431.お正月の里帰り10
「にしても、あいなちゃんもずいぶんとしっかりしたもんじゃなぁ。ここに初めて来た時は、まだ馨くらいでわたわたしとったんじゃが」
じーちゃん用にもお茶を煎れると、美味いのうといいながらじーちゃんはそれをすすっていた。
客間にいるのは、あいなさんとじーちゃんと、そしてルイの三人だ。
ばーちゃんは、新年の挨拶をしただけで居間のほうに戻っていってしまった。仕事の話もあるだろうからという配慮なのかもしれない。
「佐伯さんの兄弟子だって話を伺ってましたしね。それに木戸先生の写真、好きですから」
初めてお会いしたときはもう、そりゃ緊張しましたよーと、あいなさんがよそ行きの声を出していた。
なんというか、こういう姿は写真展のとき以来という感じだった。普段はほわほわしながら撮影をしているけれど、仕事になるとこんな感じになるのである。
「相変わらず嬉しいことを言ってくれるのう。でもわしもあいなちゃんの写真は好きじゃぞ?」
ほれー、この前のなんじゃったかの? 山の方のやつ、と言われて、あぁとルイもその写真が頭に浮かんだ。
あいなさんは、対人のお仕事も受けつつ、自然写真のほうも適度にやっている人だ。
その山の景色は秋口に撮られたものだったかと思う。
「それで、あいなさんはわざわざこっちまで?」
「ううん。近くで仕事があったからそのついでなの。っていうか佐伯さんとこのスタッフのお約束でね。とりあえず近くで仕事したスタッフが挨拶に行きましょうって感じでね」
「こんなじじいのところに挨拶に来なくてもいいとコロのやつには言ってるんじゃがのう」
仕事の方を優先してくれてかまわないんじゃぞ? とじーちゃんはそれでもちょっと嬉しそうに頬をかいた。
「そんなことないですよ。木戸先生のことはみんな尊敬してますから」
ルイちゃんも、ね? と言われて、ふいと視線をそらしてしまったのは仕方ないことだと思う。
「……実はわしの写真まだ見せてないんじゃよ。明日まで時間があると思ったらつい、な」
「女装させたり、町の人に自慢させられたり、大はしゃぎだったもので」
それを思えば、じーちゃんがわざわざ挨拶に来られるほどの大人物とは、いささか思えないのだ。
「あはは。確かにこの町はちょっと特殊だからね。女装の巫女さん大人気」
「エレナのコスプレの題材にもなった子ですしね。人気なのはわかるんですが……ほんとじーちゃんたちのテンションがおかしくて」
かなりがっかりですよ、と言ってあげると、じーちゃんはしょぼーんと肩を落とした。
だ、だってしょうがないじゃん! 今日になったら見せてくれるかなぁって思ってたけど、まだなんだもん。
「だ、だってルイちゃんじゃぞ? 超絶美少女じゃぞ? わしゃー大ファンなんじゃぞ?」
「美少女って、あたしもう二十歳……」
さすがに少女呼ばわりされるのはどうなのかという年齢である。
ちょっとむぅと頬を膨らせて抗議をしておいた。
「まあ、ルイちゃんが美少女なのは認めるところですけどね。でもセクハラはよくないですよー」
それに、写真は見せてあげないと駄目です、と言われてじーちゃんはぐむぅと押し黙った。
「仕方ないのう。あいなちゃんにそこまで言われてしまったら、見せんわけにもいかんか」
くぃとお茶を飲み干してかたんと湯飲みをテーブルに置くと、じーちゃんはおもむろに立ち上がった。
そしてついて来るがいいと言われて、そのまま階段を上っていく。
年季の入った家は、階段が昇るごとにぎしぎしと音を立てる。
「うわぁ……」
ふすまを開けて、その部屋に入ったとき、あいなさんが呆れたような声を漏らした。
そこはじーちゃんの部屋。
ここにきた当日に馨も入ってどん引きした部屋である。
「どうじゃー、ルイちゃんグッツが充実しとるじゃろー」
けれども、じーちゃんは誇らしげに胸を張っているだけだった。
う、うん。愛されて嬉しいとは思いますけどね……ちょっと度を超しちゃうと、引いてしまいますよ。
今日も、フォトフレームには、ルイ関係の写真が写し出されている。
あ、昨日の晴れ着の写真もはいってやんの。仕事が早いなぁ、うちのじーさまは。……うぅ。撮るならちゃんとウィッグ付きを所望します。
「確かに充実してますが……うん。ルイちゃんのさっきの反応は間違ってなかったわ」
これだけしか見てなかったらさすがに、ひく……かなぁ、とあいなさんまでちょっと頬をひくつかせていた。
木戸先生! って感じだったのに、変な一面を見せられて評価が少し変わってしまったようだった。
「ふむー、おなごの感性はいまいちわからんのう。可愛いのは可愛いんじゃから、それを愛でるのは自然のことじゃと思うんじゃが」
「たとえば、じーちゃんの写真を誰かが部屋に一杯飾ってたら、どう思う?」
「べた惚れかの? 母さんも昔はわしの写真を部屋に飾っておってくれたしのう」
