334.エレナさんの二十歳の誕生日6
今回はエレナさんカミングアウト回です。最初エレナ視点がちょいはいって、そのあとエレナパパ視点です。会場はベッドルームです。倒れたあとなので。
あと、ルイさんはでてまいりません。
客間でそんな会話が繰り広げられているとき、エレナは一人薄闇の中で豪奢なベッドに静かに近づいていく。
うなされているのか父はときどきうめき声をあげてるようだ。
その中に名前が混じる。マリーという名前。
枕元に腰をかけて、父の頭を軽くなでる。
思えば、この格好で父と対面するのは初めてのことだ。
おびえは、最初思っていたときよりは遥かに少ない。ないとは言わないけれど、それより父の容体の方が心配だというのが強くなってしまったためだ。
もちろんここのところ父様との夕食よりセカンドキッチンにいたほうが、なんて思ったこともあったけれど、別にエレナは年頃の女の子達のように父親を疎んじていたりはしない。むしろ父様のことは大好きだ。可愛い格好で夕食を一緒にというのなら、もう是非もない。
さて、どうしたものか。
親友のルイは、この手のことではアテにならない。あっさりこの程度のことを問題なくやりこなせる、「なんか違うもの」だからだ。
家族へのカムアウトとは、それこそ「否定されるのを前提でいくものだ」というのが業界の常識なのだというのはどこかで読んだことはある。
もちろんそれは、性転換をする場合、であって、女装をしているだけではどうなのかとも思うのだけど。
うん。エレナとしては、男の娘が至上の存在。だから、性別を変えるとかっていうことに関して、そう深い思いもない。
ただ、だからこそややこしいのかなとも思う。
性別変えます! 認めてよ父様! っていったほうが多分すごく、「わかりやすい」。
先駆者が引いたレールがそこにはあって、この国には、戸籍の変更も容易なルートがすでに引かれている。
その中には、それこそルイの先輩である、志鶴の父も含まれていて。
子供ができようとも、「今」、自分の心が乙女なんですー、あれは仕方なくーなんて話になれば、性別を変えられる。
「ま、まぁ、きっとなんか、勢いでどうにでもなっちゃうのかもね。動物だもの」
しれっと気分を紛らわすために出た言葉にさらに、だうーんと気持ちが沈んだ。
人とは、特に男とは、動物である。
獣である、という表現は多くみうけられるけれども、自分がそれかーと思うとちょっとショックなのだ。
ルイあたりなら、え、エレナが獣なら、きっと、がうがうって可愛い感じになるね? なんて笑いながら言いそうだけれど、あの子こそそういった部分とは無縁そうである。
と、話がそれた。
父様に話をする上で、いろいろと伝えたいことは今まで考えてはあった。
でも、いざ直面してしまうと、意外になにをいっていいのやら、という感じだ。
段階を踏むか、がつんといくか、ってルイは言っていたけれど、まあ、とりあえずよーじの事はまだ伝える段階ではないだろう。彼氏までいるなんて話になったら、さすがに悪い方向にしか話は進まないように思う。
となると、コスプレの件について。
自分の大好きなものを、父様には受け入れるないし、受け流してもらうのが目的となる。
そして。
「お母様の事も、そろそろ向き合う時期なんじゃないですか? 父様」
ベッドに横になっている父の頬に久しぶりにふれた。
少しヒゲが生えてしょりしょりした感触がある。小さかった頃よくふれていた頬の感触。
いつの間にか触れあわなくなってしまっていたそれに、少しだけ胸がほっこりした。
目が覚めると、そこは馴染みのベッドの上だった。君が「せっかくだからTENGAI!」といって譲らなかったから、僕の部屋も天蓋ベッドになってしまったのだったね。
そこで、いつも朝の木漏れ日にまどろんでいると、君がベッドに腰をかけるんだ。
そして、いつもこうやって頬に手を置いて優しい笑顔をこちらに向けてくれる。
今日はまだ薄暗いけれど、何か僕を起こさないといけない用事でもできたのだろうか。
「マリー、おはよう。実は怖い夢を見てしまってね」
まだ目がいまいちあききらないものの、近くに妻の肌の体温を感じる。
もともと体の弱い彼女だ。日本での暮らしはなるべく快適にしてあげたいと、仕事先からは遠くはなっても広い家を確保した。
少しでも彼女の負担にならないように、彼女のおつきの執事である中田さんにも来てもらったくらいだ。
「君がどこか遠くに行ってしまう夢なんだ。その時の僕はひどく動揺していてね。エレンの事も気遣ってやれないようなダメ親だった。でも、そうか。あれは全部悪い夢だったんだな……」
だって、君はここにいるんだから、と頬にふれている手を掴んでぐいと、ベッドに引き寄せる。
いつもやっていることだ。いつだってマリーは少し恥ずかしそうにその力に抵抗せずにベッドに一緒に入ってくれる。
「きゃっ」
けれど今日はそこに軽く震えが伝わってきた。もちろんベッドには一緒にころんとしてくれたけれど、いつもと少しだけ様子が異なっていたのに気がついて目を開いた。
ああ。なんだ。やっぱりいつものマリーじゃないか。心なしかいつもよりも綺麗な気がするけれど、妻がいつまでも綺麗で若々しいというのは夫としては嬉しい限りだ。
あたりはまだ薄暗い。これならちょっとだけいたずらをしてもいいだろうか。
そんな気分にさせられる、そんな妻の顔だった。
「ちょっとだけでいい。君に触れさせてくれ」
「やっ、ちょっと、とう……」
どくん。
手を伸ばした先にあった感触。いいやなかった感触に心臓がはねた。
それでもその膨らみを探そうと手をそこらへんにもぞもぞさせる。
「く、くすぐったいです、父様」
いままでなすがままにされていた、妻、いや、妻じゃない誰かが、可愛い顔を少しだけしかめると抗議の声を上げている。
うむむ。妻とはまた少し違うのだが、それでもすごく可愛い子だ。
寝ぼけていたとはいえ、マリーと他人を勘違いするだなんて。
いや、まて、父様?
