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301.

 本日のルイさんは、デレツンです。めったにつんつんしない娘だというのに……

「ふぅ」

 トイレに行った帰り道。

 カメラの電源を入れながら、先ほどテレビの取材を受けたベンチの前で、盛大に息を吐いた。

 会場の中にもトイレはあるのだけど、いちおうあちらのほうが混むのでわざわざ外にでてちょっと離れたところを使わせてもらった。


 もちろん今だけ女子です。はい。

 そりゃぁさ。このイベントだと女子トイレは混むわけだけど、さすがにこの格好で男子トイレは無理ってもんですよ。少ししかいない男子がびくってなってしまうもの。

 多目的トイレはエレナだったらその理由がわかるからいいにしても、ルイだとなんで使ってるの? という突っ込みがくるので、普通にしている必要もある。


「なるべくトイレの回数は減らしたいけど……体に悪いっていうし、しかたないかな?」

 お昼ご飯はもう先ほど一人で済ませた。

 イベント会場のみなさんは、即売会の方はブースの中で食べている人が多く、レイヤーさんはベンチなんかを使っていることが多い。

 ルイはというと、今日はその人混みを避けて、外のベンチを利用させてもらった。

 他にもイベントはやっているみたいだけれど、そっちは仕事関係のイベントということでまったく毛色が異なっていて、スーツを着た人達の姿がちらほら見える。彼らから見て、こっちのイベントはどう映っているのだろうか。


 そんな事を思ったりはするものの、こちらはこちらだ。 

「さて、午後はどんなの撮れるかなぁ」

 きっと多くの人に囲まれるんだろうなぁと思いつつ、にへっと頬を緩ませる。

 自然の写真を撮るのももちろん好きなんだけど、こういう会場の熱気も好きだ。

 あんまり緩んだ顔をしていると、さくらあたりから、あんたはもぅ、と言われそうだけれどある程度は仕方ない。


 だって、今日きている子たちはそれぞれすごい頑張ったって子が多いのだもの。

 春のお披露目までにしっかり衣装を用意してそのキャラの設定もしっかりと抑えていて。


 それに高校生になったからやってみました! みたいな子とかもいて、初々しい感じがたまらなかった。

 あ、その子はこっちから声をかけちゃいました。幸さんと一緒にいたのもあって、ちょっとつまみ写しができたりもあって、有意義だったと思う。楽しかった。


 だからこそ、午後も囲まれるだろうけど、楽しく撮れるだろうなという予感はある。

「終了が三時ってのがねぇ……もーちょっと遅くまでやれればなぁ……」

 こういう大きなイベントでの最大のネックなのが、時間帯だと思う。

 そう。昼の写真しか撮れないという部分がどうしてもでてしまうのだ。

 

 エレナとの個人的な撮影なら夕陽をバックにというようなこともできるのだけど、ここではそうはいかない。

 ときどき、夕陽っていうのは作品のモチーフとして使われることもあるし、あの黄金色の時間帯で思いを伝えるキャラとか、割といいんじゃないかと思う。

 いえ、別にルイさんが告白されたいわけじゃないですよ? もう、お腹いっぱいなので。


「ひっ」

 そんな風にいろいろ想像しながら緩みきっていたわけだけれど、こちらに向かって歩いてくる人影を見て、体がぴくんと震えてしまった。先ほどとかわらずメイドさんのコスプレ姿だ。

 おいおい。会場ではあんまり接触しないようにしますとか、昔約束していませんでしたっけ?


「よっ。ルイさん。さっきは災難だったな」

「うぐっ。助けてもらったことには、感謝はしますが……あんまり人前で話しかけないで欲しいんですが」

「つれないこと言わないでくれよー。しかもいきなりきりっとした顔しちゃって」

「……なっ。さっきまでの顔、見てたんですか?」

「もち。ちょっと遠くから、はわはわしてた顔みてた。なんかほら、俺、ルイさんの顔って厳しいのとエロいのしか見たこと無いから、普通にかわいいなぁって見とれちゃってさ」

 にこにこ笑顔を浮かべる翅を前に、こちらはぷすっとした顔しか浮かべられない。

 むぅ。さっきの緩みきった顔を見られていたとは、我ながら不覚である。


「スマイルは有料です。さらに緩んだ顔は、資格がないとお見せできません」

「えぇー、それって、やっぱり師匠クラスの女装テクがないとダメとかってこと?」

「エレナばりに安心感がないとダメってことです」

 そもそも、こちらに敬語を使わせている時点で、おまえはダメ判定ですよ、と言いたい。

 

 個人的に、親しい間柄ほど敬語は使わないもので、敬ったフリをしておいたほうがいいという相手への牽制の意味合いがこの口調にはあるような気がする。もちろんあいなさんとか興明さんとかにはきちんと敬い込みで敬語を使うけど、今回の場合は敬いなんてものがあるわけもない。

 

