027.エレナさんちの誕生日
「今日はご招待ありがとう」
「こちらこそ、来ていただいてありがとうございます」
「……明らかに場違いだよなこれ……」
でん。と目の前にあったのは、近所でもそれなりに有名な大きな洋館の裏口だった。
ちょうど電車で通りかかるときに、奥まった景色のいいところにでんとあるのを見ているので、その建物自体は知っていた。
でも、それがまさか知り合いの家だという発想はなかった。
「誕生日はちょっと堅苦しいイベントになっちゃうから、来てくれて嬉しい」
六月のある日。梅雨入りをまだ果たしていないので、空はきれいに晴れ渡っている。
そんな良い日に、エレンの誕生パーティーに木戸達は呼ばれているのだった。
遠峰さんと一緒に来たのだが、今回はエレンが男状態なのでそれに併せて木戸もルイとしてではなく男友達として参加しようと男物の服を着ている。
話によれば広いパーティー会場で、著名人が集まるのだとか。
子供の誕生日をだしにした社交パーティーといったところなんだろうか。
いまどきこんなイベントがあるだなんて、めまいがしてしまう。
しかも、それを自宅でやってしまうのだから、エレナさんちはどれだけ広いのかという話である。
「それと、二人には着替えを用意してあるから、あの人に案内してもらってね」
指差された先には執事さんなのだろうか。タキシードをぴりっと着込んだ妙齢のおじさまがぴしりと立っていた。普段着で来てくれて良いからねといっていたのはこのせいか。
彼に促されるようにそれぞれ別の部屋に案内される。遠峰さんとはここでお別れ。木戸の部屋のほうが遠いせいなのか、執事さんは部屋の中まで案内をしてくれた。
「着替えはあちらを……とぼっちゃまが仰せです」
部屋のものは自由に使ってもよいとも執事のおじちゃんは言っていた。
その部屋にあったのは言うまでもない。衣装からしてドレスだし、メイクボックスなんてものまで置いてある始末だ。
これ、絶対、執事さん不審そうにしてる。まったくそうくるなら最初からルイできたっていうのに。
「とはいえ、ドレスかー。初めてなんだよねぇ」
では、と執事さんが部屋から出て行ったのを見計らってから、その部屋のものを物色していく。
ウィッグもかなりいろいろな種類が置かれてある。
まさに自由に選んで着てねというエレナのウィンクが想像できるほどだ。
ウィッグはちょっと長めの赤茶色を選んだ。普段使っているやつよりは少し長くてボリュームもあるものだ。
「胸元開いているのはちょっとなぁ」
ふむんと思いつつ、メイクボックスを開ける。
そこには今まで使ったことがないような高そうなものがいろいろと入っている。
けれどもそこまでメイク技術があるでもない。
服の色に合うようにアイシャドーを変える程度で、口紅はいつも通り桜色を選ぶ。
メイクが終わったらロング手袋をつける。ちょっとこれは苦戦だ。
最後にドレスと同色のポーチを拝借すると、そのなかに貴重品の類いをいれさせてもらった。
男子のバックとはやはり大きさもごつさも違う。きらきらとしていてこれぞパーティーといった風合いだ。
それらを持って扉を出ると、隣から、うぅぅとうなり声が聞こえてくる。その部屋を使ってるのは遠峰さんだ。
ノックをしてから返事がくると、彼女の部屋へと入ってみる。
隣の部屋とさほど代わりのない部屋だ。
「どうして、あんたはこう……しれっとそういう服を着こなせるのか」
遠峰さんがドレスと格闘しながらぷぅとむくれている。
あきらかにドレスに着られていますといった風の彼女はそれはそれでてんぱっているのがかわいらしい。
「はいはい。メイクはどうする? 華やかなイベントだからちょっとやってみる?」
「たしかに……そうね。こんなお上品な会なら、必要かも」
普段あんまり化粧っ気ないからねぇ、と彼女はぽりぽり頬をかく。
写真のほうに一生懸命でそういうところは手を抜いているのは遠峰さんらしいといえばらしい。
