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417.温泉街に行こう8

 湯畑から立ち上る湯気が朝日を浴びて揺らめいていた。

 ちょうど下のほうから撮っているわけなのだけど、横からの光にキラキラ輝くような幻想的な光景だった。

 そして音。お湯が流れる水音は、どうすればそれまで感じられる写真になるかなぁなんて思いを抱かせる元にもなっていた。動画にすれば音もとれるよ! という意見はもちろんダメ。

 あくまでも写真でその感じまで伝えてみたいところだ。


「しかしまさか、あの二人が夜明けの珈琲牛乳を飲み交わす仲になっているだなんてね」

 ふいと、とりあえず一通り撮ってまあまあ満足してから、今朝のツーショットを思い出す。

 出窓の所にすわった崎ちゃんと、その隣にエレナがいて、手元には珈琲牛乳の瓶が置かれていたのだ。

 眼がさめちゃって、とかなんとかいってたけど、二人一緒にというのはなかなか珍しいのではないだろうか。

 しかも、けっこう二人だけで話していたような様子だった。


 そりゃ、エレナと崎ちゃんは出会ってからも結構たっているのだし、それなりな仲になっていても良い頃合いなのだろうけど、なんだろうこう、友達同士が仲良くなるっていうのに一抹の寂しさのようなものがないわけでもなかった。

 まあ、なんだ。珈琲牛乳飲むなら誘ってちょうだいよというところである。


 そんなことを思いながら、もうもうと立ち上る湯畑の湯気を眺めていると、そこに歩いて行く人影が見えた。

 いちおう、すでにその日の食材なんかを搬入する人達とは、おはよーございますーなんて言いながら数枚写真を撮らせてもらったりはしたのだけど、こんな六時前に観光客でここに来るなんて珍しいなと思ってしまう。

 まだまだ宿でぬくぬくゆっくりしている時間帯のはずなのだ。

 

「お? さすがに誰もいないかと思ったんだけど……誰かと思えば昨日のカメラマンさん?」

「ああ、道の駅のおねーさんじゃないですか」

 おはようございます、と声をかけつつ、カメラをそそっと別方向にそらしておく。

 写真駄目なねーさんなのだから、もちろんそれなりの配慮というものをしなければならないのだ。


「おはよう。さっそく朝から撮ってるの?」

「はい。いつもの習慣というか、旅にでたら必ずこんな感じです」

 滅多に撮れないのでだいたい早朝も外に出ちゃうんです、というと筋金入りだなぁとほっこりした顔を向けられてしまった。


「おねーさんこそこんな早くからどうしたんですか?」

「んー、一人静かに水音を聞いておきたかったというか」

 そんなに深い意味はなかったんだけど、と彼女は頬をかきながらあいまいな答えをくれた。

 ふむ。そうならあれかな。


「ええと、じゃあ、私は静かにフェードアウトした方がよさげですか?」

 ほら、シャッターの音とかなりまくっちゃうし、と苦笑混じりに言うと、彼女はあわあわしながら、そこまで気を遣わないで良いから、と止めに入った。

 残念ながら、静かに水音って感じにはなりませんが、それでもよろしいですか?


