052.
「あの、先輩!」
「えと、僕のことかな?」
食事を終えてお店を出ようとしたところで、不意に声がかかった。
少しハスキーな女の子の声、ではなく、少し高めな男の子の声が聞こえたのだ。
視線を向けるとメイド服を着込んだ子がお見送りがてらなのか、ルイたちの、正確に言えばエレンの前に立っていた。
必死な感じで話しかけている姿はかわいらしいのだが、その中で一つ違和感があるとすれば、声だ。
けっして低すぎるわけではない。けれどもそれは「有名人にあった時のテンションの高い男子の声」なのであった。
そう。声をかけてきた相手はさきほど我々がかわいい子だねぇと大絶賛していた相手だったのである。
「はいっ。三枝先輩がまさかうちに来てくれるだなんて、うれしかったです」
普段のエレンならそんなことを言われたら委縮しようものだが、半分エレナがまじっている彼はにこりと彼女の目を見て微笑んだ。少し相手の身長のほうが高いから見上げるような形になる。そんなに差はないからそこまでではないけれど、エレナの上目づかいは半端ない威力がある。
「その衣装はお手製?」
「は、はいっ。手芸部がいたのでそこに相談しながら」
やっぱり後輩の子もその威力にはやられているようで、少し口ごもってしまっているようだ。
「すっごい可愛いっ。まさかこんなに可愛い子が、女の子のはずがない、よね?」
ぱちりとこちらにウインクをされると、あぁと脱力感に追わされる。
これで自分がまじものの女子だったら、さらにこの脱力感はもっとひどかったろうなと思う。
「ルイちゃーん。遠い目しないでー。可愛いものは可愛いんだからしょうがないじゃない」
「ぬぅ。表情の作り方がもう、散々それみてきたけど、反則」
エレナのやばい表情はいくらでもカメラ越しに見てきたし、かわいいなにこの子とは思ったけれど、男子でそれをやられるとこちらとしては残念な気分になる。
「なら、ルイちゃんも恥ずかしがらずにすればいいじゃん。ちょこっとこう好きな人にちゅってされたときのことを想像すればいいだけなんだし」
「ちゅ、ちゅーって! おまえ!」
その言葉を認められないのか、よーじ君が前にでて、あわあわと手を振った。
「こんな感じでちゅーって!」
「別にエレンにちゅーされても、なんにも感じない、よ? ほんとだよ?」
少ししどろもどろになりながら、それでも平静を装う。
内心、青木に唇を奪われたらどうだろうか、なんて考えていたとはさすがに言えない。
「あは。ルイちゃんかわいい」
なでなでとエレンに頭をなでられながら、置いてきぼりな後輩ちゃんに向きなおる。
「いいですよー。どうせ私は女子じゃないもーん」
さっきの絡みからの返しだ。ルイとしては珍しく少しかわいらしい感じの言い回しだ。
おじさまやおばさま相手には少しいい子を演じることもあるけれど、基本的にはルイの悩殺スマイルを浴びるのは、見知らぬ男子くらいなものだ。
「えっ。先輩も男の……いえいえ、だまされません。女装しててそんなに自然なんて、信じられない」
「さて、どっちでしょうね?」
くすりと微笑が浮かぶ。エレナが普段やってる、けむに巻くときの手段だ。
見た目どうみても女子だというのに、それでも含みを持たせる。
基本、ルイにはあんまりいらないスキルなのだけれど、全否定もせず肯定もしないというこのやり方は悪くないと思う。
「ええぇ。まさかそんなこたぁないだろ。って言いきれないのがやばい。えと後輩の子……名前なんていうんだっけ?」
「ああ、はいっ。僕の名前は堀川凛といいます。リンと育つようにってことみたいですけど、こんな感じで」
「えー、りんちゃんっていったら女の子の人気の名前に入るくらいなんだし、こんな感じでも問題ないと思うけど」
「女子だから、強さとか凛としたなにかとかそういうのがないって言われるのは、違う、かな」
いまどき、女の子の方が強くてかわいい。実際エレンの例を見てしまったあとでは、どっちがいいのかというのは悩ましい。
木戸とルイは共存できているけれど、あきらかにエレンの場合エレナにパワーバランスがある。
「そういってもらえると、うれしいですけど」
ちょっと恥ずかしい、です。とうつむき加減にいう姿はメイドさんが恥じらっているようで、かわいらしい。
「恋愛、ってものが関係しないなら、自分がしやすい方向で楽しいことすればそれでいいんじゃない?」
それはどうしようもなく、我らがやっていることだ。
そしてたくさん見てきた。
自分たちがやりたいことを殻に抑えてしまうことはいけない。
「でも、この声があるから……クラスメイトにも、おしいって言われましたし」
