030.高校二年八月~ 初めての売り子
「ほいっ。胸をはっていこうよ」
部屋の中にもわっとした空気が渦巻いていた。
これだけ広大なスペースがあるのに空気が流れないというかともかく暑い。陽炎のように揺らぐ景色の中に大勢の人がずらっという景色にたじろぐルイに、エレナがぽふぽふ肩を叩いていった。
今の彼女はまだ私服。そうはいってもお嬢様然といしているのは変わらない。
そう「お坊ちゃまではなく、こいつはすでに女子」なのである。
それをいえば、こんな朝っぱからおまえも立派に女子じゃないのと、突っ込みがくるのはしかたがないだろう。
スっごく暑くなるから薄着できてね、というので、ベージュのカットソーに紺のプリーツスカートを合わせた軽装に、足元はヒールが付いてないサンダルをつけている。足の爪のケアもしっかりやっているが、ペディキュアはつけていない。それでも十分な輝きがあるから、まぁいいのだろう。
そしてエレナに言われた通りに腰と脇には冷却シートを貼ってきている。普通外歩きならこんなことはしないのだけれど、とにかく暑い室内なので脱水して倒れないようにと言われてしまったら従う以外にないのである。
サークルチケットとかいうものの力で始発での出発は免れているものの、まだまだ時間は十時前といったところ。
どうしてこんなことになったかと言えば、完成したエレナのコスROMのお披露目のため。じゃあこのイベントに出しちゃおうよなんて話になったのだった。申し込み自体はもともとエレナがなにか出すつもりで半年前にやっておいたのだそうだ。コスROMができなかったらなにを出していたのかはルイは知らない。
「そうはいっても、売り子とか初めてだし……」
接客をしてないわけではないけれど、こういう場所ではそれなりに緊張はする。
しかも相手はこちらを見る。エレナの写真集目当てだとしても売り子の姿も見るのである。そう、この格好で接客というのはやはり緊張もする。話すの自体は慣れていてもやっぱり商売となると少し勝手も変わるのだ。
「今更なに言ってるのルイちゃん」
独白が聞こえていたのか、エレナはあきれた声を漏らしていた。
「いい? ルイちゃんは美少女フォトグラファーなの。写真の善し悪し……まではいわないよ。そこは自信あるんだろうし。でもその他が気になるなら、ね? ルイちゃん。自分のいままでを信じてみてよ」
くすりと笑いながらエレナが後ろからぎゅっと体を抱きしめてくれる。
まったく。男とは思えないほど柔らかくて、それに花の香りがして。
キャラクターの匂いまできっとこいつはイメージで作ってるのだろうなと思わさせられる。
「とりあえずはお隣さんたちのところにご挨拶。両隣は大切にというわけで、おはようございますっ」
にこやかにあいさつをしつつ、よろしかったらどうぞと持ってきていたコスロムをプレゼントする。
一部1000円。値段に関しては専門家であるエレナにお任せだ。写真の枚数に関しては、合格ラインにあげられるものをピックアップしてそこから選別してもらった。ロムの中にはキャラ数で6キャラ。それぞれで30枚強は入っているから、200枚程度のデータが入っている。
そして地味にこれが冊子になっているというところに出来上がった時は驚きを覚えたものである。表紙も合わせて六人のキャラの写真でこれぞというのを実際の印刷をかけている。そこらへんの色指定なんかもこちらの仕事だ。
「まさかエレナさんがコスROMを出すだなんて意外です。ああ、こっちからもちょっと恥ずかしいですけど」
どうぞどうぞとそちらからもコスロムを預かる。物々交換みたいなものだろうか。
それを反対側のサークルさんともおこなって、エレナはあとは販売よろしくっ! と言ってとりあえずコスプレ会場へと向かっていった。
少しは一緒にいてくれるのかと思いきやそんなことはまったくない。
そもそも遠峰さんも一緒に売り子をしてくれる予定だったのに、まったくもって最初の買い出しだけはさせて! とばびゅんといなくなってしまっているのだ。まあエレナいわく、最初の一時間半は許してあげるってことだったからしかたないのだけど、一人でここに座るのは緊張する。
