044.
「それで、お昼ご飯はどうするの? どうなるの?」
わくわくといった様子でエレナが顔をのぞき込んでくる。身長差が少しだけある関係で上目使いになるのだけれど、これがまた破格のかわいらしさである。
仕事を終えて合流したらいきなりせっついてくるのだが、食事にしてしまっても良いのだろうか。
「昼は購買か、食事系のクラスに行くかだけど、二人ともさっきケーキ食べたばっかりで大丈夫なのか?」
「別に、あれくらいなら食べたうちに入らないわよ。けっこーおいしかったし」
きちんとしたケーキだったと彼女は満足してくれたようだ。きちんと別の腹に収まってくれたらしい。
「家で、ケーキ屋やってるやつがいたからな。飲み物は用意したけど、メインのものはだいたいそこから調達だよ」
サンドイッチなんかはさすがに自分たちで作ってはいるけれど、どちらかといえば軽食のほうはあくまでもおまけ程度のものだ。あれだけ外部発注となるとすごく手間は減るし楽にもなる。
「あら。こういうイベントって作るところから楽しむものだって聞いたけど?」
崎ちゃんの指摘がぐさりとささる。確かにそうだと思うし、出来ることならその方が良かっただろうとも思う。
「手作りするほどの気力と根性はなかったのだよ。なにげにうちのクラスは不器用なの多いし、家庭科の実習もけっこう残念な感じになる」
「おぉう。調理実習あるんだぁ。いいなぁおもしろそう」
ああ、エレナのところにはないのか。男子高のカリキュラムなんてさっぱりわからないけれど、多少違いというのはあるのだろう。少しばかり体育の内容なんかも気になるのだが、今聞けるようなことでもないので保留にしておく。
「なるほどね。仕入れとか販売の経験を積むというようなことなのかな。焼け焦げたケーキとかも学校の模擬店の醍醐味っていうような話も聞くけど」
さきほどから崎ちゃんはずっと伝聞系での会話である。話は聞いていたけどほとんどこういうイベントに参加したことがないらしい。
「熱量の問題ってのもあるんだろうけどな。引っ張っていくようなのがうちのクラスには居なかったし、そこまでがんばれなかったらしい」
ま、俺は言うまでもなくほとんど平日バイトだし、学校のイベントそこまでやれないし、と伝えると、ああ、そうねぇと崎ちゃんはどこか共感めいた声を上げる。
その隣のエレナは土日のほうが忙しいじゃないと言いたげな顔をしていた。
「ま、でもおいしかったのは確かだし、これはこれでいいか」
「その子いわく、同じ市内に新しいケーキ屋ができてそこにお客を持って行かれてるなんて嘆いていたけど、俺は十分これで満足だな」
「あれ? もしかしてクラスメイトみなさん試食済みな感じ?」
「ああ、準備段階で一人一個ずつ試食みたいな感じで。特に接客の人間はそれぞれちょっとずつ食べてたりするんだ。味覚えてないと接客できないし」
「んなっ。なんとうらやましい。うちの学校じゃそんなおいしい企画ないよぅ。ていうか、みんなケーキよりがっつりお肉派だし……」
エレナがうっとりした表情を見せた後、ふっともの寂しげに顔を伏せた。
学校では普通にしてるといっていたけれど、男子高となるとさすがに感性の違いみたいなものもあるのだろう。良いところのお坊ちゃま高校だというから、優雅にティーパーティーでもやってるような印象のほうが強いのだが、それでもお肉派が多いのは、育ち盛りの男子高校生に共通することなのかもしれない。
あ。それを思うと自分はどうだろうか……そこまでがっついてはいないような気がすると木戸は一瞬悩みこみそうになる。
「それで? お肉はともかくお昼はどうするの?」
「カレー専門店『なーむー』と、洋食屋『井口』、あと変わり種では納豆屋とかもある。なーむーのほうは、カレー研究が趣味の人達がかなり頑張ってるみたいで、ナンまで焼いてでてくるって話」
「へぇ。うまく入れるなら、なむってみたいかも」
それじゃ、とりあえずそこを目指してみようということで、目的地の場所を二人に伝える。
お昼の時間帯なので、もしかしたらとても並んでいるかもしれないので、あらかじめ並びそうなら諦めようとも付け加えておく。
去年もそうだったのだが、外部の人がくる上で食事系の模擬店の数と能力がどうしても足りないので、あぶれたら購買のパンにするか、もしくはお弁当を用意してくるかというのが一般的なのである。去年はあまり参加する気力もなかったので、お弁当ですませた木戸なのだが、今年は二人がくるというのでご飯は用意していない。
「あ、その前にお手洗い、連れてって欲しいかも」
さぁ案内してくださいませというエレナの言葉にうなずきを返す。
そんなやりとりに崎ちゃんははてな顔である。おそらく先ほどまでの間でトイレの前を通っているのだろう。
木戸の学校も一般的な学校の配置とおおむねかわらない。トイレは各階に一個ずつ。階段のそばに設置されていて、はじっこのクラスからは休み時間に行くには遠すぎると苦情がでているのだが、木戸のクラスからは割と臭いは届かないわりにほどほど近いという好条件な所にあるのだった。
「うちの学校、多目的は一階にしかないんで、そこまで付き添ってもらっていいかな」
なーむーは特別棟二階でやっているので、いったん下りて昇ってになるけれどと主に崎ちゃんに了解を求めておく。
「多目的……トイレ? え? 障碍者用?」
え? なんで? と崎ちゃんはきょとんとしたままだ。
多目的トイレそのものがどういうものなのかはわかっているようだ。いわゆる一昔前まで障碍者用といわれていた、男女兼用の車いすで入れるトイレだ。個室はとても広く、手すりなどもついていて介護をしつつトイレに入ることも出来ると言われているもの。さらにそこに新生児などのおむつ交換ができる台やら、高齢者用のアイテムをいれたりだとか、いろいろごちゃごちゃくっつけて「多目的」に改装をしたのだという。
