029.体育の授業とクマのぬいぐるみ
梅雨の時期の体育。みなさまはいかがお過ごしですか?
「晴れ……かぁ」
窓の外を見ると、これでもかというくらい青々とした空が広がっていた。
梅雨のこの時期にこれだけの晴天というのは数えるほどのはずである。空梅雨と呼ばれるような年ならば雨はそうでもないのかもしれないのだが、今年はきちんと雨も降っている。
昨日も夜まで雨が降っていたし、それこそ今日の朝はしっとりと木々がしめっていて、良い感じな撮影日和だったりして、朝からやきもきしていたわけだけれど。
くっ。自前のカメラを持って学校に来てしまいたい。
そんな気持ちも学校に入ってしまえばとりあえずはしぼんでしまう。
一応授業もきっちり受ける木戸なので、集中はするのである。成績が下がれば塾だ予備校だなんて話になりかねないので、中の上から上の下くらいの成績は保ってないといけないのだ。
木戸はそこまで物覚えが悪いほうではない。もちろんクラスに何人かいる天才といわれるような輩とは比べるまでもない出来ではあるものの、とりあえず学校の授業を聞いてさえいれば、落ちこぼれはしない程度だ。
さて。そんな木戸とて苦手科目というものはある。
「あのまま降ってれば良かったのに……」
左斜め前に座る小柄な男子生徒がつぶやいていた。
その言葉には本当に同意の言葉を贈りたくなる。
木戸の苦手科目。それは体育である。とはいえ、学外実習でも示されているとおり、体力自体はないほうではないし、運動音痴というわけでもない。
たとえば体育でもマラソンやら陸上系は得意な方で、あまりなじみのないボール競技系は悪くはないという程度には動ける。もちろんそこまで慣れていないのでソフトボールなどはそんなに飛距離がでないし、さらにハンドボールはさらにダメ。あんなでかいボールをむんずとつかめるだけの手の大きさがない。
と、まぁ、鬼門になるのは大まかに二つだ。一つ目は七月と九月に行われるプールの授業。泳ぐのは嫌いではないけれど、半裸で眼鏡もなしというのが落ち着かない。もちろん男子なので上半身裸がことさら恥ずかしいわけでもないのだが、日焼けしてしまうのが嫌だし、日焼け止めをたっぷり塗っての参戦なのだ。
そしてもう一つが、体格とパワーがものを言ってしまう競技。
ハンドボールなんかもそうだけれど、体格に恵まれた方がいい競技もある。そう。青木なんかは持久力はないけれど力だけはあるから、帰宅部カラオケバカでもそこそこ体育で活躍できるのだ。ボールも木戸なんかよりよく飛ばすし、サッカーやラグビーだって素人の癖にそこそここなす。ちなみにあいなさんは普通の筋力……というかおふざけで腕相撲をしてルイが勝っているので、遺伝子的な特徴があるわけでもないのだろう。
もちろん部活でやるレベルくらいであれば、技術も必要になるだろうし、それでカバー出来る部分も十分にあるに違いない。けれども体育でものの数回やる程度の状態ではそんなものは習得できないし、力対力のぶつかり合いになってしまうのである。
「ずいぶんと暗い美貌をしているじゃないか」
まだ少しだけぬかるんでいる校庭を見ながら、そこで必死に体育の授業を受けている猛者達の姿を見ていると、よくつるんでいる八瀬が声をかけてくる。朝のぬかるみ具合なら室内になるかなぁと思っていたのだけれど、我が体育教師はこの程度ならいけると判断したらしい。ちなみに女子のほうは体育館だそうで、うらやましいばかりだ。
「そういう八瀬だって、ラグビーは嫌だろう?」
「たしかにとてつもなく嫌だね。僕が好んで読んでいるアメフトマンガでは逃げ足だけが得意なひよわっこが頑張っていたけれど、実際それでどうこうなるような問題でもない」
もちろんどうこうしたいという気分すらないわけだが、と言い切る彼はいわゆる極度のオタクである。しかもアニメや美少女系などを中心とした感じの人で、木戸がろくにテレビを見ないのにコスプレに多少の理解と興味があるのもすべて彼の布教によるものである。