「唇かるくあけて、あ、うん。おっけ」
アイメイクを終わらせて、口紅をさせばそれでおしまい。ルイのメイク術がつたないのもあるのだが、素材がまだぴちぴちの高校生の肌なのだからそんなに塗りたくらなくても十分に愛らしいのである。
「おぉー。メイク一つでずいぶん変わるもんなのねぇ」
「遠峰さんもともと美人さんなんだから、磨けば光るのに」
「いいの。こういうときだけでね。普段からおしゃれしすぎちゃうのは疲れちゃって」
「そういうのも全然いいと思うけどね。女子はメイクするの大好きだけど、案外メイクだめな男子って多いみたいだし」
わりとメイクがちがちだとシャイな男の子は萎縮してしまうものなのだから。そういうのも含めて遠峰さんは割と人気が高いのだろう。
「それじゃ緊張するけど、行きましょうか。お嬢様」
手を差し出すと、遠峰さんの手が布越しに乗る。
それでもやはり気持ちの高ぶりなんてものはまったくなくて。
完全にルイモードにはいっていることを実感するばかりなのだった。
そしてさきほどの執事さんがなるべく表情を隠そうとして失敗しているのに苦笑を漏らしながら、とりあえず本来の入り口である正面玄関のほうに案内してもらうのだった。
「豪華というかなんか、絵にかいたようなお金持ちの誕生日パーティって感じ?」
「あはは。想像はしていたけれど、さすがにすごいね」
一度外にでてから、正面の入口に回ると特別招待状なんかも必要なく執事さんが中に通してくれた。
先ほどは裏口だったから全然人がいなかったけれど、こちら側はさすがに人の出入りが激しい。
車で乗り付ける人やらすでに庭で談笑している人やら、かなりの人数がいる。
みなさんしっかりとフォーマルな格好をしていて、着替えをしていなかったらまともに浮いていたなぁとしみじみ感じさせられる。
中に入ると入口以上に人は多くて、案内されるままに一階のホールに通された。
立食パーティーというんだろうか。
すでにテーブルには食事がたんまりと置かれている。けれどそれぞれに椅子はなくて、自分で取り分けて食べるわけだ。
立食といえばお上品に聞こえるけれど、ようは立ち食いである。
さっきの執事の人も手伝いに駆られていたけれど、他にも臨時にボーイさんと呼ばれる人がびしっとした姿で飲み物をサーブしている。
「ああ。ルイちゃん。さくらちゃん。いらっしゃい」
あまりの景色に唖然としていると、そこに聞きなれた声がきこえた。
「うわ、リアルにフリルつきの男子服をはじめて見たかも」
そう。そこにいたのは三枝エレン。今日のパーティの主役である。
「あんまり見られると恥ずかしい」
「カメラがあれば激写してるところなんだけれどね」
今日はお招きありがとうございますと彼女はぺこりとドレスの裾をもちあげて礼をする。ドレスは苦手といいながらそういう作法はしっかりしているらしい。アニメ効果というやつか。
「こちらこそ来てもらって嬉しい。特にルイちゃんはドレス姿すっごい似合ってる。予想通りというかなんというか」
「そ、そう? 私よりさくらのほうが意外性があってきれいじゃない?」
「あはっ。たしかにルイちゃんはこういう格好しそうな感じするもんね。着なれてたりはするの?」
「全然はじめてです。私は言うも涙語るも涙。半年コロッケひとつ買えなかった人なのです。ドレスなんて着なれるはずがないのです」
ううう、と泣き真似をすると遠峰さんがよしよしと頭を撫でてくれる。
「だとしたら、もう風格というかそういうのがあってるのかなぁ。そうそう。今日は僕が許すからたんまり食べていって」
これだけ料理が出てもあんまりみんな手をださないから、と言われてうーんと口後もる。
この手のパーティーはあくまでも話すのが目的だから、食べるという行為自体はおまけになってくるのだろう。
「残ったらお土産で持って帰ってもいい?」
「って、ルイっ。さすがにそれは……そういう風に衣装を着こなしてる人の言葉じゃないと思う」
おまけに庶民根性をだしてみたら、遠峰さんに叱られた。
