005.学外実習3
朝。起床時間は7時なのだけれど、眼が覚めたので物音をたてずに外にでた。
もちろんカメラは手にホールドされている。いつもは一眼を首からつっているけれど、学校支給のコンデジにストラップなんてついてないので持ち歩くしかない。昨日の夜から充電できたので言うまでもなくもうおなかは満腹。電池マークはきっちり埋まってくれている。
正直、いつも使っている一眼を持ってきたかったのだけれど、贅沢なことはいえない。
「せっかくの遠出で撮らないわけにはいかんよね」
昨日ここに到着したときも宿泊所の写真は撮ったけれど、それ以外の周囲はまだまだといったところだ。
それに、朝の雰囲気というのはいい。
空気が澄んでいるというか、ひんやりしていて。夜露が落ちた葉が朝陽をあびるときらきらと輝いて、明るいきれいな写真が撮れる。
ちなみに今日さしてあるメモリカードは自前のものだ。修学旅行のものではなく個人的な撮影なので、気兼ねしないで撮ることもできる。
「下手をしなくても1Gのメモリじゃ収まらないんだよな……」
残り残数がかるく千枚を越えている数値をみて、ため息がもれる。
正直昨日の分で配布されていたカードの三分の二を消費している。あからさまな失敗写真はあらかじめ消すにしても、それ以外は提出しておく必要はあるだろう。そうなると1Gのカードに収まらない。
事情をいって、自前のカードで追加分の提出はするつもりだけれど、メモリーくらい最近は安いのだからもう少し大容量のを用意していただきたいものだ。とはいっても、いままでのイベント委員がとる写真の枚数は1Gに収まっていたってことなんだろうと思う。写真部は自前のカメラで撮影しているから問題ないだろうし、きっと一般なのにアホみたいな枚数を撮っている自分が悪いのだと思う。
とりあえず、時系列ものはともかく人物が撮れてるものをメインにいれて、他の風景とかはサブにいれる予定だ。まあ今日いっぱい撮ってどれくらいになるか次第ではあるものの、いつでもシャッターをきりまくるくせは、こういう場では少しきわどいのかもしれない。
そんなことを思いながら、今はそこの枠から解放されているので、散歩をしながら気になったところは撮っておく。
「おや、君は確か、青木くんの」
「佐伯のおっちゃんさん。こんな早くからお仕事ですか?」
「いやあ、ライフワークのほうだね。君もかい?」
「そうなりますかね。なんだかんだで遠出ってそうそうできませんから」
自分の意志でまずこないようなところだからこそ、学外実習の場所に選ばれるのだろう。そうなれば写真を撮っておかないと、と思うのはどうしようもない習性だと思う。自然大好きな身としてはこれを押さえておかないだなんて絶対に損だ。
「懐かしい台詞だね」
おっちゃんは何かを思い出しているのか眼を細めるようにして言う。
「前にもこんなことがあったんですか?」
「君たちの先輩でも一人そういうのがいてね。偶然、そのときもこのイベントの撮影を依頼されていて出会ったんだが」
そりゃ、写真好きならそういうのもあるだろう。
写真部の面々だってもしかしたら他の場所で撮影をしているかもしれない。
「いいや。今見てもわかるように、実習の本命は夜の長話なのだから。朝にというのは珍しいもんだよ」
朝が一番僕も好きなのだけど、とおっちゃんはカメラをちらつかせる。
「女子部屋ならわかるけど、男子部屋はそうそう遅くはならんでしょうに。実際、一時にはみんな寝付いてましたよ」
「……それで今起きてくる君の底力に敬服したいところだ」
それが若さか、と顔を手のひらでおおっておっちゃんはうめいた。
なにかおかしなことでも言っただろうか。
イベントの時は徹夜でも翌日動き回るのが人間の習性というものだ。
「それはそうと。もうすでにやってるのかい?」
写真があるなら是非見させて欲しいと、昨日のように言ってくる彼に、少し迷いながらもカメラを渡す。
「今朝のは私的なものなので、いろいろやってます」
