね……馨はさ、おちんこ切る気はないの?」
「ぶっ。いきなり何を言い出すんですか。それで時宗先輩はおちんこ出てるとかいうんですか!?」
それ前にどこかで聞いたことありますよ、と言うと、おぉーよく知ってるねーなんて言われてしまった。
「いや、なに、真面目な話さ。前に聞いた時はその気は無いってことだったけど、あれからしばらく経って、どうなのかなって」
「しばらく経っても、やる気はないですよ。痛いっていうし術後しばらく動けない上に、その後も上手く行かないと尿漏れに苦しむわけでしょ? おまけにダイレーション面倒だって、友人も言ってましたよ」
友人とは、もちろんシフォレの女主人のことなのだけれど、さすがに名前までは出さないでおく。
「うちの親は、嬉々としてダイレーションやってるけどね。これが女の喜びなのね、とかキモいこと言ってたけど」
やっぱり、馨は言うことが違うなぁと、なぜかうんうんと感心されてしまった。
いや、ダイレーション面倒ってのは誰でも思うことじゃないかな?
一日で三十分くらいはつぶれちゃうわけだし。
やらないと、不都合がでるという話だったし。どんな不都合かはいづもさんは話してくれなかったけど。
「あとは純粋にお金の問題もあります。百万以上お金かけるなら、レンズにお金かけたいですし」
カメラのレンズはお高いのですよ、と言うと、高いらしいねぇとあっさり言われてしまった。ちらっとカメラ売り場を見て、おぉ、たけぇーって思った感じの反応である。きっと細かい値段までは知らないのだろう。
「でも、もしかしたら今度、SRSが保険適応になるかも、って話もでてるんだけど、そこらへんは知ってる?」
「え……まじですか」
性転換手術に大金が必要なのは、ひとえに保険がつかえない治療だからだ。
そのため、治療にかかる費用はすべてが自己負担となる。
基本的には、保険点数換算で費用を出すけれど、中には自己負担だからこそ病院は言い値でふっかけてくることもあったりして。
国内でやるなら百万から二百万くらいを想定するべき、というのが一般的な相場といわれている。
海外の場合は、場所によるものの渡航費用こみで百万くらいと思っておくといいらしい。
女→男のケースだと、二段階の手術になるので、二段階目をするか否かで、費用はうなぎ登りになるという話である。
「どこかの活動家が、手術の年間件数とか、それに対する予算の話だったりを伝えた上で、考えてくれないかーって話をしたみたいでね。いままでは歯牙にもかけてなかったけど、それこそダイバーシティ構想がどうのとか、弱者に優しい政治アピールというか」
「それ、お父様はさぞかし、嘆いたでしょうね」
「ま、多少は気にはしてるみたいだけど、さっさとやれるに越したことはない派、かな。それに年間800人程度って話だけど、国内だけでそんなにオペできるかって話にもなるし、受け入れる医療機関があるのかってほうが、疑問だと思うけど」
うちの親も海外組みでございます、と先輩は忌々しそうに言った。
「海外かー、お、なんか海外で治療した場合の、保険の還付があるみたいですよ」
へぇ、とタブレットで検索をかけながら出てきた内容にため息を漏らす。
日本での医療費の査定に基づいた額の七割を還元みたいな制度があるようなことが表示されていたのである。
こんなもんがあるのかと、普段病気をしない木戸としてはため息がもれそうだった。
「ほう。そんなのあるんだ? やむを得ない場合って、これ、渡航先で盲腸になっちまったいとか、胃の腑に穴があいて候、とかそういう手術なんじゃないかな……」
はたしてSRSに適用されるのかな、と志鶴先輩はちょっと難しそうな顔をした。
「まあ、なんにせよ、馨。これで国内でやるなら10万くらいでオペができるって話だけど、どう? ちょっと時宗のために女になってくる気ない?」
どうよ、と志鶴先輩はすさまじく軽い感じで、野菜買ってかねぇかい? とかいうくらいの勢いでおすすめしてきた。
いや、そういう気軽さでやるものじゃないからさ。