「そもそも木戸のほうがまだマシだろうよ。俺なんてバスケとかでもお荷物になるし、正直そうとう体育自体が嫌だ」
ぶすっとこぼれ出るその本音は、まあそうなのだろう。いちおうアウトドア派な木戸に比べれば八瀬のほうが体力はなさそうに見える。身長こそ彼のほうが上だがそれでも力はなさそうだし身体の動かし方がイマイチなのである。
「まー、運動部はアレだしなぁ。勝利にこだわっちゃうしな」
体育の授業は割とチームプレイものが多い。それの大本にあるのは協力関係だの、チームプレイの向上をさせようという教育の一環なのだろうけれど。適当にチーム組まされてプレイをするだけで自然にチームプレイができるのならば、授業でやる意味などまったくもってないのではないかと思う。
そもそもだ。それぞれ運動部に属してる人たちは体育というものの本当の意義を思い出していただきたい。
体育も授業である。スポーツについての技能をつけてって、健やかに心身の育成をするためにあるものであって、けして運動部がヒーローになるための場所ではないのだ。だのに夢は全国大会一致団結して勝たねばならないみたいな空気になるのがほとほと困るのである。
そう。勝ち負けよりもプレイ内容がよくなるようにがんばるのが学生の、しかも素人が混じっているところでの体育のあり方なのだ。そこらへんを我が愚鈍なる体育教師は一切指導をせず、ただ運動「だけ」をやらせるから勝手に運動部のみなさんがハッスルしてしまうわけで。
本来ならば、できが悪いならこうやればいいと教えてやればいいのに、上手くやれない人間をただなじるだけで済ますという50分ははっきり言って運動できない人間からすれば、拷問に等しい時間と言えるだろう。
座学でここまで出来ないのをつるし上げられることはまずないのに、チームプレイの体育だと文化部や帰宅部のおとなしい生徒が、体育会系のノリで理不尽に叱られるわけだ。
「でも、俺もラグビーはちと無理だぞ。鋼の肉体のぶつかり合いとか、極力さけたいからさっさかボールを持ったらパスするね」
さて、今日はなんパスするかね、というと八瀬に笑われた。言い方が、ゲームしているときに拒絶する意味合いでのパスと聞こえたからだろう。もちろんそういう意味で言ったのだが。
「でも、一応授業は授業だから、サボらない程度にはやらんとな」
いちおうそこのところだけは、八瀬にも伝えておく。さぼりたいのはやまやまだが、それでも不真面目だとなおさら運動部のみなさんのお怒りを買ってしまうのである。邪魔にならない程度に適度にプレイをしておかないといけないのだ。
しかしまぁラグビーである。他の学校ではどの程度やるのか知らないけれど、うち学年の体育教師がラグビー部の顧問であらせられるから、多少他よりは頻度が多いのかもしれない。
下手にタックルを受けて吹っ飛ばされた時に、乙女声とか出さないように注意しなければならないなんて思いつつ、怪我はしたくないよなぁとも思う。特に顔はダメだ。銀香のおばちゃん達に心配されてしまう。
「あーもう、帰りたい、おなか痛い。保健室いきたい」
八瀬があーだこーだと駄々をこねているのだが、それでもやはり体育の時間は来るわけで。
お昼ご飯を食べた後の授業。そこでのラグビーは午前よりは校庭の状態がマシになってくれていたので、どろどろになるのだけは避けることができた。
けれども、運動が苦手なクラスメイト達はやっぱり動きがとことん鈍い。ミスをするたびに運動部の人達からは、どんくさいとかトロイとか罵倒が飛んできてなおさら萎縮するという悪循環だった。
去年は文化部の比率もそこそこあったのだけれど、今年はどうしてこうなったのか、運動部のほうが多い構成なのだ。女子のほうは文化部のほうが多い。去年はできない人達が半分くらいいたからほどよくヘイト管理もされていたのだけれど、今年は少ない人数が責められるという具合になってしまっている。
ちなみにうちのクラスの女子も隣のクラスと合同で体育館だそうで、斉藤さんと遠峰さんがバドミントンなのですとわくわくした顔で言っていた。