「今の時間からそんなにガチガチでは一日持ちませんよ?」
同じ長机を半分ずつわけるようにしてサークルを開いている隣の人が、自分で伸びをしてみせて話しかけてくれる。
少し年上だろうか。大学生くらいの女の人。サークルの名前は青葉の会。というところだそうだ。
このイベントは個人名で参加もできるけれど、サークルの名前を付けてそれで活動するところのほうが多いみたいだった。
ちなみにわれらは「NOW PRINTING。」って名前で参加をしている。
「まだ開場まで時間もありますし、それに正直島の中腹っていうところだとあんまり人もきませんから」
「そういうものなんですか?」
「もしかして、初めてなんですか? あのエレナちゃんと同じサークルなのに」
「野外の撮影会には行ったことがあるんですけど、こういうイベントはまるっきり初めてで」
相手もエレナのことはよく知っているようで、こちらがまったくもってこのイベントの知識がないことに驚いているくらいだ。
「ほほぅ。じゃあ専属のカメラマンさんみたいな感じなのかな。って、これ……」
「なんちゅう再現度ですかこれはっ!」
その声は、反対側から聞こえてきた。
青葉のおねーさんも写真を見てくれて固まったようだけれど、同じタイミングで先ほど渡した写真集を反対側で見ていたおねーさんも固まっていた。こっちはさらにもうちょっと年齢が上だろうか。あいなさんと同じくらいの年かさのおねーさんだ。ちなみになにかのコスプレなのだろう。衣装を着こんで髪の毛の色は鮮やかな緑になっていたりする。
「しかも、予想を裏切らない完璧男の娘。あなたが撮ったってこと?」
「は、はぁ。一緒に週末撮影にいって撮ったんですけど」
「相方の分も欲しい! えと、あと一部売って!」
わしっと手をつかまれて、はいときょとんとしながら販売する。
初めてのお買い上げがお隣のサークルさんというのは、実際どうなんだろうか。
「あああ。女の子の専属カメコさん付きとかマジでうらやましすぎる。あたしももう一部」
両サイドに思いっきり気に入られてしまって、逆にあっけにとられてしまう。正直、こちらはまったくの門外漢なのである。
エレナがそこそこ有名な男の娘キャラレイヤーさんなのは知っていても、それ以上のことは知らないのだ。
「友達でカメラやるのってたいてい男ばっかりで、しかもこっちの業界に興味のある子って滅多にいなくて」
「だよねだよね。だいたいカメラマンさんに依頼してロムつくるから、お金もかかるし、その点、お抱えさんがいると気兼ねなく撮れるっていうかさ」
あうぅん、うらやましいといいつつ、彼女は食い入るように写真集を見つめている。
しかも、そこで浮いた分で冊子付のROMになってるとか、クオリティ高すぎとほめてくれている。
そう。ROMなのになんで写真を見れてるのかというのは、今回のものが冊子付だからである。六キャラでそれぞれ一枚ずつ。表紙は森の中でたたずむ少女という感じに仕上げている。
普通はサンプルを展示するだけでROMのみの販売するようなのだけれど、せっかくだからとそんな仕上げにしたのである。
「でも私どっちかというと風景専門で、人物はそこまで上手いわけでも……」
「なにをおっしゃる! ぶれずに衣装がばっちり撮れて、顔が陰らないってだけで最強じゃないの」
「そうそう。でも背景のほうが得意ってのはなるほど。わかる気がする」
「表紙絵が引きの絵っていう時点でコスロムとしては珍しいもんね」
あくまでもコスロムはコスプレしている人が主役。だからこそ表紙は大抵キャラクターがメインになるのが一般的、らしい。ここら辺のサークルをちらっと見てもどこだってそうだ。
そんな常識をルイは知らないから、一番背景と一体化してて美しいものを表紙に選んだのだけれど、エレナも一緒に選んでいるのだ。常識にとらわれずに好きに作ろうという空気が感じられる。
「ルイさん……だったかしら。あなたはホームページとか持っているの?」
「いえ。あいにくインターネット活動みたいなのはそんなにはなくって」
むしろ地元歩きが日常だから、ルイは使えないではないにしろあんまりそっちの「発表」という活動はしてきていない。撮っただけで満足するのもあるし、写真部やらあいなさんとわいわいやってれば満足してしまうのである。