「好きな男のために手術をするのは邪道だといいますよ。恋が冷めて、その後に残るのは改造された身体のみ、みたいな感じで。ま、そもそも時宗先輩に恋なんてしてないですし」
オレオワタ状態の時宗先輩の背中が少し震えたような気がしたけれど、まあ気のせいだと思っておこう。
「それににしても十万でオペか……後輩で手術したいって子がいるんで、その子にとっては早く成立して欲しい話ですね。二十歳になったら即オペしたいって感じだろうし」
千歳は今現在、手術の費用を必死に貯めている最中だ。
目標額はとりあえず百五十万という話をしていたし、いづもさんの話だと、こつこつ貯めてそこそこになりつつあるらしい。
その事情ががらりとかわれば、残った分のお金は自分への投資としていろいろ他に使い道もあるのである。
将来結婚するにしても、最近は夫婦共働きというのが一般的なのだから、仕事をどうするのかというのもある程度考えなければならないだろうし、千歳もなにかしらやりたいことも出来てるだろう。
「普通にそういう後輩がいることに驚きだけど。本当に必要な子には安価でやれるに越したことはない、かなとは思う」
その分診断はしっかりおろして欲しいけどね! と志鶴先輩はぷんすかと頬を膨らませた。父親の件がやはりひっかかっているのだろう。
「ちなみに、さっきから十万って言ってますけど、志鶴先輩はなんでこの金額なのかはご存じですよね?」
「ん? ああ、高額療養費制度があるから、って話でしょ。保険がつかえるってことは、こっちもつかえるでしょ。高額収入がある人は別として、たいてい一般的な収入だったら十万くらいで落ち着くじゃない?」
あとは、差額ベット代とか、もろもろいろいろかかるのかなぁ。ダイレーターとか買わなきゃだし、だなんて必要経費の上乗せを彼は始めた。
いまさらながら、とても詳しい先輩である。
「そんだけ詳しいと、先輩も手術興味あるんじゃないかって気がしちゃいますけど」
「なっ。そんなことないって。僕にはちーがいるし、オペはもともと受ける気はないよ。女装は楽しいけど、男であることが嫌なわけじゃないもん」
馨こそどうなの? と言われて、ヒーターの前に足を投げ出しながら、軽く肩を竦めた。
「俺の女装は撮影のためとか、人に求められるからですからね。別に男であることに不便はないですよ。タックすれば服はたいてい着れるし、時々やわらかいおっぱいいいなぁって思わなくはないですけど」
まあ、あっても不便そうかなとも思うので相殺です、と言い切ると、志鶴先輩は、馨はそうだよねー、と改めて納得してくれたようだった。
「まあ、そんなわけで、時宗。男なら気の迷いというものはあるし、想像しちゃうところはあると思うから、まーとりあえず、仕方ないと思っておこうか」
ほい、諦めろとベッドの上で体育座りの時宗先輩の頭を彼はぽふぽふ撫でた。
普通男同士ではあまりやらない行為である。
「それと、馨はこれからどうする? もう寝たいっていうなら止めないけど、まだ大丈夫なら、今日の写真の公開とかテレビでやらない?」
「ああ、大丈夫ですよ。いろいろな顔を撮ったので是非見てもらいたいところですね」
とりあえず小難しい話は終わり! という感じで、先輩はへい、テレビに映そうぜと、旅の写真の方に興味をシフトさせていった。
もちろんそれに拒否する理由もないわけで。
SDカードを取り出すと、部屋に備え付けられているテレビにそれを差し込んで、写真の鑑賞会がスタートしたのだった。
そして時計の針は深夜へと進む。
「あれ、時宗、トイレかい?」
カチャリという音に反応して、志鶴は目をこすりながらそちらに視線を向けた。
いろいろ落ち込んでいた後輩ではあるものの、写真には興味があるのか、馨が撮ってきたものをテレビに映し始めたら、のそのそと壁に向かうのをやめてこちらに来たのだった。
「先輩もっすか」
「まあ、ちょっと昨日は呑みすぎたところあるし」
そして上映会をしながら、男部屋での宴会という形になったわけだけど。
