326.ナムーさんカレー1
「5月1日、新装オープン!」
そんなA6の広告を母様に居間で見せられて、うわぁという気分になった。
ご近所に今度できるカレーやさんの広告。たしか家のポストにも入っていたけれど、近所でビラ配りをしている東南アジア系の人たちがいるのは見知っていた。
とはいえ、この日本色ばりばりの地方都市であろうとも、そのことは驚くことではない。
問題は、その先にあるのだった。
「ええっと……これで、四件目?」
「んー、カレー屋に絞ってこれで五件目かしら。馨が知らない間にも一件代替わりしているからね」
「まじか……半年もたない感じ?」
「一件だけ一年ちょっと持ったわね。あそこのおやじさんはなんか、ひげの紳士って感じで素敵だったけど……」
あーもぅ、あのときのスパイスカレーおいしかったのにー、と静香母様は悔しそうだった。
木戸家の周辺は基本ベッドタウンである。
自分で「田舎だ」と言っているわけで、正直それなりの「街」にいくためには、数駅いかないといけない。
そこでカレーハウス。それが盛るのかというのは、なんていうかかわいそうなくらいに、ないのだった。
木戸家から少し行った先にその場所はある。
十年前にはイタリアンのレストランがやっていたビルで、奥さんが学校の先生で割と学校関連でにぎわっていた店だ。
そこは、当時の学校網もあってそこそこ栄えていた。何回か連れて行ってもらったこともあるけど、味としても物珍しくて、いついくの? ってねだったくらいだ。
そんな店も、店主が病気で亡くなってから、しばらく閉店をしていた。
そこが貸し出されて、カレー屋が始まったわけなのだけれど……。
うん。まあ。はやらなかった。
客がちゃんと入っていたのは、母様がおいしかったのにーといっていた一年続いたところくらいだ。
他は……うん。開店当初にちょっと人がきて、そのあとは……って感じ。
この前の店舗は、連日閑古鳥が鳴いていた。鳴き声はしらない。泣き声なのかもしれない。
むしろ「この状況」で「この場所」で経営を続けるということに対していろいろ思うことがある。
一つ目は「反省会」これにつきる。
普通、お店が失敗したなら、その失敗点をもとに、どうしようかって話になるのだろうけど。
……ここ数店倒れていったところの根本にはふれてなかったと思う。
ちょっとずつはよくしようってのはあったの。あったのさ!
でも、ここのところは、その空気が薄れてるような気がしてならない。
権利とか店舗の経営とかはわからないのだけど、そんなわけで「なんか近寄りがたい」空気ができてしまっているのである。
「つーか、日本でカレー屋やるのって、無理なんじゃねって話なんだけれど」
特に、木戸家のあるこの地方は、典型的なベッドタウンで、オフィス街というわけではない。働きに出てきてる人なんて数えるほどだし、商店街の人だって自営業だろうし。
それを前提にしてしまえば、「カレーは家で食べるもの」である。
うちも全力で。子供のころはそうだったし、最近は木戸さんが作ってます。甘いのから辛いのから。
おしゃれな外食をする、といううえでの選択肢として、外でのカレーはありだとしても、「日常で外でカレーを食べる」というのが、文化的に悩ましいところなのだ。
だから、いくつも失敗してるんだと思う。
特に木戸家の周辺のおうちって、外食が毎日なのオホホみたいな感じじゃないし。
ちょっと場所が変わればエレナの家みたいなのもあるだろうけどさ。
うち周辺は庶民なのです。庶民にとって、カレーは「家で食べるもの」だし、おしゃれカレーなら、電車に乗って食べたいかな。うん。悪いけど。
「あら、店主さん良い人なのよー。前の人達はゴミの分別とかあんまりだったんだけど今回はしっかりだし。会えば、おはよござまーすって必死に挨拶してくれるし」
オープンして一週間たつし、カレーの匂いもするでしょ? と言われて、確かにここのところ感じられなかったカレーの香りが近場から漂ってくるのは感じていた。
でも。だ。やっぱり、そこに行きたいかと言われたらうーんとなってしまう。