いいわけかもなと思いながらも、伝えるだけは伝える。プロの人に写真を見てもらうのはどうしても緊張はするのだ。
「ほうほう。なるほど。ますますあいなのやつに似てるなぁ。まあ君は君の発見があって見ていて楽しいけど」
ぴっぴっと画像を先に進めながら小さい画面を続けて見ていく。
その単語の中にアイナという個人名が入っていたけれど、とりあえずは無視。後できけばいい。むしろ今は写真を見ている彼の反応をこそ重要視したい。
そして。
「ちょっ、これはっ」
映し出された大きな木の写真を見たとたん、木戸は無意識にカメラに手を伸ばしていた。けれどもそれはむなしく空を切ってしまう。
どうやら前のデータが残っていたらしい。カメラが違っていてもエラーを出さずに再生出来てしまうことにむしろ驚いたくらいだ。ちなみにその前の写真はエラーで表示されなかった。rawとjpegと両方の形式で撮れるモードで撮ったデータなのでそうなったらしい。
学校のメモリよりも十数倍以上は容量のあるカードだから、油断していたのだろう。
むろんはざまの写真ではない、昼間に撮った写真ではあるけれど、それを彼に見られるのは困る。
「おや、見られたくない写真だったかな。これ、あの銀杏だよね?」
ルイで撮った写真を見られるのは勘弁して欲しかった。女装していることがばれるということはないだろうが、気恥ずかしい。
「うちの近所っていうとちょっと違いますが、結構近所じゃ有名な銀杏の大木です」
「うん。これを撮りたいってのはやっぱり誰でも思うもんなんだろうね。僕も若い頃は撮らせてもらったし」
うちの若いのもよく撮ってるという。
あいなさんのことだろうか。いや彼女も含めて、か。
そういいつつ彼は、ありがとうとカメラを返してくれた。
その先はさすがに見ないところをみると、やっぱりカメラに携わる人なんだなって感じだ。見られたくない写真は見ないでくれるのはありがたい。
「まあ、暇があったらうちのスタジオにも遊びにおいで。忙しいときはあんまりお相手できないけど」
彼は名刺を差し出すと、呆然と受け取る木戸の顔を見てにっと笑った。
フォトスタジオ太陽の麓 代表 佐伯太陽
連絡先 佐伯写真館。
「朝まで時間もないから、それじゃがんばって」
そういうと、片手をあげて彼は森の中へと入っていった。
「名刺をもらってしまった……」
ふむ、とそれをポケットにしまって時計を確認する。残りは三十分もない。
頭をかしかしとかくと、息を軽く吐いて気分を整える。
「ま、今は撮影優先、かな」
スタジオに行くかどうかは後で考えようと保留にして、木戸は再び撮影会を始めたのだった。
「むう」
さて。まる一日以上、コンパクトデジタルカメラというものを扱ってきたわけなのだけれど、いろいろ気づかされることがある。
もともと、スナップ写真が撮れればいいんでしょ、とか思っていたのだけれど、これはこれで十分に絵が撮れるので驚いた。
カメラと言えば一眼。入門するときはやっぱり誰でもそう思うし、値段も下がってきてありがたいなと思って一眼を買ったけれど、コンパクトデジカメおそるべし。
もちろんぼかしをつかうとか、焦点をどうのこうのとか、そういうのはできないけど、ISOも高めについていて暗がりでもしっかり撮れるし、手ぶれ補正もある程度しっかりしてる。
「たしかに今までコンデジってそんなに触ってないもんなぁ……」
家に家族用のコンデジはある。ただ、本格的に撮影に使った経験はそんなにないのだ。中学二年の時にそれをさわったときは、一度だけしか撮影にいけなかった。そのあとは受験に入ってしまったのでろくに撮影にいけていない。
その記憶は、けっこう意識の底の方で、一眼を始めたときはそれとの比較なんていう考えは生まれなかった。
「おまえにそんだけ体力あるのは反則だ」
青木がぜえぜえしながら、うつろな視線をこちらにむけた。
むろんぱしゃりと写真は撮る。
二日目にある隣山までの徒歩移動は、いうまでもなく苦行だった。
