034.体育祭の撮影を任される1
例の加工写真事件の対応に追われている頃、同時並行でHRでは体育祭についての話し合いというものが行われていたのだった。九月下旬にあるこのイベント、プールイベントを終えてほっとしているのに、そこでいきなり、さぁやれというのはどうかと思う。
中学までは一大イベントとして君臨していたこれだが、高校でもそれなりに一部の生徒達にとっては盛り上がるイベントである。いうまでもなく運動部の連中にしてみたら晴れ舞台で、彼らはとにかく派手に盛り上がり、チーム戦で勝ち負けをたいそう競い合う。
さて、では文化部の人間やら帰宅部の人間にしてはどうだろうか。
はい。中学と高校の体育祭の違いを答えよ。答えは簡単。
保護者が来ない。そう。
小中の体育祭の、どこか儀式魔術を思わせるほどの強引な連帯感。
落ちこぼれては父母に申し訳ないというあの焦燥感。
そういった、尻を叩かれるような、頭を押さえつけられるような、ネガティブな感情がスコーンとなくなるので、高校の体育は自然体で、やりたい奴だけが頑張るという空気になるのだった。
よっぽどの体育会系の男子校という感じでもなければ、ほどほどに落ち着くというのが高校の体育祭というものである。
むしろこんなのよりも学園祭のほうに力をいれさせてくれと、文科系の人間としては思うわけだ。
けれどもそこで。
「ああ、今回のイベント委員は木戸ね」
なんていわれたら少し気分は変わる。
うん。撮影だ。それはいい。学校で思う存分にカメラをいじり倒すことができるというのは、幸せ以外のなんでもないだろう。ただ。そう。その状況を思うと頭が痛くなるのだった。
体育祭の撮影。ということは、どういうことだろうかと想像していただきたい。
撮る対象は運動している人間。つまり、「動いているものの撮影」になるわけだ。
そりゃルイだって、猫やら犬やらを撮ったこともあるし、走っている人だって撮ったことはある。さくらに連れられて電車の写真なんてのも撮ったことはある。
ルイのカメラで、ね。それでも一眼を使ってでもうまく撮れた写真はどれくらいだろうか。
普通に風景を撮るよりも動く写真というのはとても難しい。一般常識的に、被写体が動いていれば写真はぶれる。
シャッタースピード、露出、いろいろあわせてそれらは補正できるけれど。
「コンデジでどこまでやれと……」
学校から支給されるカメラはいうまでもない、三、四年前くらいの、風景を撮るだけなら問題なしなコンパクトデジカメである。一眼を持っていけない場合はコンデジを持ち歩いている木戸だけれど、動きの激しいものでうまく撮れた経験というのを今まであまりしたことはない。まあ撮りたい写真は風景で、その中にカラスが紛れ込んでぶれてるとかそういった経験しかないので、コンデジできちんと動くものを撮れるかどうかがよくわからない。
遠峰さんに、写真部に入れば自前のカメラ持ち込み放題♪ と言われたのだけれど、さすがにそれも却下だ。
別に木戸とルイのカメラが同じでも入門機としては割とありきたりなので、問題にはならない。
けれども、いまさら部活にはいってというのも、木戸としてはない選択だ。
ならば、コンデジでどれだけ体育祭とやらが撮れるのか。
そこを研究するしかない。そもそも過去のイベント委員だって、参加しているはずなのだ。だとしたら。
「はぁ? 去年の体育祭の写真を見せてほしい、と」
さくらのところに押しかけたら、とても渋い顔をされた。いやぁ知ってる。ルイのお願いなら聞いてくれるさくらでも、木戸のお願いはあんまりきいてくれないのである。隣のクラスに赴いて呼び出したあたりから大変に嫌そうな顔をされたのだけれど、去年あれだけ追いかけまわしてるのだから、われらの仲くらいは同学年にはしみついてしまっている。いまさら声をかけても変な噂は立つはずもない。
「そんなに研究熱心なら写真部に入っちゃえばいいのに」
ふむんと言われるものの、それだけは無理なことをさくらだって知っているはずだ。