「それじゃ、私は午後の撮影があるので」

 お互い頑張りましょう、と言ってそそくさ立ち去ろうとした、その時だった。

「ちょっと待てって」

 たんっ、と進行方向をふさぐようにして腕がのばされた。

 そして、それは普通に壁に当てられる。

 ちょ。えっ。なにをしてくれちゃってんですか、この人。


「話をさせてくれって。いい加減もう二年も経ってるんだしさ」


 壁ドンだった。

 いわゆる壁ドンだった。

 女子なら、ズキンときてしまうという、噂の壁ドンだった。

 しかも相手はメイド服である。 


 いや。メイド服であることがマイナスだ、と言っているわけではない。彼はなんといってもエレナの弟子なのだ。だからこそ、その光景は不思議なものだった。

 見た目は長身の美人なおねーさんなのに、声は甘い男声で、しかも視線はどこか熱っぽい。

 そんな相手にいきなり壁ドン。

「ひくっ」

 変な声だってでちゃうくらいだ。


「俺はおまえがす、好きだ……」

 その姿はとてもきれいで。その告白の様はきれいで。

 その真摯な瞳。頬のライン。照れたような表情。


 カシャリ。

 割と無理矢理に腕を伸ばしてその写真を撮る。

 角度はわかる。三次元的なあれやそれやは、後輩としこたま話をしたものだし、ここから狙えばこうなるという、のは頭の中にある。それは拡張的な撮影図とでもいおうか。

 その横顔を、告白の時にどういう構図にすればいいか、というのを狙って写真を撮っていく。

 こちらから翅の顔を撮るのはもちろん、宙に浮かせて、翅の横顔とこちらの顔が入るようにも撮影をする。けっこう片手で持って使うのは腕の筋肉を使うけど、なんとか手ぶれしないで撮れてると思う。


「ああぁあっ。こんなにいい顔を撮らないだなんて、あり得ない。うわぁ、翅さんってこんな顔も出来たんだねぇ。すっごい艶っぽい顔で、さすがに芸能人さんっ。で、あたしはそれを撮りたいと思った! 思って無理をした! それだけっ」

 深い意味はないから勘違いしないでよねっ、というと、彼はぽかーんとしながらもなんとか現状を把握したようだった。

「無理ってあんた……これ誘惑してますってところだろ」

「だから、誘惑されて絵を撮ってます。はぁはぁ。もっと。もっといい顔をして……」

 正面、背面、手が届く範囲でばしばしと写真を撮っていく。

 サンプルは多い方がいいだろう。失敗を怖れずにばしばし行こう。


「どんな狂人だよおまえは!」

「だってぇ、すっごい貴女の顔、魅力的で……そりゃ撮らなきゃ。迫られても撮らなきゃでしょ! かっこいい翅さんの、好きな相手を口説き落とそうって顔。しかも女装! 美しい中にちょっと男の子っぽいところが見え隠れするその顔!」

 好きになった相手にむかって、告白の直後に狂人扱いは果たしてどうなのだろうか。

 そもそもルイさんがこういう人なのは、貴方は十分にわかっていると思っていたのですが。


「ちょいまて、おまえがその受け手! なに観客になってんの!」

「最初から観客。あたしは翅さんに興味ないし、友達以上はないし、でも。恋する男の子の写真はさ。たまらないよ?」

 本当だよ? とルイとしての回答をする。さっきの絵。必死な顔。好きな女の子をなんとかしたいというその顔。

 結果は絶対どうにもならないと思いつつ、ルイとしてはやはりそれを撮らないわけには行かない。


 でもなんでいきなりこんな風に自分を……と、思考をめぐらせて一つの推論が浮かんだ。

「私を追い詰めるため……ですか?」

「えっ?」

 翅さんが驚いた声を上げる。

 しっかりと彼の目を見つめる。身長差的に上目遣いになるけれど目をそらすわけにはいかない。

 はたからみると見つめ合っているように見えるかもしれないけれど、これは必要なことだ。どっちかというとガンのつけあいというような気がしないでもない。


「明らかにこんなのおかしいです。ここ二年間コスプレ会場でおたがいが見えてても自制してくれてましたよね」

 そう。一度やんちゃをしてしまった翅さんはそれからいちおう大人しくはしてくれていたのだ。

 本人がスキスキ言ってるってことは崎ちゃんとかがゲンナリ報告してくれたりもしてるから知ってる。

 でも、表面上の動きとしてはまったくなにもなかったのに。


 そうなると考えられるのはマネージャーさん絡みじゃないだろうか。

 彼は十代のうちにルイをデビューさせたいと躍起になっていたし、この事件を機にデビューをさせてとか考えているのかも知れない。こんなことをやったとしてもうんと言うわけはないのだけど。


