041.通学時にさくらとおしゃべり、そして文化祭へ
「何? あれ?」
登校中遠峰さんと一緒になって、背後霊のように30mあとを歩いてくる影についてまず聞かれた。普段は挨拶はすれども素通りしていく彼女が思わず声をかけるほどだ。それなりに不気味らしい。
その影はときどきこそこそっとこちらに視線を向けて、それでも興味がないように歩き、それでもちらっとこちらを眺める。つかず離れず。
普段は自転車通学の彼が今日は徒歩なのを見るといつもよりも三十分は早く家を出たのだろう。
何かを言いたいような感じでもあるし、接触を避けてるようにも見える。
まあ、とりあえず話しかけられないので、無視である。
「ちょっと、昨日トラブってな。そいで距離をとられてる感じ。こっちとしては別にどうでもいいんだが、あいつが、なんかすごい罪悪感持ってるみたいでさ」
「どうでもいいって、あなた、もしかして撮影したデータカード上書きされちゃったとか?」
「それは、グーでぼこぼこに殴る。ありえん」
もしかりに、写真を見せてくれとカードを渡してそのあとその中身をすっからかんに消去されてしまったのだとしたら、正直何日か寝込む。
その上で相手にはありとあらゆる報復をみせてやろう。ぼこぼこである。ぼろぞうきんのように絞ってくれる。
「じゃー、何があったって言うの? 普通じゃないよね」
彼女にそう問われて周りに人がいないことを確認してから昨日のことを理路整然と伝えた。
「はぁ!? なにそれ、そんなんあったら警察沙汰で書類送検じゃないの?」
木戸の温度と彼女の激情の差にはかなりのものがあった。さきほどまでちょろちょろついてくる存在に向けていた視線が無関心から敵意がこもったものにかわる。
「いや、ルイは存在しない人だし、そんなのされたらむしろこっちが困るって」
ああ、そうかと、彼女はうなずく。彼女は純粋にルイに対して心配を向けてくれている。その姿はありがたいものだと思う。
「それにたしかに、緊縛っていうのはちょっと困りものだけど、想定内だからな。いまさら言われてもって感じなんだよ」
「なっ」
しれっと言い放った言葉に彼女の表情が凍り付く。木戸の口からそういう単語がでてくること自体驚きなのだろう。
確かに、彼女の前では女装技術を仕入れたときに頭に入れてあるアンダーグラウンドな知識に関しては表に出してたことはないから、らしくないと思われるかもしれない。
「前に話したことあるだろ。俺が女装のマスター達古豪のホームページを行脚して情報を集めたって」
「あー、ちづからも聞いてる」
「一つ。女装とは危険をいつもはらむものである」
これ、大事なことだって話だよというと、そうなの? と不思議そうな顔をされてしまった。イマイチ理解されないらしいのは、ルイがあまりにも自然過ぎるからなのかもしれない。でも、押さえるべきところは押さえている。
「いちおう、俺さ。トイレ入るときはカメラのバッテリとか全部抜いてるんだよ。理由は言うまでもないだろ」
「えー、あたしこの前銀香の公園で一緒に入ったけど、特になにも感じなかったけど」
「……遠峰さんはそうでもこっちはちょっと気を遣ってはいるよ」
ときどき一緒に撮影している彼女とは、やはりトイレに入るタイミングもかぶるときはもちろんある。
そのときは本当にまったく、これでもかというくらい緊張しながら用を足しているのである。相手がわかっている相手であってもだ。
「そもそも、女装というものは危険をはらむものだっていうんだよな。リスクマネジメントはするべきだし、心構えとして緊縛くらいはあり得るっていうか、何でもあり得るっていうか。けっこー図太くないとやってられんのだよね」
はぁと、代わりに怒ってくれる友人に感謝をしつつもこちらの感情がフラットなことを伝える。
たしかにルイをやってるときは精神性は女子に近づく。それはもちろんそうだけれど、痴漢されたときだって別段、気持ちはフラットなままだった。どちらかというとかわいそうとかの思いのほうが強くなってしまう。
普通の女子だったらどういう行動をとるか、というのを基準に動いてはいるけれど、まだまだそこら辺は女子のような思考で動けてはいないし、そういう危険なところでまで完全に女子のほうに気持ちをシフトさせていく必要もあまり感じていない。
なんせ女装は危ない行為だからだ。
もちろんソースは20才以上うえの世代なので、当時と今とではいろいろと話は違うのかもしれない。
とはいえ、「女装」にたいするしがらみや嫌悪が「まったくない世界か」と言われればそんなことがないのはわかっている。