休み時間もそんなにないので、こそこそ人気が少ない廊下で話をしていたのだが、彼女はいつものように木戸に向ける声を崩さない。配慮としてはとてもありがたい。
「まあ手助けするとしたら、過去の写真データは学内サーバに入っているよ、とね」
何をするかはわからないけど、フォルダごとに分かれてるから調べてみればいいんじゃない? とヒントをもらうとすぐさまくるりと廊下を歩いて教室の一角にあるパソコンにアクセスする。ここの所はイベントのすぐ後というわけでもないので、パソコン自体は空いている。
いちおうこの端末でも調べものはできるけれど、遊びの用途の強いものはエラーメッセージがシビアにでるので、趣味の調べ物はたいていがスマートフォンでやるのだという。けっか写真を手に入れる以外でこの端末は使われないのであった。
「ここまで違うってのは、なんかどうなんだこれ」
表示されているのは去年の体育祭の写真だ。去年は学校のことにそんなに興味がなかったので、そこそこ「撮る専」になっていて学校のイベント委員の写真は適当に流し見していたのだけれど、改めて集中すると見えるものもある。
写真好きなのに、イベント委員の写真の品評はおざなりなの? とか言われそうだが、みなさま。駆け出しの人間がそんなに視野が広いとお思いでしょうか。
あいなさんは確かに、青木にこの学校の写真を根こそぎ持って来いと指示をしたし、にこにこそれを見ているのは想像がつくけれど、木戸にそれができるかといえば、NOだ。
たしかに写真バカな自覚はあるけれど、同級生たちのコンデジの写真を熱心に見るほど、時間的な余裕もないし、技術の面ですぐれている「先輩の写真」を今はいっぱい見たい。
あいなさんは、被写体選定とかそういう意味合いもあって、いろんな感性を取り込むために、イベント委員の写真を見ているのだろう。なんていうか、上級者が、周りを見渡して自分の血肉にするみたいな感じだろうか。実際は本人から聞いてないから何のためなのかはわからない。実際は「若いぴちぴちな女子高生の姿がみたいのぅ」とか言っても対応してみせよう。うん。
さて。そんな回想をするくらいに、木戸は目の前の写真たちに、むむむぅとうねり声を上げるしかなかった。
そう。そこに残っている写真は、ファイルの名前もとびとびで、ホントにぶれぶれな写真ばかりしかなかったのだけれど。
いまの木戸には「それをたんなるぶれたちょっと失敗した写真」には見えない。
ちょっとしたカルチャーショックだ。いい写真だけを見ていけばいいなんて、今までずっと思っていたし、自分の没写真はしっかり見据えてそうならないようにしようと思って撮ってきたけれど。
失敗を糧にするという、この言葉が、ここまでの可能性を秘めているというのに初めてふれた。
自分の失敗は確かにいままでたんまり、こうしないようにしようって頑張ってきたけれど、今回のものはちょっと違う。
何枚ものぶれぶれな写真をみて、そこでどうダメなのかを分析していく。
ここにあるのは、あのカメラで撮ったものだ。写真部のは隔離されているからイベント委員のものであるのは間違いがない。
提出された写真はかなり歯抜けになっていて、撮れている写真の大半は動きの少ないものやら観客席の様子だ。
動きがあるリレーやら百メートルやらで、しっかり撮れてるのは写真部のだけしか存在しない。
では残っている写真の中で競技者を撮っているものはどうなのか。
「あはっ。なるほどね」
いくつか写真を見つけてつなぎ合わせていくと見えてくる。
コンデジの限界。そしてできること。
「なら当日は、こうやって攻めるしかない、かな」
限界があるのは、枷があるのは気持ちいいものではない。けれどどこまでいっても撮影に限界はつきものだ。
できる環境で最大のクオリティを。
せっかく撮るのだ。一枚でも間違いのない写真を、撮る。
「で、俺がでる競技ってなんだっけ?」
めどが立つと、他のことにも少し気が回るようになる。
イベント委員になったから、種目の方は正直だいぶ調整はしてもらったんだった。
運動が苦手、というわけでもないけれど得意でもない身としては、必死に活躍という感じは毛頭ない。