「やっぱり女の子のカメラマンさんっていいな。気の使い方が良い感じで」

 ああ、昨日は助けてくれてありがとね、と再び彼女は昨日の道の駅でのお礼を言ってくれた。

「いえいえ、無理に一緒に撮ろうとかいう人は男女構わず駄目ですから。それに撮られたくない人を無理矢理撮るだなんて、無粋な話はあまりしたくないですし」

 むしろ、いろいろ言いくるめてその気になってから撮ります、と拳をぐーにして前のめりで言ってあげると、なにそれと、思い切り笑われてしまった。

 でも、撮られたくないっていうのには、なんらかの事情があるのだからそこをケアしてあげれば結構撮らせてくれることも多いのだ。


「さて、それでおねーさんが写真撮られたくないのって昔からなんですか?」

「そしてそう切り込んでくるわけか……ほんと、根っからなのね」

 ま、いっか。とおねーさんは湯畑の脇に備えられている椅子に腰をかけた。

 ぽんぽんと隣をてのひらで叩いて、さぁ座るが良いというような様子だ。


「私さ、先日、盛大に失恋しまして。それで今回はぱーっと遊ぶぞーってことで一人で失恋旅行にでたってわけなの」

 それに従って隣に座ると、ほんのりとシャンプーの香りがした。

 ま、それはこっちもだからお互い様なのだろうけれどね。

 そんなことを思いつつ、おねーさんからは割と重たい話がきてしまった。


「だから、この旅の間の写真は、残したくないなって思ってね。昨日の二人組もちょっと過剰反応しちゃった」

 そのせいでさらに粘着されるとは思わなかったけど、と彼女は少しだけ寂しそうな顔を見せた。

 うん。それこそ、こういう顔も撮りたいものなのだけど。

 それを残したくないと本人が言っている以上はさすがに勝手に撮るわけにはいかない。


「そういうもんですか? むしろ楽しい思い出の写真として残して置けば、いつのまにか、あれなんでこのとき旅行に……とかなりそうですけど」

「あはは。ポジティブだなぁ。遊ぶ気まんまんの気分になれるならいいのだけど、どーしても、ぱーっと遊ぶ気になれないというか」

 昼間の温泉街のカップル率が高すぎるーと、彼女は湯畑の縁にへたりこんだ。


「んー、私としては恋愛経験があんまりないから解らないところも多いですけど。ここは一つ、形から入ってみませんか? 私湯畑で楽しんじゃってます、的な写真を一枚作っておくのですよ」

 ほれほれ、どうです? いい顔になるまで、付き合いますよーというと、彼女はそれ、どうなのよと少し困惑顔だった。


「私としてはほんと、どんな顔も好きではあるのですが。ずばり今回は、良い旅行だった! というのを振り返る意味合いでも写真って良いものだと思ってるんです。逆説的に、良い写真さえあれば記憶としては、まあこんな顔してたんだから楽しかったんだろうな、とか思えるってもんですよ」

 さぁおねーさん。駄目な写真は没にしますから、じゃんじゃん行きましょう、というと彼女は、消してくれるなら……と承諾してくれたのだった。


 その後自分がどうなるかも、よくわからないまま。





「朝ご飯はバイキングです」

 浴衣姿のエレナはぽふぽふと時計の上を軽く叩きながら、ごごごごと、にこやかの奥に怒ってますという笑顔を浮かべていた。


「朝ご飯はバイキングです。スタートは七時からで九時までです。今のお時間は?」

「は、八時、です」

 大切なことなので二度いったのだろう。

 ちらりと時計を見せびらかせながら、エレナさまはにこやかな笑顔を張り付けたまま、そう尋ねてきた。

 ちなみに、ルイ達もまだ服装は浴衣のままだ。さっきの撮影の時と同じ。

 というか、今日は温泉街巡りなので、着替えずに温泉街情緒をこのまま楽しむつもりである。


「はい。ではなんでそんな時間なのか、わかってるかな、ルイちゃん」

「……撮影がおしちゃったから」

「そうです。ルイちゃんがなっかなか帰ってこなかったからです」

 撮影がおした? そんなもんしらんがな、とエレナさまは珍しくお怒りモードだ。

 そりゃ、ルイだって悪かったと思ってるよ。

 当初の予定では七時くらいには戻ってくるつもりだった。

 湯畑の撮影と、夜明けの写真を撮ってそれでホクホクして帰ってくるつもりだった。

 でも、例のおねーさんの撮影は、ついつい時間がかかってしまって。ようやく彼女が根負けして何であたしこんなことしてるんだっけーとか訳わからなくなったところで浮かべた笑顔を押さえることに成功した。


「まあまあ、いじめるのはほどほどになさいよ。というかあんまりここでいろいろやってると、時間ほんとなくなるわよ」

 ゆっくり食べたいじゃない、という崎ちゃんの言い分にエレナもまあ、そうなんだけどとすっと身を引いた。


 朝、バイキングにするか部屋出しにするかについてはこの旅館は選べるのだけど、エレナがせっかくだからみんなと一緒にご飯がいいな、と言いだしてバイキングの方になった。

 それくらい楽しみにしていたので、今日は少しあらぶっておいでのようだった。

 