普段カラオケでインドアな青木に比べれば、いつもフィールドワークで歩き回っている木戸にとってはこれくらいならそこまでしんどいとも思えない。しかもカメラを構えながらだ。ただ室内を一時間歩かされるのとは違って発見があれば疲れなんて気にならない。
「それじゃ、山登り中の一枚いってみようか」
他の男子には一声かけてから。ひいひいしんどそうな顔をしているところを一枚。
額からこぼれる汗が若さの証明とかいってたのは相沢さんだけれど、水分のある絵というのは割と好きだ。人間であれ植物であれ、汗をかいているのはいい。
撮ってと佐々木さんがねだるので、レンズを向けてシャッターを切る。彼女の額にもつぶのような汗が浮いていて、それが光できらきらするような感じでうまく撮れると、人の撮影も楽しいだなんて思ってしまう。
もちろん女子は乞われたときだけ、基本は男子メインでの撮影だ。
熱心に景色を見ているやつがいれば背後から忍び寄って彼を見切る形でいれながら、その見てる先を写す。
なにを見ているかのヒントをいれつつ、その先は想像してもらえるような形に持って行く。本人はその先の景色を覚えているし、そうじゃない人は想像できる絵だ。あいなさんみたいに想像の方がいいものには仕上げられないけれど、こういう撮り方もおもしろい。
そんな風に撮影を続けていた等、不意に声がかかった。
「あれ、フラッシュ焚かないの?」
別のクラスの女子だった。面識はこれといってまったくない。
けれど、首からつっているカメラが他の生徒と違ってコンパクトカメラではなかったので、あらかたどんな相手なのかは予想がついた。
ちょうど木陰になってしまっていて、薄暗いところでの撮影をしていたので、彼女は、え? と思ったのだろう。
「これくらいの光ならいけるかなって思って」
ノーマルの設定ならば、フラッシュはオートだ。少しでも暗ければびかびか光る。それをカットしているイベント委員はそう多くはない。暗がりならフラッシュが焚かれるのが普通だ。
正直、フラッシュの光はあまり好きじゃない。手ぶれとの綱引きにはなるのだけれど、それだけレンズを開く時間を長くすればいいだけのことだ。デジカメならではのISOというものもある。このカメラだと1600程度までしかいかないものの、それでも夜の撮影すらこなせてしまうすぐれものだ。それなら昼の暗がりなんて苦手にするはずもない。
それなのに暗がりになると勝手にフラッシュが焚かれる設定になっているのはどうなんだろうと思う。
だって、フラッシュの光はすべてを白く染め上げてしまう。平面的に光があたるからどうしても立体感というものが損なわれてしまう。うまくつかう手段はあるのだろうけれど、そこまではまだまだ使いこなせるだなんて思えない。
「ふぅん。めちゃくちゃ慣れてる感じだけれど、君も写真やる人?」
「やるというか、写真が好きな人なのかな」
「やらないけど、好き。見るの専門みたいな!? まあそういう人もいるよね」
うんうん、と彼女はなにやらうなずきながら、ぱしゃりと気楽にシャッターを切った。
撮られるのはなれていないけれど、ルイの姿で撮られるよりは断然らくなので、そこは気にしないようにする。
「興味あるなら、写真部にも是非顔を出して欲しいな」
いつでもお待ちしてますよんという彼女をみて、やっぱりと思った。写真部だけは記念写真を撮るかわりに自前のカメラをつかっていい決まりになっている。ちなみに写真部がいればイベント委員は仕事が無くてフリーダムなのだから、うらやましがられていたりする。きっとこのイベントが終わったらみんなになんでおまえは写真部じゃないのかと突っ込まれることだろう。
「いやぁでも、女子率がべらぼうに高いっていうし行きづらい」
入学した頃、写真部があるのは知っていた。けれど当然、自分のカメラを買うのが優先でそちらには行けなかった。少し経つと風聞も漏れていて、どんなところなのか知ってからは自分で放課後撮ればいいやとなってしまっていたのだ。
「確かにそうだけどね。でも暗室とかもある古い部だし、デジタルじゃなくてフィルムカメラなんかも使えたりするよ? 自分で色を定着させるのもおもしろいよ? 撮るだけじゃなくて、いろいろ遊べる感じ」