頑張ってはいるけれど、ハスキーを超えて男子の声にしかきこえない状態では、いくら見た目がかわいかろうが、という感じはクラスメイトに広がっただろう。
声は重要なファクターだ。ルイが大切にし、そしてエレナが天然に備えている。
いわば、女装をするうえでの要だ。
「なら、だいじょうぶだよ! そんなの、目の……前じゃないけど、僕の知り合いにすごい人がいるから」
教わればなんとかなるよ、とエレンは彼の手をにぎる。
自分が教えるといわないのは、エレンがろくに声変りしてないからだろう。男子なのにそんなかわいい声をして、それで声変りがどうのなんていっても、相手はさすがに許せない。
まあ、いいですけどね。教える分には別に。
「すごいって、声でってことですか?」
「そ。すっごいのぶといと……わかんないけど、このよーじだって、かわいい乙女声が出せるようになります」
そんな無茶な、という突っ込みをしそうになるものの、よーじくんの声くらいならば、訓練次第でかわいくはできる。
そう。エレナが天然の強みならこちらは人造の強みがある。
「三枝先輩がそんな……そこまでいうなら、できるってことなんですか?」
「うんっ。らくしょーだよ? その死角がうまったら、リンちゃんは完璧だね?」
にこにこと男子の制服をきているくせに、きらきらしながらりんちゃんの手を取った。
「正直、三枝先輩に相談したいの声のことだったんですけど、言い出してもらえるならありがたいです」
ああなるほど。自分も女装をするうえでノウハウなんかがあればと思ったのだろう。
でも残念。エレナのそれは9割以上天然である。衣装作りとかキャラづくりは完璧だけれど、素材の持ち味を余すことなく生かしちゃってるだけで、加工食品ではないのである。
「そういえば、リンちゃんは髪の毛伸ばしてるの? それ地毛だよね」
「はいっ。気づかれちゃいましたか? 本当はもっと長いウィッグつけても良かったんですけど、ご覧の通りうち、ウィッグの数がそんなに集められなくて。会計やった子が割と貧乏性といいますか。一回しか使わないアイテムにそんなにお金かけたくないって話になって、地毛でいけそうなおまえはそのままな、みたいな感じです」
「それで正解かなぁ。地毛すっごい綺麗だから下手なウィッグより絶対いいって」
ルイが使っているウィッグも割といいものではあるけれど、たった一回使うだけで廃棄できる値段では当然ない。この人達がどの程度の金銭感覚を持っているのかわからないけれど、そうなると安いウィッグになるわけで、あそこらへんは明らかに合成の毛ですというのがわかるほどだ。実際さっき給仕をしてくれた人はそんなもんだった。作り物っぽくて全体的に調和しているといえばそうなので別にかまわないのだが。
この子がそういうウィッグでは魅力が激減する。
「三枝先輩も、そう思いますか?」
「うんっ。伸ばせるなら伸ばしてみてもいいんじゃないかなぁ。うちの学校、髪の毛に関しては校則だだ甘だし。うちも父様の件がなければ伸ばしたいくらいだよ」
くすんと言い切るエレンの髪は王子様といえる程度には短い。これはこれで彼は高級なウィッグを数種類所蔵しているので、短いこと自体はいいのだろうが、普段から髪の毛いじって楽しみたいっていうのもあるんだろうな。
「先輩がそうおっしゃるなら……伸ばしてみようかな」
「かわいいは正義だって僕もここ一年で実感したし、いじめられたら文句言ってあげるから」
ねーと、二人で両手をがっちり握り合う様は女の子の再会を喜ぶような時にやるあの仕草だった。
「えっと……エレンさんや……えらい可愛いな……」
よーじくんがその姿に思い切り見とれているのを見ながら、これで大丈夫なこの学校ってどうなのかとルイは一人脱力するのだった。
「道具の性能の違いが、写真の良さの決定的差でないことを教えてやる!」
「うわわっ」
文化部棟の出し物を見に行っていたところで、そんな叫び声が聞こえてきた。
目の前でがらっと扉があいて、男子生徒が一人走り去っていった。こちらの姿に気づく様子もないほどに怒りに満ちあふれていて、まともな様子ではない。
「写真部?」
走り去って行った彼がカメラを持っていたのがちらっと見えたので、二人の案内人に問いかける。部屋の中のほうに視線を向けると、カメラだの写真だのが乱雑にもちゃぁと置かれてあった。
展示は別の広い部屋を使っていたから、こっちは部室ということなのだろう。
「ありゃ、ルイちゃんの好奇心に火がついちゃった感じ?」
「他の学校の写真部の部室ってちょっと気になるかも」
入ってもいいもの? というと、よーじ君がいいぜと返事をしてくれた。
「俺の知り合いがいちおー写真部でなー。あいつらなら別にっていうか、女の子のお客さんなんてむしろ大喜びだ」