愛され系ニューハーフさんならともかく、ネタ女装はいまでもテレビのネタに多少なるし、女装コスのネタだって「本人好きでやってるからいいだろう」とは思うし本人責める気はないけれど、そこを選んで放映してしまうところに、少しばかりの悪意を感じるのだ。
「心構えの問題、なんだろうがな。自力で切り抜けるために何が出来るかってのを考えるようにしてるんだよ」
「はぁ。そういう所から、あんたのふてぶてしさっていうか余裕の表情がでてくるのかしら。割とあっさりいろんなことこなしちゃったりとか」
「実力的に出来ないことに関してはあっさりはできないけどな。でも危ないなって思ったら頭はむしろ冷静になっちまうな」
ルイは感情を出せる子だ。可愛いものは可愛いというし、綺麗な景色にも目を細める。ただ、頭の中お花畑ってことでもないし、これでもそれなりに機転は利かせられる方だ。困る一番は活動できなくなることなのだから、ある程度のことだったらうやむやに許せてしまえる。
「それでも木戸君は、ルイのために怒ってあげるべきだと思う。あんな可愛い子をめちゃくちゃにされてそのまんまとか、ルイが可哀相」
「それ、俺が可哀相なのかあいつが可哀相なのかわけわからん言いぐさだな」
「え? 粉みじんも木戸君には同情してないよ? ルイのことはちょー同情してるけど」
同一人物なのに目の前のお方はどうやら、ルイと自分を切り分けているらしい。
「八瀬はさ、ちょっとばっかり勇気がでない可哀相なヤツなんだよ」
木戸だって、そりゃ手首が痛い思いをしたし、恫喝されたし、多少なりとも嫌な目にはあったわけだけれど、あいつにしてみたらあそこまでしないと確認が取れないと思った上でだったのだろう。
実際、面と向かって話しかけて、問われたら木戸はとぼけるだろうし昨日もそうした。正体を探るためだったらあそこまでやらないとボロを出すつもりもない。
「だとしても、それ相応の罰って言うのはいるんじゃない? いくらオタク友達だからっていっても」
それはやっぱり行きすぎた行為というやつですよと真顔でいう彼女に、困ったなという顔しかできなかった。木戸にとって八瀬は数少ない男友達の一人だし、そうそうあんなことをやるようなヤツでもないのである。
今回はルイという餌にがっつりかみついてしまって凶行にでてしまったけれど、基本二次元を愛するおとなしいやつなのである。
「もし罰則が必要だってんならいちおう考えてはあるよ。エレナには絶対に会わせないし紹介しない。あいつなら、エレナのだって握るだろ、だめだろ」
その言葉に信憑性でも見たのか、彼女はうわぁという顔をしていた。
握るという行為に少し赤面しながら、それでもやりかねないっていうか、自分でやってしまいたい衝動にでも駆られているのかもしれない。手をもにゅもにゅしている。
「ちなみにいくらさくらでも、エレナにおいたしたら黙っちゃいません。自分のことは許せてもあの子の純血はおいらが守る」
こそっと女声に切り替えていうと、はいはい、わかっておりますーと反省の見えない声が聞こえたのだった。
「さて。気分を変えてきりきり学校生活にいそしみたい所ではあるものの」
黒板にでーんと書かれた文字に、うーんと少しだけ悩ましげな声を漏らしてしまう。
そこには文化祭演目候補という名前の後にいくつかの候補がならんでいたのだった。
十月末にあるイベント。開催まであと三週間。さすがにこんな間近までやる品目が決まらないクラスというのもそう多いものではない。早いところは八月前から計画を立ててかなりのものを仕上げるという。
演劇とかでもいいんじゃないのという話もあったけれど。そこは演劇部はそっちの活動にかかりきりだし、今から仕上げるのは無理なんじゃないかという意見が多数上がって、すでに却下されていた。
たしかに斉藤さんたちなら二週間で品目を作ってなんていう荒技もできるかもしれないが、普通はそんなものは出来やしないのだし、彼女達自身は自分の晴れの舞台に力を注ぎたいだろう。
そして、屋台や模擬店などの食べ物系なのだが……これがいけなかったのかもしれない。とりあえず喫茶でーというノリで応募しておいたら、受かってしまったのだ。そしてその後の「何をやるのか」というところで大いに揉めに揉めた。
喫茶といってもいろいろなものがある。ケーキ主体なのか、お茶が主体なのか。服装はどうするのか、オーダーの形式はなどなど。
ケーキのほうはコネがある子がいたので、というかその子の自宅が洋菓子屋だというので、そこからリーズナブルに提供していただけるめどはついたし、紅茶も煎れられる人達が何人かはいるので、茶葉選びからやってもらうことに決まった。
ちなみに、それらのメニュー用写真を撮る仕事は木戸に振られている。
じゃあそこまで決まってて何を揉めてるんだよということなのだが。