う、うらやましくなんてないんだからねっ。むしろラケットでシャトルを打つ瞬間とかの写真撮りたい。汗がこうぱーってなって、絶対綺麗なのが撮れるはず。
「うあっ。ごめんっ。あの……その」
体育館を恨めしそうに見つつプレイをしていると、先ほど嫌だ嫌だといっていた華奢な男子が慣れないパスをして敵方にボールを思い切りとられてしまって身体を震わせていた。
ああ、もう小動物みたいで写真撮りてぇ。なんて思いつつ、場の雰囲気はいつものように悪かった。
吊し台はじまっちゃう? というようなぴりぴりした空気だが、我らが愚鈍なる体育教師は介入する気はまったくなく、ただ見ているだけだ。ちなみに女子のほうはきちんと下手な子にもやり方を教えてるらしいというのだから、教師がダメなのだろうな。この前撮影に行ったときにも体育の愚痴を言ったらじゃあ、ルイで来ちゃおうよとまた誘われたけれど、さすがに無理である。それはチートな感じがしてしまう。
「ったく。女の腐ったようなやつらだよな」
ちっと舌打ちが来た。木戸や八瀬に向けられたものではないのだが、それでもその単語には少しばかり胸がかき乱される。いらっとくる。もちろん言い返したりは誰もしない。木戸もしないのだが。
そもそも、なんで女が腐るとそうなるんだ? 腐った女子っていうのは男同士の行きすぎた友情が大好きなアレではないのか? ちなみに国語辞典によると、ぐずぐずしていて優柔不断な男を言うらしい。女は果実にたとえられるから、ぐずぐず=腐ってるということで、そういう言葉が出来たのだろうか。
それにしても、女を引き合いに出さなくていいじゃないのと、ちょこっとルイが顔をのぞかせてしまいそうになるのである。そもそも「女みたい」とか「女のような」というのは男側からの一方的な女性というものを見下してのあざけりである。木戸も中学の最初のころは散々そう言われたし、からかわれたけれど、当時はそんなにスレていなかったり、姉の友人にだまくらかされたりして、まったく気にもしなかったのだが。今となるとさすがにその意味もよくわかる。
というか、姉の友人に「え、それって女の子みたいにかわいいってことでしょ? それってすごいじゃん」とか目をキラキラさせられて言われたのを真に受けていた自分を深く反省したいところである。
そしてプレイは始まり。
今度は相手チームのできない子がミスをしてボールがこちら側に戻ってくる。
それに対してやっぱり相手チームが舌打ちし、なんだかんだで両方ともできない子が足を引っ張り続けて泥仕合。結局最後にもう一人がミスをして相手に点数が入って、こちらは敗北した。
その原因になった隣のクラスの子は、もはやこの世の終わりという顔をして小さく震えていた。
たかが体育の授業の勝敗でそこまでお互い追い詰めたり追い詰められたりはやめようよと思うものの、木戸とて力なき一般人である。体育教師に話をしたところでなんともならないだろうし、それで改善されるようにも思えない。
あとはこのハードで暑苦しい競技の期間が一日でも早く終わるのをまつばかりである。
そんなことがあった数日後。
週に一回入れている平日のバイトが休みの日。図書室で用事を済ませて教室に戻ってみたら。
舌打ちしていた男子が、一人だけ残っていた。
部活がある生徒はまだ外にいるし、そうじゃない生徒はさっさと帰ってしまっているから、ぽつんと残っているのは珍しい。
何をしているんだろうと思いつつ、こっそり様子をうかがっていたら、周りをきょろきょろ見まわしてからバッグから茶色いなにかを取り出したのだ。
「ふむ。ぬいぐるみさんですか」
最近の男子高校生は割とぬいぐるみを鞄につけていたりすることがあったりする。別段それはおかしいことではないし、恋人がいるような場合は相手とおそろいで装備したりするアイテムだ。
ちなみに木戸の鞄は無味無臭である。アクセサリー系はことさらつけずクールに行くのが木戸流である。まールイをやってるときはアクセ系もそこそこそろえるけれど。だってキラキラしたりかわいかったりするしね!