「まあな。でももう枷になってたもんもなくなったし……」

 彼は少し距離をとって、そう宣言した。

 枷。うーん、恋愛禁止令が無くなったってことだろうか。この前、蚕くんもやらかしてくれているのだし。

 そこらへんで何か変化でもあったのかもしれない。


「だからさ」

 もう一度、壁際においこまれて頭上の壁に肘をトンっとされる。いわゆる一番ポピュラーな壁ドンの形だろうか。 さっきは手のひらを壁につく形だったけれど、正直こちらのほうが密着度は上である。通せんぼ型と、接近型という感じで表現すればわかりやすいだろうか。

 さきほどはいきなりのことだったので、被写体の方に気が行ってしまったけれど、あらためて冷静にこの状況の感想を言えと言われたら、なんと答えればいいだろうか。


 束縛されてるみたいで、ちょっと嫌。暑苦しい。


 女子ならたまらんシチュエーションだろうし、第三者として撮影ができるっていうなら、いい絵が撮れそうだけれど。当事者としてはなかなかに複雑な気分なのだ。ルイさんはもうちょっと自由に動きたいのです。


「今度の土曜日、九時二十分」

 ぽそっと彼は耳元でささやいて、それから小さなメモ用紙を手に握らせてくる。

 ……ああ。そこでネタばらししますよ、ということですか。


「考えておいて。答えは後でいいから」

 笑顔を浮かべつつ、口で思いっきりごめんなさいと声を出さずに言っているのが見えるわけだけど、ああ、これも蚕の件と同じような扱いになるのですね、わかります。近くでカシャっていうシャッターを切る音が聞こえたもの。


「はぁ。これでまた週刊誌の餌食です。恨みますからね。本当に。マジで。心底」

 また落ち着くまで撮影できなくなっちゃうじゃないですか、と涙目で言うと、ひぐっと翅さんは声を詰まらせながら、じゃ、じゃあまた、と言って離れていった。


 そして、その直後。


『ほんと、スマン。まじで、スマン。事情の説明はあとでするので』

 携帯が鳴ったかと思うとメールが来ていた。即行で伝えたかったのだろう。装飾無しで言葉だけのシンプルなお詫び状だった。

「……申し訳なく思うなら、やらないでいただきたいのですが……」

 あーあ。彼らは理解しているのだろうか。自分達の影響力というものを。

 ルイよりも遥かに多いファンをもつ彼らの相手になってしまう人がどういう扱いを受けるのかを。

 さすがに、ルイさんだからねぇ、で収まる問題ではないのですよ。

 お似合い、とおも……われるのは心外だけれど、それならまだ周りの風当たりはそう強くは無いだろう。

 でも、そうではなかった場合は? はっきりいってHAOTOのメンバーにライブの時にステージに引っ張り出されるだけで、割と叩かれるのですよ? あのときはしのだったから本人についてなんにもなかったけど。


 ルイさん、これでまったく無名ではないのでね。

 あっちのマネージャーさんが動いているのなら、前みたいな解決の仕方は望めないだろう。

 どのみち相手が動いてくれるまでは、こちらはなんとか耐えるしかない。


 ああ。まったく蚕の件だけでこっちはいっぱいいっぱいだというのに、なにを面倒事を押しつけてくるのだろうか。この分の借りはしっかりあとでいろいろ支払ってもらうことにしましょう。


「……とりあえず、対策の根回しだけはお願いして……今日だけは撮影楽しもうかな」

 しばらくは撮影は見送り、になってしまうのは目に見えているので、今日できることはやろうと思う。

「ほんと……今年はなんなんだろう。女難じゃなくて男難ってやつなのかな……」

 うーん。トラブル体質なルイさんとはいえ、撮影中止に追い込まれるケースってさすがにそうそうなかったのだけど……彼らにはしてやられるケースが多すぎる気がする。


 最初の一件があまりに突飛も無かったので、それを許した段階で、彼ら少しばかりルイさんをチョロインだとでも思っているのだろうか。少なくとも蚕あたりは完全にこちらの善意をあてにしすぎてるように思う。

 彼の場合は弟キャラってことで甘え上手なところもあるのだろうけど。


「早く片付いてくれますように」

 どっちにしろ、数日のうちに真相はわかるのだ。

 でも、それまでの間、無事に済むのかと思うと、ため息しかでないのだった。

乙女イベントの3です。

壁ドンイベント! ちょっと旬を過ぎている感がないではないですが。

いろんなタイプの壁ドンがあるもので、今回は典型的な抱え込みっぽい感じのにしてみました。

身長差があるからこそできるわけですが、抱きしめるまでは行かずに、でも近いというこれって割とドキドキするシチュエーションではあるよなぁと。

ルイさんには効き目は弱いようだ、ですけれどね!


さて。次話ですが、男女それぞれでマスコミに付け狙われるようになった木戸氏はというと。

ちょっとした相手に助けを求めます。そしてHAOTOによる説明会に向かいます。

まあ、説明を受けても二週くらいは自由に動けないのですが、その間にちょっとしたイベントもしこんでおりますので!

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