ツイッターもラインもやっていないという、割といまどきじゃない人間である。
「ああ、でもエレナちゃんのホムペはあったよね。そっちに間借りとかそういうのでもいいから、どんどん発表しちゃったほうがいいと思う」
なるほど。そこらへんはエレナと相談といったところかもしれない。
あの子のホームページは基本的に、イベントで写真を撮ってもらったものを次回のイベントの時にデータをもらって、撮ってもらいましたありがとー! みたいな風にのせるから、あんまりルイがでしゃばるのもどうかとは思っていたのだけれど。
そんなことを思いつつ、時間を見ると開場時間となっていた。
館内に放送が流れて、それからお客さんが雪崩のように入ってくる。
うん。なんというか地鳴り? そういうのがして、一気に会場の人数が増えていく。
「あっは。いつもの光景だけどルイちゃんはさすがに最初だとびびるかな」
「はいっ。これって外に並んでた人の足音なんですよね?」
会場に入るときに見た風景はすさまじいものだった。人の山というかもう集団で一個の生き物なのではないかというくらいに整然と並んでいるのだ。思わずビックサイトを背景にそれの撮影もしてしまったほどだ。
「そうよー。最初にみんな一気に大手なところとか、限定なところとか狙ったところに走らず急ぐの。サークル参加できてるとなにかと便利だけど、普通は外で並んでそれこそ始発から座り込みってのが常識」
「うわ。だからさくらのやつ……」
夢にまでみたサークルチケットだーって大喜びしていたのが今更ながら思い出される。
「でも、ここらへんにはあんまり人が来ませんね」
「まね。さっきも言ったけどコスROMの大手さんとか人気どころとか、あときわどいやつとか、そういうところしかみんな行かないもの」
われら弱小は、最初の嵐が終わった後、ゆっくり見て回るお客をターゲットにするのですと言い切った。
あれだけの人がいるなら少しくらいはこちらにきてもいいものなのに、彼女の予言はそのまま現実となる。
「いま、ちらっと見たけど、コスROM作ったことエレナちゃんはHPとかツィッターとかで一切触れてないんだ」
「確かに初心者の売り子さん一人っていう状態でたくさん人がきちゃったらちょっとアレだものねぇ」
「って、エレナってそんなに人気あるんですか?」
きっと告知してたらすぐにうわーっとお客さん来てただろうなぁと二人に言われて驚いた声を上げる。
小規模のイベントで取り囲まれて視線をねだられていたのはもちろんよく知っているけれど、それがどの程度の規模なのかルイはよくわかっていないのだ。
「だって、男の娘キャラオンリーなんて尖ったコスであのクオリティだもの」
「そういや。ルイちゃん。君ならば知っているはずだ! エレナちゃんって男なの?! 女なの?!」
わしりと隣のおねーさんに両肩をつかまれて、ずずいと攻め寄られてしまった。
「ああ、それはあたしも聞きたい! ここだけの話ってことで」
そして反対側からもわくわくした視線が向けられる。どれだけ二人ともエレナの秘密を知りたいというのだろうか。
「そりゃ、男の娘キャラオンリーですから。ついてるものはついてないと、って本人は言ってましたけど」
「それって……つまり、本当に男の娘派のあたし大勝利!」
「まって! 心構えの問題かもしれないじゃない! なにか詰め物をするとか縛り付けるとか、異性コスをやるときの基本!」
二人の間で火花が飛び交った。さくらが前に言っていた本当はどっちなのか論争がここで勃発である。
「あはは、これが話題性ってやつか……」
みんなが話題にしてくれるネタというのはやはり強い。結局どっちなんだよっていうのはいまだに謎で、実はさっきルイがいったセリフはそのまんまホームページのQ&Aに載っている内容なのである。
「それで、実際はどっち!?」
くわっと二人で再度の質問タイムである。
「私も裸にむいて撮影したことはないので、どちらなのかは……」
「そ、そうよね……決定的写真! とかいってパンチラアップしてるやつもいるけど、あれが決定的なわけじゃないもの」