あぁ、なんか何を言ってもダメだなぁと思って、肩を竦めて首を振っておく。
「さて、そいで、わしの仕事部屋がこっちじゃ」
初公開! と言わんばかりに隣の部屋の扉を開けると、じーちゃんはようこそ、と真面目な声を漏らした。
顔つきも心なしか、きりっとしたような気がする。
「うわぁ……」
そこにあったのは、なんというか。
隣の部屋とベクトルが180度違う、落ち着いたところだった。
思わずルイも感嘆のため息をもらしてしまったほどだ。
四畳半のそこには、パソコンとプリンター、そして、壁面には数枚の写真が貼られている。
こちらは、この町の景色なのだろう。あ、あれは神社からの町の写真だ。
「デジタルに移行した時はさすがに、わしも右往左往したもんじゃ。じゃが今ではこの通り。前はここに暗室を作ってたんじゃがの」
印刷が簡単にできるようになったのは、良いもんじゃとじーちゃんは言葉とは裏腹に少しだけ寂しそうだった。
「あいなさんは、アナログのカメラって使ったことあります?」
「そりゃね。っていうか高校の写真部に暗室あったじゃない? ルイちゃんは結局使わなかったんだ?」
「あー、いちおー土日にちょっと行ってたくらいですし、それにあいな先生の講習会以外はほんとそこまでいけなかったので」
そういえば、さくらから写真部に誘われたときに暗室の話も聞いた覚えはある。
でも、撮る方に必死でそっちのほうにまで手が回らなかったのが正直なところだ。
「なんじゃ、ルイちゃんは学校の写真部でがつがつやってたわけじゃないのかのう?」
「どっちかというと、放課後に銀香に行くことの方が多かったんですよ。それに、自分の学校に女装していくのは、ちょっと恥ずかしいというか抵抗があの頃はあって……」
うん。ルイとして自分が通ってる学校に入る、というのははっきりいってかなり抵抗があった。
あの女子制服はスカート丈もかなり攻めていたし、それこそ写真部の活動の魅力がなければいけなかったことだろう。
馨が女装した姿を見せることは、さほど問題はなかったのだけど、学校にルイがいるという状況がやっぱり少しだけ抵抗があったのである。
外だとそれがまったく逆で、ルイとしてのびのび人と会うのが楽しかったんだけどね。
「ま、最近の若いもんはデジタルの撮り方で慣れてるなら、それはそれでいいのかのう。アナログの方が刹那的な撮り方ができてよかったんじゃが」
「刹那的……あ、でも枚数制限課せられて、その上で撮ったりはしてきたので、撮りたいものを想像してからシャッターをきれるようにはなってるつもりです」
「あー、学園祭の写真とか、人数撮らなきゃだから、あんまりハズレ写真は撮れないしねぇ」
順調に経験を積んでくれて嬉しいかぎりです、とあいなさんはうんうんと満足げに頷いていた。
「あ、学園祭で思い出しましたけど、実はあそこの理事長から、ご自宅にご招待されてるんですけど……こういうのってどうすればいいんでしょうか?」
実は年末に佐伯さん経由で聞かされた話なんですけど、と話題になったのでついでに聞いておくことにする。
ゼフィロスの理事長、つまりは咲宮沙紀矢くんのお母上からのお誘いだ。
「それって、この前の学園祭の写真が大変気に入ったから、それでってこと?」
「おそらくそうだとは思いますけど」
うーんと、二人で少し悩ましげな声を上げていたら、じーちゃんは怪訝そうな顔をしながら腕を組んだ。
「なーにを悩んでおるんじゃ? クライアントからの直接招待だったら受けるの一択じゃろ? そこから別の仕事が派生したりもするなんてこと、あいなちゃんならわかるじゃろうに」
「それはわかるんですけど、問題は、そこが女子校だからってことで」
「それがなにか問題かの?」
はて? とじーちゃんはよくわからないという顔を隠そうともしない。
「問題は、そこが女子校だからってことで」
じーちゃんがいまいちよくわからんという顔をしているので、ルイからも同じ台詞をもう一度伝える。
耳はそこまで悪いとは思わないのだけど。
「ルイちゃんが女子校で撮影するのになんら問題もなかろう? コロのやつだって依頼があれば撮影に出向くしの」
「……問題は、女装して女性として仕事を受けてしまっている、ということです。騙したとかって話になるとまた面倒なことに」
「あぁ……なら別に、精神的に女子だから問題ないですっ、とか言ってしまえばいいじゃろ?」
少なくとも、女子校に普通にはいって撮影をして、なにもなしなんじゃろ? と言われればまあ確かに。
驚くほどなにもなかったというか、いろいろあったにしてもそれは沙紀ちゃんの件に関してだけだ。
少なくとも、馨の方は自然に女子高生として潜入をしても問題のない男子という扱いは受けてはいる。
「なら大丈夫じゃろ。先方だって変な下心があって侵入したわけじゃないのはわかるじゃろうし、ただ撮影のために中に入りました! とかなんとかいえば」