「やっぱりけもみみ喫茶がいいと思うんだよ。オーソドックスなけもみみ。しかも制服の上にエプロンとけもみみだけでいいというお手軽な感じもいいだろう」
男子生徒から、うっとりとしたけも耳押しの発言がでたかと思えば。
「獣はどうなの? 喫茶店でそれっていうのは」
「じゃあ、喫茶店らしくメイドさんしてくれるのかよ」
別の男子からは、メイドさん押しの声がでる。
接客自体は男女でそんなに隔たりは持たせないということで決められている。一緒に働く男子からしてみたら、可愛い格好をしていて欲しいと思うものなのだろう。
「うぐっ。そんなにメイドさんしたいなら、男子がやればいいじゃない」
女子からの反論に、ぴょこんと佐々木さんが乗っかる。
「女装喫茶っていうのは? むしろ給仕人はみんなエプロンドレスとか。そうすりゃ不公平じゃないし」
「それは困るっ」
声を上げていたのは八瀬だった。こちらにちらっとだけ視線を送ってきたのだが、それはむしろ辞めていただきたい。
けれども、周りの男子からはそーだそーだと追従の声が響いていく。女装なんて無理だ、笑われるのは嫌だという意見が数多くでる。
木戸がその気になれば笑われないクオリティで女装させられるのだが、そもそも前面にでてひっぱってく気力がない木戸としてはこのまま様子をみるしかないのだ。
「むしろコスプレ喫茶にしちゃえば?」
最近それなりにブームなのだしと、斉藤さんからなげやりな一言がきた。
彼女は演劇部のほうが主体なので、そこまで参加はできないから、むしろ自分がやらないんでなんでもいいです状態で結構な無茶ぶりをしてきた。
「安易にコスプレっていうけど、誰がどれくらい衣装を用意するの?」
「えー、山ちゃん三日で一着作れるって豪語してたじゃない」
「そりゃ、できないとは言わないけどさ……」
学校でそんなんできませんってと、以前さくらと女装させられて校内を歩いたときに話していた子がちらりと担任教師の顔色をうかがった。
我らが江戸川喜一先生は、むしろ「こすぷれ」がなんのことだかわからないらしく、ぽかんとしていた。
「じゃあ、ここらでざっくり決をとります。意見を聞いた感じだと、ユニフォーム的なものをそろえるか否か、からいきましょう」
ようは制服にエプロンだけでもいいんじゃないか、というような消極案ももちろんありなのだ。
文化祭実行委員の声に応じて、ぱたぱたと手を上げていく。木戸はもちろんやる気があまりないので、制服にエプロンに手を上げた。あれだけコスプレを見まくっている身としては、いまさら学校で見たいとも思わないし、木戸状態だと撮影がろくにできないのである。
けれどみなさまはそうは思わないようで。
圧倒的にユニフォームを着るという方向で話は進んでいった。あれだけメイドは嫌とかいっていた女子達も、どうやら制服は味気ないと思っているらしい。
「次に何を着るかですが、さすがにコスプレとなると、学校側からなにか言われるかもしれません。露出度が高かったり、髪の色や目の色が変わるようなものは、父兄の方々に対しても衝撃が強すぎると思いますし、許可が下りない可能性が高いです」
いままで言われるがままに意見を黒板に書いていた実行委員が、一番最初にした注意を再びする。学生にふさわしくないことはできないというようなことを。
「おとなしめならオッケーってことですよね、巫女さんとか」
「それくらいなら問題ないと思います」
「なら、和装メイドカフェとか!」
先ほどの男子がまだ食い下がる。大正ロマンを感じさせる和装エプロンの給仕人というのも、かわいらしさがあって大変にいいと思う。
もちろん問題はある。
「和服の着付け、あなたができるなら反対はしないけど」
その一言でそいつは押し黙った。あれらは着るのにこつが居るようなものなのである。
「じゃあスク水で」
「却下です。学校であることをきちんと意識しましょう」
きわどい意見がでると、文化祭実行委員から声が飛ぶ。確かにその意見は木戸もないな、と思う。
「普通に女子はウエイトレス、男子は夏服にエプロンでいいんじゃないか?」
そろそろ疲れてきたのか、誰かが言った。
久しぶりのまともな意見である。そのあとも、着ぐるみだの、ゆるきゃらだの、できるできないは度外視して、意見だけは出た。
「それでは決をとります。時間も押してるので」
こうして、クラスの出し物の衣装は、決まったのだった。え、何になったのかは当日のお楽しみである。
今回は全面書き下ろしです。次への話のつなぎに一話いれておきたかったのと、前の話がちょっと唐突というご意見をいただいたのでフォロー話です。
はい。お次は文化祭ネタです。お祭りのときならネタで女装もできるものなのですがーどうなることやら、ですねー。