がばりとベッドから跳ね起きると、まだこてんと横になっている彼を見下ろした。
明かりはつけられていないので、少し離れてしまうとあまりよく見えないけれど、その姿は白のワンピース姿だ。
昔マリーが好んで着ていたものだったと思う。
確認をしなければならない。
枕元のスイッチを押して部屋の明かりをつける。
「おはようございます。お父様」
少しまぶしそうに目を細めるその娘の姿は、確かにマリーにそっくりだった。
けれども、決定的に違うのが二点。
髪の色と瞳の色。その色はマリーのそれに比べて暗い色だ。日本人特有と言ってしまっても良い。
「……お父様って……おまえ、エレンか?」
「この格好をしてるときは、エレナで通してます」
バートラムが言っていた名前を思い出す。
先ほどは寝ぼけていて記憶が混濁していたけれど、すべてはもうしっかりとしてしまっている。
正直、先ほどのまどろみの中にずっといたかったけれど、そうも言ってられない。
この子が変な道に足を突っ込んでいるのなら、きちんと話をしなくては。
ずきりと頭の奥の方が痛むのを抑えながら、再びベッドの上に腰を下ろして、うちの息子と視線の高さを合わせた。
ふわりと香るのは、昔、マリーがつけていた香水だろうか。
甘くてこの子の容姿にはとても似合ってるように思える。
「話を聞かせてもらっていいか?」
「……あの。ボクの事、どう思います?」
「どうもこうもない。男がそんな顔をするなんて……どういうことだよ」
じぃと覗き混んでくる視線を受け止めながら、父親としての言葉を伝える。
「……似合ってない、ですか?」
それは……という言葉を飲み込んだ。
彼女は。いいや。彼は。心外だとでも言わんばかりに、きょとんと首をかしげながらうーんと、疑問の声を上げていた。
昔マリーもふむぅーとか、よく言っていたものだけど、さすがは親子だ。よく似ている。
ああ。かわいいなぁ、ちくしょう。
「違和感は……ない。ないんだが、男がその格好で違和感がないってどういうことなんだ?」
「最近は、男の娘って世間でもそこそこ知名度はあるとは思うんですが」
女の子みたいに可愛い男子ってことで、と言われて以前見たテレビを思い出した。
基本、三枝邸では夕飯時はテレビを見ない。
なので、それがやっていたのは出先で食事をとっていたときに流れていたものだ。
まさかそんな見た目なのに、実は男の方なんですかー、なんていうレポーターの女性の声が耳障りだった覚えがある。
「でも、アレは明らかに男性がひらひらした服を着ているだけって感じだったぞ。お前のは、その……なんというか」
「まるで、本物みたい、ですか? まあボクくらいになれば、どっちかわからないっていうのすら売りにしてるくらいなので」
これでも人気あるんですよー? とにまりとする姿は、いつものエレンとは違って自信に溢れているようだった。
普段どこか控えめになっている彼なのに、こちらの格好だと屈託のない笑顔を浮かべて背筋がしっかりと伸びている。
まるで、それこそが男の娘のあり方だとでも言わんばかりだ。
「どうしてそうなったんだ? そりゃ確かに俺も仕事に集中してしまってあまり構ってやれなかったって自覚はあるけど」
マリーのことがあってから、確かに息子との時間はかなり減ってしまったように思う。ことごとく中田さんの好意に甘えるようにして、息子のことを任せきりにしてしまっていた。
「父様。母様のこと、思い出したのですか?」
「……忘れてなんかいないよ。ただ、思い出さないようにしてただけだ。考えると頭痛くなるし、なるべく避けたい話題だったからな」
お前だってそうだろう? というと、彼はふるふると首を横に振った。
「ボクはもっと母様のお話、したかった。でも父様があまりにも辛そうだったからこっちからはなにも言えなくて」
一緒に居れた時間があまりなかったから、もっといっぱい母様の話もききたかったのに、と責めるような視線を向けてくる息子に申し訳なさでいっぱいになりそうになる。
ああ。勝手に息子も触れるとその傷口が痛くてしょうがないと思い込んでいたらしい。
「それは、すまなかった。だが、それとその格好はやっぱり関係あるのか?」
「ないわけではないけど、うーん。なにから話せばいいかなぁ」