「ま、撮影時間がとれるなら、それでいいかな」
時間だけ確認しておこうと思いつつパソコンのスイッチを切ると貼りだしてあるタイムスケジュールを見るために席を立つのだった。
体育祭当日。少し中学のものよりもクールダウンしている中途半端な熱気の中。
熱い日差しに照らされた太ももの筋肉が柔らかにしなって、体を前へと進めていく。
それを撮るカメラは、写真部のものだ。こちらはまったく撮影には手を貸せない。
今撮っているのは写真部の一年生と、イベント委員の数名だ。
まともに撮れるのはシャッタースピードをそこそこもってる一眼だけ。
難しければ燃えるっ、とは思うけれど、それをいちイベント委員に押しつけるのはかなり無茶がある気がする。
まったく。せめて最初にカメラ特性くらい伝えて、どんな絵を撮れって指示をしてくれれば、やりようはあるのに。
あれから調べたけれど、今時のコンデジなら横からも十分に撮れるらしい。けれど支給されているのはこれである。
去年の学外実習の時と機種もSDカードも変わらない。
シャッタースピードは下限は設定できてもピンポイントでの設定は無理。
今年奇跡的にカメラが新しいのになっていれば、それなりにやりようはあっただろう。
けれども、過去の作品群をみるかぎり、そしてカメラが新調された形跡がない限り、まあこれでも似たような絵しか撮れないのだ。横に走り抜ける学生を撮ると、ぼける、という現実はかわらない。
なので場所を移動してコーナーに陣取る。
ゴール前は撮ってる人も多いだろう。うちのクラスの女子の方の委員もそちらにいっているはずだ。
ならばこちらとしては狙うのは、スタートライン。
第一コーナーに入るところに陣取るべきである。
「うっは。誰もいねぇ」
ルイは始まりの絵が好きだ。それはあいなさんも認めてくれるし、割と好評なのに、いざ撮ろうとするとみんなゴールを撮ろうとする。それはいったいどういうことなのか。
第一走者。ここからならばほぼ真っ正面で狙える。ズームをかければぎりぎりスタートの息づかいまでが押さえられる。
そこをぱちり。そしてスタートの瞬間を一枚。そして。三枚目は、ぽしゃった。
「くううぅ。一眼ならぁ」
コンデジのズームの移動の遅さは、古ければ古いほどひどい。それに加えてメディアへの書き込みまで待たされる。連写に向いてないのだ。
つまり、第一コーナーにくるまでに焦点確保ができなかったのである。
「でも、スタート前と、コーナーで狙うっきゃないな」
第一コーナーに入るまでやく2~3秒程度だ。20メートル程度しかないのだ。
「よっし。どんぴしゃ」
次の走者の写真はばっちりといけた。
うちのクラスの生徒のはずだ。これであとはゴール前をばっちり押さえてくれていれば万事問題なしだ。
もともと、イベント委員のもう一人には競技はゴール前でね! というお願いはしていたのである。
そう。動く人間をコンデジで撮るには、この手段しかないとあの写真を見て思ったのだ。それは横からではなく正面からの撮影にするということだ。出発前は静止しているし、コーナーを駆け抜けるところではできるだけ手や足が振り切ってる瞬間を狙う。さすがにゴール前はそれを狙ってほしいとは言えないので、手足は多少ぶれる写真になるだろうが、それはそれでいいだろう。
彼女は素直それに従ってくれて、観客席の様子などを撮りつつも、競技のほうはゴール間近にはりついてくれている。
なにげに去年の学外実習の写真の件もあって、写真についてのことはいろいろといえる程度の信頼はある。
もちろん、写真部という肩書きなんてなくてもである。
「こっちも満足で、みんなも喜んでくれりゃなんでもいいじゃん」
次の走者が位置に立つ。それを見据えて再びシャッターを切った。
まだまだ仕事はこれからである。
体育祭ネタの前編です。後編は明日です。作者は運動あんまりですが、キャラに動かせるのはそれなりに好きでございます。はじける筋肉っ!したたる汗! よいです。それが少年ならなおGOOD! すみません、ショタっ子も大好きです。