 そして軽く身支度を調えて、二階にある食事処に移動。

 エレベータを降りた先には、すでにかなりの人がいて、それぞれが席についてご飯をいただいているようだった。

 その全景を遠くから一枚。

 そして、皆さんの手がある程度入っているバイキングの方の写真も撮らせてもらった。


 そこにある料理はいわゆる朝ご飯といわれるようなものでしめられているけれど、和洋両方が楽しめるような構成になっていた。

 たとえば卵であれば、スクランブルエッグもあればゆで卵や生卵もある。

 さすがに、朝なのでそこまで重たいものはないけれど、自分の好きなように朝ご飯を頂けるというわけだった。


「さて、では珠理ちゃんを待たせたバツとして、ルイちゃんにはここであることをやってもらいます」

「あること?」

 わぁ、と並んでいるメニューに眼をキラキラさせながらエレナの声を聞く。

 先ほどのようにぷんすかしてるわけではないけれど、エレナの声は拒絶を許さないような強さがあった。

 崎ちゃんもいまいち何をするのか解っていないようで、なに? と少し困惑した顔を覗かせている。


「せっかくなので珠理ちゃんとルイちゃんで、それぞれ相手の好みに合わせてプレートを作ってもらおうかと思います」

「なっ」

 それはルイへの罰ゲームというよりは、崎ちゃんへの負担の方が強いような気がするんだけど。

 エレナは、へっへとなぜかやってやったぜな顔をしていた。


「あと一時間しかないから、手早にね。ボクは自分で朝プレートを完成させるので」

「はいはい、それじゃ、朝食プレート作り、始めましょうか」

「……う、うん」

 崎ちゃんはなぜか少し顔を赤くしながら、トレーとお皿を手に取った。


 ふむ。崎ちゃんの好みに合わせて、か。

 そうなってくると、どうしようか少し悩ましいところがある。

 いちおう、この前も朝ご飯は作ったけれど、あれは二日酔いもひどいだろうしという発想のもとだった。

 スイーツの好みというのはそこそこは解るのだけど、ご飯となると、あんまりこれが好きというのは聞いたことがない。

 お花見に行ったときのお弁当は全部美味しいと悔しそうに言っていたので、正直好物がよくわからなかった。


「となると、次善の策ということで」

 ちょっと考え方を変えて、崎ちゃんに食べさせたいもの、を選んでみるようにしよう。

 朝食は、重すぎず、それでいてそこそこきちんと食べて欲しい。

 和食をベースに。昨日そこまで酔ってはいないだろうから、おかゆではなくご飯にして、味噌汁の中を見たら海苔とネギだったので、それも確保。

 あとは、鮭の切り身は鉄板だろうか。油がのっていて美味しそうだ。

 

 煮物もくつくつになっていて多分かなり味が染みている。

 朝としてはかなりいいだろう。それに漬け物系と、あとはフルーツ類だろうか。

 オレンジとパイン。そしてヨーグルトをとって、その上には紫色のジャムをのせておく。軽い酸味が朝ご飯にはよさそうだ。


「お待たせ。崎ちゃんはまだ、か……」

「うんうんうなってたみたいだけど、ま、ちょっとしたら帰ってくると思うよ」

 それよりルイちゃんの判断の方が早すぎだと、なぜか怒られてしまった。

 いや、そういうエレナさまだって、すでにプレートを完成させてるじゃないか。


 彼女のそれは、なんというか……節操がなかった。

 料理のそれぞれを一口ずつ、全部のせているのだ。

 これなら選ぶという手間がまったくなく、こちらより早く戻っていても不思議ではない。


「あ、ボクはほら。経営者の家族として朝ご飯のチェックのために全部食べるだけ。それで美味しかったのとか気に入ったのがあったら、料理長さんを褒め称えるという責務があるので」