さて。例の体育会系の男性のおかたは、ぬいぐるみをなでなでしているわけだけれど、これをどう処理するべきなのかと少し悩んでしまう。そっとしておこうとするのか、入っていて似合わねーとでもいうべきか。
そうこうしてると、がたりと椅子が動いた。見事に彼とこちらの視線があってしまった。
「見た……か?」
こそこそと机にそのクマのぬいぐるみを隠しながらこちらにぎんと視線を向けてくる。わたわたしているものの鋭い視線を向けてきなさる。先日のびくびくしていた華奢なクラスメイトだったらすぐにガタガタ震えだしてしまいそうだ。
「別に、隠さなくてもいいと思うがねぇ」
言葉面は相手を認めるようなことを言ってみるものの、視線は別の所に向けておく。まあ体育の授業で暴君をしているのだから、少しくらいの意趣返しはしてやりたいのである。
「いや、そのこれはだな……余った端切れがあったから作っただけで」
「実はオトメンだったという流れ?」
さすがに自作と聞かされてちょっとそれには驚かされた。普通に密かに愛でているだけだと思ったのに。
ぬいぐるみ好きの男子は意外に少ないようで多い。木戸はいうまでもないし他にもぬいぐるみ大好きっこはそこそこなのである。だが自作までとなるとさすがにそれは突き抜けている。
「うぐっ。笑いたければ笑えよっ。俺みたいな大男がぬいぐるみとか……ないだろ」
「笑いはしないよ。むしろよく出来てるじゃん」
見せて見せてというと、彼は隠していたくまさんをしぶしぶ机の上に出した。
ふわふわの生地で作られたクマさんで、それこそ端切れで作ったなんて嘘だろうと思えるできばえだ。大きさは鞄にちょうどつけられるくらいの大きさで、五センチくらいだろうか。茶色いおけけで、胸元には赤いリボンがくっつけられている。
「うん。可愛い。特にこのつぶらなおめめが良いね。頭もふわふわで、なでなでしていい?」
「お、おう」
「やたっ」
人差し指で軽く、くまさんの頭をなでなでする。思った通りいい感触である。
「って、おまえ木戸……だよな?」
「あん? ああ。ちょっとクマに集中して地が出てたか」
ふっと緩んでた表情を戻して彼にクマを返す。ああ、可愛い。可愛いものを見るとどうしてもルイのほうの感覚がでてしまうのである。
「なんか、べらぼうにいつもと違うように見えて驚いた。なんだそれ……」
「んー。人間いろんな面があるよねって話はしないでもわかってるだろ」
木戸の普段は、面倒くさがりのもさ男である。反面ルイとしてはポジティブで人なつっこい面がある。
ここまで裏表が激しい人間もそうそういないだろうが、それでも作っている自分というものは誰でもある程度はあるものだ。
「それで、木戸。あのさ。このことなんだが、みんなには内緒にしてくれないか?」
「えー。別に隠さなくてもいいんじゃね? そこまで裁縫できるのって逆にすごいぞ」
「イメージの問題があるだろうが。昔これがネタで騒ぎになったこともあるし」
おまえみたいにこんなにナチュラルに受け入れた男子なんていねーよと彼は不満げに顔をゆがめた。
木戸としてはまったく隠す必要性をみじんも感じないのだが、それでも目の前の相手がこれぞ致命傷と思うならばしかたがない。週末女装して歩くような木戸からしてみれば、ぬいぐるみが好きだというくらいたいした話ではないのだが。
「内緒にする代わりに、そうだね。一つだけ約束。体育の時さ、できないやつらを叱るだけじゃなくて、駄目な点を指摘してやってくれないかな。ま、俺もできないほうに入るからガンガン要指導だろうけど」
うむ。我ながらいい提案だ。素人いびりの急先鋒である彼が率先してスポーツができない相手を指導するようになれば他の連中もそれに習うかもしれない。いい流れができれば万々歳だ。
「いや、おまえはなんだかんだで、最低限やろうとするだろ。そんなに華奢な身体してるのにけっこー動くし」
「そう言ってもらえるとありがたいけどな。パワー系競技はやっぱりちょっと」
不真面目なまねはしないけどな、と付け加えると、熱くなりすぎないように気をつけると彼は言ってくれたのだった。
久しぶりの書き下ろしです。最近ルイでの活動ばかりだったので学校生活もイベント以外で書きたいなってことで。懐かしの体育イベントを書いてみました。