んーと、ベッドの上で横座りをしている息子のふくらはぎが、かけ布団のわきから覗いている。
驚くほど白くて、真っ白なワンピースをきていても魅力的に見える。
……二十歳の男の体つきにはまったく見えない。
「えっと、まず。ボクって小さい頃から人見知りだったよね? 仲良く遊んでたのなんてそれこそ今日来てもらってる沙紀ちゃんとまりえちゃんくらいで」
「あ、ああ。まあそうだったな。しかもマリーの件のあとは、うちに友達を連れてきたのなんて、ルイさんたちくらいだったし」
「そ。高校に入った頃はほんと、自分から人に話しかけるのもあんまり出来なかったし、周りも怖かったんだ」
「……男子校、すすめたのまずかった、か?」
恐る恐る、前から思っていたその疑問を問いかけてみる。エレンは弱々しいところがあったから、男子校でもう少し強さを持って欲しいと思っての提案だった。今にして思えば、もうちょっと男らしくなるかなということだったのだろう。
「んー。最初はしんどかったけど、だんだんね。ぐいぐい話してくれる友達もできたし、それにね。こういう格好するようになったのも、その頃からだから」
もしかしたら共学校だったらこうなってなかったかも、と言われると、自分の不明に力が抜けてしまった。
男らしくなるといいと思ったのが完全に裏目である。
「なんかずっとおどおどしちゃって、自信もてなかったんだけど、大好きなキャラクターと同じ格好をしたらなにかかわるかなって。違う自分なら、緊張しないでいいのかもって。やってみたらもう楽しくって」
「そっちのほうが合ってたってことなのか?」
「少なくとも、男らしくって言われるよりボクらしいかなって。肩の力が抜けてすっごい自然体でいられるの。声もそんなに低い方でもないしね。むしろお父様の前で男の子の格好してるほうがなんか、肩こっちゃう感じで」
逆に違和感って感じなんだよね、と言われて、ががーんと少なからずショックを受けている自分がいた。
だってそうだろう。自分と会う時が一番肩こるというのは、さすがに申し訳ないやら悲しいやらだ。
「それで、ルイちゃんと会ってからは、ずるずるとって感じかなぁ。あの子思う存分、気持ちよく撮ってくれるから、ほんっと大好き」
大好き、と言ったときのエレンの表情は反則なほど無防備で愛らしかった。
大好きな人を大好きと臆面も無く言えるようになっているのに、少し驚きすら覚えるほどだ。子供の成長というのは早いものだな。
「大好きって……じゃあルイさんのこと、恋愛対象なのかい?」
「あああ、そうじゃなくて。パートナーとして大好きってこと。一緒にご飯食べたりとか、同じ時間を過ごすのがね、すっごい楽しくて。趣味もけっこうあってるし、食べ歩いたりとか昔っからよく遊びに行ってるの」
だから、彼女候補ーとか、そういうのはやめてね? とちょっと真剣に言う姿に少しだけ不安がよぎる。
「ま、まさか、男子校で彼氏ができました……とか、か?」
「っ! ま、まさかぁ。そんなことあるわけないってば。そ、それより今後のこととかそういうの、話し合おうよ」
突然わたわた手を顔の前で振っているのを見て、ちょっとした疑念が真実味をましてしまった。
ベッドが少しきしきしと音を上げているのは、それだけこの子がじたばたしているからだ。
「怪しいなぁ。おまえいっつも隠し事するときは、強引にいくところあるだろ」
「うぅ。今その話したらこじれると思って、後にしようと思ってたのにー」
もう、父様の意地悪ーと、少し膨れた顔をエレンはしていた。
本当に、ここしばらく見たことがないほど多彩な表情をしているように思う。
「それに、隠し事できないのは、父様相手だからだもん。他の人はちゃんとけむにまけてるもん」
そんなにわかりやすくないのっ、と少し子供っぽい拗ねたような表情が覗く。
ああ、普通に可愛いと思ってしまった。まあ自分の子供が可愛くない親なんていないと思うけれど。
にしても、息子の相手が男か……自分がノーマルだから、それに関してはちょっと抵抗はある。
あるのだが、今の姿を見せられると案外相手の子も、普通の感覚で付き合ってるのかもしれない。
となると、男だっていうのが実感できたら、この子はどういう扱いを受けるのだろう。
考えるだに恐ろしい。