もっぱら呑むのは先輩二人だけで、馨はこの写真はーとか、被写体がーとか、写し出された映像に酔っ払ったかのようにほわんとしながら、熱心に説明をしてくれた。
正直、普段コスプレの写真しか話題にでないから、風景写真の鑑賞会自体がとても嬉しかったのだろう。
素直にその姿は、かわいいなぁなんて思ってしまったくらいだ。
部屋についているトイレに、時宗と入れ違いで入ると、軽くあくびを漏らす。
上がったままの便座を下ろして座ると、ほっこりトイレタイムである。
え、立ってしないのかって? それは小さい頃からの習慣で、座ってするのが普通になってしまっている。そこらへんはしつけの問題もあるのだろうし、親が親だったので、これが自然になってしまった。
そして、トイレが終わって軽く身体がぷるぷる震える。
ヒーターの熱もトイレの方までは温めてくれないらしい。
手を洗って、音を立てないように寝室の方に戻った。
「って、時宗、お前なにやってんの……」
「昨夜の仕返しっすよ。ちょっとベッドの上に置いてみたらほら、ぎゅむってだっこしやがって……くそぅ、かわいいなぁ、ちくしょう」
部屋に戻ったら後輩が大変なことになっていた。
時宗は昼のサービスエリアで買ったでっぷりした猫のぬいぐるみを後輩に与えて、その姿を撮影していたりしたのである。
しかも、馨は寝るにあたって眼鏡を外している状態だった。
風呂でも外さなかったのに、寝てる間はやはりつけていると邪魔らしい。
「寝顔だけ見ると、まんま美女だもんなぁ……これでネグリジェで起きた時に目をこしこしとかしてるところとか、ちょー撮りたいね」
「あ! 先輩それいい! くそっ、どうしてこいつはジャージなんだよぅ」
くそー、と大きな声がでそうになって、やべっと時宗は自制した。
まあ、これで馨に目を覚まされるといろいろと面倒くさいことになること請け合いだから、静かにしていなければならない。
「でも、起きた時の眼鏡なしの顔ってのも見てみたい気はするよね」
ほんと、時宗が言うみたいに3ω3なのかね、と苦笑が浮かぶ。
馨は女装をする上でも眼鏡を手放さない。そりゃ、今の黒縁とは違って、シャープなものに換えるけれど、けして素顔をさらしはしないのだ。
そうなると、見てみたいと思うのは付き合いが長い人間のさがというものだろう。
「先輩なら、嫌がることはやめてやれーって言うかと思ったのに」
「そりゃ、僕だって興味くらいはあるよ。シャープな眼鏡モードもかわいいけど、果たして素顔はどうなんだろうかってね。正直、眼鏡かけない方が、美人だったりしそうなんだよね」
これは、女装者の直感というやつなのだけど、というと、時宗もうんうんと肯いていた。
「まーでも、今はぬいぐるみだっこでおやすみなさい、のしのさんの絵で俺は満足です。これ撮ってたのは、木戸には内緒でお願いしますよ」
「はいはい。あ、でもおかずに使っちゃ駄目だからね」
こういうのは愛でるものだと思う、というと、さすがに俺だってそう思ってますよ、と大量のつばが飛んできた。
いや、でも、これ……だぞ。愛でるのが一番だけど、一歩間違えるとそのままいろいろ妄想をたくましくできるのが、男の子というものだ。
後輩の男子だ、という楔がどの程度の効果があるのか、悩ましいものだ。
「これだけ可愛くても、自分は女子だってならないんだもん。世の中、ままならないよね」
ほんと、ままならない、ともう一度いうと、時宗は不思議そうな顔をしながらも、シャッターを切ったようだった。
作者、先日友人から「保険適用の話」をいまさらききまして、まじか、ダイバージェンス、じゃなくてダイバーシティすげぇな! とか思っていつか書こうとおもっていたのですが。
その分、診断はきちんとやらないと駄目じゃない? と精神科医のみなさまにお願いしたいところです。
GIDの認定医制度なんてのもはじまりましたけど、さあ誰がどうなのか。
そして夜イベントはこれだなぁーと。とっきーが道を踏み外さないことを祈るばかりです。