くっ。おもしろそうじゃないか。いやいや部活の予算で現像までできるとかは悪くはないけど、根本的に誰かと一緒に写真をやるのは難しい。
そう。写真を撮ってるのはあくまでもルイであって、自分ではないのだ。ときどき相沢さんと写真を撮らせてもらえるだけでいい。
「ああ、なんなら女装とかして来て見る? メガネをはずすと実は美少女とかありがちだし、いけるんじゃないかな」
女子が多くて無理というなら、女子になってしまえばいいじゃないと、彼女はとても軽くいってくれやがった。
いやしかし。
それはできないでもないにせよ、しかしだ。
「学校で着替えるのはちょっと無理なんじゃないかな。制服とジャージと部活のユニフォーム以外は着ちゃまずいんだし」
「ほっほー。女装することにたいしては、あんまり嫌悪感がない感じなのですかねー」
「否定はしないよ。中学の頃さんざんやらされてたし、慣れてないわけでもない」
なるほど。普通なら女装なんていやだ、というのが正解だったわけか。しかしあまりにもルイでいるのが当たり前過ぎて、そこらへんはもうスルーしてしまった。
「それはまた。是非被写体になって欲しいくらいでありますね」
「いーやーだ。自分が撮られるのはあんまり好きじゃないんだよ」
指でフォトフレームを作りながらにししと笑う彼女に、素直に嫌そうな顔を見せる。
女装して写真を撮られるというのは、やはり都合が悪い。
女装して写真を撮っている身としては、避けたいところだ。
「ああ、そういや、まだ名前きいてなかったっけ。あたしは一組の遠峰さくら。あなたは?」
「三組の木戸馨」
フルネームを言ったところで、彼女はそいじゃね、と自分のクラスの写真を撮りに行ってしまった。
「くぅ。イベント委員のくせに仲良く他クラスの女子とご歓談ですか、良い身分ですね裏切り者」
「絡まれてただけだ」
青木が狙ったかのように彼女が居なくなった穴にすっぽりと収まる。
女絡みになると必ずこいつがわいて出てくるのだから勘弁して欲しい。
相沢さんの写真展にいったときはあんなにまともだったのに、どうしてこいつはこう、ここだと欲望むき出しなのだろうか。
「それで? 写真はどんな感じなんだ?」
「見るか?」
昨日しっかりと充電できたので、今日はこうやって写真を見せてもバッテリー切れの問題はないのがありがたい。
実を言えば、昨日の夜の食事の時の撮影から、女子からも依頼がくることがあって、人を撮る枚数が昨日よりも増えている。フル充電できていて本当にありがたい。
「ちょいまて……おまえ、その、なんだ」
どういう感想がくるんだ。
ぴっぴと何枚かディスプレイに写った絵を見ている青木を前に少し緊張が走る。
「どーして、女子はかわいくとるのに男子はアホみたいにとるんだ! こんにゃろー!」
かわいいじゃないかけしからんと、青木は写真を先に進めながら鼻息を荒くする。
でも、正直撮ってる側としては女子の写真より、男子の写真での実験の方が楽しい。女子はどちらかというとその素材自体を輝かせる感じになるけれど、男子は物語性を持たせる写真が撮れる。
これはうがった考えだろうけれど、女子はそれだけで被写体としていいのだ。見られるのを普段から意識しているからなのか。
そしてもちろん女子に対しての遠慮もある。男子に対しては遠慮がいらないからその分突っ込んだ写真が撮れるということなのだ。
「男子をかわいく撮るのは無理だからな。いろんなオプションをつけてやらんといかんだろ」
そうつぶやきつつも、返ってきたカメラを構えて、一枚写真を撮る。
山歩きでへとへとになっているみんなの首筋に、汗粒が浮いている姿は、きっと実習のしんどさを象徴したものに仕上がっているに違いなかった。
見返してみて、佐伯写真館の中のスタジオ名が登場していたのかと愕然としてます。なので、連絡先として佐伯写真館の名前を追加しておきました。太陽の麓って名前は今後どうなるかはお察しで。