「それ、作り方のレシピを教えてくれとかそういう話じゃなくて?」

「あははっ。そういうのもあるけどね」

 苦笑まじりに厨房のほうに視線を向ける彼女のそれを追って、ルイも視線をバイキングの方に向ける。

 おそらく朝一番よりは遥かにそこで選んでいる人は少ないのだろう。

 そこで崎ちゃんは、うーんとか、えーととか悩ましい声を上げてトレイを眺めている。


「さすがにちょっとこれ、崎ちゃんへの嫌がらせみたいに思うんだけど」

「……ほんと鈍感だよね、ルイちゃんったら」

 正直、誰かに渡すものを選ぶという行為は、それなりの労力というものを必要とするものだ。

 というかルイと崎ちゃんの関係だと、果たしてどの程度の温度で贈り物をする感じになるのだろうか。

 ここまで付き合ってきて、それなりに親しくはなれたと思っている。

 それもあって、悩んでくれているのだろうけど。

 

 それこそ最初に会ったあの頃なら、別にあんたなんて、白いご飯と塩だけでいいじゃない、とかしれっと言いそうだとか、苦笑を浮かべてしまった。


「おまたせ……って、どうしてあんたはそんな微妙な顔してるのよ」

 浴衣姿の彼女は、トレイ一杯にお皿を並べてやっとこちらに戻ってきた。

 うん。さすがは美少女さまだったこともある方だ。浴衣姿も是非とも一枚撮らせていただきたいほど魅力的だ。


「いや、うちらもこうやって贈り物をするのに悩めるくらいにはなったんだなぁって」

 いろいろと感慨深いと言ってあげると、へっ、贈り物!? と崎ちゃんはあわあわと表情を変え始めた。

 料理を見繕うという行為がそういうことだ、と言う風には思っていなかったのだろうか。


「ま、まぁ。あれよ。いちおう選んであげたんだからありがたくいただきなさい」

「はいはい。美味しく……って、おぉ。見事に洋食系に走ったね!」

 崎ちゃんが選んだ朝食は、これぞ、洋食です! という感じの、スクランブルエッグ&パンという構成だった。

 それにフルーツとスープ、そしてりんごジュースが並んでいる。


「ここはパンが美味しいっていうし、それにあんた普段は家だと和食が多いんでしょ? こういう方がいいかなって」

「ああ、パンのトーストに時間かかってた感じかな」

 なるほど。確かにここのパンは朝、宿で焼いているものだそうで、それを食べる前にちょっとトースターで温めるような提供の仕方だ。

 名物とも言われていたし、それを選ぶの自体はありだと思う。


 そして、まあ彼女の指摘は間違いではなく、木戸家は基本、和食派なのである。

 お弁当も和が多かったし、それを見た上での選択ということらしかった。


「で、エレナはどうして飲み物そんなに持ってきてるのかきいてもいいかしら?」

「……それ、さっきルイちゃんにも聞かれたんだけど、経営者の娘としては飲み物のチェックも行おうということで」

 これでも第一弾です、と四つのコップに少しずつ入った飲み物に手をつける。

 朝のドリンクは、十種類。この勢いだと、彼女は全部を制覇する気まんまんのようだった。


「で、ルイは……思いっきり和でまとめてきたわね」

「崎ちゃんのスイーツの好みはそこそこ知ってるつもりだけど、ご飯となるとなんでも美味しく食べてくれるでしょ? だから、あたしが食べさせたいなって思ったものを集めてみました」

 さぁ、特別美味しかったものがあったら、おかわりしてくるよ! というと、これくらいの量でちょうどいいと辞退されてしまった。

 お替わりするのは、ルイが、だったんだけど、まあいいか。


「さて、では無事に朝ご飯を迎えられたことに感謝をしつつ、乾杯」

「はいはい、かんぱーい」

 朝から乾杯かい、と思いつつ、エレナさまの号令に従ってグラスを掲げることにした。

 そこに入ったりんごジュースは少し白く濁っていて、きっと寝起きでまだ眼が冷めていない方々には好評なのだろうなと思った。

旅館の朝でも、ルイさんはいつもの日課をかえるつもりはございません。

そしてエレナさんを味方につけた崎ちゃんったら、まずはジャブといったところでありましょうか。

バイキングで相手にご飯選んであげるーっていうのは、割とハードル高くない? とか思いはしたのですが、なんていうか甘酸っぱくてよくない? とこそこそ思った次第で。

ま、ルイさんったら、完璧「おかん視点」ですけどね(苦笑)


さて、次話はやっと昼間、町中に出ます。どこまで町の描写をやるかは……どうしようね。

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