ちなみに木戸の学校には車いすの生徒が今年はいない。去年の卒業生には一人いたそうだけれど、保健室で授業の代わりのようなものを受けていたらしい。確かにエレベーターもないし、階段で上下するしかないへんぴな学校で生活するにはこういう方法しかないのだろう。バリアフリーなんてものは予算の関係で無理な学校のぎりぎりが、トイレくらいだった、という話だ。
「あー、大切なのは男女兼用だってところだな」
移動を開始しながら崎ちゃんにもその理由を伝えておく。
「さっきの熱視線の通り、こいつは君ほどじゃないにしろ、一部に熱烈なファンを持つ性別不明のレイヤーさんなんだ。私生活も徹底してその性別を隠す方向で動いている。だからかっちり性別を分けるようなものには公式な場では触れられないってわけでな」
「女子トイレに入れないってこと?」
「男子トイレにも入れないってこと」
明らかに崎ちゃんは、彼女を女子だと認識しているのがよくわかる発言が来た。なので一応性別不明なのですよというのがわかるようにフォローをいれておく。
もともと、エレナが私生活でここまで活動すること自体が珍しいことではあるものの、イベントの会場では絶対に多目的トイレを使用しているというのは聞いたことがある。ルイは思う存分女子トイレなのだけれど、もういまさらである。
「野外でイベントやる場合は、トイレがあるかどうかをチェックしてから参加登録してるの。まー最近の綺麗なところはだいたいどこでも多目的トイレあるから。あとは逆にローカル過ぎると男女兼用ってところがあったりして、そこはそこで使える場所かなって」
エレナの言い分になるほどと思わせられた。都会のトイレはその通りなのだが、へんぴすぎて兼用という発想はさすがになかった。さすがは性別不明を貫き通す子である。
「もちろん多目的トイレってもともと障碍者の方用だから、長い時間占拠したりはしないし使いそうな方がいたら先に譲るけど、どちらでもないっていうのを守るためにはしかたがないことなのです」
そのための余裕を持ったトイレタイムなのですよーと言いつつ、階段を下りていく姿はどこからどうみても女学生なのだが、これでも実は男の子派が相当数いるという現実に彼女の努力の形が見える。
「でも、それ元キャラに準拠して入ってしまえばいいんじゃね?」
そんな彼女にふと、以前から思っていたことを聞いてみた。
原作ではトイレネタだってあるだろう。聖アルス女学園だったか。そこでは女子トイレばかりがあるのだから、その手の作品にありがちの、恥ずかしがりながら初めての女子トイレ体験なんてのを済ませるはずなのだ。
「あー、考えたこともあるにはあるんだけど、一回ね、男子トイレに入ったときにひどい目に遭ったんだよ」
にはは、と困ったような顔を浮かべられては、確かにこれで男子トイレは現実的に無理だよなぁとしみじみ思わせられてしまう。問題はキャラの認知度だ。
エロゲの男の娘キャラの設定をどこまで知っているか。知っている相手ならばあのキャラだったら男子トイレだよな徹底してるよなって話で済む。きっとほほえましく見守ってくれるだろう。
けれどもそんなのは八瀬曰く、それが大好きな人達くらいしか知らないと思っておくべきだ、ということらしいのだ。実際ルイも八瀬の影響とエレナの影響で男の娘キャラはだいぶわかるようになったけれど、他のジャンルのコスプレキャラはよくわからないものも多い。だから撮影するときに相手にどんなキャラなのかを聞きながら、相手が撮られたいポーズなんかを引き出して撮るのが日常になってしまっている。
これだけある広大なジャンルの中で、男の娘キャラ、しかもエロゲのとなるとそうとう認知度は低いし、それがそういう業界に興味のない普通の高校となるとさらに二、三段認知度が下がってしまうことだろう。もしかしたらこの学校中で、今の彼女のやっているコスプレの元ネタをわかるのは一桁くらいの人数しかいないかもしれない。
なにも知らない人がこんな可愛い子を男子トイレで見たのなら、なんでこっちに入っているんだという話になりかねない。イベント会場ではキャラ説明をすれば受け入れてはくれそうだけれど、時間もかかるし波風だって立つだろう。それなら多目的を使った方が静かに過ごせる。
「役作りか……そこまでやりこまれると、なんかこっちも燃えるわね」
ふっ、と女優然としたオーラを眼鏡の奥で揺らしながら、崎ちゃんは思い切り嬉しそうにエレナにライバル意識を燃やしているようだった。
役を演じるもの同士、ジャンルは違えど気持ちは同じ、か。
そんなことを考えていると、一階のトイレに到着した。
せっかくだからと、崎ちゃんは女子トイレに、そしてエレナは多目的トイレに入っていく。
「さて。それじゃ俺もよってっておくかな」
木戸も二人を見送った後にトイレに入っておく。もちろん言うまでもなく、今の状態で入るのは男子トイレである。
トイレネタにはいろいろと思い入れがございます。もともと連載始める前はエレナのトイレ事情とかあまり設定してなかったのですが、ルイはともかくこの子は普通のトイレにいれられない! って思いまして。今回も書き下ろしです。
さて「障害者の害」をひらがなで書こう風潮がありますが、今回は「障碍」で表記しております。あまり私自身「害」という漢字に思うことはないのですが。
というか中二病だと「害」とか「悪」とか「闇」とか「病み」とか大好きですよね! いや。うん。障がいってひらがなで書くのなんか、ヤなんですよ。