「父さんは、男の人との交際は反対だ。仲良しだっていうならルイさんでいいじゃないか」
「ぷっ。ま、まぁ。父様がなにか心配してくれてるのはわかるけどさ」
その台詞はいろいろと問題ありかも、とエレンは思いきり楽しそうに笑っていた。
マリーの笑顔とは少し違うけれど、楽しそうなのは伝わってくる。
なんだろう。ルイさんにしとけ、っていうのは正しい助言だと思うのだが。
「あの子は、カメラバカすぎて、恋愛なんて出来ないからだーめ。それと今はその話よりもこの格好を続けてていいのかどうかって話をしたいです」
好きな人の話はまた今度です、とにこにこした顔で言われると余計のその相手が気になるのだが、これで藪をつつくと大変なことになるのだろう。
それよりも、女装の方を考えてくれ、か。
あらためて、その姿に視線を向ける。マリーそっくりのほっそりした体つき。
大きな瞳には、少しばかり強い光が見受けられる。
我が息子ながら、男子にはみえないですね、としか言いようがない。
これでいいのか、という点には少し悩ましいところもあるにはある。
エレンはこれから社交の場でもそれなりの位置に立つことになる。その時にどうなるのか。
女性の出で立ちをしていたら周りはどう思うのか。
さすがに仕事にまで影響はでないとは思うが、嘲笑、冷笑のたぐいは増えそうな気がしてしまう。
けれど。
マリーが昔言っていた言葉がふと頭をよぎった。
『この子があまり活発的じゃないのはわかってます。でも、どんな子であれ、元気で良い子に育ってくれればそれでいいじゃないですか』
「ああ……そうだな。服装に関しては好きにしていい。でも、いちおう約束してくれよ。自分で判断してまずいと思ったら控えること」
「それはわかってます。どこかの誰かさんみたいに、かわいければなんだって受け入れてくれる、だなんて思ってないもの」
そこらへんのセンサーはちゃんとしてるから安心して、といわれると、ああ、なるほどと思わせられた。
高校にはいってからだからもう四年以上もこういう格好をして外に出ていたのだろう。
それならこちらが心配するより、本人に判断を委ねた方がいいに決まっている。
「それが聞ければ、少しだけ安心……だな。まあ少しだけだが」
ああ、もう、不安ばっかりがでて仕方ない、と呟くと、エレンはごめんなさいと少しだけしょんぼりと頭を下げてきた。
ああもう、そういう仕草まで可愛いとか。
「まったく、誕生会の日だってのに、そんなにしょんぼりした顔するなって。ああ、そうだ。エレン。今日の会を台無しにしてしまったお詫びに一つだけ、お願い聞いてやるぞ」
ほれ、言ってみろというと、彼はぺたりとベッドに座ったまま、んー、と少し考え込んで口を開いた。
「母様のお墓参りがしたい、かな」
こっちの格好でね、と笑顔を浮かべる姿は、マリーのそれとは違って満面のまるでひまわりのようなものだった。
確かに普通ではないのだろうけれど。いつも無理をしているようだった男の姿よりはこっちのほうが何倍も魅力的だと思ってしまうのだから、よっぽど普段自分が触れあっていた息子は無理をしていたんだなと思わせられる。
「じゃあ、今度の休みが取れたらだな。お前の都合ともすりあわせて、マリーに会いに行こうか」
ぽふぽふと頭を軽くなでてやると、エレンは目を細めながらくすぐったそうに、それでいて幸せそうな表情を浮かべてくれた。
ああ。自分にはこの子がいてくれるんだ、そう思うといくらかだけ、頭の痛みも減ったように感じられた。
いやぁ。カムアウトっていうともっとこーわたわたーって感じになったりとか、いろいろパターンがあるわけですが、すでに取り乱した後なので、こんな感じで。
にしてもエレナパパは、リア充過ぎると思うのですよね。日本まできてくれる可愛い外国人妻をめとりつつ、その子供が最強の男の娘ですよ。リア充爆発……いや、きっとこれからもご心労をおかけいたします。
そして次話ですが。ベッドでもうちょっと休みつつ、おそめの夕食タイムです。
息子との対話は済みましたが、エレナパパとしてはどうにも腑に落ちないことが一つ。
そう。ルイさんいままで知ってたんだよね? っていう感じで。
書き下ろしになるので展開は不明ですが、わたわたしたルイさんが見れるといいなぁと。