「そんなの撮ってるのがいるんですか?」
むしろそっちのほうが危ないんじゃないだろうか。絶対にエレナならそういう写真は拒否すると思うんだけれど、隠し撮りのたぐいなのだろう。
「注意はしてると思うけど、やっぱりあれだけ囲まれるとね。きわどい衣装とかも多いしアングル下から狙われると決定的ってのもあるよそりゃ」
「ぬぬぬ。同じカメラを扱うものとして、撮られたくない写真を撮るだなんてけしからんことです」
撮りたい写真と撮られたい写真は確かに別。けれどもそういったものを本人の同意なしに撮ってはいけない。
「そこらへんも女子カメコさんが欲しい理由、かな。正体を暴きたいっていうより、ただスカートの中を撮りたいだけなのよ、男って」
エロいの撮られるの好きな人ならいいけどね、と苦笑が漏れる。
それから少しそこらへんの話で盛り上がりながら、時間が経っていく。
予言通り、というか。人の流れ自体が全くなかった。
割と多めに持ってきたけれど、はけないのではないだろうかという気分になる。
「やっ。ルイ。どうどう? 繁盛しているかねー?」
カメラをぶら下げてやはーと挨拶をしてくるのは朝からすぐに姿をけしていた遠峰さんだ。
「全然ー。でもお隣さんとは仲良くなりました」
「どもー」
軽く挨拶を済ませると、遠峰さんも中に入ってもらって椅子に座らせる。一人で不安だったので少しこれで安心だ。
「とりあえず欲しいものは買ってこれたから、あとは店番できる感じ」
さすがにサークル参加はいいもんですなぁ、とほくほく顔だ。カメラもつっているけれど撮影をしてきたという感じではない。
「昨日と一昨日で有名どころは散々撮ったし、午後になったらルイも写真撮りに行っていいよ」
「さくらちゃんまでこのサークルなの?」
「二人ともお知り合いで?」
ちょこんと座ったところで、お隣さんが驚いた声を上げた。
「前に撮ってもらったことがあって。うわぁ。女子カメコさん二人完備とかエレナちゃんうらやましい」
「あは。まあうちらは部活の写真部つながりですし。この子は別にコスプレ専門ってわけじゃないし」
ああ、そういや昨日一昨日の写真、刷ってきたんでどうぞどうぞと、遠峰さんは二人に封筒を渡す。予め隣が誰になるのかわかっていた様子だ。
「それでも、コスROM作りは楽しかったですけどね。次もできるといいんだけど……」
「あら。やりたいならやればいいじゃない?」
っていうか、むしろもっとやれ、と隣からも声が上がる。
「来年、受験ですからねぇ。大学受験っていったら本人たちはともかく大人たちは重大事件のように語りなさるから」
「来年は無理でも再来年の夏合わせとかなら、いける……かも?」
「前ほどは一緒に集まれないかも?」
かも? と小首をかしげていると、遠峰さんと同じく買い物にいったんめどをつけた人たちがぱらぱらと島の間を歩き始めた。
「ちょっと見させてもらってもいいですか?」
「はいっ。どうぞー」
見本誌、と書かれているものを手に取ってもらう。
「これってあのエレナちゃんの写真集? 未公開コスまで入ってるって……」
「六人目の子のは今日の衣装です。同時にお披露目っていってたので」
遠峰さんが補足を入れてくれる。
背景写真の設定資料をいろいろ見ながら、これならあのキャラいけるかもって一人追加したのが今日やってる男の娘キャラである。
あいつも新キャラやりたいっていっていたし、ちょうどよかったということらしい。
「うわ、まだ見に行ってないや。とりあえず二冊ください。コスプレ広場にいる?」
「たぶん一日あっちにいると思います。お昼にこっちに戻ってきたりはあるかもですけど」
「ぐあ、新キャラやるかもってつぶやいていなさる……」
財布を開きながら器用にツィッターの画面をスマートフォンで確認する姿はたくましい。
「ありがと。ちょっと島を回ってからコスプレ広場に行ってみる」
その人はそのまま周りのブースをちらりと見てから人ごみに消えていった。
さて、ご都合主義なイベント話であります。
一般的なコスROMは2000円くらいが相場ともいいますし、一日の売り上げなんて初回はもうよっぽどじゃないと、アレですよね。
ま、とりあえず前半戦ということで。