「それに馨はカレーブームの到来を知らなさすぎるのよ。時代はカレー。オシャレなカレーよ。女の子なら大好きなカレーなの。美貌にもいいし、発汗してリフレッシュ。ああ、馨には縁のないことだろうけど」
ふふんと、いまだ四十代なのに衰えないおっぱいをはりながら、母はたきつけるような台詞を言ってきた。
全力で若い世代としては反論をしたいところである。
「それは、街中の都会の話でしょ! ここ田舎。住宅街! ベッドタウンよ?」
「やだ、馨ったら、ベッドタウンだなんて」
「やめて、かーさま。そういうぼけはやめて」
こちらがあわあわ対応しても母様はどうやら、余裕のからかいの様子だった。
「さて。それで今日のお昼なんだけど、おとーさん外に出てるし、二人でそのカレー屋にいきませんか、というお誘いだったのよ」
「それで撮影に出るなって言ってたの? 来週エレナの誕生日だし、今日はちょっと風景でもって思ってたんだけど」
「んー、まぁ、協力要請って感じかな。カメラは持っていってね。馨にたいしての撮影依頼、ととらえてもいいわよ」
ほれ、それならいやじゃないでしょ? どうせエレナちゃん用の写真はばかすか撮っているのだろうし、と言われてしまえば、確かにそう。
「撮影禁止なんていうことはないから、存分に撮ってくれてかまわないからね」
それじゃ十一時になったら行きましょうと言われて、はいはい、と軽い返事をしたのだった。
そしてそれから数時間。
目の前には、タイ、ネパール料理「ナムーさんのカレー」があった。
前の店はどんな名前だったのだろうか。コロコロ変わるので正直あまり覚えていられない。
正面の写真も一枚。
なんというか……こう。やってる印象があまりないお店である。
照明は限りなくおさえられていて、中にはまだお客の姿はまったくない。
「これ、やってるの?」
「ええ。省エネのために開店時はこんな感じ。まだそんなに暑くないから空調もなしだけど」
一歩中に入ると、少しもわりとした空気が感じられた。
ちょっと淀んでいる空気とでもいえばいいだろうか。
ただ、店内の方の装飾は割と普通だった。あちらの空気感というのだろうか。
写真だったり国旗だったりが張られている。有名な建物なんてのもあって、おぉ、と思ってしまった。
「やっぱりあんたは写真のほうに目が行くか……」
そうは言われましても、そういう人なのだからしょうがないと思う。
「それで、メニューは?」
「えっと……カレーの種類は選ばせるけど、セットはこっちで指定ね」
「えええぇ。メニュー見せないとかそれどういうこと?」
「だって、値段見せたくないんだもの。馨ったら、写真バカで他のことの価値観が歪んでるから、正当な評価できないだろうし」
外の景色が見える窓際の席に座ると、かあさまは置かれていたメニューに手を伸ばそうとする木戸の手を握って抑えた。母様の手は小さくてかわいいと思う。
「ものの価値がデフレによって、割引競争の今、貧乏性の馨には、きっとこの値付けが高い! って思っちゃうと思うの。でもその先入観は捨てなさい。たまの外食なの」
「たちまち貧乏性扱いとは……そりゃ、確かに節約はしてると思うけど、一応価値観はちゃんとしてると思うよ?」
「ホントに?」
じぃと疑いの視線が向けられてくるけれど、それは間違いじゃないと思う。外出時はお弁当だし、外食はあまりしないほうだけれど、シフォレとかでは節約はしないし、外食は高いものという認識はきちんとある。
「まあいいわ。えっと、注文するのは、カレー二種とサラダ、スープ、ライスとナン、タンドリーチキン、それとドリンクがつくセットね」
「あ、なんかゴージャスかも」
「まあね。ランチセットの中では一番いいやつだから。ちなみに私のはBセットでございます」
こっちはタンドリーチキンが付かないんだけどねぇ、といいつつ、かあさまはにこにこしていた。
うーん、すでにお店に来たことがあるみたいだし、実は結構な量があるとかそんな話なんだろうか。
「それで、カレーの種類はこれね」