「それなら遠慮なく」
扉は開いていても軽くノックをして、返事がきてから中にはいる。
すごく気まずそうな顔をした部員さんが三人ほどそこにはいた。
「どもっ。友達の学園祭にお邪魔してましてー、その、写真部の部室も見せてもらいたいんだけど、いいですか?」
「えっ。あ、その」
は、ひゃい。と緊張した声が聞こえた。大変男の子らしい反応でよろしい。
「き、君も写真やる子なの? あ、カメラ……」
「はいっ。たいてい週末は撮ってますね」
「さっきは、プロのカメラマンさんの代わりに、うちの学校の学園祭の風景撮ってくれてたんだ」
よーじくんがこそっと内緒だけどな、と耳打ちする。
内緒にしなくてもいいけど、あんまりおおっぴらに言われてもむずがゆい。まだどれくらい使われるのかわからないのだ。
「しんそこ困ってそうだったので、こっちから声をかけさせてもらいました。もちろんできがいい奴だけ採用してもらうって感じで」
あくまでも出来高ですから、全面的に没かもしれないし、まだどうなるかわからないと伝えておく。
「それでも、すごいことだと思う。けどカメラ……」
ちらりと胸元につっている一眼を見て、え? と疑問顔になるのがわかった。
プロとして仕事をするならもっといい奴を、とでも思っているのだろう。
「ああ、さっきの言い争いは聞こえちゃってましたけど、あたしも道具はいいに越したことはないと思いますよ」
経済的に厳しくて、一年半この子を使ってきてるのだと伝えた。
レンズの種類もそうそう多くはない。
エレナのコスROMの報酬で一個買い足したけれど、それくらいなモノである。
「そういや、さっきのって、どういう話だったんだ? カメラがどうのって揉めてたろ」
よーじくんがそこに疑問を挟んだ。話は半分くらいしか聞こえなかったけれど、ルイとしてはなんとなく展開が読める。でも素人にしてみたらよくわからないのだろう。
「ああ。あいつな。写真で大切なのは何かって話をしててさ。被写体を選ぶ感性だとか、レンズの向け方だとか、そういう話から、カメラの質も重要だよなって話になって」
ちなみに、君はどう思う? と尋ねられて、んーとあごに人差し指をあてる。
いろいろと大切なことはあると思うけれど、一番にあげるとしたらこれだろうか。
「わくわくしながら、撮る。でしょうか。基本、被写体選びとか、光度測定とか、狙った雰囲気作ったりとか、いろいろありますけど、全部わくわくする写真を撮るための素材に過ぎません。もちろんこういうの撮ってみたい! って思ったら無理してもレンズ買い足したりとかしますし、必要ならカメラの買い増しも検討します」
今のところ、この子で十分わくわくできるからいいんですが、と続ける。
この子は確かに購入時点で型落ちしていたモデルで値段もそう高くない。けれども基本的なところは押さえられてあるし、画素もそこそこ高いのだ。もちろんフルサイズではない。連射機能もそこまでよくはない。ただ今のところその性能でわくわくできる写真ができるのだ。
動物が撮りたいとか、星空をもっと撮りたいとか、撮りたいものが出来たときに買い足せばそれでいいのだ。
それの顕著な例がおそらくバッテリーとメモリーカードだろう。あそこらへんは消耗品ということで多めに持ち歩くようにしている。
「そう来ちゃうか……いや。たしかにいい撮り方だね、それは」
「はいっ。すっごい楽しいから、ついつい撮り過ぎちゃうんですが」
「ホント、ルイちゃんは写真馬鹿だよね」
まったくもうと、エレンにまで言われてしまった。いいや、彼女だからこそ言えるのか。
でもそれをいったらエレナだって写真撮られるの大好きなコスプレ馬鹿である。あんな笑顔向けられて、わくわくしないわけがない。
「そんな写真馬鹿なお嬢さんは、我らの展示は見てくれましたか?」
「はいっ。そりゃもう隅から隅まで」
楽しく拝見させていただきました、と答えると、おぉうと三人の男子に囲まれてしまった。
それから、どこがどうのと話が始まったのは言うまでもない。
これだから写真馬鹿は大変だよねーと、エレンには言われてしまったのだが、にこにこ待っていてくれたのには感謝である。
エレンさんの文化祭その3であります。可愛い男の子の条件として髪質も大切であると私は考えております。一度きりの女装に使うウィッグの相場はだいたい3000円くらいで、ドンキで買う印象です。
ルイやエレナが使うものは、きちんとしたウィッグショップのもので、万単位であります。それでも安めのをルイは選んでるのですけれどね! 変装用に明るめなショートウィッグも持っていたりはするのですが、おめかしアイテムは高いのです。