「それ、事実だけど、男の人が撮影のためにって言っちゃったら捕まるような」
「これで捕まるなら、そもそも女子校の中なんて逮捕者続出じゃぞ」
かなりマジな顔でそう言われてしまうと、あ、そうなのかもと思ってしまうから不思議だった。
実際はそんなことがあってたまるかってわけなのだけど。
「はいはい、まあとりあえずは行ってみるって方向でいいんじゃない? 木戸先生の言い分ももっともだし、新しくお仕事貰えるかもしれないし」
たとえば、卒業式のメインカメラマンを任される、とかね、と言われて、ああ、その可能性もあるのかとちょっとだけ気分が高鳴った。
もちろん、個人の依頼で来る可能性というのも期待はしてないではないけれど。
どうにもほのかとかって、呼んでくれなさそうというかなんというか。
いちおうルイの名刺は渡してあるけど、雇ってくれる保障がない。あれでほのかはセレブというよりはこちら側の人間である。沙紀ちゃんのところみたいにほいほい個人カメラマンを雇うことはできないだろう。
「その結果も合わせて、あとでうちに遊びに来るといいよ。最近一緒に撮影には行っても、うちまでは寄ってないじゃない?」
おねーさんはちょっと最近寂しいのです、とあいなさんはこちらにだけ見えるウィンクを送ってくれた。
ははぁ。とりあえずじーちゃんの手前、その意見を通しつつということなのかもしれない。
「是非とも写真を見にいかせていただこうかと思います」
「おぉーいいのぅ。あいなちゃんはまだ家族と同居じゃったか?」
「もーちょっとお金貯まるまでは一人暮らしはできないですねぇ。というか移動費が結構かかるから、親元にいれるならまだまだいるつもりですよ」
弟もまだ実家暮らしですし、とあいなさんは少しだけ柔らかい顔を見せた。
ちょっと弟と、その彼女のことでも思い浮かべているのかもしれない。
「とはいえ、いまはあいなさんの写真よりじーちゃんのですね」
さぁ、パソコン起動しましょう! と前のめりでいうと、じーちゃんはなにかを考えるような仕草をし始めた。
いや、ほら。さっさと写真を表示しようよ。壁に貼られてる写真をみるにかなりのものを撮るのはわかるんだから。
「んむぅ。せっかくだからあれだの。可愛くおねだりして欲しいんじゃが……」
「うぐっ。うちのじーさま、やっぱりちょっと頭がおかしいんですが……」
「き、木戸先生……いくら大好きだからって、それはちょっと」
じーちゃんの提案にこちらは二人ともドン引いていた。
少しは仕事部屋にきて、きりっとしたと思ったのに。
「わしゃー別に、ルイちゃんに写真見てもらわなくてもいいんじゃぞい。そうなると……まあわしのことを誤解するかもじゃが、そこは……一時の快楽のためにはわしゃぁーすべてをなげうつんじゃっ!」
くわっと、胸をはって言い切られてしまうと、なにやら信念溢れるすごいことに聞こえてしまうから、困る。
「こら、お父さん。いくらなんでもそれは私も怒りますよ」
さぁどういう感じにおねだりしようか、と考えていると、そこで不意にばーちゃんの声が聞こえた。
にこにこした声だというのに、有無を言わせないというのはこういうことを言うのだろうか。
手元にお盆を持っているところを見ると、どうやら客間から移動したのを把握して、新しくお茶を煎れてきてくれたのだろう。
客間ほどではないけど、じーちゃんの部屋もそこそこの広さがあるしね。こっちでお話と思ったのだと思う。
「わ、わしがそんなひどいことするわけなかろう?」
ほら、ぽちっとなっとじーちゃんは素直にパソコンの電源を入れた。
程なくして画面が表示されると、テキパキと写真を表示していった。
その絵は、この町が主体ではあるのだけれど。
ご近所さんの風景から、七五三、商店街のイベントなど、いろいろな顔を見せてくれる面白いものだった。
けれど、それを見せるじーちゃんに、さきほどの元気はなくなってしまっていて。
「さすがです、お祖父様♪」
そんなじーちゃんがちょっと可哀相だったので、ルイは少し哀れみ混じりで、じーちゃんに称賛の声を向けたのだった。
さすおじ。というわけでお正月編もこれにて終了です。
今回は、とことんおじーさまとこの町のご老人の常識外れっぷりが露見しましたが……
狭いコミュニティなど、「その場の常識」というものがあるものでございます。男の娘を愛でるコミュニティがあっても、きっとそれは間違いではないはず!!
と、熱く語りましたが、いろいろと最後にフラグを立てておきました。
咲宮家へいくのと、あいなさんちにいく件ですね。
でも、それはさておき、次話はお正月明けのエレナさんちにご招待です。
あっちもあっちで、お正月はいろいろあったようですよ。まぁ、全面書き下ろしなんですけれどね……