だって、残るっていうんだもん。もったいないじゃないか。
「あはっ。とりあえずはそうだね。できれば最後まで居て欲しいし。そのとき残ったなら好きなの詰め合わせでどう?」
みんながいないところだったら問題なしだから、と耳元でこそりとつぶやかれる。
さすがはエレン。わかっていらっしゃる。
とはいえ、あんまり食事メインでがっついてしまうのも、エレンの友達としては周りに悪い印象もでてしまうかもしれないので、そこそこ程よくペース配分を考えながら食べることにしようかと思う。
どうせ話す相手なんて、遠峰さんとエレンくらいしかいないのだし。
「それじゃ、そんな感じで。楽しめる……かどうかはわからないけど、パーティーにおつきあいくださいな」
苦笑がわずかに漏れた。エレンは十分に承知しているというところなのだろう。このパーティー自体が自分の誕生日ではありえないことを。けれどそれに慣れてしまって、それでも来客してくれた人たちに感謝の言葉を述べて回る。
少しエレンが遠くに離れたのを見計らって、遠峰さんに話しかける。
「あとで、誕生日、祝ってあげないとね」
「ん。もちろん。それと乾杯終わったらどんどん料理を食べつくしてやろうじゃないの」
「さくらががっついちゃダメでしょ」
先ほど叱った張本人が、食べる宣言をしているのである。でもこれはやけ食いとかそっちの類のほうに違いなかった。
なんというかこの会場自体が、とてつもなく嫌な感じなのだ。
「こういう時、カメラがあると和むんだけどねぇ」
お互いにあの感触に助けられているところがある。けれども今日は有名人も多くいることからカメラの所持が禁止なのだ。写真撮影はどこかのスタジオにお願いはしているらしい。何人かスタッフがいて確かに記念撮影を行っているようだった。
「ほんとよね。著名人を撮る撮らないはともかく、料理の写真は撮っておきたい」
遠峰さんが珍しく人間よりも料理のほうに撮影対象を求めている。
「確かにきれいだけど、これだけ人間がいればそれを撮りたいっていうのかなって思ってたけど」
「んー。だってここは日常じゃないから。私が撮りたいのは生きてて生活してて、楽しい顔だもの」
割とざっくりこの会場を全否定してくれてる遠峰さんの言い分はとてもよくわかる。
笑ってはいるけれど、みんな心の底から楽しそうではないのだ。
「ま、ちょっと場違いな場所にきちゃったかなぁとは思うけど、おいしいご飯食べて、周りの会話をちらりと聞いたりしつつ、カメラマンさんたちを見て楽しもう」
ほらほら、それなりな人数来てるみたいだよ、とぴしりと指をさしていると、執事のおじさまが直々に飲み物をサーブしてくれた。未成年なのは伝えてあるのだろう。中に入っているのはスパークリングのグレープフルーツジュースだ。
そろそろパーティーが始まる時間、ということらしい。
エレナの父親である三枝氏から、パーティーに集まってくれたことへの感謝がのべられ、そして乾杯の音頭となる。
軽くグラスを上げてからグラスの飲み物を少しだけ口にいれた。つぷつぷと口の中で泡がはじけて刺激的な味だ。
「ご希望がありましたら、料理をおとりわけいたしますが?」
「じゃあ、お願いします。好き嫌いはないのでたんまりとっ」
「なるほど。坊ちゃまが気に入るわけがよくわかりますね。明るくて大変によろしい」
かしこまりましたと、執事のおじさまは手早く料理を取り分けて一つのプレートにするとこちらに渡してくれた。
食べやすいようにお箸までつけてくれるところがありがたい。彼には分っているのだ。我々がこのパーティーでどういう位置にいる人間なのかを。
「お食事を中心にされるのでしたら、壁際の席でしたら椅子もございます。立食でということでしたらあいたテーブルなどお使いいただければ」
何から何まで丁寧にアドバイスしてくれるのがありがたい。
結局、立食のまま、グラスをおくためのテーブルを確保してまずは食事をいただくことになった。