ほいと手渡されたラミネートされたメニューには値段は書かれておらず、ここから選んでというような感じになっていた。
全部で十種類くらいだろうか。左下の黒く塗りつぶされているメニューがちょっと気になる。
「んじゃ、ほうれん草カレーとマトンカレーかな。ちょっと珍しいところを攻めてみようかと」
「家じゃあんまりマトンとかってできないものね。ちなみに私はチキンカレーとシーフードにします」
あとで一口あーんってしてあげるからね、とにぱりという母様はもうアラフォーのはずなのに、十分かわいらしく見えた。
「さて。出来上がるまでちょっと時間があるから、その間は馨の最近についてちょっと話をするとしましょうか?」
「あまりスキャンダル的な話はできないよ?」
ルイのほうの話は特にできないよ、という意味合いでいうと、あー、と母様はため息交じりの声を漏らした。
「お客さんいないし、店員さんも日本語ちょっとしかできないから、話したって別に大丈夫よ」
とーさんいると話しにくい内容もあるだろうし、なによりあんたが家に寄り付かないから、こういう機会に話をしとかなければと、なぜか母さまは熱心なようすだった。
「とーさんがいるとってところで、なんか某男性アイドルグループの話を聞きたくてたまらないって感じがありありなんですが」
「やだっ。別にかーさまそんなにミーハーじゃないのよ? ただちょっと芸能人のプライベートってやつを聞いてみたいだけ。それにあなたそっちでも知り合いなわけでしょ?」
というか、そこのところどうなってるの? とちょっとあいまいな言い回しは、HAOTOの面々と男として友達なのか、女として友達なのかとかそういうことなのだろう。
んー、基本的には内緒にしていることではあるけれど、さすがに親となると隠しておくのもなにかなと思ってしまうわけで。
「この前、家に報道陣が集まった時があったじゃない? あの時にメンバー全員に同一人物なのは話しておいたよ。っていうか、その最中にオープンだったらこの店も人が入ったかもしれないのにね」
今にして思えば、あれはこのベッドタウンな町に人が集まった珍しい事件だった。
そのタイミングでやっていれば宣伝なんかもうまくいったのかもしれない。
ちなみに、前までやっていたカレー屋は、そのころは家賃滞納でカギが交換されて数か月お休みという状態なのだった。それだけでもここでの営業がかなり苦しいというのはおわかりになると思う。
「タイミングってものがあるから、それは仕方ないわ。それで? 話した結果どうなったの?」
「……すげーって言われた。そして今後ともよろしくみたいな」
「お友達認定なのね。いいないいなぁ。かーさまも若いアイドルと一緒に遊びたいっ」
「もう、いい年なんだからやめてよ。そういうの。絶対家には連れてこないからな」
気持ちはまあわからないではないのだけれど、母様がこんなにミーハーさんだとはむしろ新鮮な発見である。
「家っていうと、前に家にきた女の子とはどうなってるの?」
あの、ちっちゃくってかわいい子、と評された相手は、たぶんエレナなのだろう。一回居間にまでお邪魔していたからね。
「それはエレナのことをいってるの? あいつとならパートナーな関係だよ。友達」
「えぇー、それから進展してないの? もう、あんなかわいい子そうそういないんだから、ちゃんとつばつけておかないと」
「狼さんが涎をたらしながら狙っても、あの子には騎士がいるからダメですって。それに友達以上とかは考えられないから」
はいはい、この話は終了、というと、母様は、えーせっかくだから、母様と恋バナしようよーと手を握ってぶんぶん振ってきたのだった。
うん。なんというか。カレーはやく。来てください。
そろそろルイさんのターンかとおもいきや。かあ様のターンでありました。
いやぁ近所のカレーやさんがあまりに盛ってなくてほんと作者涙目です。近所にあまりない激辛があったのにっ。
とまあ今回は顔見せ程度です。料理までいくと結構な量になってしまうので。
三話くらいで終わるといいなぁ。




